本項より全4章構成で、プリンス自動車の歴史を年表に纏めていきます。
この項目については、複数の資料を照らし合わせクロス・チェックを行いながら、
常に加筆・修正を加え、正確かつ充実した年表の完成を目指す所存であります。
完成時期については概ね1年後とするも、追記と誤りの訂正を適宜行う予定です。
誤りにお気付きになられた際は、御指摘・御教授願います。
従って、現状は暫定の内容であり逐次変更するものであります。
なお本年表に於いては簡潔であることを一義とし、まことに失礼ながら敬称略とさせて頂きます。
第1章は、日本の飛行機王と呼ばれ、東洋一の航空機メーカーたる中島飛行機を
一代で築き上げた偉人・中島知久平の誕生から、終戰による同社の解散までの
1884年(明治17年/皇紀2544年)から1945年(昭和20年/皇紀2605年)までの年表となります。
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1.各章
第1章 プリンスのあゆみ・・・①・・・(1884~1945)※本項
第2章 プリンスのあゆみ・・・②・・・(1946~1959)
第3章 プリンスのあゆみ・・・③・・・(1960~1969)
第4章 プリンスのあゆみ・・・④・・・(1970~2012)
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2.プリンス自動車成立までの流れ
・・・中島飛行機~富士精密系の沿革・・・
中島飛行機(1917年~1945年)・・・※1945年 終戰に伴い
富士産業へ改称
↓
富士産業(1945年~1950年)・・・※1950年 富士産業解散、分社化により
富士精密工業設立
↓
富士精密工業(1950年~1954年)・・・※1954年 富士精密工業とたま自動車が合併
↓ 社名は
富士精密工業を引き継ぐ
↓
富士精密工業(1954年~1961年)・・・※1961年
プリンス自動車工業(第2期)に改称
↓
プリンス自動車工業(1961年~1966年)
↓
1966年8月1日
日産自動車による吸収合併を受け、プリンス自動車工業は解散
↓ プリンス自動車販売株式会社は日産プリンス自動車販売株式会社へ
↓
1987年 日産プリンス自動車販売が日産自動車販売に統合され消滅
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・・・立川飛行機~たま電氣自動車系の沿革・・・
石川島飛行機製作所(1924年~1936年)・・・※1936年
立川飛行機に改称
↓
立川飛行機(1936年-1946年-1949年)・・・※1946年 200名が分離・独立し
東京電氣自動車設立
↓
東京電氣自動車(1947年~1949年)・・・※1949年
たま電氣自動車に改称
↓
たま電氣自動車(1949年~1951年)・・・※1951年
たま自動車に改称
↓
たま自動車(1951年~1952年)・・・※1952年
プリンス自動車工業(第1期)に改称
↓
プリンス自動車工業(1952年~1954年)・・・※1954年 富士精密工業と合併、改称
↓
以降の沿革は中島飛行機の欄(富士精密工業 1954年以降)を参照
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3.略記号
項目冒頭の図形は、以下の関連事項であることを表す。
■・・・中島飛行機関連事項
◆・・・立川飛行機関連事項
●・・・世界情勢等全般事項
▲・・・自動車産業関連事項
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以降より第1章となります。
