2013年01月22日
”自動車専門誌”に関する私見
この度、ブログの執筆にあたって1960年代前半に発行された自動車専門誌の記事全文を
深く読み込んで改めて強く感じたことは、自動車研究に対する
その姿勢の真摯さ、丁寧さ、情熱である。
1960年代に於いては、現代と違い自動車工学は航空分野と並び最先端の技術の結晶であり、
自動車専門誌に於けるレポートを担当したのは、いずれも名立たる大学教授や研究室であった。
その内容も、地道な実験によって導き出された実測数値に基いた極めてロジカルなもので、
各人の抱いたフィーリング等は、飽く迄も論理的な結論を補完するものに限定されている。
翻って現代の”自動車専門誌”はと云うと、自動車の普及に伴い内容も大衆化し、
レポートを執筆する記者も、その殆どが自動車工学の専門家や工業分野の権威ではなく、
専門的資格を有さぬ、好事家の域を脱しないものである。
自動車工学に関する専門的な知識を有せぬ為、レポートは数値に基いた論証ではなく、
曖昧なフィーリングに頼るばかりか、理解していない(若しくは誤解している)横文字で
論点を暈したり、主観的な視点ないし意見に終始するものが多い。
自動車に関する基礎的な歴史の知識も乏しく、過剰な欧州車信仰に基き、日本車に対する
なんら裏付けの無いバッシングを平然と行なうという、理解に苦しむ行為も散見される。
特に顕著なのが、速度無制限のドイツの高速道路アウトバーン
(ただし現在は多くの区間で速度規制が敷かれている)を走ることを前提に開発された
ドイツ車と、速度の上限が法律上100km/hに制限され、渋滞での超低速運転や
世界でも稀に見る寒暖の差に晒される日本での使用を前提とした
日本車との無意味な比較を根拠とした、無見識な批判である。
その大部分を日本国内で販売する自動車の開発に於いて、100km/hまでの安定性と、
150km/h以上の高速性能のどちらに重点を置くべきかは明白であり、
「ベンツは160km/h巡航でも安定しているが、トヨタ車はフラフラしてダメだ」等に
代表される批判は的を得ていないと云えよう。
あまつさえ、日本カー・オブ・ザ・イヤーに於ける投票の偏りに見られるような、自動車会社の
接待内容如何で、毀誉褒貶を使い分ける自称「自動車評論家」も公然と存在する。
1960年代の自動車専門誌にレポートを寄稿していた記者達の多くは、現代よりも
遥かに難関であった最高学府に籍を置くその道の専門家・権威であり、
翻って現代の「自動車評論家」には、その肩書を名乗る為の資格や試験は一切ない。
これは極めて大きな違いであろう。
彼ら、自称”自動車評論家”達は若者の車離れを叫ぶが、その啓蒙とアピールを担う
専門誌が信用に価せぬものであれば、その存在意義には疑問符を付けざるを得ない。
彼ら”自動車評論家”は若者に対し、仕切りに「スポーツカーに乗れ」と訴える。
これは彼らの青春時代にスポーツカーが憧れの存在であったからという、
過去の体験に基くに過ぎない独善的なものである。
正に”愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ”の典型であろう。
青春時代、所有したスポーツカーでナンパしただとか、ドライブ・デートしただとか、そんな
個人的な「思い出バナシ」や「武勇伝」をされたところで、それはクルマの魅力には映らない。
そのような主観に頼った短絡的な発想では、誰一人振り向かせることは出来ない。
あまつさえ、「若者はスポーツカーに乗れ!」と叫ぶ”自動車評論家”ほど、贅沢な高級セダンや
普段誌上ではシロモノ家電などと揶揄して批判の対象としているミニバンに乗っているのである。
それを批判されれば、彼らは「もう自分はそういう年齢じゃない」と口を揃えて云う。
真に魅力あるものは、時を越えて愛される。
それは万國共通であり、歴史が証明している。
情熱的な人間は、年齢に関係なく己の追求する分野や趣味に没頭し続けている。
80代、90代になっても好奇心を持ち続け、輝き続ける人は確実に存在している。
真の情熱を前にしては、年齢や体力は些細な問題に過ぎないのだ。
それに対し彼らはような態度は「若気の至り」や、飽く迄「ファッション感覚」として
クルマに入れ込んでいる(いた)と判断されても仕方ないだろう。
また、決して取り違えていけないのは「自動車そのもの魅力が無くなった」のではない。
「魅力のある自動車が無くなってしまった」のである。
勿論、景気の後退や高額な自動車税、ガソリンに対する不当な二重課税をはじめとした
維持費等の諸問題は山積しているが、それらの解決は飽く迄補助的なものであり、
自動車自体に魅力がなければ、状況は決して好転しない。
”専門家”はその分野のエキスパートであるべきで、大衆化してはいけない。
自動車メーカーを含めた、市場への過度な迎合、恥知らずな模倣、利益第一主義に
代表される業界全体の”幼稚化”は、極めて大きな問題である。
車そのものに特にアピールすべき点が無いからこそ、大金を注ぎ込み車の魅力とは
全く無関係な芸能人を起用し、奇抜だが薄っぺらい手法の広告に頼るばかりなのである。
自動車という産業をかつての崇高なポジションに戻さないことには、我が國の自動車産業、
そして半世紀を経て未だ根付いたとは云えない自動車文化は衰退の一途を辿るのみであろう。
戰後になってようやく萌芽し、僅か半世紀で世界の最高峰に到達した我が國の
自動車産業を、このまま無為に死に至らしめることは絶対に回避しなければならない。
自動車分野の没落は一産業の衰退に限らず、我が國の衰退すら招きかねないのである。
欧米に於ける自動車は只の工業製品ではなく、歴史的文化にまで昇華されている。
今、自動車メーカーを筆頭とした業界関係者が目指すべきは、
ややもすれば空虚にも映る販売台数の数値ではなく、その内容の真の充実である。
「安かろう良かろう」という道具に過ぎないものでは無く、
真摯かつ端正に仕上げられた、”量より「本」質”の自動車こそが求められている。
「日本車は世界一」という驕りを捨て去り、現在より遥かに困難であった
日本に於ける自動車産業の黎明期に、自動車開発に挑戦した先人達のスピリットを
今一度取り戻し、「メイド・イン・ジャパンのものづくり」の原点に立ち返ることが肝要であろう。
さすれば、新興の競合メーカーを打破せしめ、其れを以て我が國の自動車産業、
延いては我が國の産業全般を盤石の安きに置くことが叶うであろう。
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今や我が國を代表する基幹産業たる自動車分野は、衰退と繁栄の分水嶺に至った。
この秋(とき)にこそ、先人達の築いた偉業を受け継ぎ、明日へとさらなる発展をさせることが
出来るか否か、祖國の命運を賭した「未来への総力戰」の火蓋が切って落とされるのである。
自動車産業に関わる若人達は高い志を抱き、未来へ向かって邁進して欲しいと強く願う。
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Posted at
2013/01/22 21:42:17
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