今回は、最初期型の「いすゞベレット」を当時の雑誌記事及び実車を交えながら御紹介致します。
---
「自動車工学」 第十二巻・第八号 昭和三十八年八月号(鉄道日本社発行)より抜粋
当時の雰囲気を尊重し、原文ママで掲載しております。
■いすゞベレット
1.5ℓ級の純欧州風小型セダンで、スポーティなムードと新機軸を盛つた高性能車。
1764ccのジーゼル車もある。
4輪独立懸架はこのクラスの国産車でははじめての試み。
デラックス車スタンダード車共に、4段式変速レバーは床上(※フロア・シフト)と
コラム・シフトが選択でき、前座席もベンチ型、バケット型が自由に選べる。
最高速はガソリン車で137粁(km/h)。
【新乗用車 いすゞベレット】
いすゞ自動車が発表した新乗用車ベレット(BELLET。「小さいBELLEL」という意味)。
発売は今秋からの予定。
(※発表は6月、発売は11月)
外観は完全に欧州スタイルを取り入れ、長さ4090、巾1510、高さ1390(ジーゼル車は1405)mmと
長く低いボデー・ラインは美しくまとめられ、前照灯は4灯式を採用している。
4扉の5人乗りサルーンで、1471cc、63PS(5000pm)のガソリン車と1764cc、50PS(4000rpm)の
ジーゼル車とがあり、それぞれ、ユーザーの好みに応じて前座席の様式と変速操作方式の
組合せを自由に選ぶことができるほか、デラックス仕様車も用意。
懸架装置は4輪共独立。
【国産新型車解說”いすゞベレット”】
●いすゞ自動車が発表した新乗用車は、ベレルの姉妹車として
その名も「ベレット」と名づけられている(Belletは小さいBellelという意味)ように、
ヒルマンおよびベレルで得た乗用車技術の経験を活かして研究開発された
5人乗りの乗用車である。
発売は今秋、生産目標は月間3000台の予定。
■設計上のねらいと特徴
同社では、今後の本格的ファミリーカーの本命は1500ccにありという判断のもとに、
ガソリン車は1500ccとし、またジーゼル車は他社のガソリン車に負けぬ性能を維持する
ということから1800ccエンジンを搭載、2本建としている(それぞれ、デラックス仕様車がある)。
特にジーゼル車は本格的に生産された乗用車のうちで世界最小。
振動、騒音も極めて少なく、性能と経済性に優れ、その馬力当り重量14.56kgは世界水準を
示し、ガソリン車と共に海外進出が期待できる----とメーカは自負している。
トランク容積は 0.52㎥と広く、開閉はワンタッチ式
外観は、欧州スタイルを取り入れた4扉サルーンで、流行の横配置の前照灯を採用、
1390mmという低い車高による空気抵抗の減少、□型サイド・メンバ付きの一体構造で
軽量化されたボデーにより、最高速度はガソリン車137km/h、ジーゼル車で110km/hをマークし、
クロス・レシオの4段変速機の採用によつて加速性能も優れている
(運輸省のテストでは、0~400mまで21.6秒)。
この車はオーソドックスな前エンジンの後輪駆動だが、大きな特長の1つは4輪独立懸架方式を
採用していることで、前輪は一般的なコイルばねとウイッシュ・ボーン・アーム、
後輪は左右独立して作用するダイアゴナル・リンクを用いたコイルばねと横置板ばねを併用した
日本では初めてのスイング・アクスル式としている(後述)。
この結果、乗心地と旋回およびスラローム(Z字走行)特性を向上させている。
■新設計の1500ガソリンと1800ジーゼル
☆ガソリン
G150型ガソリン・エンジンは水冷4サイクル直列4気筒頭上弁式の排気量 1471cc で、
最大出力は 5000rpm で 63PS を出す。
このエンジンは、性能曲線(※図1)をみてもわかるように、常時使用頻度の高い低回転時の
トルクを特に高めて加速性の向上を図つていることが特長で(最大トルクは 11.2mkg/1800rpm)
高回転時においても十分な性能と耐久性をもたせているという。
(※図1)G150型とC180型ジーゼル両エンジンの性能曲線
☆ジーゼル
ベレットのねらいが”本格的ファミリーカー”にあることは前述したが、燃料費の経済性により
ベレル・ジーゼルが最近著しく伸びてきていることから、ひと回り下のタクシ車として、
このジーゼル車が登場したとみてよいだろう。
C180型ジーゼルは、水冷4サイクル直列予備燃焼室式の排気量 1764cc で、
最大出力は4000rpm時に50PSを出す。
ジーゼル乗用車の1つの大きな問題は振動と騒音にあるが(エンジン・マウンティングはベレルと
同様3点支持)、ベレル・ジーゼルで得た経験を十分に活かして、ガソリン・エンジンに匹敵する
静しゆくさに加え、ジーゼル特有の粘りのある強いけん引力と加速性を特長としている。
ジーゼル車のエンジン室。始動を容易にするため2個のバッテリを装備
■シャシ関係
シャシはガソリンとジーゼルがほとんど共通であるが、次にその特長を記そう。
☆変速機
クロス・レシオの前進4段(2速以上シンクロ)後進1段変速機は、フラットなエンジンの
