月日は足早に過ぎ去りて、本道も愈々厳冬を迎えるに至った。
夜は日毎に長くなり、天からは雪と云う手紙が届く季節。
身を切るような寒さの中、澄み切った夜空を仰げば、
北斗七星が連なりて、冬の大三角が煌々と輝いている。
遥か南の空を望めば、忠犬メランポスが今も静かに主人アクタイオンを待ち続けている。
雪の舞う夜、火にあたりつつ旅の写真を眺め、過ぎ去りし初夏の日に想いを馳せる。
龍のように南北に延びる我が神州には、多彩な表情を魅せる四季が巡る。
長く厳しい冬が訪れるからこそ、短くも美しき夏をより一層愛しく思える。
半年余前、愛馬CBと相携えて蝉羽月の知床を駆け抜けた日の事を此処に記す。
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一号作戦/知床半島打通作戦
実施日:皇紀2673年6月12日
搭乗機:ホンダ ドリームCB750four(K-Ⅰ型/皇紀2631年式)
走行経路:
釧路-中標津-標津-羅臼-知床横断道路-宇登呂-斜里-小清水-美幌-北見-美幌峠-弟子屈-釧路
総走行距離:511km
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太平洋の空に、6月12日の暁が訪れる。
耳元で騒々しく唸る、携帯電話のアラームで目を醒ます。
時計の針は4時30分を指している。
快晴を期待しつつカーテンを開くが、昨夜の願掛けも虚しく空は灰色に染まりたる。
一面を埋め尽くす鈍色の雲に、陰鬱な気分に為らざるを得ず。
とはいえ、折角の貴重な休暇を無為に過ごすなど耐えられる筈も無く、
既定通りに抜錨すべく、天候の好転を願いつつ準備を進める。
角食パンにベーコンを載せ軽く狐色に成るまでオーブン・トースターで焼き、黄身を
半熟に仕上げた目玉焼きを載せたベーコンエッグ・トーストなどと云うハイカラな朝食を取る。
歯を磨き、顏を洗い、防寒着を幾重にも着込む。
帝國陸軍騎兵将校 西竹一大佐の愛馬に肖って”ウラヌス号”と命名せる我が鉄馬は、
前夜の内に総ての準備を済ませており、ガレージの中で静かに駐機していた。
革張りの鞍に跨り、まずはキル・スイッチを解除する。
続いて、格納時に「閉」にして置いた燃料コックを「開」の位置に回す。
冷間時ではあるが、チョーク・レバーは閉じた儘で始動を試みる。
キック・レバーに足を掛け、軽く踏み込んでピストンを圧縮上死点に導く。
右足に僅かに力を籠め、キック・レバーの抵抗を確かめる。
然る後、呼吸を整え、迷いを断ち切るかの如く一気にキック・レバーを蹴り降ろす。
振り下ろされたキック・レバーの動きは、連結したギアの回転運動へと変換され、
クランク・シャフトを力強く回し、4つのピストンは勢いよく撥ね上がる。
スパーク・プラグの電極から稲妻が放たれ、キャブレターで生成された混合気を爆発させる。
心臓に火が燈った瞬間、鉄馬は4連排気管で高らかに嘶いた。
近隣は未だ暁を覚えず、騒音が拡散せぬように閉め切ったガレージの中は
轟音が反響し耳を劈き、朦々たる排気煙が忽ちの内に充満し堪らず咳込む。
涙で滲む回転計を薄目で睨みながら、スロットルを少しづつ絞つてゆく。
アイドリング状態でエンジンが停止しない程度に暖気を済ませると、
すぐさまキル・スイッチを動作させ、ガレージの観音扉を開放する。
排気煙が立ち籠めるガレージから這う這うの体で飛び出すや否や、
新鮮な外気を胸一杯に吸い込んだ。
一息ついた後、暖気の済んだCBをガレージから誘導路へと移動させる。
滑走路までタキシングし、輪留めを掛ける。
ガレージの施錠を確認し、愈々離陸の準備は整った。
純白のマフラーを卷き、ヘルメットの顎紐を堅く締める。
両手を高く翳し 「チョーク外せ」
時刻は5時10分。
暁を見る事は叶わぬ儘、511kmに及ぶ長躯進行に出でる。
