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2013年02月10日

第2章 プリンスのあゆみ・・・②・・・(1946~1959)

第2章 プリンスのあゆみ・・・②・・・(1946~1959)

※本項は第1章 プリンスのあゆみ・・・①・・・(1884~1945)の続編となります。

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・・・1946年・・・

▲1月16日 自動車製造事業法廃止。

◆3月 立川飛行機は、禁止された航空機産業から自動車産業への転換をGHQに申請。
この申請に対しGHQは電氣自動車500台、ガソリン車500台の計1000台の年産を許可する。

この大規模な生産許可の一方、当時の日本ではフレーム用鋼板、タイヤ用ゴム等が
枯渇しており、生産計画の達成は現実的には不可能であった。

■5月17日 富士産業、漁船および農工用發動機栄光(出力6~8馬力)を完成。

これは、中島飛行機の生産機種であった日本陸軍 四式戰鬪機「疾風」(キ-84)に搭載された
空冷星型複列18気筒ハ45(海軍呼称 譽/NK9)エンジンの生産設備を利用して製造された。

配給制によるガソリンの入手困難を考慮し、軽油を使用できるよう設計変更が施された。

■6月 呑龍工場、ラビット・スクーター1号車完成。

■6月 大宮工場、船外機エンジンM1型タロー、M3型ジロー生産開始。

▲7月22日 日本自動車配給株式會社解散。

▲11月 GHQはトラック1500台、乗用車20台の年産を許可。

◆11月 立川飛行機、電氣自動車の試作車EOT-46型(トラック)2台を完成。

車体製造は立川飛行機の傘下にあった高速機関工業(オオタ自動車)に学び、
モーターは日立製作所及び神鋼電機、バッテリーは湯浅電池に開発を依頼した。

◆11月 試作車の完成直後、立川飛行機の全工場施設が米軍に接収される。

米空軍の自動車修理工廠に転換され、米軍向けの自動車生産・修理以外は不許可となった。
立川飛行機が平和産業への第一歩を踏み出した矢先の出来事であった。

◆12月 外山保試作工場長(後のプリンス自動車工業常務)や、田中次郎技師を中心とした
有志約200名は、米軍からの安定した仕事と3倍の高給という好条件を蹴り、自動車生産の
夢を抱いて立川飛行機を離れ、府中の老朽化した遊休工場を借り受け独立した。

・・・1947年・・・

■ 富士産業、漁船および農工用發動機栄福(1991cc、6ps/860rpm)を発売。

栄福は、航空機用發動機「誉」(3万5800cc・空冷星型複列18気筒)の1気筒を転用した
發動機で、高松宮宣仁親王殿下が御命名なされた。

■4月 中島飛行機浜松工場の後継である富士産業浜松工場がリズムミシンを発売。

◆4月 試作車EOT-46を経て、電氣自動車EOT-47型(トラック)第一号車が完成。

◆5月 電氣自動車E4S-47-I型(小型乘用車)第一号車完成。

▲6月3日 GHQは1500cc以下の小型乗用車を年間300台に限り生産・組立許可。

◆6月30日 東京電氣自動車株式会社設立、資本金19万5000円。

◆8月 たま電氣自動車(E4S-47-I型)発表。

◆10月 東京電氣自動車、たま電氣自動車の發表展示会を開催。

会場は日比谷野外音楽堂(当時の一等地)、展示車(25万円)5台は完売した。

▲10月21~22日 東京トヨタ販賣にて、トヨペットSA型小型乘用車を發表。

▲11月8日 道路交通取締法 公布。

▲12月 6月3日のGHQの規制緩和に伴い、運輸省令で小型車排気量が1500ccに制定される。

▲12月13日 道路交通取締令 公布。

▲12月16日 道路運送法 公布。

◆ 1947年度(生産開始は4月以降)の、東京電氣自動車の販売実績は計28台。

戰後の輸送力不足の時代であり、高価でも「造れば売れる」という状況であったが、
資材不足により生産は停滞し、完全な手作り工程もあって月産台数は4~5台が精一杯であった。

