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2012年04月04日

其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --⑤--

本項は「 其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --④-- 」の続編です。

-●S6系グロリアの年度別生産台数--

・1967年度 国内:17867台 輸出:493台

1967年4月15日にフルモデル・チェンジ、1月から3月までは先代S4系が販売されている。
また、モデルチェンジ後もS4系の在庫車輛が販売・登録されている。

心情的なものもあってか、プリンスのセールスマンの中にはS4系からS6系への
買い替えを検討する顧客に対し、新型車のS6系”ニッサン・グロリア”よりも
S4系”プリンス・グロリア”を薦める者もいたという証言が残っている。
もちろん、単純な在庫処理としてのS4系の販売もあったものと思われる。

輸出台数は1965年に1220台、1966年に1015台(66年8月合併)と
年間1000台を超えるS4系が外貨獲得の重責を担い海外へと旅立っていったが
S6系では500台以下と大きく減ぜられた。

これは、輸出の主力をセドリックやブルーバードといった「嫡流」の日産車を
中心としたい日産首脳部の意向が働いた為と思われる。

・1968年度 国内:25239台 輸出:417台

1968年、日本の自動車生産台数は高度経済成長とそれに伴うモータリゼーションの
発展によって、アメリカに次ぐ世界第2位に躍進した。
終戰から僅か23年という、驚異的なスピードでの大記録であった。

グロリアも前年から7千台以上も販売台数を伸ばし、2万5千の大台を超えるに至った。

・1969年度 国内:15093台 輸出:250台

好調だった1968年の反動か、1968年10月/1969年10月と2度のマイナーチェンジを
実施したにも関わらず、販売台数は1万5千台余に留まっている。

フロントのクロームの使用量を控え、煌びやかさを抑えた2型のデザインに対する
評価が芳しくなかった可能性もある。

プリンスのもう一枚の看板であるスカイラインは、S7系にフルモデル・チェンジした
1968年に55206台、1969年に92416台と年々積み増してゆき、1970年には119593台と
遂に10万の大台を超え、極めて好調だったこととは対照的である。

価格、車格が違うので単純な比較は出来ないが、プリンス自販が発行した
セールスマン向け社内報から推測すると、スカイラインの販売促進に注力した為に
グロリアの販売が低調になったものと思われる。

輸出は1967年の500台余、1968年の400台余から大きく減じて250台となった。
これはマイナーチェンジを機に販売地域を絞ったものと思われる。

これは合併前にプリンスが独自に進出し、グロリアを販売していた地域でも
順次セドリックに置き換えられていったことによる販売減であった。
この為、現在海外で残存している輸出仕様のS6系はその殆どが1型となっている。

・1970年度 国内:18744台 輸出:155台

1969年10月のマイナーチェンジで、エンジンがG7型からL20A型に換装され
2バレル仕様であっても4バレル仕様であっても、一律105psとされていた出力表示もようやく
是正され、競合他社に見劣りしないもの(2バレル・115ps/4バレル・125ps)となった成果も
あってか、販売台数は1万8千台に回復した。

その一方で、輸出は遂に155台まで絞られた。

S7系スカイラインに於いても、競合する日産車の販売優位性を保つ目的で
高性能仕様の投入は許されなかった。

S54の時代から引き継がれ、サーキットに於ける連戰連勝によって当時の國産車中随一の
スポーツ・イメージを持っていたスカイラインに、価格・性格ともに別格である
イメージ・リーダーたるGT-R(PGC10/KPGC10)以外の高性能仕様がラインナップ
されなかったのは、明らかに不自然であった。

日本自動車技術会賞技術賞を受賞した先進的エンジン、G型4気筒搭載車にも
レース・シーンのイメージを投影したGT系にも、ツイン・キャブなどの
ハイ・パフォーマンス仕様は設定されなかったのである。

2000GT(GC10)に、高性能なツイン・キャブ仕様(GT-X)が追加されたのは
デビューから3年も経った1971年9月であり、既にC10系はモデル末期であった。

ここにも日産側の圧力が垣間見える。

逆に日産側は、日産の看板スポーツカーであるフェアレディZ用に日産独力では
開発し得なかった高性能なGT-R(PGC10)用S20型エンジンを供給することを求めた。

プリンス側はこれに対し強い不快感を示し、ハンドメイド工程も多く「ムラ」があった
S20型エンジンの内、「ハズレ」と判断されたものを日産側に供給したと云われている。