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---第1章--- プリンスのあゆみ・・・①・・・(1884~1945)
・・・1884年・・・
■1月1日
中島知久平 誕生。
・・・1894年・・・
●7月25日 明治二十七八年戰役(日清戰爭)勃發。
・・・1895年・・・
●11月30日 日清戰爭終戰。
・・・1898年・・・
■3月 中島知久平 尾島尋常高等小學校(現 太田市立小学校)卒業。
・・・1902年・・・
■ 中島知久平 專門學校検定試験に合格。
●1月23日 八甲田雪中行軍遭難事件發生。
▲8月22日 アメリカに於いてキャディラック社設立。
・・・1903年・・・
▲6月16日 アメリカに於いてフォード・モーター・カンパニー設立。
■10月 中島知久平 18歳になり軍人を志して上京、第15期生として海軍機関學校に入學。
●12月17日 アメリカに於いて、ライト兄弟が人類初の飛行機による有人動力飛行に成功。
・・・1904年・・・
●2月8日 明治三十七八年戰役(日露戰爭)勃發。
●12月5日 旅順要塞陥落。
・・・1905年・・・
●5月27~28日 日本海海戰に於いて、日本海軍聯合艦隊がロシア・バルチック艦隊を撃滅。
●9月5日 日露戰爭終結。
・・・1907年・・・
■4月25日 中島知久平 海軍機関學校を優等の成績にて卒業。
・・・1908年・・・
■1月16日 中島知久平 海軍機関少尉に任官。
▲9月16日 アメリカに於いて、GM(ジェネラル・モータース)設立。
・・・1909年・・・
●7月25日 ルイ・ブレリオ、史上初となる航空機によるドーヴァー海峡横断に成功。
●7月30日 遊動気球・飛行機の研究を目的とした、陸海軍臨時軍用気球研究会設立。
・・・1910年・・・
●10月13日 初の國産軍用機である臨時軍用気球研究会式一号機が初飛行に成功。
●12月19日 陸軍將校の徳川好敏大尉と日野熊蔵大尉が、日本初となる
飛行機(徳川機 アンリ・ファルマン/日野機 グラーデ)による有人動力飛行に成功。
■10月11日 中島知久平 海軍機関中尉に任官。
・・・1911年・・・
●4月1日 日本初の飛行場となる陸軍所沢飛行場が開場。
●5月5日 奈良原式二号機が國産機(エンジンはフランス製)初となる飛行に成功。
■10月25~27日 中島知久平 イ号飛行船試験飛行に参加。
日本で2番目の飛行船操縦員となる。
■12月 中島知久平 海軍機関大尉に昇進。
・・・1912年・・・
●5月 海軍を退役した奈良原三次が、千葉県稲毛海岸に日本初の民間飛行場を開設。
■6月30日 中島知久平 海軍大學校を卒業。
■7月3日 中島知久平 海軍航空術研究委員会委員として渡米。
アメリカ飛行倶樂部に於いて、日本人として3人目となる飛行士免状(免許)を取得。
●7月30日
明治天皇崩御。
・・・1913年・・・
●8月16日 日本海軍初となる超弩級巡洋戰艦「金剛」就役。
・・・1914年・・・
●7月28日 オーストリア=ハンガリー帝國がセルビアに宣戰布告、第一次世界大戰勃発。
●8月 日本海軍初の水上機母艦若宮就役。
●8月23日 日本は日英同盟に基き世界大戰に参戰、ドイツに對し宣戰を布告。
●9月5日 青島要塞攻略戰に於いて、日本軍初の飛行機の実戰投入が行われる。
●10月13日 日本軍機がドイツ軍機と交戰、これが日本軍機による初の空中戰となる。
・・・1915年・・・
●1月19日 ドイツ軍、ツェッペリン飛行船によるイギリス本土爆撃を開始。
・・・1916年・・・
●7月15日 アメリカ・ワシント州シアトルに於いて、ボーイング社設立。
■ 中島知久平 航空事情視察の為にフランスを訪問。