・・・1948年・・・

◆3月25~30日 商工省主催「第一回 自動車技術会性能試験 電氣自動車性能試験」開催。

物資不足の時局を鑑み、商工省(現 経済産業省)は性能試験によって各車の優劣を判断し、
優秀なメーカーに優先して資材を割り当てることを決定。

大阪府高槻市で行われたこの試験に於いて、たま電氣自動車はE4S-47-Ⅱ型と
EOT-47-Ⅱ型で参加、優秀な成績を収め総合成績第一位を獲得した。

この成績を受け、商工省は東京電氣自動車を重要産業工場に指定。
優先して製造資材の配給を受けられるようになり、生産が安定した。

また、好成績とカートリッジ式バッテリーによる航続距離の長さが評価され、タクシー会社を
中心に注文が殺到、一時的にはプレミア価格で売買されるまでになる。

■5月 富士産業、フジセントラル映写機F-1型発表。

▲5月8日~10日 戰後初となる自動車産業展開催。

車輛本体展示を東京大手町野球場会場、部品展示を有楽町電氣試験所会場、
整備技術展示を八丁堀会場と、3ヶ所に分けて開催された。

◆5月 たま電氣自動車、法規改正に伴い一部改良を実施。

法規改正により車体寸法の上限が変更され、全長・全巾が拡大された。

たま電氣自動車(E4S-47-Ⅱ型)
たま・トラック(EOT47-Ⅱ型)

◆6月 東京電氣自動車、資本金200万円に増資。

◆6月 4人乗小型乘用車たまジュニアー 48年型(E4S-48型)完成。

◆9月 中型乘用車たまセニア 49年型(EMS-49-I型)完成。

GHQの導入したアメリカ式の「イヤー・モデル制(年次制)」によって、1948年9月に
発表されたたまセニアは1949年型として扱われている。

▲9月 商工省主催「第一回 小型乗用車性能試験」開催。

◆10月17日 小田原にて商工省主催「第二回 電氣自動車性能試験」開催。

たまセニア(EMS-49-I型)が電氣自動車総合成績第一位を獲得する。

・・・1949年・・・

■ ディーゼル發動機フルパー発売。

誉エンジンの残余分で製造した栄福の後継として、新たにディーゼル發動機を開發。
フルパー(Fulper・・・Full Powerを短縮し命名)

農業用のフルパーランドと、船外機用のフルパーマリンが用意された。

■ 富士産業、フジセントラル映写機F-1型発売。

当時、映画業界では天然色化とワイド・スクリーン化に伴い設備更新需要が拡大すると共に、
映画館の新館開設ラッシュによって、映写機の需要が飛躍的に高まっていた。

サンフランシスコ講和条約締結の翌1952年には、GHQによる映画検閲が廃止され、
日本人の手による自由な映画製作が可能となり、映画業界は活況を呈していた。

1950年代は「第二の黄金期」と呼ばれ、1960年代に入ってテレビが
普及するまでの間、映画は娯楽の王様として君臨していた。

國産最高級の性能を誇る富士産業のフジセントラル映写機F-1型は、
その高性能から一流映画館の過半に設置されるに至った。

テストを兼ねた試写会は社員食堂でも行われ、従業員達に好評であった。

◆2月15日 新宿区市ヶ谷に東京電氣自動車営業所(販賣・サービス)を設置。

◆2月 日本タイヤ(現 ブリヂストン)の石橋正二郎社長が東京電氣自動車に資本参加。

◆2月 東京電氣自動車 たまジュニアーを全面刷新(E4S-49-I型)

2ドア・セダンであったボディを、ウィール・ベースを20mm延長し4ドア・セダンに改めた。
蓄電池能力を強化、航続距離の延長に伴いカートリッジ式バッテリーを廃止した。

◆3月 東京電氣自動車 たまセニアを全面刷新(EMS-49-Ⅱ型)

木骨鋼板張りの2ドア・ボディを、全鋼板製の4ドア・ボディに改め、
全長で220mm、ウィール・ベースで180mm延長した4ドア・セダンとした。

石橋資本によるプレス機の導入が全鋼板製ボディを実現した。
なお従来型の2ドア・セダン(EMS-49-I型)は変更なく、木骨鋼板張りのままであった。

◆4月 石橋氏が東京電氣自動車株主に。

▲6月1日 運輸省發足。

◆7月 東京電氣自動車 たまジュニアーを一部改良。

外観を一新すると共に機械式ブレーキに代わり油圧ブレーキを採用、制動力と信頼性を高めた。

◆8月 東京電氣自動車、営業所を移転・拡張。

▲8月 自動車業界各社で、賃金遅配や人員整理がはじまる。

◆9月 東京電氣自動車 たまセニアを一部改良(EMS-49-Ⅲ型)