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何時泣き出すやも知れぬ鉛色の空の下、沈む気持に鞭を入れながら走る。
紫水晶に染まる空を仰ぎ、僅かな陽の光を見出す。
縋る樣に天候の回復を期待するも糠喜びに終わり、
進めば進むほど状況は悪くなるばかりであった。
曇天、濃霧、沿岸、早朝の4重苦に悩まされる。
気温は11度と辛うじて2桁に踏み止まってはいるが、
身を切るような走行風に晒され、体感温度は1桁である。
心を支えるは、愛馬の揺るぎなき歩武のみなりし。
行く手には濃霧が立ち籠めている。
纏わりつくような霧も、走行時には篠突く雨となんら変わらないものとなる。
風防の外側は雨滴で覆われ、内側は白い息で曇ってしまい視界を制限する。
体は芯から冷え、手足の先は強張る。
悪天候と寒さに負けて、折れそうに成る心に喝を入れつつひた走る。
6時57分 コンビニにて休憩
心身共に冷え切り、余りの寒さに耐えかねてコンビニに飛び込む。
暖かい珈琲で暖を取りながら、携帯電話で目的地の天候状況を確認する。
この時、心底欲していた物品は腹巻である。
7時24分 燃料の補給を実施
漸く辿り着いた中標津の給油所にて、今行程一度目となる給油を実施。
区間積算距離計は118kmを示し、燃料は未だ半分も消費していないが、
長駆遠征に於いては余裕を持って早期に給油する事が肝要である。
燃料タンクの蓋を開き、ガソリンを注ぎ込む。
重く圧し掛かる鈍色の空を睨み付けながら、再び走り出す。
鉛のように重くなった体と心に鞭を入れつつ、天候の回復を唯々切に願うばかりである。
給油の後、標津へと舳を向け走り続ける。
ハンドルに括り付けた時計の針が8時を指す頃には、
雲の切れ間より射し込む斜光を認めるに至る。
愈々天候は回復の兆しを見せ、第一の目的地である
羅臼の町に近づくにつれ明るくなる空を見上げ、疲弊した心に希望が湧いてくる。
寒さに打ちひしがれ、途上、何度も反転を検討したが、気の滅入るような鈍色の空にも屈せず、
歩武を決して止めなかった事が此処に至って遂に実を結んだのであった。
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8時21分 羅臼町に到着
オホーツク海より流れ来る海霧のトンネルを抜けると
其処には雲ひとつ無き快晴が広がっていた。
嗚呼、天は我を見放さず。
泊地を抜錨して以来、隱忍自重3時間余。
寒風翠雨何するものぞ。
切なる祈祷は暗雲を払いて天に通ず。
果たして、天候は一挙に好転。
今や太陽の恩恵に浴し士気は益々軒昂、知床半島打通の意気盛んなりし。
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9時 知床横断道路を躍進、此れを打通せんとす
初夏の陽射しを浴び、人馬共に心は弾む。
気分も体もエンジンも、総てが軽やかである。
気温も一挙に上昇、つい先刻まで寒風に震えていた事が嘘のようだ。
雨滴を防ぐ為に終始閉じていたヘルメットの風防は今や全開である。
一欠けらの雲さえ見当らぬ快晴の下に躍り出て、払暁以来3時間を掛けて
走破せしめたる根室海峡を振り返ると、見渡す限り雲海で覆われていた。
絨毯の如く敷き詰められた、純白の真綿を思わせる雲海は誠に美しく、
其の下に薄鈍色の陰欝な情景が広がっているとは俄かには信じられぬ程である。
曇天の下、3時間に渡り風雨に打たれ骨の髄まで冷え切ったのも、
あの見渡す限りの雲海を眺める為の対価であったと想えば、
散々味わった艱難辛苦も字義通り雲散霧消するというものである。
初夏の澄んだ空気、柔らかに吹き抜ける海風、陽光を受け輝く新緑。
そして何より、胸に染み入る空の色。
此れに優るものは無いと信じて疑わぬ、至福の一時である。
藍より蒼き大空と、純白の雲海をシネマスコープの大パノラマに一望すれば、