・・・1917年・・・
■3月 中島知久平 海軍に退役を申請。
■5月 中島知久平
飛行機研究所を設立。
■12月1日 中島知久平 海軍より退役を認められる。
■12月10日 研究所を移転。
■12月21日 群馬県尾島町(現 太田市)の旧博物館に
飛行機研究所設立。
・・・1918年・・・
▲1月29日 豊田佐吉氏、トヨタ自動車の母体となる豊田紡織を設立。
●4月1日 東京帝國大學 航空研究所設立。
■4月 飛行機研究所から
中島飛行機製作所に改称。
■5月 川西清兵衛が経営に参画し、社名を
日本飛行機製作所に改称。
■8月1日 中島式1型1号機の初飛行が行われるが離陸に失敗、機体は横転大破。
大破した機体を20日間で修復、再挑戰するも数分間の飛行の後に墜落。
■9月13日 中島式3型機による試験飛行実施、17分間の飛行に成功するも着陸に失敗。
●11月11日 第一次世界大戰が終結。
・・・1919年・・・
■2月25日 尾島飛行場に於いて、中島式4型6号機の試験飛行実施。
飛行に成功、一躍評価を高める。
■4月 試験飛行の成功を受けて陸軍から20機を受注、5月から納入。
●4月14日 帝國陸軍 航空部設立。
●5月7日 パリ講和会議に於いて、赤道以北の旧ドイツ領を日本が委任統治することに決定。
■10月21日~22日 第一回懸賞郵便飛行競技(東京-大阪間)開催。
中島式4型6号機が往復6時間58分で優勝を飾る。
■11月27日 意見の相違から、中島知久平と川西清兵衛が対立。
川西清兵衛は中島知久平に対し、11月30日までに所長を辞任して技術職に専念し、
経営に関与しないことを約束するか、工場を買取るかを迫る。
■11月29日 中島知久平は新田銀行から10万円の融資を受け、所長退任を免れる。
■11月30日 新田銀行より受けた融資で会社を買取り、川西清兵衛との提携を解消。
井上幾太郎氏の仲介で三井物産と提携。
■12月26日 日本飛行機製作所から
中島飛行機製作所に改称。
・・・1920年・・・
●1月10日 國際連盟が發足。
▲1月30日 東洋コルク工業(現 マツダ)設立。
●2月1日 日立製作所設立。
▲3月15日 鈴木式織機(後の鈴木自動車工業、現 スズキ)設立。
■4月 陸軍から中島式5型70機、海軍から横廠式ロ号甲型水上機30機を受注。
■4月 フランス空軍のニューポール・ドラージュ NiD 29C型機を中島飛行機が
ライセンス生産した、甲式四型戰鬪機が陸軍に制式採用される。
●5月15日 三菱造船より三菱内燃機製造が独立、三菱財閥が航空機分野に進出。
●11月2日 アメリカで、世界初となる本格的な定時ラジオ放送が開始される。
●11月15日 八八艦隊計画の第一号艦たる超弩級戰艦「長門」竣工。
・・・1921年・・・
●3月3日 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が欧州歴訪に出發。
■4月 陸軍から二式滑走機、甲式2型、3型練習機の計55機、
海軍からロ号甲型水上機75機を受注。
●11月25日 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が摂政に就任。
・・・1922年・・・
■3月 日本初の準金属機 中島式B-6型「軽銀号」を平和記念東京博覧会に出展、金牌受賞。
■5月14日
中島商事設立。
●10月31日 ファシスト党のベニート・ムッソリーニがイタリア首相に就任。
●12月27日 世界初となる正規空母「鳳翔」が就役。
●12月30日 ソヴィエト聯邦が成立。
・・・1923年・・・
▲6月26日 フランスで、第1回 ル・マン24時間レース開催。
●7月10日 日本航空設立
●9月1日 関東大震災發生。