また、日産側には複雑で繊細なS20型エンジンの整備を完璧に行なえるメカニックが殆どおらず
一般ユーザーの所有するフェアレディZ432/432R(PS30)の整備には
ツーリング・カーを担当する、大森ワークスへの持ち込みが求められるという状況であった。

これがプリンス系エンジンと日産系車体の組み合わせは相性が悪い、と云われる原因となった。

後にもシルビアなどでも問題となるが、機械的なバランス以上に
日産側経営陣の強引な手法によって惹起された、両者の対立が影を落としたものであった。

・1971年度 国内:23187台 輸出:1台

1971年2月でS6系の販売は終了、1971年度の販売台数には230系も含められていると思われる。

最期の輸出はたった1台と、1000台を超えた往時の栄光が嘘の様な晩年であった。
なお、S7系スカイラインの1971年度輸出台数は3404台となっている。

上掲のデータから、S6系グロリアは1967年4月から1971年1月までの3年と10ヶ月の期間に
概ね78000台程度が生産され、内1300台余が輸出されたものと推測される。

S4系の生産台数は、1962年から1966年までの5年間で86000台余であった。
ただしこれは生産台数であり、登録台数とは一致しないと思われる。
S4系では大量の不良在庫が発生し、モータープールを埋め尽くす程となっていた。
これらの在庫車の多くはスクラップにされたと言われている。

また、S4系の輸出台数は3000台余であった。

-●輸出について--

國際ビルヂングを背景にした、左ハンドルのPLA30-U(1型)カタログ表紙


S6系のカタログや広告には、発展する日本の象徴として日本初の36階建て超高層ビルの
霞が関ビルディング(1968年4月落成)や、1966年9月に新生した帝國劇場などの
大型建築物を背景として客演させることが多く行われた。

グロリアの輸出は、1961年に2台のBLSIP系が試験的に海外に送り込まれたのが最初であった。
プリンスの輸出の主力はスカイラインであり、1961年/563台、1962年/794台、1963年/828台と
順調に増加していったのに対し、グロリアは1962年/6台、1963年/35台と極少数に留まっていた。

1963年6月20日、海外の道路事情にも適した余裕あるG7型6気筒エンジンが投入されると
グロリアの輸出も拡大され、1964年/718台、1965年/1220台と好調に推移していった。

海外向けの企業広告、掲載車種から1963年9月~1964年3月の間に制作されたものである


写真自体は國内向けの流用であり、輸出されなかったスカイライン・スポーツも掲載されている。
これはラクシュリー・クーペやコンバーティブルといった華やかな車種を生産しているという
実績を示すことにより、プリンスの企業イメージ向上を図る為に掲載されたものと思われる。

しかし1966年8月1日には日産と合併、1966年度の輸出台数は1015台と減少した。
合併が行われた8月以降、輸出台数が大きく絞られたことによる影響と思われる。

合併後、プリンスが独自に切り開いた海外での販売ルートも日産が取り込み
販売車種もセドリックに取って代わられ、グロリアの輸出は一気に500台未満に絞られた。

プリンスの主な輸出先は、北米・東南アジア・オーストラリア/ニュージーランド・欧州であった。

1967年4月~68年10月頃の輸出地向け広告


PLA30-U(1型)の紹介をメインに、上部には日産の輸出モデル各種が掲載されている。

B10サニー(セダン/バン)、410ブルーバード、130セドリック、310フェアレディ、
520ダットサン・トラック、240キャブオール、60パトロール、240エコー、680トラック、
UDバスのシルエットが並んでいる。

合併間もない時期の為S6系のみ「NISSAN GLORIA」となっており、スカイライン及びマイラーは
PMC(プリンス・モーター・コーポレーション)の姓を名乗っている(後にNISSANに改称)。
A150はスカイライン1500デラックス(S50DE)、T440は2代目マイラーの輸出仕様名称である。

オランダ向け輸出カタログよりS5系スカイライン、合併後であるがPMCブランドで販売されていた


帝國劇場を背景にしたPLA30-U、サイド・ウィンドウに採用された曲面ガラスをアピールしている


PA30-D用のリヤ・グリルは装着されず、A30-Sと同じシンプルなリヤビューとなっている。
PA30-Dではリヤ・フェンダーに備わるエンブレムが、フロント・フェンダーに移設されている。