チューブラーベルとグロッケンシュピールの奏でる軽やかな音色が脳裡に浮かび、
四家文子と鳴海信輔の歌声も高らかに「空の神兵」が響き渡る。
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藍より蒼き 大空に
忽ち開く 百千の
真白き薔薇の花模樣
ああ純白の 花負いて
ああ青雲に 花負いて
ああ青雲に 花負いて
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翻りて仰ぎ見るは、標高1660mの威容を誇る名峰羅臼岳。
アイヌ達は其の威風堂々たる佇まいにカムイの宿りしを見出し、
和人達は”知床富士”の異名を奉った。
新緑芽吹く羅臼岳は、長く厳しい冬の終わりを告げるかのように
羽衣の如き白く清廉な残雪を纏っていた。
其の美しさたるや、息を呑むばかりなり。
稜線の上に広がる、雲の一片さえ見当らぬ藍より蒼き大空は、
如何なる言葉を以てしても形容し得ざる美しさと神秘性を湛えていた。
天を仰げば白藍の空、眼下に見ゆるは月白の雲海、眼前に迫りたるは神々の庭たる知床連山。
ああ、壮厳なる大自然を前にして我も此処に神を見出さん。
9時12分 横断道路の頂、知床峠に達す
多くの旅人で賑わう峠の展望台に駐機、遥かに見ゆる雲海にカメラを向ける。
風は起こらず浪立たず、柔らかく暖かな陽射しが心地良い。
暫し景色を愉しんだ後、再び鞍に跨りキック・スターターを軽く蹴り降ろす。
其の刹那、知床の原野に野生馬の嘶きが響き渡る。
左手の指先でクラッチ・レバーを手繰り寄せ、スロットルを掌る右手に僅かな力を籠める。
左足の爪先でギア・ペダルを踏み込み、ニュートラル・ポジションを示す翡翠色の
インディケーター・ランプが消燈した事を視認し、左手の握力を弱めると同時に右手首を捻る。
右手首の僅かな動きにもスロットルは敏感に反応し、
澱み無く撥ね上がる回転計の針の動きへと変換される。
蹴り上げた右足は地を離れ、忽ちにして全身が浮遊感に包まれる。
218kgと云う重量を一切感じさせない軽快さを伴いつつ、鉄馬は躍動す。
時計のように精密と謳われた4気筒エンジンは澱み無く吹け上がり、
爪先をギア・ペダルに引掛け、足首を僅かに捻ると軽やかに2段ギアへと変速する。
左手の指先でクラッチレバーを握り、右手のスロットルを僅かに緩める --
回転計の針がふっと下がる
爪先でギア・ペダルを弾く
クラッチ・レバーを解放する
スロットルに力を籠める
一連の操作を同時且つ多重的に行い、3段ギアへと変速し更に加速する。
今や速度計の針の躍動を阻害する物は存在し得ない。
咆哮と云う名の航跡を残し、鉄馬は大自然の中を駆ける。
ホンダの二輪車は皆、”翼”を有している。
ホンダ・モーターサイクルの象徴たる”ウィング・マーク”である。
CBの其れは、サイド・カバーに輝く赤いダイヤの中に埋め込まれている。
ギリシア神話の勝利の女神ニーケー、ローマ神話に於けるウィクトーリアの神秘的な姿を象った
紋章には、二輪の最高峰に挑み、勝利を掴み、世界に羽ばたかんとする決意が籠められている。
狂人の夢想に過ぎないと嗤われた其の大理想は、今や現実となった。
此の翼には、創業者たる本田宗一郎氏の飛行機への憧憬が籠められており、
空への憧れを抱く総ての者の為に”それ”はある。
羅臼から知床峠までは急カーブが連続する難所であったが、
下りは直線が続く走り易いルートであった。
手綱を執って軽快に、舞降る、舞降る。
ああ純白の花負いて、天降る、天降る。
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知床横断道路を打通し、知床半島の北岸に出でる。
9時36分 北岸の町、宇登呂に達す
ウトロ岩を見晴らす展望台に翼を休め、暫し憩う。
朝凪の海には、旅情を誘う観光船が白い航跡を曳きつつ行き交っている。
残雪に冬の香を感じた知床峠とは一転、