■9月 中島商事社屋が震災により焼失、有楽町に移転。
・・・1924年・・・
●1月26日 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)御成婚。
■3月 中島飛行機 東京工場(井萩町)建設に着手。
■5月 フランス・ローレン社製水冷W型450馬力エンジンの製造権(ライセンス)取得。
●5月26日 米國で排日移民法が成立、日本人の移民が全面禁止される。
●11月1日 石川島造船所の出資に依り、東京市月島に
株式会社石川島飛行機製作所設立。
・・・1925年・・・
■11月 中島飛行機 東京工場完成、エンジン製造開始。
■12月 イギリス・ブリストル社製ジュピター6型空冷420馬力エンジン製造権(ライセンス)取得。
・・・1926年・・・
■ ローレン水冷W型450馬力エンジン試作一号機完成。
▲6月28日 ダイムラー社とベンツ社が合併し、ダイムラー・ベンツ社設立。
●12月25日
大正天皇崩御。
・・・1927年・・・
▲1月17日 日本ゼネラル・モータース設立。
●3月15日 金融恐慌はじまる。
●3月25日 大型航空母艦「赤城」就役。
■4月30日 中島知久平の弟、中島乙未平がパリからマリー、ロバン両技師を伴って帰國。
両技師の指導を仰ぎながら、試作戰鬪機NC型の設計開始。
■4月 ブリストル社のバーゴイン、ホーブス両技師がジュピター・エンジン製作指導の為来社。
●5月20日~21日 チャールズ・リンドバーグが、大西洋単独無着陸飛行に成功。
・・・1928年・・・
●5月1日 三菱内燃機が
三菱航空機へ改称。
●5月10日 アメリカのニューヨークで、世界初のテレビ定期放送が開始される。
■6月 NC型試作戰鬪機が競合試作に合格、増加試作指示。
●10月20日 日本航空輸送設立。
●11月1日 ラジオ体操放送開始。
●11月5日 川西製作所飛行機部が独立、
川西航空機を設立。
●11月10日
昭和天皇の即位の礼を挙行。
■ 三式艦上戰鬪機(A1N)が海軍に制式採用される。
・・・1929年・・・
■4月 フォッカー スーパー・ユニバーサル(旅客機/輸送機)のライセンス生産開始。
●10月24日 ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落。
世界恐慌の引き金となる(いわゆる「ブラック・サーズデー/暗黒の木曜日」)。
・・・1930年・・・
■6月 日本初となる國産空冷星型9気筒寿型試作發動機完成。
■2月20日 中島知久平 第17回衆議院議員総選挙に立候補、初当選を果たす。
●8月21日 逓信省が、東京・大阪間で寫眞電送(ファクシミリ)を開始。
▲11月1日 日比谷交差点に、日本初となる自動交通信号登場(米國製)。
同日、名古屋市で市営電氣バスが営業開始。
◆ 石川島飛行機製作所、工場を月島から立川に移転。
・・・1931年・・・
●2月11日 三菱造船を改称し、三菱重工設立。
●5月1日 アメリカのニューヨークで、42年間に渡り世界一の摩天楼として
君臨することになるエンパイア・ステート・ビルディングが竣工。
●8月25日 羽田飛行場(後の東京国際空港)が開港。
■12月 NC型改良機が九一式戰鬪機として陸軍に制式採用される。
■12月15日
中島飛行機株式会社(資本金600万円)へ改称。
■12月 寿一型/寿二型發動機が海軍に制式採用される。
・・・1932年・・・
■4月 陸軍九一式戰鬪機に続き、NY型改良機が九〇式艦上戰鬪機として
海軍に制式採用される。
これにより、中島飛行機は陸海軍の戰鬪機生産を独占することになった。
●7月22日 第一次上海事変に於いて、生田乃木次大尉の駆る中島製の三式戰鬪機が