▲10月25日 GHQが乗用車生産の制限を解除、年間乗用車5000台の生産が許可される。

なお、1950年度の乗用車生産は1594台、51年度は3611台、52年度4837台となっており、
実際の生産台数が許可台数に到達するには暫し時間が必要であった。

また、モーターサイクル及び3輪車の販賣統制が撤廃された。

◆11月30日 東京電氣自動車、たま電氣自動車株式会社に改称。

日本タイヤによる資本増強を受け、府中から三鷹へ工場を移転。
上陸用舟艇の生産を行っていた正田飛行機工場跡地を買収し移転した。

府中の2000坪しかない老朽工場から、12000坪の敷地と4000坪の大工場への飛躍であった。
大型プレス機なども充実、月産70台体制へと準備が進められた。

◆12月 たま電氣自動車 たまジュニアーを一部改良(E4S-49-Ⅱ型)

全鋼板製ボディを採用、観音開きの4ドア・セダンとした

・・・1950年・・・

▲2月 小型4輪車及び自動車部品の公定価格廃止。

◆2月 たま電氣自動車、たまセニアを一部改良。

2ドア・セダンを廃止、4ドア・セダンに一本化。

▲3月 外國車輸入及び払い下げ認可。

認可に伴い高性能な外國車が市場に流通、發展途上の國産車は苦境に陥る。

▲4月1日 自動車配給統制全面撤廃。

▲4月3日 トヨタ自動車販賣株式会社設立。

◆4月 たま電氣自動車 増資を行い資本金1500万に、工場増改築。

■4月 富士産業、小型軽合金ミシンRPS「リズムベビー」完成。

●6月25日 朝鮮動乱勃発。

●7月 朝鮮特需發生(1950~1952年)。
米軍/国連軍から厖大な物資の注文が殺到し、日本は高度経済成長に繋がる好景気に沸いた。

■7月12日 GHQの指示により富士産業は解散、工場毎に12社に分社化される。

分離・独立した12社のうちのひとつとして、富士精密工業株式会社が設立される。

■/◆9月30日 たま電氣自動車と富士精密は、自動車用ガソリン・エンジンの開發交渉を開始。

▲9月 高速機関工業、オオタPB型乘用車發表。

■/◆11月8日 たま電電氣自動車富士精密の開發交渉が成立。

・・・1951年・・・

■/◆2月 たま電氣自動車と富士精密、第1回技術打合せ会議を開催。

▲4月 GHQは石油行政権を日本政府に移譲、乘用車の石油制限を緩和。

■4月 石橋正二郎氏が富士精密工業の経営権を取得、会長に就任する。

◆5月 たま電氣自動車、高速機関工業(オオタ自動車)と提携。

▲5月 戰爭により銃彈の原料となる鉛の価格が高騰、戰爭勃発前の10倍近くに達する。

これに伴い鉛を主原料とする蓄電池価格が急騰した一方、配給統制中のガソリンが
米軍によって大量に放出され、電氣自動車の命脈は事実上絶たれてしまった。

◆6月 たま電氣自動車、電氣自動車の生産を中止

電氣自動車からの転換の試案として、たまジュニアー(E4S-48-Ⅱ型)の車体に日本内燃機の
オート3輪車「くろがね」用の、空冷V型2気筒995cc(26ps/4000rpm)エンジンを搭載する
BESF型も計画されたが、実現には至らなかった。

たま電氣自動車はガソリン車への転換を模索しつつ、当面の操業維持の為に
米軍向けのナパーム彈を製造し当座をしのぐことに。

▲6月30日 道路標識令公布。

▲7月1日 外國車の國内取引が自由化される。

■10月 富士精密、國産初となる1500ccエンジン「FG4A」の試作完成。
F(富士精密の頭文字)G(ガソリン)4(4気筒)A(A、B、Cから転じて一番目)を意味する。