トルク特性との組合せによって、特に第4速ギアの使用範囲は走行性能曲線(※下図)でも
みられるように非常にフレキシビリティに富んでいる。
走行性能曲線図(左:PR20型ガソリン・デラックス車 右:PRD10ジーゼル車)
☆後輪独立懸架の採用
懸架装置。左・前輪はコイルばね。右・後輪は横置き板ばね併用のダイアゴナル・リンク
後輪の懸架装置は前述したように左右独立して作用するダイアゴナル・リンク
(Diagonal link 対角線型リンク)を用いたコイルばねと、横置板ばねとの併用による
スイング・アクスル式独立である。
この方式は既に外車のシボレー・コルベア等にみられるが、ベレットの場合は横置き板ばねを
組合わせているのが特長で、図で示したように、リンクは大きな後退角をもつて車体に
取り付けられており、その付け根のピボット部を結ぶ延長線上にドライブ・シャフトのUジョイントの
中心があつて、この延長線を軸としてそれぞれのリンクが左右独立して上下するもので、
Uジョイントは左右それぞれ1個ずつとなっている。
この結果、上下およびロール(横揺れ)方向に最適のばね特性を得ており、前述した乗心地と
スラローム特性を向上させているほか、ばね下重量の減少により安定性を確保している。
なお、デファレンシャルは、ゴム・マウンティングを介してボデー側に固定され、
スイング・アクスル式ドライブ・シャフトで左右車輪を駆動する。
デファレンシャルを車体に直接取り付けると振動、騒音を伝えやすいので、これを防ぐため、
特別に設計されたクロス・メンバにデファレンシャルを取り付け、さらに、このメンバを
ゴムを介して車体に取り付けているわけで、振動、騒音はこの方式によつて十分防げる
だけでなく、デフの上下動がないので、トランク・スペースが広くとれる利点をも兼備している。
☆その他
(1)デファレンシャルはハイポイド・ギアを採用し、最終減速比は3.778(34/9)と4.111(37/9)の
2種類が用意されていてユーザの好みに応じて自由に選べる。
(2)ステアリングは、新設計のラック・ピニオン式で、ステアリング・シャフトの中間に
フレキシブル・カップリングを設けて路面からの振動や衝撃を吸収する。
(3)タイヤは、標準としてワイド・ベースの6.00-13チューブレス(ジーゼルは5.60-14)で、
全車種共白タイヤ。
■細かい安全性への配慮
①前面ガラスは広く、ボンネットを低くして視野を拡大、後部ガラスも視野の広いものとしている。
②前ヒンジ式ボンネットの採用。
③ステアリング・ホイールは安全性のよいコーン・タイプ(朝顔型)で、全周型ホーン・リング付き。
④4扉共リフレクタをつけ夜間に後続車が扉の開いていることを容易に確認できるようにしている。
⑤ボデー保護のため、わが国乗用車では初めての
ゴム付オーバライダ(いわゆる、カツブシ)を備えている。
⑥手動式スクリーン・ウォッシャが標準装備。
⑦前部フェンダにサイド・フラッシャが取り付けられている。
⑧安全ベルトが簡単に装着できるように配慮してある、等。
■車室・艤装関係
車室は、スポーツ・サルーンにふさわしく、下表に示したように前座席は調節式
(約70mm前後に移動)のベンチ・タイプとバケット・タイプがあり、それにつれて、変速機操作方式
にもダイレクト・コントロール(直接方式)とリモート・コントロール(遠隔操作)とがある。
また、駐車ブレーキ・レバーの操作はこれらの組合わせにより、
センター・レバー式またはサイド・レバー式が用意されている。
自由に選べる前座席の様式と変速機方式の組合せ/ベンチ・タイプでハンドル・チェンジの運転席
また、丸型の速度計には積算計のほかに駐車ブレーキの警告灯、油圧警告灯が組み込まれ、
トリップ・メータ(区間走行距離計)も装備されている。
コンビネーション・メータも丸型で、燃料計、水温計およびジーゼル車には
電流計が取り付けられている。
なお、スタンダード車にもウインド・ウォッシャ・キット、後退灯、オーバライダ、アーム・レスト、
キー付グローブ・ボックス、フロント・ドアの物入れ、キー付燃料キャップ等、他の車にみられない
アクセサリ類が標準装備とされている。
■ガソリン車とジーゼル車の相異点
ジーゼル車は、特に営業用としての使用目的に沿うよう次のように考慮されている。
(1)前後輪懸架装置のばね常数をあげて、耐久性を増したコイルばねを採用。
(2)保守、サービスの点を考慮して5.60-14-4Pのチューブ入りタイヤを採用。
(3)12V-400Wの交流発電機を採用し、低速充電性能を良好にしてアイドリング時の
充電効率を向上、バッテリ消費の多い点をカバーしている。
(4)寒冷時の始動を容易にするため、12V-30AHのバッテリを2個備え、わが国初の
チェンジ・オーバ・スイッチ(切換スイッチ)を用いた24V-1.5kW始動電動機を採用。
始動時のみ2個のバッテリを働かせる。
(5)予熱栓は「シーズド・プラグ」を採用。これは、サヤ型といつているもので、ニクロム線が