アメリカ人パイロット、ロバート・ショートの操縦するボーイングF4B/P-12戰鬪機を撃墜。
日本航空隊初の撃墜戦果であった。
▲12月26日
自動車製造(後の日産)設立。
・・・1933年・・・
■ 中島知久平、立憲政友会の総務委員を拝命。
■2月 中島飛行機、増資により資本金900万円に。
■8月 日本航空輸送、中島式P-1型郵便機による夜間郵便飛行を開始。
・・・1934年・・・
■ 中島知久平 國政一新会を結成(後の中島派形成の中核勢力)。
■4月 中島飛行機 社章を制定。
●8月19日 アドルフ・ヒトラー、ドイツ総統に就任。
■9月 中島飛行機、増資により資本金1200万円へ。
■11月1日 中島飛行機 太田新工場を建設、旧太田工場は呑龍工場に改称。
■11月16日 陸軍大演習の帰路、昭和天皇が太田新工場を御訪問なされる。
・・・1935年・・・
■6月8日 秩父宮殿下が太田新工場を御訪問なされる。
▲4月12日 日産・ダットサン1号車が完成。
◆7月 石川島飛行機 九五式一型練習機(キ9)が陸軍に制式採用される。
なお、九五式一型練習機(キ9)は日本國際航空工業(現 日産車体)でも生産された。
■8月 フォッカー・スーパーユニバーサルをベースとした
中島飛行機 九五式二型練習機(キ6)が陸軍に制式採用される。
■9月 中島飛行機 九五式水上偵察機(E8N)の運用開始。
・・・1936年・・・
●2月26日 2.26事件發生。
◆ 石川島飛行機製作所、陸軍の意向により
立川飛行機株式会社と改称する。
■1月 中島飛行機 九五式艦上戰鬪機(A4N)が制式採用される。
日本海軍にとって最後の複葉戰鬪機となった。
■2月 アメリカ・ダグラス社のDC-2型旅客機のライセンス取得。
■9月12日 中島飛行機 純國産中型高速旅客機AT-2の初飛行に成功。
●11月25日 日独防共協定調印。
・・・1937年・・・
■ 中島知久平 鳩山一郎、前田米蔵、島田俊雄とともに政友会の総裁代行委員に就任。
■3月25日 中島飛行機 増資により資本金2000万に。
■6月4日 中島知久平、第1次近衛内閣に於いて鉄道大臣を拝命(至 1939年1月5日)。
■7月1日 太田工場、東京工場をそれぞれ太田製作所、東京製作所に改称。
●7月7日 盧溝橋事件。
▲8月27日
トヨタ自動車工業設立。
●11月18日 川崎航空機設立。
■ 九七式艦上攻撃機(B5N)が初飛行を果たす。
■10月 陸軍に正式採用された九七式戰鬪機(キ27)が初飛行。
なお、九七式戰鬪機は立川飛行機でも製造された。
・・・1938年・・
■4月 陸軍機の發動機生産を行う、中島飛行機 武藏野製作所を開設。
■6月 中島飛行機 田無鋳鍛工場を設立。
●5月13日~15日 航研機による國際記録樹立。
●3月30日 航空機製造事業法公布(8月30日施行)。
●4月1日 國家総動員法公布。
◆10月 立川飛行機 九八式直接協同偵察機(キ36)が制式採用される。
■9月20日 中島飛行機 本社を東京市麹町区丸の内3丁目4番地有楽館内に移転。
■11月2日 中島飛行機 増資により資本金5000万円に。
■12月12日 中島飛行機 一式戰鬪機「隼」(キ43)が初飛行を果たす。
・・・1939年・・・
■3月 中島飛行機 太田製作所分工場として前橋工場を開設。
●1月17日 大阪國際空港として伊丹飛行場開港。
■11月15日 田無鋳鍛工場を独立させ、中島航空金属株式会社を設立。
■4月 立川飛行機 九八式直接協同偵察機(キ36)を練習機に改めた
九九式高等練習機(キ55)が初飛行を果たす。
●5月11日~9月16日 ノモンハン事件發生。
■8月 中島飛行機 百式重爆撃機「呑龍」が初飛行を果たす。