ニュージーランド向け広告、DATSUN1300とNISSAN GLORIA


410ブルーバードとPA30-Uが並んでおり、それぞれ「DATSUN」「NISSAN」の
ブランド名を冠していることに注目。
両車ともにアウトサイド・ミラーが無いことにより、スリークなシルエットとなっている。

一瞬、現地(NZ)で撮影されたかのように見える写真だが、後ろの観光船のサイドには
「熱海」と書いてあるので國内撮影と思われる。

同じく410ブルーバードとPA30-Uの広告


掲載されている車輌は上掲の個体と同一と思われる。
グロリアのキャッチコピーの「splendid」とは、華麗なる、輝かしい、立派という意味を持つ。

現存するS6系輸出モデルの大半は、1967年4月から1968年10月まで生産された1型であり
68年10月以降の2型及び3型については、積極的な輸出が行われなかった。
上述の通り、日産がセドリックの輸出・販売に重点を置いた為と思われる。

静粛性を追求したS6系らしく「静かなるもの」というヘッドラインも誇らしげな1型の広告


1型の輸出名称は「NISSAN GLORIA」で、型式はPA30-U/PLA30-Uとなる。
PはG7型6気筒搭載車、Uは輸出仕様、Lは左ハンドルを意味している。

PLA30-U(1型)左ハンドル車、ラジオ・時計・ヒーターを完備、フェンダー・ミラーはオプション


助手席側セカンダリー・ベンチレーターが省略されている点に注目。
ラジオ・アンテナの位置は、左ハンドル車であっても右ハンドル仕様と同じ左側となる。
國内仕様よりも明るい色調の内装に留意。

NZで現存するPA30-U(1型)


強い陽射しを遮るフロント・バイザーが、如何にも当地らしい装備。
グリルはA30-S用、ウィール・キャップはPA30-D/QM用の組み合わせとなっている。

右のミラーは非純正の後付品だが、左側にはミラー取り付け用の孔を隠す為の蓋が
確認できることから、新車時にオプションのフェンダー・ミラーを装着していたものと思われる。

ワゴンは「NISSAN GLORIA Estate」の名称となり、型式はWPA30-U/WPLA30-Uとなる。
Wはワゴンを意味し、エステートの名称はW41A(グロリア6エステート)から継承したものである。

エンジンはG7型6気筒を搭載するが、國内仕様と違い105ps仕様となっている点が特徴。

WPLA30-Uのカタログ写真、左ハンドルであっても開閉式サイド・ウィンドウは左側のままである


國内仕様のカタログは機能の紹介を中心としたビジネスライクなものだが、輸出仕様では
猟犬と猟銃が登場し、ハンティングを楽しむ為のレジャービークル的な性格が強調されている。

なお、廉価版であるH20型4気筒搭載車は輸出されなかったものと推測される。

上級仕様は「NISSAN GLORIA DELUXE」を名乗り、型式はPA30-UQ/PLA30-UQとなった。
末尾のQは国内仕様と同じく、豪華仕様を意味している。

これには、ドアサッシュ・クロームフィニッシャーやサイドシル・モール、ボンネット・マスコット、
新型ウィールキャップなど、PA30-QM(2型)に概ね準じる装備が奢られていた。

従来通りのモデルは「NISSAN GLORIA STANDARD」と呼称された。
型式は変更なくPA30-U/PLA30-Uのままであった。

スタンダードを名乗っているが、国内仕様のA30-Sと異なりG7型6気筒を搭載している点に留意。
外観の装飾はPA30-DとA30-Sの中間程度となり、内装類に関してはシートはPA30-D用、
ドア・トリムがA30-S用とされるなど、国内仕様とは違う組み合わせの艤装が施されている。

ただし、輸出地によって複数の名称が使い分けられていた為「DELUXE」「STANDARD」が
付かない場合もあった。

WPLA30-U(2型)ワイパー位置に注目


左ハンドルであることが良くわかる一枚


希少な3型のカタログ写真、型式はおそらくHLA30-UQと推測される


3型の輸出仕様に関しては、この1枚以外の資料を見たことが無い為殆ど不明である。
スリット入りバンパー、Cピラーのエア・アウトレット兼用エンブレムが3型の特徴となる。