試作エンジンは5基製造され、開発費は600万円であった。

▲11月4日~22日 通産省主催 自動車技術會 國産小型乘用車性能試験実施。
3000kmに及ぶ試験走行が行われた。

◆11月28日 たま電氣自動車、ガソリン車への移行に伴いたま自動車に社名を変更。

◆12月 たま自動車、プリンス・トラック(AFTF-1型)の第1号車完成。

・・・1952年・・・

■1月8日 富士精密工業、原動機付自転車「BSバンピー号」を発表。
販売はブリヂストンの販売網販売店代理店を通じて行われた。

◆2月15日 たま自動車、プリンス・セダン(AISH-1型)第一号完成。

◆2月23日~24日 AFTF-1型、AISH-1型が運輸省の公式試験に臨み、無事に認可される。

◆3月7日~9日 たま自動車にとって初のガソリン自動車となる
「プリンス」発表展示会開催。

プリンス・セダン(AISH-1型)
プリンス・トラック(AFTF-1型)

会場は東京・京橋のブリヂストン本社ビル1階ショールーム。

▲3月31日 臨時物資需給調整法廃止。

これに伴い7月1日以降、外資割当制限付きではあるが外國車の新車が輸入が可能に。

▲4月28日 道路運送車輛法一部改正施行。

軽自動車に関して、登録制度及び検査制度(車検)を撤廃、新たに使用届出制度を新設。

▲6月9日 通産省、乘用車関係外資導入に関する基本方針を発表。

外國の自動車メーカーとの組立・製造・技術導入等に関する提携についての基本方針を示す。

▲6月20日 道路交通取締法一部改正。

軽自動車運転免許制度の新設、8月1日施行。

▲6月30日 自動車用石油製品割当規則廃止。

▲6月30日 外國自動車譲受規則廃止。

外國製自動車の國内取引を原則自由化、ただし外資割当制限あり。

●7月1日 ガソリン統制解除、供給安定へ。

▲8月1日 輸入自動車協会設立、会長は梁瀬長太郎。

◆8月27日 たま自動車「プリンス」富士登山キャンペーンを実施。

プリンス・セダン(AISH-1型)プリンス・トラック(AFTF-1型)による富士登山に成功。

■5月28日 富士精密工業、小型ディーゼル・エンジン「フルパーランド」発表。

▲10月3日 通産省が乘用車関係提携及び組立契約に対する取扱方針を決定。

6月9日の基本方針発表に続き、より詳細で具体的な内容を決定。

◆10月 櫻井眞一郎が三鷹プリンスに入社。

◆11月27日 たま自動車株式会社、プリンス自動車工業株式会社に改称。

▲11月29日 高速機関工業、オオタ自動車工業株式会社に改称。

▲12月4日 日産自動車、イギリス・オースチン社と技術提携契約調印。

オースチンA40の國産化組立(ライセンス生産)に関する技術提携契約に調印。
12月23日、日本政府はこれを認可。

・・・1953年・・・

■3月 富士精密、三鷹第2工場の建設用地取得。

▲3月5日 米國軍人及び軍属から中古車譲受に際しての、通産大臣の支払許可制限を撤廃。

◆4月 プリンス自動車、ピックアップ・トラック(AFPB-1型)発売。

■4月 富士精密がロケットの研究開発に着手。

▲4月 日産、オースチンA40の國内組立第1号車を完成。

▲4月 日野がルノー4CVの組立を開始。

◆5月 三鷹プリンス 新型乘用車(後のスカイライン)に関する技術懇談会を開催。

新型乘用車スカイライン(ALSI型)の青写真が描かれ、本格的研究に着手。
SJ乘用車委員会發足、スカイラインと並行して試製大型高級乘用車BNSJの開發開始。

▲5月 全自が統一鬪爭を開始、労働爭議が激化へ。

日産・トヨタ・いすゞの労働組合を中核とする、全日本自動車産業労働組合が長期鬪爭に入る。
トヨタ・いすゞは8月初旬までに妥結、日産のみ9月中旬まで爭議が長引いた。

◆6月 プリンス自動車、セダン及びトラックを一部改良。

プリンス・セダン(AISH-2型)
プリンス・トラック(ATFT-3型)