サヤの中に入つていて直接燃焼ガスにさらされないので、寿命が永く、カーボンが堆積しないので
始動性がよいという長所ももつている新方式のものである。(編集部)
(デラックス・バケット・シートの主要寸法)
(いすゞベレット主要諸元)
---以上抜粋終わり---
●いすゞベレット概要
いすゞベレットは、ヒルマン・ミンクスのノックダウン及びライセンス生産で得た経験を基に
開発された「ベレル」に続く、自社開発の乗用車として企画された。
ベレルが、トヨペット・クラウンやプリンス・スカイラインと競合する5ナンバー・フルサイズ車で
あったのに対し、ベレットはトヨペット・コロナやダットサン・ブルーバードといった
車と競合するインターミディエート・クラスとして企画された。
従来、このクラスに限らず日本の乗用車の殆どはタクシー需要によって成立していたが
1960年代に入るとマイカー族の増加が見込まれ、ベレットは当初からファミリーカーとしての
性格を強く打ち出していた点に特色があった。
ベレットの開発がスタートする2年前の1957年、いすゞ自動車・技術部次長は
2ヶ月間に渡るヨーロッパ出張の中で欧州モーターショーを視察。
この視察を元に1960年2月、社内開発記号「SX」の企画案大綱が決定した。
企画案大綱は次の通り
・1000~1500cc級
・ジーゼル・エンジン搭載車の設定
・トラックの派生を容易にする為の、フロント・エンジン/後輪駆動の採用
・目標月産台数3000~5000台
・生産開始後3年を目途に、量産効果による価格引き下げを見込み他車並~以下の低価格を実現
(初期は高コストでも価格の安さで量を売る→コストが下がる→値下げ→更なる拡販・・・を狙った)
・左右対称のダッシュ・ボードや、変速機方式/駐車ブレーキ・レバー位置の
多様化による輸出仕様などの発展性を当初から考慮する
以上の6点に着眼を置かれた設計が図られた。
「SX」の開発には2つの課題があり、僅か2年後の1961年末完成予定の藤沢工場の
稼働開始を睨み、ヒルマン・ミンクス生産終了後のライン空白を回避すること。
同時に、海外に輸出可能な外国車と伍した性能を達成することであった。
当時はまだ、一萬田 尚登大蔵大臣の「自動車工業不要論(国産車不要論)」が幅を利かせている
時代であり、外国車と比して性能や品質的にはまだまだ発展途上の感が否めなかった。
いすゞは、英車ヒルマン・ミンクスのノックダウン生産からスタートしており
当時は”国産外車”たる日野ルノーや日産オースチンが多数走っていた時代であった。
日本メーカーの中で逸早く輸出に乗り出したトヨタは、1957年10月に北米に現地法人を設立。
意気軒昂に自信作のトヨペット・クラウン(RS-L10)の販売を開始したが、パワー不足で
高速のランプを登れない、流れが速すぎて合流できない(既に100km/hオーバーが普通であった)、
オーバーヒートが頻発する、寒い朝はバッテリーが弱ってしまいエンジンが掛からない・・・などの
トラブルの連続で、乗用車部門の一時撤退を余儀なくされる有様であった。
結局、橋頭堡を築いたのはトラック部門のランドクルーザーであった。
日本を代表する大メーカーたるトヨタですら苦戦する中、それでもなお先見の明を以て
輸出に挑戦し、技術革新によって世界の一流車と伍する自動車を開発しようとした
いすゞ技術陣の意気込みは高く評価されるべきであろう。
---
新工場竣工までというタイム・リミットを背負った、僅か3年余という短い開発期間。
ヒルマン・ミンクスで得た経験があったものの、数々の新機構を投入し斬新な車を目指した
ベレットは未知の経験も多く、幾多もの困難が立ち塞がった。
高度経済成長の中で、刻一刻と変化する様々な状況もまた開発にあたるスタッフを悩ませた。
日進月歩で進む道路網の整備、国民所得の増加、脅威的な他社の新型車・・・。
高速道路の開通を目前に控え、1960年に制定された貿易為替自由化大綱では
自動車の輸入自由化が決定、1965年から施行されることとなった。
この決定には、輸出を伸ばす中で保護政策的な態度を崩さない
日本に対する強い外圧があったとされる。
そんな予断ならない状況の中で、1962年4月には社運を懸けた旗艦「ベレル」がデビューを
果たしたが、生産ラインの作業員が新工法に未習熟であったり、
設計の不備が齎した初期トラブルの頻発によって混乱が生じ、スタートから躓いてしまった。
万一、ベレルに続きベレットも不振という事態になれば
乗用車部門はおろか、会社自体の存続に関わる一大事である。
いすゞの屋台骨はトラック・バスの収益が支えているとはいえ、ベレルの轍を踏むことは
絶対に避けねばならぬことであり、ベレットの開発陣はまさに背水の陣に置かれていた。
設計開始から1年後の1961年10月、一次試作車の製作がはじまるのと
並行して、これを基本とした生産車たる二次設計が開始された。
デザインは、アルファ・ロメオなどのイタリア車に強い影響を受けた純欧州調で
技術部次長によるヨーロッパ出張及びモーターショー視察の影響が感じられる。