興味深いのは、背景に写るインストゥルメント・パネルが1/2型用であることだろう。
3型は逆スラント形状に改められたが、これは明らかにスラントした1/2型用である。
ドア内張りのパターンは3型用なので、写真の選択ミスではない。
ダッシュボードの形状変更をせずに、旧型を継続して採用したのであろう。

この時期には既に輸出台数も絞られていた為、コストを抑える意図があったのではないだろうか。

5ナンバー・フルサイズという、海外では比較的コンパクトに分類される
車格を考慮して、基本装備は廉価グレードに準ずるものが選ばれている。
ヒーター、ラジオ、ウィンドウ・ウォッシャーなどの各種快適装備に関しては
オプションで用意する方式を採っている。

輸出先は熱帯から寒帯まで幅広く、気象・道路環境も全く異なるので
それぞれの地域に適した装備を選択してもらう形式がベストであったと思われる。

外装に関しては、ウィール・キャップやホワイトリボン・タイヤなどを奢ることによって
効果的に豪華な雰囲気を演出している。

高速走行/長距離連続走行の多い海外の道路事情にあわせて、高圧縮比の
G7H型6気筒105psエンジンが選ばれており、4気筒エンジンの設定は無かった。

アベレージの高い道路環境に対応すべく、フロント・ディスクブレーキやパワー・ブレーキ、
タンデム・マスターシリンダーを標準装備とし、充分な制動力を確保している。

ディスク・ブレーキや大容量ラジエーターなどで、厳しい環境に対応できることをアピールしている


ボディ・カラーは明るいイメージの白が多く、カタログ写真にも白が選択されている。
内装色も、國内向けよりも鮮やかな色調の赤が選ばれた。

國内仕様よりも鮮やかな赤の内装色が、清廉な白い車体色を際立たせている


三角窓がクランク・ハンドル式ではないことや、アームレストが省略されているなど
海外での車格にあわせて、随所に変更が見られる。

オリジナル・ペイントと思われるPA30-U(1型)の右ハンドル車


國内仕様にはない、派手目な赤の塗色が鮮烈な印象を与える。
他車種流用が盛んな、フロントの住友ダンロップMK63ディスク・ブレーキは取り外されている。

上掲したNZの現存車と同じ純正色と思われる、鮮やかなペパーミント・グリーンの個体


当時の日本に於いては、ましてやこの車格では考えられないポップなカラーである。

4枚羽根のクーリング・ファンや、当地のライセンス・プレートが見えるレストア・ベースの個体


グリルが欠落している為、1型か2型かは判断できないがドアサッシュ・クロームフィニッシャーが
装着されていないことから、PA30-UQ(DELUXE)ではなくPA30-Uと推測される。

このブルーの塗色も、おそらくはオリジナル・ペイントと思われる。

1300台余しか生産されなかったS6系の輸出モデルの残存率は低く
年式的には古くとも、3000台余が輸出されたS4系の方が数多く残存している。
また、S6系輸出モデルの殆どがまとまった台数の出た1型に集中している。

現在、僅かな数のS6系輸出仕様車が日本國内に里帰りを果たしている。

-●S6系グロリアは130セドリックの兄弟車?--

多くの文献で「3代目グロリアは、デザインが違うだけのセドリックの兄弟車になった」との
表記を目にするが、これは完全な間違いである。

DATSUN2000Wagon(130セドリック輸出仕様)左ハンドル車


この説の根拠として頻繁に挙げられるのが、以下の3点である。

・日産との合併により、コスト削減を目的に部品共有化が進められたこと
・グロリアの特徴であったド・ディオン・アクスルが、セドリックと同じ形式(リーフリジッド)となったこと
・ウィールベースの数値が同じ(2690mm)であること

しかしながら既知の通り、グロリアがセドリックの兄弟車となったのは
1971年2月の230系以降からである。

S6系の開発は1962年秋に始まっており、1966年8月の合併前には既に完成していた。
石橋会長をはじめとしたプリンス首脳部を招いての、社内向け完成車お披露目会も行われている。
部品共有化や車名の変更は、合併後に行われたものである。

特に、ウィールベースがまったく同じ数値であることから
同一のシャシーに別のボデイを被せたと思われがちである。

しかしWB2690mmという数値は、当時の5ナンバー・フルサイズに於ける限界値であり
クラウンが1962年に、セドリックが1965年に採用して以来、その数値は
両車ともに1983年まで変ることがなかった、いわば各社共通の上限値であった。