▲7月15日 富士重工株式会社設立。

1950年7月12日に財閥解体により分社化された、中島飛行機系の5社である
富士工業、富士自動車工業、大宮富士工業、宇都宮車輛、東京富士産業が共同出資し設立。

■7月23日 富士重工、富士精密、石川島播磨重工、新三菱の4社が共同出資し
日本ジェットエンジン株式会社(NJE)設立、資本金1億6000万円。

◆8月 プリンス自動車大阪営業所を開設。

▲10月1日 トヨタ、トヨペット・スーパーを發表。

■/◆11月 プリンス自動車と富士精密が合併契約を締結

▲11月11日 いすゞが、いすゞヒルマン・ミンクスを發表。

▲12月17日~翌1954年2月16日 通産省主催 第一回乗用車性能試験開催。

■ 富士精密、航空機エンジンの修理業務を開始。
併せてジェット・エンジンや固体ロケット・モーターの開発にも着手。

・・・1954年・・・

◆2月15日 プリンス自動車販売株式会社設立。

■2月 富士精密工業製FG4A-10型エンジンを搭載する、すばる1500(P-1型)の試作1号車が完成。

◆3月20日 たま10型自動繰糸機発売。

▲4月1日 小型乘用車の物品税引下げ、これに伴い各社は値下げを敢行。

■/◆4月10日 富士精密工業とプリンス自動車工業が合併、社名は富士精密工業を引き継ぐ。

設計課は荻窪に集約された。

■4月20日~29日 東京日比谷公園に於いて、第1回 全日本自動車ショウ開催。

■5月 プリンス ルートバン(AJVC-1型)発売。

プリンス ルートバンは翌1955年5月までに2度の一部改良を実施、型式は

AJVC-2型
AJVC-3型

■5月 スカイライン(ALSI型)第1次基礎計画完了。

■6月 プリンス・セダン(AISH-2型)を皇太子殿下に献上。

●7月 日本を全面不況が襲う。

昭和29年度政府予算の圧縮、日銀による金融引締めの結果、日本経済は全面不況に陥る。

自動車業界では販売不振、代金回収困難、資金繰りの悪化による賃金遅配が発生。
週5日制による操業短縮、人員整理、待命制度等により対処。

▲7月 各社、乘用車の大幅値下げを断行。

不況による販売不振を打破すべく、富士精密・トヨタ・日産・オオタの各社は乘用車の値下げを断行。

◆8月1日 富士精密、自動車工業会に加盟。

▲8月 トヨタ、トヨペット・ライトトラックSKBを發表。

▲10月1日 道路運送車輛法施行規則及び保安基準の一部改正。

軽自動車の4サイクル規格/2サイクル規格を撤廃。
軽自動車規格を3輪車/4輪車は360cc以下、2輪車は250cc以下に統一。

小型自動車に於いても2サイクル/4サイクル規格を撤廃、1500ccに統一へ。

■11月 セダン及びトラックを一部改良。

プリンス・セダン(AISH-3型)
プリンス・トラック(ATFT-4型)

・・・1955年・・・

■1月 第2次基礎計画完了、スカイライン(ALSI型)設計着手へ。

▲1月6日 日産、ダットサン110型セダン及びオースチンA50の發表會開催。

▲1月5日 トヨタ、トヨペット・クラウン(RS型)及びトヨペット・マスター(RR型)を發表。

■1月 プリンス・セダン一部改良(AISH-4型)

▲1月17日 日産、ダットサン110型セダン発売。

■4月1日 プリンス キャブオーバー・トラック(AKTG-1型)発表。

プリンス ルートバン(AKVD-1型)

■3月11日 ペンシルロケットの発射実験に成功(国分寺実験)。

東京都国分寺市に於いて、ペンシルロケット(標準型・230mm)の水平発射実験が行われた。
3月11日から23日にかけて計29機が発射され、ロケット開発の礎となる実験となった。