当時の日本車はデザインは米車調、エンジンをはじめとした機構は欧州調が主流であった。
戦前の日本では国産車はまだ産声を上げたばかりであり、フォード、シボレー、ダッヂなどが
タクシーとして導入されたこともあり、身近な自動車と云えばアメリカ車であった。
戦後も自動車と云えば、占領軍のジープや米兵が持ち込んだアメリカ製乗用車であった。
その一方で資源に乏しく石油を産しないことや、国土や体格といった歴然たるサイズの違いから
日本では、米車のような大排気量車かつ大柄なボディは不適であった。
その為デザインのみは米車調で、排気量などは比較的条件の近い欧州車を手本とした。
足廻りなどは未舗装の悪路が多かった当時の国情にあわせて、特に堅牢なものが望まれた。
このような状況であったが、いすゞは英国のルーツ・グループを師と仰ぎヒルマン・ミンクスを
生産してきた為、乗用車を独力で開発するとなった時に欧州を向いたのは当然の流れとも云えた。
ただし、いすゞが生産したヒルマン・ミンクスの最終モデル「ハイ・スタイル」は
ラップアラウンド・ウィンドウやテール・フィンなど、かなりアメリカの影響が色濃かった。
当時のアメリカの影響力が如何に大きかったかを端的に示す一例であろう。
---
ベレットは、空気抵抗の少ない高速ツーリング向きのスタイリングを目指した。
高速時代に対応した低重心設計、ソフトな印象を与える卵型のフォルム、スピード感を
演出する、傾斜を付けたセンター・ピラーとリヤ・フェンダーのサーフ・ラインなどが特徴であった。
国産車としては初となる、フロント・サイド・フラッシャーを標準装備とし安全にも気を配った。
国産車の主要市場であった1500cc級は法改正に伴い2000cc級へ移行、
クラウン・グロリア・スカイライン・セドリックが排気量を拡大し上級移行を果たすと、一時的に
ヒルマン・ミンクスとトヨペット・コロナの2銘柄のみにまで減少してしまった。
この市場は法人・個人を問わず多くのユーザーを抱え、各メーカーとも重要視していたが
法改正によって期せずして間隙が発生することとなった。
残る2銘柄も、既に旧式化が顕著であったヒルマン・ミンクスと、耐久性の問題からタクシー業界から
不評であったT20コロナとあって、販売台数が低迷する空白地帯であった。
各社は、1000~1500cc級がファミリー・カー市場の新たなる主要市場となると睨み
次々と新型車を開発、クラス・アップしたブルーバードやダウンサイジングによって
リポジショニングを果たしたスカイラインらが参入してきた。
ベレットはそれらとシェアを競い合うモデルであった。
ベレットは、ヒルマン・ミンクスの切り拓いたハイ・オーナー向けファミリー・カー市場と、
経済性の良さで好調であったベレル・ジーゼルの確保したタクシー市場という、相反する
ふたつの市場の要求に対する、いすゞ流の解答であった。
デビュー当初のボディ・スタイルは、4ドア・サルーンのみであったが
共通のイメージで仕上げられたピックアップ・トラックのワスプが同時に発売された。
ワスプは外観や内装、各種部品類の多くをベレットと共用していたが
トラックという用途やベッド架装のし易さを考慮し、フル・フレーム構造を採用していた。
1964年9月には2ドア・バンのベレット・エキスプレスが追加されたが
ベレットを名乗りながらも、ワスプと共通のフル・フレーム構造を有していた。
ワスプ、エキスプレス共に、大和市の車体工業で生産されており
ベレットの生産を担当する藤沢工場とは異なっていた。
ベレット・シリーズは、2ドア・クーペ、2ドア・セダンのボディ・バリエーションの追加に加え
1500ccエンジンに続いて1600cc、1300cc、更に1800ccとワイド・レンジ展開を行った。
途中OHV機構からOHC機構へと改良を受けた他に、117クーペ用DOHCの搭載車も追加された。
ベレットは、デラックス/スタンダード、ガソリン/ディーゼル、シフト・レバー位置や
シートのバリエーションの組合せによって、24種類もの多彩なモデルを用意した。
当時は現代と違って、基幹車種数は少なく(トヨタでさえクラウン・コロナ・パブリカの僅か3車種)
ボディやグレードのバリエーションによって顧客の要望を満たす手法が採られていた。
車輛価格は
1500デラックスが690,000円
スタンダード615,000円
1800ディーゼル655,000
1800ディーゼルデラックスが.730,000円
1300スタンダード560,000円
となっていた。
車輌重量は
ベレット1500:915kg
デラックス:930kg
1800ディーゼル:990kg
デラックス:1000kg
となっており、最も重いディーゼル・デラックスでも1トンジャストに抑えられている。
最高速度ははガソリン車で137km/h、ディーゼルで110km/h、
ディーゼル・デラックスで104km/hとなっている。
ガソリン車のSS1/4マイルの所用時間は21.6秒と、加速性能も1.5ℓクラスでは群を抜いていた。
メーカーによる燃費率はガソリン車で18km/ℓ、ディーゼル車で21km/ℓであった。