日産との合併に伴い部品共有化の指示が下るも、既に完成していた設計を大幅に変更する事は
難しく、既に新型(G15系)に切り替わることが決定していたプリンス製G2型を、日産製H20型に
置き換えるといった、一部の部品共通化に留まったに過ぎない。

G15型は新型4気筒として開発が進められていたが、日本グランプリ対策でエンジニアを
総動員しており、完成が1967年8月までずれこんだ為4月デビューのS6系には間に合わなかった。

S6系より遅れて1968年8月1日にデビューしたS7系スカイラインも、大部分の設計が
合併前に完了しており、部品共有化は難しかった。
共有化の簡単な部分として、まずはボルト・ナットを日産製に変更するのがやっとであった。

10月に追加された、4輪独立懸架機構を持つ(4気筒車は後輪リジッド)
スカイライン2000GT(GC10)と、同じく4輪独立懸架の510ブルーバードの
リヤ・サスペンションの共通化も、形式は同じながら双方独自の設計であり
共有化されたのはブッシュ類などの小物に留まっている。

その後、生産ラインの整理・排ガス対策への注力を目的に、プリンス製G7型エンジンが生産中止。
1969年10月、日産製L20A型に換装されたがこれは部品共有化ではなく完全な整理統合であった。

エンジンが日産製となった事を以て「名実ともに日産車となった」との表記も見掛けるが
多少の設計変更程度では、優れた基本設計と込められた「魂」たるプリンス・スピリットは
厳として揺るがず、HA30系グロリアもまた紛れもない荻窪産まれ、村山育ちの
血統書付き高級車であり続けた。

グロリアがセドリックの兄弟車となったのは、1971年2月23日以降の230系からであり
S6系グロリアはその生涯の最期の瞬間まで、誇り高き純然たるプリンス車であった。

-●皇室御料車「プリンス・ロイヤル」との関係性--

「プリンス・ロイヤルはグロリアをベースに作られた」

もしくは逆に

「グロリアはプリンス・ロイヤルをベースに作られた」

との表記を時折目にするが、これは正しくない。

日産の海外向け広報誌に掲載されたプリンス・ロイヤル


後方にHA30が見えるので、1969~1971年頃と思われる。
プリンス・ロイヤルは7台が建造され、宮内庁と外務省に納入された他に
1台が緊急時の補用車として日産で保管された。
この個体はその補用車であると思われる。

「アジアで唯一のリムジン」と説明されているが、プリンス・ロイヤルのデビューと同じ
1965年には、中華人民共和国で紅旗(ホンギ)CA770型リムジンが登場している。
情報統制を行なっていた共産圏の自動車事情は、余り知られていなかったものと思われる。

紅旗CA770型


紅旗は、クレムリンの政治委員達を乗せる為だけに作られたソヴィエトのZilを基礎としていた。
Zil自体も旧世代の米車パッカードのデッドコピーであり、紅旗はさらなるデッドコピーと云える
ものに過ぎす、トランスミッションも旧態化を隠せない2速ATであった。

紅旗がプリンス・ロイヤルを上回っている点は防弾性能であり、陛下のお乗りになられるお車で
あってもリヤ・ウィンドウの投石対策程度で済む治安の良い日本と、常に独裁体制への
不満分子を抱え、暗殺への対策を講じなければならない國情の違いが鮮明に表れている。

プリンス・ロイヤル(S390-1)は1963年頃から開発が始まり、戰前から蓄積された
中島飛行機以来の高度な技術と、プリンス・セダンに始まる1952年3月7日以来の
高級車造りのノウハウによって、驚異的なスピードを以て1965年7月に第一号車が完成した。

この陰には、昼夜を分かたずに開発に没頭した技術陣の血の滲むような努力があった。

当時、プリンス技術陣は日本グランプリ対策に忙殺されており、皇室御料車の開発に
あたったのは乗用車設計班ではなく商用車設計班であった。
3.2トンにも及ぶ重量の皇室御料車のシャシー開発には、トラックでの経験が存分に生かされた。
完全なハンドメイド車であった、スカイライン・スポーツの製造経験も随所に生かされた。

開発は先(1962年秋)に始まっていたものの、完成はS390-1より後(1967年春)となったS6系の
デザインは「S390-1と並んで違和感の無いように」と、共通したデザインを採用することに決定。