▲4月1日 富士重工株式会社が事業を開始。

出資5社を吸収合併する形で、富士重工が本格的に始動。

▲5月18日 通産省が國民車育成要綱案発表。

プリンスは構想に合致した小型車DPSKの開發に着手。

▲5月7日~16日 第二回 全日本自動車ショウ開催。

■5月 プリンス キャブオーバー・トラック(AKTG-1型)発売。

■8月 スカイライン(ALSI型)主要部分の設計を概ね完了。

■9月 プリンス キャブオーバー・トラックを一部改良(AKTG-2型)

プリンス ルートバン(AKVD-2型)

■10月28日 ベビーロケット完成。

■10月 プリンス セダン・デラックス(AISH-5型)発表。

・・・1956年・・・

▲1月30日 オオタ自動車工業、会社更生法を申請。

■2月1日~10日 東北地方に於いて、プリンス初となる耐寒試験を実施。

▲2月1日 自動車損害賠償保障法施行。

■2月 自技会四輪乗用車性能解析委員会の運行試験にプリンス・セダン(AISH-5型)で参加。

▲4月20日~29日 第3回 全日本自動車ショウ開催。

試製大型高級乘用車BNSJを出展。

■4月 プリンス セダン・スペシャル(AMSH-1型)発売。

■5月 スカイライン(ALSI型)試作1号車完成。

1日700kmに及ぶ過酷な試験走行が開始される。
1957年3月の生産車完成に至るまでの11ヶ月間で、総試験走行距離は実に10万kmに達した。

■6月 プリンス コマーシャルバン(AIVE-1型)発売。
プリンス コマーシャル・ピックアップ(AIPC-1型)

■7月 プリンス キャブオーバー・トラック(AKTG-3型)発表。

▲10月25日 関東精器設立(旧・日本ラジエーター、現・カルソニックカンセイ)

■10月 FG4A-300 60psエンジン完成。

■10月 プリンス・セダン及びコマーシャルを一部改良。

プリンス・セダン(AISH-6型)
FG4A-300型60psエンジン搭載。

プリンス コマーシャルバン(AIVE-2型)
プリンス コマーシャル・ピックアップ(AIPC-2型)

プリンス・セダン(AISH型)は、翌1957年4月にスカイライン(ALSI型)にモデルチェンジ。
1型から6型までの合計生産台数は3768台であった。

■12月 カッパー128Jロケット完成。

■ 1900cc試作エンジン完成、後に皇太子御料車に搭載。

■ フジセントラル映写機が月産60台に到達、國産映写機のシェア48%を占めるに至る。

・・・1957年・・・

■2月 プリンス・セダン(AISH-6型/AMSH-2型)を値下げ。

スカイライン(ALSI型)への全面刷新を目前にして、値下げによる在庫一掃が図られた。

プリンス・セダン(AISH-6型)の価格を84万5000円から82万円に値下げ。
プリンス セダン・スペシャル(AMSH-2型)は98万円から96万円に値下げ。

■3月 三鷹工場に完成車検査用テスト・コースが完成。

■3月 スカイライン(ALSI型)第1号量産車完成。

研究着手から数えて4年の歳月が経過していた。

▲4月1日 オオタ自動車工業が日本内燃機製造と合併、新社名は日本自動車工業に。

▲4月5日 日本政府、閣議により國産車愛用を決定。

■4月19日 富士精密工業、新型乘用車スカイライン発表。

スカイライン・デラックス(ALSID-1型)
スカイライン・スタンダード(ALSIS-1型)