●9月1日 ドイツ軍はポーランドに侵攻、第二次世界大戰勃発。
・・・1940年・・・
◆ 皇紀2600年奉祝の一環として、東京~ニューヨーク間無着陸親善飛行の為に
立川飛行機と東大航空研究所の共同で、長距離試験機A-26(キ77)の開發に着手。
■4月20日 中島飛行機 太田工場から海軍機生産を分離、
海軍機專用組立工場の小泉製作所を開設。
■7月 帝國海軍、零式艦上戰鬪機を制式採用。
●9月27日 日獨伊三國同盟が成立。
・・・1941年・・・
■2月25日 太田飛行場開設。
■11月1日 中島飛行機 海軍機發動機專用工場の多摩製作所を開設。
■4月 試製4發大型陸上攻撃機「深山」(G5N)が初飛行を果たす。
◆/■5月 アメリカの旅客機ダグラスDC-3をベースに開發された零式輸送機(L2D)運用開始。
設計を担当した昭和飛行機の生産能力不足を補う為、中島飛行機でも生産を行った。
◆7月 練習用双發機である、立川 一式双發高等練習機(キ54)が陸軍に制式採用される。
■10月 中島 二式單座戰鬪機鐘馗(キ44)が初飛行を果たす。
◆12月 アメリカ製高速旅客機ロッキードL14スーパーエレクトラを立川飛行機が
ライセンス生産したロ式輸送機の改良型一式貨物輸送機(キ56)が陸軍に制式採用される。
■12月8日 中島飛行機 三鷹研究所起工式挙行。
●12月8日
大日本帝國は米英に對し宣戰を布告、大東亞戰爭勃發。
■12月8日 中島 二式水上戰鬪機(A6M2-N)が初飛行を果たす。
・・・1942年・・・
■1月 中島飛行機の開發した九七式戰鬪機(キ27)をベースにした
二式高等練習機(キ79)が陸軍に制式採用される。
■2月 中島 二式單座戰鬪機鐘馗(キ44)制式採用。
●4月18日 空母ホーネットより發艦した16機のB25爆撃機が東京を初空襲(ドーリットル空襲)。
●6月5日~6月7日
ミッドウェー海戰。
●8月7日 アメリカ軍海兵隊第一海兵師團がガダルカナル島に上陸。
■6月12日 中島飛行機 半田製作所開設、海軍機の機体を製造開始。
■7月6日 二式水上戰鬪機(A6M2-N)、二式陸偵(J1N1-C/J1N1-R)が制式採用される。
■9月 中島飛行機 小泉製作所分工場伊勢崎第一工場開設。
●10月26日
南太平洋海戰。
■ 興亞工業大學の実習教育受け入れをはじめる。
・・・1943年・・・
●2月1日 日本軍ガダルカナル島より撤退、電力及び電燈の使用規制開始。
■2月 艦上攻撃機「天山」(B6N)の生産開始。
●2月
愛知航空機設立。
■3月 中島飛行機 大宮製作所を開設、海軍機のエンジンを生産。
■4月3日 中島飛行機 小泉製作所分工場第二伊勢崎工場開設。
■4月 四式戰鬪機「疾風」(キ84)が初飛行、陸軍に正式採用される。
●4月18日
山本五十六聯合艦隊司令長官戰死(海軍甲事件)。
■4月 中島飛行機 三島製作所開設、海軍機用の機器を生産。
◆6月 高度1万メートル以上を常時飛行可能な航空機として研究が進められ、
徹底した機密保持が行われていたロ式B型試作高々度研究機が初飛行を果たす。
◆7月7日 日本は同盟國ドイツとの情報交換を目的とした日獨連絡飛行を計画。
長距離連絡機として立川飛行機 キ77(A26)が選ばれ、シンガポールを出發するも
消息を絶ち、その後喪失認定を受けた。
■7月 艦上攻撃機「天山」(B6N)の運用開始(制式採用は翌8月)。
■8月23日 斜銃装備の二式陸上偵察機を夜間戰鬪機「月光」(J1N)として制式採用。
●9月8日 イタリア降伏、日独伊三國同盟の一角が崩壊。
■9月 中島飛行機 本社を明治生命ビルへ移転。
●10月21日 東京の明治神宮外苑競技場にて出陣學徒壮行会が挙行される。
■11月1日 中島飛行機 武藏野・多摩両製作所を統合し武藏製作開設。