これに関しては、陛下のお乗りになられる御料車と、一般ユーザーが所有することとなる
グロリアのデザインが似通っていても問題ないかを宮内庁に問い合わせ、了承を得ている。

プリンス・ロイヤルは、1965年10月22日に東京プリンス・ホテルにて華々しく発表された。
合併後の1967年2月25日に第一号車が納車され、1972年までに7台が就役した。
7台の内訳は、宮内庁4台、外務省2台(後に1台が宮内省管轄に移管)、日産の補用1台であった。

共通したデザインを採用したS390-1とS6系であったが、5ナンバー・フルサイズ車である
グロリアと、全長6155mm・全幅2100mm・全高1770mmの巨躯を誇る
プリンス・ロイヤルは総てに於いて別物であった。
規格品であるシールドビーム・ヘッドライト以外の、フェンダーやグリルに共通性はない。

シャシーやエンジンをはじめ、S6系グロリアとプリンス・ロイヤルは完全な別設計であった。

内装に於いては三角窓のクランク・ハンドル、インサイド・ドアハンドル、ルームミラーのステー、
時計の外筐などがS4系グロリアと共通と思われるが、時計のムーブメントは静粛な特注品であった。

トランスミッションもS4/S6系に採用されたBW-35ではなく、GM製スーパータービン400であった。

BW-35は3000cc程度の中型車用汎用ATであり、プリンス・ロイヤルの為に開発された
W64型V8・6373ccの大排気量に対応できるキャパシティは持ち合わせていなかった。

スーパータービン400はキャディラックやビュイックに採用されていたもので、7000cc級エンジンにも
対応できる容量を持った大型車用ATであり、プリンスは梁瀬次郎氏を介してGMより購入した。

S6系は華美さや威圧感を持たない為、スノッブ・タイプ(気取り屋)の人間からの評価は芳しくない。
彼らが求める、いわゆる「押し出し」や「派手さ」に欠けるというのである。

躍動感に満ちたS4系が「動」ならば、S6系は「静」と表現できる、端正で静謐な雰囲気を湛えている。
皇室御料車と同じ血統を持ち、供奉車として車列を編成するという重責を任ぜられた
歴史的背景を鑑みた時、その落ち着いたデザインの趣旨が明快に理解できるというものであろう。

國民の歓声に応えて、プリンス・ロイヤルの窓からお手を振られる天皇陛下のお姿



-◆終幕--

1971年2月22日、初春。

寒桜 静かに咲き始める頃、暖かな春の訪れを待たずして荻窪の桜散りゆく。



民族の存亡を賭した、永きに渡る戰いに終止符を打ちたる御聖断を仰ぎ日より
過ぎること四半世紀の春であった。

1945年8月15日、真夏の太陽が照り付ける焼野原の中。
茫然自失の日本國民を再び奮い立たせしめたるは、昭和天皇の終戰の詔書であった。


”宜しく擧國一家子孫相伝え、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念い

総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏くし、誓て國体の精華を発揚し

世界の進運に後れざらむことを期すべし”

(現代語解説)

”これからは國を挙げて、子孫を残し、日本が決して滅ばないという確信を持たねばならない

その責任は重く、道は遠いが、総力を将来の建設に傾けねばならない

人道と正義を重んじ、強固な精神を保たねばならない

そうすれば、日本の誇りを高く掲げつつ、世界の進歩について行くことができるであろう”


一面の焼野原から立ち上がり、臥薪嘗胆の想いを胸に秘め、艱難辛苦に打ち耐えた1940年代。
明日は今日よりもきっと良くなると信じて疑わずに、我武者羅に働いた1950年代。
テレビ、洗濯機、冷蔵庫、マイカー・・・夢に見た豊かさが現実となった1960年代。

日本は高度経済成長を成し遂げ奇跡の復活を果たし、國際的な信頼も回復し
短期間の内に、世界の一等國の地位を取り戻すまでに躍進した。

その一方、高度成長の反動が齎した公害、薬害が表面化し”豊かなる時代”は
熱狂の中に見た、幻影の如き砂上の楼閣ではないかとの不安が過ぎる。

1970年代に入ると化学万能論、消費は美徳といった価値観は綻びを見せ始めた。

暗雲迫る”次の時代”を嫌うかのように、プリンス・グロリアは3代11年に渡る歴史に幕を降ろした。

それは単なるひとつの車種の生産終了のみに留まらず、1917年創設の中島飛行機以来の
伝統を誇るプリンス自動車の終焉をも意味していた。

1962年9月に落成した、鉄筋コンクリート地上8階・地下1階建ての堂々たるプリンス自販本社ビル


中島飛行機時代は一式戰「隼」や四式戰「疾風」に代表される、優秀なる戰斗機を開発・生産し
欧米列強と熾烈なる死斗を繰り広げ、その能力を限りない大空というこれ以上ない檜舞台で示せり