(初期型以降の変遷については今回の範疇に含まれないので、概要のみを紹介する)
●ベレット年表
1963年6月 発表(Wikipediaでは”発売”とあるが、今秋発売予定の”発表”である)
1963年10月 第10回全日本自動車ショウにて2ドア・クーペ「1500GT」を参考出品
1963年11月 4ドア・サルーン発売
1964年4月6日 2ドア・クーペ「1600GT」追加
1964年9月 1300cc車及び2ドア・サルーン、エキスプレス、スポーツ・クーペ追加
1965年9月 ボルグ・ワーナーAT車追加
1966年4月 初となる大規模なマイナー・チェンジを敢行、ニュー・ベレットシリーズ登場
1966年9月 クーペのマイナー・チェンジ
1966年10月 東京モーターショーにファストバック参考出品
1967年9月 クーペのマイナー・チェンジ、エンジンが5ベアリングに。ファストバックの受注生産開始
1968年4月 サルーンに1600シリーズ追加
1969年9月 エンジン改良、OHCへ
1969年10月 東京モーターショーにベレットMX出品
1970年10月 改良を受けたベレットMX、2度目の出品
1970年11月 クーペのマイナー・チェンジ
1971年10月 マイナー・チェンジにより”ブラックマスク”へ
1973年 クーペ・シリーズ生産終了
1973年10月 ベレット・シリーズ全車種生産終了
1974年11月 後継のベレット・ジェミニが登場
いすゞ乗用車中興の祖としての大任を見事果たし得たベレットは、後継のジェミニに
後を託し、10年余りの長い生涯に幕を閉じた。
純欧州調サルーンとして誕生したベレットの後継たるジェミニもまた、西ドイツのオペルが
設計したグローバル・カー”Tカー”をベースに開発された、本場仕込みの欧州調サルーンであった。
---
■続いては、1964(昭和39)年式いすゞベレット1500デラックス(PR20)の実車を御紹介します。
この個体は、新車当時に道東いすゞモーター株式会社が販売した車輌そのもので
半世紀近くに渡って大事に乗り続けられ、販売元に里帰りを果たしたものです。
---ファミリー&スポーティ---”小さな宝石 いすゞベレット”
ボンネット先端に輝く「 I S U Z U 」のオーナメント
軽快かつ流麗・・・個性的なレタリングの「Bellett」のエンブレム
このベレットに限らず、当時の車はエンブレムひとつとっても丹念にデザインされており
細部の完成度を高めることによって全体の雰囲気をより美しいものへと昇華させていた。
現代では、味気ない各車共通のフォントの安易な多用が珍しくない。
当時の競合他車よりもやや余裕を持たせた排気量を誇示する、立体的な「1500」のエンブレム
サイズは小さいながらも、肉厚で存在感がある。
金色のベースに白い塗装、赤い別体式の飾りで彩られた豪奢な「delux」のエンブレム
下側には、1950年代後半から1960年代前半にかけて流行した星の模様が刻まれている。
盾を模したような形状は、欧州のアルファ・ロメオやカロッツェリア・ギアのエンブレムとも
通ずるものがある。
---
スマートで、スポーティで、いかにもチャーミング。
皆んなだれだって好きになってしまうイカスくるまです。
5人乗りの本格的なコンパクトカー。
もちろんご家族そろってドライブというときでも、乗心地は上々です。
だからファミリーカー。明かるい家庭のシンボルです。
お若いかたは、スポーツカーとしてどうそ。
ベレットはまたビジネスカーの感覚で設計されています。
---ゴキゲンなくるま いすゞ ベレット---
極めてオリジナル度の高いベレット1500デラックス 4ドア・サルーン
外装はオリジナル・ペイントかリペイントされているかは不明だが、ボンネット裏側や
エンジン・ベイも同系統のアイボリー・ホワイトであったので、極めて純正色に近いことは確かである。
繊細な表情を醸し出すクローム仕上げのフロント・グリルは、縦線を黒く塗装するなど
細部まで手の込んだディティーリングが施されている。
グリルの中央には、平仮名で「いすゞ」の社名が輝いている
エンブレムのベースとなっている台形のプレートも、黒と青銅の2色を用いて仕上げられており
初期生産型らしく、極めてコストの掛かる手法が採用されている
60年代の主流となる、4灯式ヘッドライトを採用した前照灯
4灯式ヘッドライトを採用しながら、内側と外側のライト・リムを異径とすることで
平凡な表情とならないように配慮されたデザインとなっている。
先行していた上級モデルのベレルは2灯式を採用していたが、後発のベレットは
より流行に即した艤装が与えられていた。
国産車として初の装備となったサイド・フラッシャー・ランプ、側方/後方からの視認性が向上した
サイズは小振りですが、かなり張り出しており見易い形状となっている。
湾曲したステーと、尖った先端のフェンダー・ミラー
先端を尖らせたデザインは1950年代後半からの流行であったが、歩行者の衣服を引っ掛ける
などの問題が発生したことにより、1960年代後半には姿を消した。