・・・1944年・・・
■ 榊原雄二が中島飛行機に入社。
浜松高等工業学校(現:静岡大学工学部)精密機械工学科を卒業。
中島飛行機では整備課に配属された。
■1月 陸軍機專用組立工場の中島飛行機 宇都宮製作所を開設。
重点生産機種の四式戰鬪機「疾風」(キ84)生産開始。
■1月18日 中島飛行機は軍需会社法の第一次指定を受け軍需省管理下へ。
●1月16日 航空工業会設立。
■1月 中島 宇都宮製作所を開設、陸軍機の生産開始。
■1月 半田製作所が稼働開始。
■3月 半田製作所
■6月15日 中島飛行機本社を前田公爵邸へ移転。
●11月 空襲に先駆けて、F-13(B29の偵察機型)による日本本土偵察飛行が開始される。
●11月24日 新鋭戰略爆撃機ボーイングB29スーパーフォートレスによる東京初空襲。
▲9月18日 日産自動車、
日産重工業へ改称。
■3月9日 映画「加藤隼戰鬪隊」封切り。
■4月 中島飛行機 必勝防空計画(Z機計画)發動。
◆5月25日 高々度戰略爆撃偵察機キ74が初飛行を果たす。
■6月 高速艦上偵察機「彩雲」(C6N)実戰投入開始。
●6月19日
マリアナ沖海戰。
●7月 日本はマリアナ沖海戰に敗北、サイパン島陥落に依り絶対國防圏が崩壊。
■7月 試製局地戰鬪機「天雷」(J5N)が初飛行を果たす。
■9月 「大東亞決戰機」との期待を掛けられた四式戰鬪機「疾風」(キ84)実戰投入へ。
■10月 試製4發大型陸上攻撃機「連山」(G8N)が初飛行を果たす。
●10月23日
レイテ沖海戰。
■11月24日 マリアナ諸島を基地とするボーイングB29超重爆撃機が初襲来。
88機のB29が中島飛行機 武藏製作所を爆撃。
■11月27日 武藏製作所が2度目の空襲を受ける。
武藏製作所は1944年11月24日から1945年4月12日の間までに11回の猛爆撃を受け壊滅する。
■12月7日 最大震度6の巨大地震、東南海地震發生。
地震及び津波による死者・行方不明者は1223名に達し、18008棟の家屋が全壊する被害を受けた。
この地震により、中島飛行機 半田製作所の山方工場及び葭野工場が倒壊。
山方工場は元々紡績工場であったものを買収し、航空機生産工場に転用したものであった。
航空機工場として利用するには小さく不向きであった為、柱や間仕切りを撤去し
作業スペースを確保する改装工事が施されたが、戰時下に於ける資材の不足から
必要な補強は行われず、耐震性が不足していたことが倒壊する原因となった。
■ 中島飛行機は1944年度に生産のピークを迎え、その総生産機数は7940機に到達した。
・・・1945年・・・
◆2月 立川 高々度戰鬪機キ87の試作機第一号機完成。
■2月10日 太田製作所が初空襲を受ける。
夕刻に84機のB29が飛来、太田製作所を空襲。
170トン余の爆彈と焼夷彈を投下、97発の爆彈が工場に命中。
空襲警報により工員は避難していた為に無事であったが、工場と生産中の疾風74機が破壊された。
■2月16日 太田製作所に対する2度目の空襲。
朝から夕刻まで、絶え間ない波状攻撃が行われた。
小型機による機銃掃射で多数の死傷者が出る事態に。
■2月25日 米軍艦載機の大編隊が飛来、中島飛行機の工場群を空襲。
太田製作所は3度目の空襲を受け、完全に壊滅した。
137トンの爆彈と45トンの焼夷彈が投下され、もはや目標となる建物すら残っていなかった。
米軍艦載機は小泉製作所にも飛来、111発の爆彈を投下した。
製造中の銀河43機や、治工具等の工場設備が破壊され、21名が死傷した。
■3月5日 特殊攻撃機剣試作一号機完成。
●3月10日 東京大空襲。
●3月26日 硫黄島守備隊玉砕。
■4月1日 中島飛行機は
第一軍需工廠となり事実上の國営化。