■4月24~25日 東京宝塚劇場に於いてプリンス新型乘用車スカイライン発表記念ショウ開催

▲5月9日~19日 第4回 全日本自動車ショウ開催。

■6月1日 スカイライン発売。

▲7月1日 トヨタ、トヨペット・コロナ(ST10型)発表。

■9月7日 マイラー(AOTH-1型)発売。

プリンス・トラック(ATFT-8型)を全面刷新、これを機にペットネームを付与し
プリンス・マイラー(AOTH-1型)とした。

■10月3日~13日 第44回パリ國際自動車ショー(パリサロン)開催。

プリンス自動車はスカイライン・デラックス(ALSID-1型)を出展。

■11月 プリンス自動車、第2次富士登坂キャンペーン実施。

・・・1958年・・・

■2月 フジセントラル映写機F101型発表。

■3月 プリンス ライトコーチ(AQVH-1L型)発売。

■4月1日 小型車寸法制限改定。

全長+400mm(4700mm)全幅+20mm(1700mm)。

■4月2日 プリンス マイラー(ARTH-1型)発売。

▲4月 東洋工業、初の4輪車となるトラック ロンパーを発表。

▲5月 富士重工、スバル360(K111型)発表。

■9月 スカイライン(ALSI型)2台を対米サンプル輸出。

■9月29日 プリンス クリッパー(AQTI-1型)発売。

車体生産は昭和飛行機に委託。

■10月4日 BSモペット チャンピオン号発表。

■10月6日 プリンス1900発表。

■10月10日~20日 第5回 全日本自動車ショウ開催。

会場は後楽園競輪場、プリンス1900(後のグロリア)を出展。

■12月 プリンス ルートバン(AQVH-1型)発売。

・・・1959年・・・

■2月 プリンス・グロリア(BLSIP-1型)発売。

▲3月 日本自動車工業、東急くろがね工業株式会社に改称。

■3月 ルートバン(AQVH-1型)をベースにしたプリンス マイクロバス(AQVH-1M型)発売。

■3月 ロサンゼルス輸入自動車ショーにスカイライン(ALSI型)を出展。

■4月 スカイウエイ発売。

スカイウエイ・ライトバン(ALVG-1型)
スカイウエイ・ピックアップ(ALPE-1型)

■4月10日 皇太子殿下にプリンス グロリア(BLSIP-1型)を献上。

■6月 國民車構想に基く試作小型車DPSK完成。

▲7月29日 日産、ダットサン・ブルーバード(310型)発表。

■10月 スカイラインを一部改良。

エンジンを改良、出力を従来の60馬力から70馬力に向上。
エンジン型式はFG4A-30型からFG4A-40型へ変更。

スカイライン・デラックス(ALSID-2型)
スカイライン・スタンダード(ALSIS-2型)

■10月 富士精密工業、月産2000台を突破。

■ プリンス・グロリア(BLSIP-1型)の発売(2月)から1959年末までの11ヵ月の生産台数は797台。

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第3章 プリンスのあゆみ・・・③・・・(1960~1969)に続く。
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Posted at 2013/02/10 23:36:31

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この記事へのコメント

2013年2月12日 21:52
こんにちは。
ちょうどこちらでも古いプリンス車のことを調べていたところです。
いくつか疑問点が出てきたので、ご存知だったら教えてください。

1.呑龍工場について
重爆「呑龍」の工場だから…と思っていたのですが、制式採用が1941年、太田工場の改称が1934年。工場名の命名の方が先なんですね。他社が防諜上「護国第○○工場」などと秘匿名に改称しているのと比べても、いろいろ不思議です。Wikipediaあたりには命名のルーツが呑龍上人とありますが、当時の有名具合を知らないので何とも。

2.マイクロバス形式名
1958-03 プリンス ライトコーチ(AQVH-1L型)発売
1958-12 プリンス ルートバン(AQVH-1型)発売
1959-03 プリンス マイクロバス(AQVH-1M型)発売
無印が後発というのが不思議な気がします。

手持ちの資料では限界でした。プリンスの社史を読めば一挙解決なのでしょうか…?
コメントへの返答
2013年2月14日 21:33
お疲れ様です、御返信が遅くなり申し訳ありません。

まず、1の呑龍ですが、工場の近くのお寺
「大光院」の初代住職「呑龍上人」から
命名されたそうです。

http://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/bunmazai/otabunka2.html

地元では古くから親しまれているようです。

次に2のマイクロバス形式名ですが、自信が
ないので間違っていたらすみません。

ライトコーチ、ルートバン、マイクロバスの
いずれもクリッパー(58年9月)がベースと
なっていますが、発売はライトコーチが
先行しています。
(キャブオーバー・トラックに関しても
ルートバンが先行しています。)

ライトコーチ発売の時点でベースとなる
クリッパーの開発もほぼ終了しており
AQTI-1、AQVH-1といった型式も
決まっていたと推測します。

発売順が前後した為に、無印の形式名が
後発に来たのではないでしょうか。

ライトコーチの形式名については
資料によってバラつきがあり、どれが
正しいのかを調査中です。
確証が得られたらご報告致します。

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