胴に描きし撃墜マークも誇らしげに、蒼空を背に本土防空の死鬪に挑む二式単戰「鐘馗」(キ44)


戰後は平和産業へと転換、高度な技術を新しいステージで遺憾無く発揮して見せた。
そして戰前と変わることなく國家、皇室への御奉公に心血を注いで努めた。

1952年3月7日、皇太子殿下の立太子礼を祝し決定した車名「プリンス」を発表

1959年2月、皇太子殿下の御成婚を記念し”皇太子の栄光”プリンス・グロリアを発表

1967年2月25日、純國産貴賓用リムジンたる皇室御料車「プリンス・ロイヤル」献納

何台ものプリンス車が皇室に献納され、やがては御料車を開発するまでに至った。

特に、車好きであらせられた皇太子殿下には職人の手により
特別に仕立て上げた計9台もの歴代プリンス車をお納めした。

殿下自ら國産各車をお調べになり、優れた審美眼でお選びになられた最初の1台、プリンス・セダン。

1954年の夏、納車されたばかりのプリンスを背にした皇太子殿下と妹君の清宮貴子内親王


殿下の御要望により、シックで品のある特別色のモスグリーンに塗装された初代スカイラインは
市販車に先行し、法改正以前に既に1900ccエンジンを搭載した特別車であった。

殿下の御成婚を奉祝し命名、献納した戦後初の大型高級乗用車・初代グロリア。

夏の軽井沢を颯爽と駆け抜けたイタリアン・デザインのクルーザー、
スカイライン・スポーツ・コンバーティブル。

國際水準の総合性能を獲得するに至ったS4系グロリア・デラックス、スーパー6、グランド・グロリア。

特に、グランド・グロリアは「カスタムビルド」という特別仕立てのハンドメイド・モデルが献納された。

後席にお座りになられる皇太子妃殿下の為にWBを150mm延長し、乗降性を向上。
このお車には「モーニングコーヒーにミルクを一滴垂らした瞬間の色」という、殿下の機微なる
御要望にお応えした、品のある艶やかなメタリック塗色が施された。

しかし、激動の時代の中でプリンスと皇室の蜜月の日々もやがて薄れゆく。

1966年8月1日、1945年のあの日と同じように蝉時雨鳴り響く暑い夏に
プリンス自動車は吸収・合併という形で歴史の表舞台から静かに去りぬ。

皇室にお仕えするプリンス車も、月日の経過と共に1台、また1台と皇居を去っていった。

そんな中、御料車プリンス・ロイヤルは40年余の長きに渡りて皇室にお仕えした。

平成元年2月24日、激動の昭和に終わりを告げる大喪の礼に於いては
まるで天が泣いているかのような悲しみの雨降りしきる中、哀の極の奏楽も厳かに
昭和天皇の霊柩をお乗せする轜車として、その大任を仰せつかった。


1999年、日産は事実上の経営破綻に追い込まれ、外國企業であるフランス・ルノーの軍門に下る。

カルロス・ゴーンによる大リストラでは、”外様”のプリンス系が真っ先に首を切られた。
プリンスが社運を賭して建設した村山工場は閉鎖され、中島飛行機以来の伝統を誇る
宇宙航空部門もIHIに売却されるに至り、遂に中島飛行機/プリンス自動車の残滓は消え去った。

1962年10月16日に第一期工事が完了した、最新鋭設備を誇る村山工場艤装ラインの在りし日の姿


純國産であることが求められる御料車もまた、トヨタ製へと置き換えられた。
それとて、完全な特別車であったプリンス・ロイヤルに対し
市販車であるセンチュリーの拡大版に過ぎず。