可倒式のライセンス・プレートを起こすと、緊急始動用のクランク孔にアクセス出来る
バッテリーや発電機、セル・モーターの信頼性が決して高くなかった当時は
手動式のスターター機構が補助的に備わっている車種が珍しくなかった。
この孔にジャッキ用のバーを差し込み、手で廻すことにより始動した。
クランク孔は各種電装品の信頼性向上に伴い、1960年代後半には姿を消していった。
今日ではコンパクトなサイズに分類される車体
数字的には小さく、如何にも窮屈そうに感じるが角度の立ったピラーと背の高いキャビン、
薄いドアによって余裕ある室内空間が確保されており、現代の閉塞感の強い車よりも
余程開放的で明るい雰囲気となっている。
フロント・サスペンションは、アッパーリンクをボディ側に固定したことによりバネ下重量が
大巾に軽減されると共に、グリース・アップ期間の延長による保守性の向上も図られている。
クラシカルな表情を形作る、アウター式のトランク・ヒンジ
クローム仕上げのトランク・ヒンジは、平坦な印象になりがちな
トランク・フードのアクセントとなっている。
スタイリッシュなサイド・ビュー
”タマゴ型”とも形容された、緩やかな弧を描くサイド・ビューは
同時期のトヨペット・コロナにも見られるスタイリングである。
弧を描くルーフ・ラインとショルダー・ラインに対し、ウェストに刻まれたプレス・ラインは
ストレートなものとされ安定感を演出すると共に、リヤ・フェンダーにサーフ・ラインを与える
ことによって「停まっていても躍動を感じさせる」疾走感を表現している。
右リヤ・フェンダーの後端に位置している丸型のキャップは給油口である。
尻下がりと形容される、なだらかなリヤのラインとスラントしたテール・エンド
トランク・フードは、テール・レンズ上端のラインから開くタイプである。
ライセンス・プレートランプはトランク・フード側に備わっており、夜間には荷室照明として機能した。
トランク・ルームは、独立懸架を採用したことで燃料タンクとスペア・タイヤの両方を床下に
レイアウトすることが可能となり、フラットで奥行きのあるものとなった。
容量はゴルフ・バッグ5個分という広大なもので、同クラスとしては最大級のものとなった。
ルーフ・エンドとCピラーの後端は僅かに庇が張り出しており、リヤ・ウィンドウと
段差を付けることにより、終筆の”はらい”のような流麗さを醸し出している。
小さめなテール・レンズがかわいらしいリヤ・ビューと云えよう。
初期型(1963~1966)のみの特徴となる、通称”オムスビ”(若しくは)”オニギリ”テール
縦長のテール・ランプは車巾を広く感じさせる効果を有している。
1966年4月のマイナー・チェンジの際に台形に変更され、独立していたバックランプが
組み込まれると共に面積が大きくなり、後続車からの視認性が向上した。
横と縦の違いはあるが、同じく三角形であるベレルのテール・レンズとの共通性を
見出すことが出来る。
国産車で初となる、4輪独立懸架の後輪脚廻り
独立懸架は、当時一般的だったリーフ・スプリングによる懸架方式と比較して
凹凸の多い路面への対応性が高く、
デファレンシャルは、防音・防振に優れたゴム・マウントを介しボディ側に固定されており
コンパクトに纏められた脚廻りと共に、トランク容積の拡大にも貢献している。
コーナリングやスラロームにも強い独立懸架だが、耐久性の点ではやはりリーフ式に分がある為
タクシーや営業車向けのグレードであるBタイプでは固定式に変更されている。
流麗な曲線美を描くマフラー・パイプにも留意。
右舷側に容量40ℓの燃料タンク、左舷側に落とし込み式のスペア・タイヤ・ハウジングが並んでいる。
カタログに掲載されている、メーカー公称の定地燃費はリッター18km/hであり、
実燃費でも満タンで500km以上の航続距離を確保できたものと推測される。
サイド・シルには、ポール・ジャッキのジャッキ・ポイントが左右4箇所に設けられている
ポール・ジャッキは、日本ではヨーロピアン・ジャッキとも呼ばれていたが
欧州特有の方式ではなく、米国でも多くの車種に採用されていた一般的なものであった。
ただし嵩張るのが欠点で、日本ではトランク・スペースを犠牲にしないためにも
コンパクトに折り畳めるパンタグラフ・ジャッキが普及したこともあり、何時の間にか
ポール・ジャッキをヨーロピアン・ジャッキと呼び慣らわすようになった。
ジャッキ・ポイントは長年の運行の中で、縁石とのヒットや、雨水や湿気や融雪剤により
潰れたり腐ったりすることが珍しくないが、この個体は矍鑠としたものであった。
ベレットは、軽量なユニット・コンストラクション・ボディを採用しながら、更に
□型の強固なサイド・メンバーを付与することにより、ボディ剛性に余裕を持たせてあった。
当時モノのブリヂストン・スカイウェイH(5.60-13 4PLY)ホワイト・リボンのバイアス・タイヤ
華奢な印象さえ与える細身のタイヤ、厚みのあるハイト、幾何学的なタイヤ・パターン、