中島飛行機は営業休止の形式を取りつつ、軍の直轄として存続する。
●4月1日 アメリカ軍、沖縄本島に上陸(アイスバーグ作戰)。
■4月3日 B29が小泉製作所に飛来、夜間爆撃を行う。
爆彈24発と焼夷彈4発を投下し、板金工場が破壊され工場は生産能力を喪失する。
●4月7日 九州南方海域に於いて戰艦大和が米軍機と交戰、撃沈される。
●5月8日 ドイツ降伏により欧州戰線終結。
■7月10日~8月13日 宇都宮空襲。
一ヶ月の間に5度の空襲を受け、宇都宮市は壊滅的損害を受けた。
中島飛行機 宇都宮製作所も、関連工場が破壊された為に生産困難に陥った。
■7月24日 中島飛行機 半田製作所が空襲を受ける。
ボーイングB29超重爆撃機78機がマリアナ諸島より飛来、半田市を空襲した。
B29は2000發を超える250kg爆彈を投下、中島飛行機 半田製作所の山方工場には35發、
本工場には81發の250kg爆彈が命中し、壊滅的損害を蒙った。
B29の空襲後には硫黄島より飛来したP51が来襲、機銃掃射により救助活動を妨害した。
爆撃と機銃掃射による死者数は264(269人の説もあり)人に達した。
この空襲で米軍は537トンの爆彈・焼夷彈を投下した。
■7月27日 半田製作所に2度目の空襲。
24日の爆撃で工場群は壊滅的損害を受けていた為、米軍機は従業員寮等を攻撃した。
■8月 中島飛行機は設計室を全て解散、設計技師も生産現場に就くことになった。
ただし特殊攻撃機剣及び、ジェット・エンジン搭載の特殊攻撃機橘花設計班は存続。
●8月6日
広島に原子爆彈投下。
■7日 ジェット・エンジン「ネ-20」搭載の特殊攻撃機橘花が初飛行を果たす。
◆8日 試製高々度防空戰鬪機キ94Ⅱの地上運転を実施。
●9日 長崎に原子爆彈投下。
■8月13日 宇都宮製作所が米軍艦載機による空襲を受ける。
急降下爆撃により工場6棟が破壊された。
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●8月15日 畏し聖断拝し大東亞戰爭終結。
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■8月16日 戰時体制解消に伴い、軍の隷下となっていた中島飛行機の全工場が返還される。
■8月16日 中島知久平が取締役社長を辞任。
◆8月16日 戰時体制解消に伴い、軍の隷下となっていた立川飛行機の全工場が返還される。
■8月17日 中島飛行機株式会社から
富士産業株式会社へ改称。
●8月17日 第一軍需工廠長官に、軍需大臣より生産停止命令降る。
■8月17日 終戰処理を担う、最期の挙國一致内閣たる東久邇宮内閣が成立。
東久邇宮内閣に於いて、中島知久平は軍需大臣に任ぜられる。
■8月 GHQ、中島知久平をA級戰犯に指定。
■8月18日 弟の中島乙末平、富士産業取締役社長に就任。
■8月26日 第一軍需工廠、軍需省廃止に伴い解散。
■8月26日 中島知久平、商工大臣に任ぜられる(軍需大臣と兼務)。
●8月28日 GHQ(連合軍総司令部)設立。
■8月 旧中島飛行機の各工場、GHQに対し製造許可をもとめ得られる
■9月 富士産業本社、東京丸の内興銀ビルに移転。
◆9月 立川飛行機、
自動車メーカーへの転換を検討。
●9月2日 GHQ、陸海軍の解体及び軍需生産の全面停止を指示。
◆9月25日 GHQ、自動車生産禁止を一部解除しトラックに限り生産を許可。
■11月6日 GHQ、富士産業を財閥企業として指定、解体を指示。
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第2章 プリンスのあゆみ・・・②・・・(1946~1959)に続く。