戰前より一貫して、國家と皇室にお仕えした中島飛行機/プリンス自動車。

その消滅から既に半世紀が経過した。

「プリンス」「グロリア」

今や、その名を記憶に留めるもの僅かなりし。

それでもなお


君が代は

千代に八千代に

さざれ石の

巌となりて

苔のむすまで


國歌「君が代」にあるように、連綿と続く我が國の歴史は絶えることなく永久にして
燦然と輝く皇室の御威光を戴きて、悠久の大義に生きたプリンスの名もまた深く石に刻まれむ。

鶴は千年の時を生きるという。
瑞鶴の紋章を冠するグロリアもまた、千代に渡りて麗しき其の輝きを失うことは無きものと確信せる。



(完)


-●参考文献--

・プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー 当摩節夫氏著 三樹書房刊
・スカイライン 羊の皮を被った狼たち 元村郁朗氏著 三樹書房刊
・プリンス自動車の光芒 桂木洋二氏著 グランプリ出版刊
・「プリンス」荻窪の思い出-Ⅱ 荻友会著 丸星株式会社刊
・プリンスグロリアスーパー6 取扱説明書 プリンス自動車工業株式会社発行/プリンスクラフト制作
・oldtimer 八重洲出版刊
・天皇の御料車 小林彰太郎氏著 二玄社刊
・自動車アーカイブ①、⑤ 二玄社刊
・世界の自動車35 戦後の日本車-1 二玄社刊
・日本車検索大図鑑2 ニッサン/プリンス 二玄社刊
・ノスタルジックヒーロー 芸文社
・インターネット上の各種サイト様
ブログ一覧 | S6系グロリア(タテグロ) | クルマ
Posted at 2012/04/04 20:35:07

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この記事へのコメント

2012年4月4日 22:52
微に入り細に亘る解説ブログ長らくお疲れ様でした。
初めて知ることも数多くあり大変勉強になりました。
ぼくはよく 「その道のプロよりマニアの方が詳しいこともある」 と言ってますが、改めて実感しました。
ありがとうございました。
コメントへの返答
2012年4月13日 23:50
お疲れ様です。
すっかり返事が遅れてしまい申し訳ありません。

お褒めの言葉ありがとうございます。
ただ、一次資料に基づく正確な記述ではない
為、ある程度差し引いて読んで戴けると
ありがたいです。
これからも精進します!
2012年4月4日 23:08
知らないことだらけで今回も楽しく拝見しました。

ありがとうございます。

プリンス車を少しでも長く残していきたいですね。

がんばりましょうね。
コメントへの返答
2012年4月13日 23:52
お疲れ様です。
すっかり返事が遅れてしまい申し訳ありません。

お褒めの言葉ありがとうございます。
プリンス車を維持し、語り継いでいけたら
と思っております。

がんばりましょう!
2012年4月5日 1:00
お疲れ様です。

イイねを連打したい位です!!!

まさにプロジェクトXです♪
コメントへの返答
2012年4月13日 23:53
お疲れ様です。
すっかり返事が遅れてしまい申し訳ありません。

いつもイイね!をありがとうございます!
励みになります。

もう少し更新頻度をあげれるよう頑張ります!
2012年4月5日 2:41
書籍化出来ると思いますよ。 (^^)
最近の車種別別冊誌のくだらなさ、軽薄さには辟易しますが、
この読み応え、、、
素晴らしいブログを有り難う御座いました!

☆敬礼っ!☆
コメントへの返答
2012年4月13日 23:56
お疲れ様です。
すっかり返事が遅れてしまい申し訳ありません。

流行に便乗した「旧車本」の内容の薄さには
呆れるばかりです・・・。

いつもお褒めの言葉ありがとうございます♪
励みになります!
2012年4月20日 22:50
やはりプリンス・ロイヤルは格好良かったですね。

 センチュリーも悪いとは言わないが、御料車がエンジンストップするなんてのはとんでもない恥。

もっと真剣に取り組んでもらわなくは、と思います。

ちなみに、ZILも好きですが、チャイカ・GAZの方が自分の好みですww
コメントへの返答
2012年4月20日 23:37
一種の神社仏閣デザインだと思います。
表面的なものではない”和”の心や
伝統をプリンス・ロイヤルからは感じます。

エンストは完全にアウトですね。
2重系統になっているはずなのに何故??
って感じですね~。
プリウスのブレーキ問題でもトヨタの態度が
おかしいなとは思いました。
世界一と持て囃されて天狗になっているのでは?

チャイカ、まともな情報はありませんが
3ローター・ロータリーがあったとかww

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