現代のタイヤには無い表情を形作るリブの凹凸、ボディ・カラーとマッチした
ノーブルなホワイト・リボンが非常に美しく、瀟洒な雰囲気を醸し出している。
シンプルなウィール・キャップの中央には「ISUZU」の文字が刻まれている
「 S 」と「 Z 」は対称となっており、反復される「 U 」と相俟ってシンメトリーとなっている。
繊細な造型のツマミのスライド式キーホール・カバーを備えるフューエル・キャップ
フューエル・キャップは右リヤ・フェンダー後端に備わり、燃料タンクはその下に配置されている。
燃料タンクはトランクの下に吊り下げられており、スペアタイヤ・ハウジングと並んでいる。
リヤ・ウィンドウ右側下端には「高速有鉛」のステッカーが貼られている
色はオレンジで「高速道路・山道では有鉛ガソリンを加えてください」の指定色である。
このステッカーは、1975年のレギュラー・ガソリン無鉛化に伴い制作されたもので
無鉛対策以前のレギュラー指定乗用車に貼り付けられた。
とはいえ、1975年当時の北海道では高速道路は北広島IC~千歳IC間と小樽IC~札幌西ICなど
極僅かしか開通しておらず、山道や砂利道が多かったので事実上の有鉛指定状態と云えた。
派手さは無いが、実用車らしく手堅く纏められたエンジン・ルーム
エンジンは、水冷4サイクル4気筒OHVガソリンのG150型が搭載されている。
このエンジンに2速以上シンクロの4速フロア・シフトが組み合わされ、最高速137km/hを発揮した。
バルク・ヘッドが張り出している為、エンジン自体は短めであるが
ノーズの長さに比して前後方向の隙間は余り余裕がない。
1471ccの排気量から63PSを発揮するエンジンは、圧縮比が7.5と極めて低く抑えられており
競合他車に出力の数値で競うことなく、実用性に重きを置いている。
最大トルクも1800rpmという低回転で発揮され、経済性と耐久性に優れた性格であった。
クラスのバッティングするプリンス・スカイライン(S50D)が、同じ排気量から70PSを
発揮したのとは対照的で、両社の考え方の違いが鮮明に浮かび上がっている。
クーリング・ファンは鉄製のブレードで、クランク直結式なので
稼働中に誤って手で触れると怪我をする危険があった。
ファンが黄色く塗られているのは注意喚起の為であり、航空機のプロペラの先端が
黄色く塗られているのと同じ理由である。
黒塗りの素っ気ないカム・カバーには、大きなエンジンオイル・キャップがあり
美観よりも整備性を重視した、実用的なエンジンとなっている。
外観は美しい欧州調なのに対し、機関部は質実剛健なのはトラック・メーカーらしいと云えようか。
プラグ・コードはターミナル先端のみを覆うタイプで、碍子部分は露出している。
エアクリーナーの蓋には、頑強なロックが5つも付いている。
当時は砂利道も多く、エアクリーナー・エレメントの定期的な清掃が指示されていた。
進行方向右手側には、機械式燃料ポンプとオイル・フィルター、オイルレベル・ゲージ、
ディストリビューターが並んで配置されている。
オイル・フィルターは、インナーのエレメントを交換式としている。
上を向いている為交換は容易で、ここにも整備性の良さが垣間見える。
機械式ポンプはエンジンの動力によって作動する為、しばらくぶりの始動の前には
手動レバーにより、キャブレターもフロート室ににガソリンを送ってやる必要がある。
ロッド式のアクセラレーターは、バルク・ヘッドを伝ってキャブレターへと連結されている。
ワイヤー式と比較してやや硬いフィーリングとなるが、耐久性は圧倒的に有利であった。
ダイレクトな手応えを得られる、ラック&ピニオン式のステアリング・シャフトは非常に細い。
ボンネットは、レーシング・カーさながらの前ヒンジ式となっている
この形式のボンネットは、一般的な後ヒンジ式と比較して安全性と整備性で優位であった。
後ヒンジ式のボンネットのロックを不充分のままで走行した場合、風圧によって開いた際に
視界を遮ってしまい危険であったが、前ヒンジ式の場合はそのような危険性が低いからである。
さらに、垂直に近い角度で大きく開くのでエンジンの整備の際にボンネットが邪魔にならずに済む。
ボンネットは2箇所のヒンジで車体に連結され、右側に備わるスプリング付ステーで保持される。
ボンネット裏の補強リブにも、丁寧に肉抜きが施されている点に留意。
エンジン・ブロックをはじめ、車体の様々な部分に平仮名の「いすゞ」マークを見つけることが出来る
車台番号は、エンジン・ルーム助手席側の確認し易い場所に打刻されている
ボンネット裏、運転席側に貼られたオイル及び空気圧の指示ステッカー
エンジン・オイルは夏/冬で粘度の指定が異なっており、それぞれ
「ハイベルパ」「ホワイトウェーヴ」という純正オイルの銘柄が記載されている。
リアアクスル(ディファレンシャル)に用いるギヤ・オイルの銘柄も「ベルパ」となっている。
タイヤ・サイズは、ガソリン車の6.00-13/5.60-13とディーゼル車の5.60-14が併記されている。
ボンネットの裏に貼られたステッカーは、エンジンの熱や排気ガスにより経年劣化を起こしたり
失われている場合が多いので、このように綺麗な状態で残っている個体は稀である。
このステッカーこそは、如何に素晴らしい管理の下で維持されてきたかの証左となるものである。
誇らしげに掲げられている「交通栄誉賞 優良運転者」のプレート
この「交通栄誉賞 緑十字銅賞」は、無事故無違反を15年以上継続している優良ドライバーに
対し、財団法人全日本交通安全協会が審査の上で贈呈、表彰する栄章である。
長年に渡ってこのベレットを維持する為には、事故を起こさないという注意はもちろんのこと、
事故に巻き込まれないという洞察力にも優れていた方であったと容易に推察される。
また、エンジン・ブレーキ・サスペンションといった”走る・曲がる・止まる”という
安全運転の基礎となる、車のメンテナンスにも精通していた方であったことは
ベレットの素晴らしいコンディションが雄弁に物語っている。
緑十字章は、金の輪郭に赤・青・緑のコントラストが美しく
鋭角な十字のフォルムが精悍さを感じさせる素晴らしいデザインとなっている。
なお、受賞していない者がこれを佩用(装着すること)した場合は
軽犯罪法及び政令等の違反にあたるという、由緒正しいものである。
---
ベレットが誕生した1960年代初頭、国産車に対する評価は低いものであった。
当時は専ら外国車が持て囃され、国産車はまだまだ稚児だと軽んじられていた。
しかし、欧米に追い付け追い越せと技術者達が血の滲むような努力を重ねた結果
国産車は急速にレベルアップを果たし、やがては世界最高の品質を達成するに至った。
その一方で、国産車のレベルアップにも関わらず一部の自動車雑誌では
過剰な欧州車信仰(特にドイツ車を中心とした)が叫ばれ続けた。
自動車という製品は、それぞれの国情に適したものが要求されるが故に
世界各国で求められる性格は自ずと違ってくるものである。
日本では狭い国土、産油国と比較して高価なガソリンや税金を鑑みて
5ナンバー・サイズの車体と2000cc以下の排気量という、世界的に見ると
比較的コンパクトに分類される車が主流となった。
にも関わらず、自動車雑誌では100km/h以上の高速域ではドイツ車の方が
安定性が高い、それに対して日本車はまったく不充分だなどと書き立てた。
日本の法定速度からすれば、100km/hオーバーの性能は重要ではなく
実用的な速度域での性能や経済性に重点を置いた自動車が開発されるのは当然の帰結である。
輸出の際に、高速域での性能不足が問題化するという意見も一理あるが
国内仕様と輸出仕様のどちらに重点を置くか、という点は両立し得ないもので
どちらかが優先されるのは止むを得ない。
自動車の歴史もまともに知らない、一部の自称自動車評論家(資格は必要なく誰でも名乗れる)は
得意げに自らの知識の浅はかさを誌面で披露するばかりである。
日本車は悉く欧州車の猿真似だと頭から信じ込み、欧州の現地ではタクシーなどに
用いられている完成度の高い「実用車」を、本国での位置付けも勉強せずに
「高級車」だと言って憚らない人間が多く存在する。
また、新車発表会での接待次第で車の評価を決めるという愚か者も珍しくない業界である。
こういった一部界隈の過剰な欧州車信仰の弊害として、外観をメルセデス風やBMW風に装った
見るに堪えない「ヨーロッパ・コンプレックス」剥き出しの国産車も存在する。
世界最大級の自動車メーカーを有し、本格的な自動車生産開始から半世紀を越え円熟期に
あるべき日本の自動車メーカーがこんな有様では、黎明期にあり他の国々と同じように模倣から
スタートしたばかりの中国車を「パクリ」などと笑えるのだろうか?
半世紀を越える月日の中で、国産車の品質は確実に向上した。
しかし、開発者の意識は低下してしまったのではないだろうか。
---
今から半世紀も前に、欧米に追い付け追い越せと努力を重ね
肩を並べた国産車が存在したことをどうか知っておいて欲しい。
この時代の国産車を完成度だけで評価するならば、未熟と言えよう。
それに対し、現代のクルマはその殆どが一定の水準に達しており
どんな車でも、そこそこに良い評価を与えることが出来よう。
しかし「より良い車を造ってみせる」という意気は、過去の方が高かったのではないか。
恥知らずなヒット車への追従、まるでコピーのような競合車。
減税、補助金を連呼するばかりでクルマ自体の魅力を訴求しない(魅力が無い)広告。
CMに出演するタレントのギャラには金を掛けるが、車のコストには金を掛けない経営陣。
少子化、携帯やPCの普及などに「クルマ離れ」の責任を押し付け、原因を作っている当の本人達。
自動車が売れない理由には枚挙に暇がない。
総ての技術は、長年の努力の積み重ねによって完成度を高めていくものである。
先駆車の航跡と先人達の功績を軽んじ、昔は酷かったが今は凄い、などと嘯くようでは明日はない。
「過去に学ばざる者は、未来に対しても盲目となる」
ベレットをはじめとした、黎明期の国産車の描いた高い志を取り戻さない限り
日本の自動車産業にさらなる成長はないであろう。