北岸には一面を新緑に彩られた初夏の爽やかな景色が広がっていた。
心地良い風を受けながら、国道334号線を快調に流す。
右舷側には空と海の美しい藍が広がり、左舷側では眩いばかりの緑が眼を愉しませてくれる。
遥かに望む水平線に交わる空の蒼と海の藍、其のいずれもが美しい。
穏やかな風に乗り、海と森から届く”潮”と”若葉”の香りに包まれる。
9時48分に三段の瀧を、
続くく9時51分にはオシンコシンの瀧を仰ぐ。
オシンコシンの瀧は、知床八景のひとつに数えられると共に、
其の名を日本百名瀑に連ねる風光明媚な瀧である。
落差80m・瀧巾30mの威容を誇る斯の瀧は、チャラッセナイ川を源流とし
切り立つた岩盤を流れる分岐瀑である事から、双美の瀧の異名でも呼ばれる。
内地の人には聞きなれぬであろう”オシンコシン”という名は、
アイヌ語で「川下にエゾマツが群生する場所」を意味する 「オ・シュンク・ウシ」の訛化である。
空の蒼、海の藍、森の緑、そして絹糸の如き瀧の白。
様々な色が調和し、人工物では決して表現し得ぬ美しさを魅せる。
絹糸を思わせる美しく柔らかな流れと、硝子のように透き通る清流に思わず見惚れる。
清流が奏でる爽やかなせせらぎと、初夏の森に響く蝉時雨もまた心地良い。
10時26分 海岸線より転進し内陸へと歩を進める
遥か南の空を仰ぎ見れば、残雪も美しき斜里岳が聳える。
標高1547mを誇る威容と、剱の如き険しき稜線に山岳の神々の領域なるを感じ、
大自然の厳しさを改めて知ると共に、本道に訪れた短き夏の慈愛にも似た印象を受く。
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途中、旅行者と思しき数人のライダーと擦れ違う。
互いに大きく手を翳し、名も知らぬ”仲間”と一期一会の邂逅を果たす。
四輪車ではまず考えられぬ事だが、二輪車に乗る者同士の間では
自然と挨拶を交わす習慣が存在する。
此れは誰に教えられた訳でもなく、強要される訳でもなく、
先達から脈々と受け継がれてきた”儀式”である。
互いに素性も知らぬ、二度と逢うことも無いであろう相手に対し、
道中無事であるようにと、佳き旅になるようにと願いを込めた手信号を交わしながら
尚も旅は続く。
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其の後は小清水、美幌、北見と駒を進める。
美幌と北見では幾人かの友人を訪ね、暫し談笑す。
楽しき一時は足早に過ぎ去り、北見市内を出帆せる頃には既に陽は傾きはじめていた。
十字路で停車し、ハンドル・バーの右舷側に括り付けた
無蓋の懐中時計に 視線を落とすと、針は5時45分を指している。
しかしながら空はまだ明るく、長く伸びた影の他に日暮れを感じさせるものは見当たらぬ。
初夏の夕暮れ、柔らかな風が冷却フィンを吹き抜ける。
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1810 美幌峠の頂に到達す
西の空、太陽は静寂を伴いて地平線に沈みゆく。
遥かに望む北見盆地は乳白色の靄に覆われ、幻想的な表情を見せている。
金色に輝く太陽が、大地を山吹色に染め上げる黎明と黄昏。
万物が眩い光に包まれる、此の僅かな時間帯こそ我が愛馬CBの純正塗色
【キャンディガーネット・ブラウン】がもっとも美しく映ゆる”マジック・アワー”である。
ガーネットとは柘榴石を磨き上げた宝石の名であり、
石言葉として「真実」「忠誠」「勝利」が与えられている。
誕生石にせよ、其れに付随する石言葉にせよ、 商業主義的な性格が色濃い点は
余り好かないのだが、3つの言葉は忠勇なる愛馬CBの本質をしかと表しており、満更でもない。
また、ガーネットは古来より旅人が魔除けの御守として懐に抱き、
無病息災を願い、振り掛かる災厄を払ったと言われている。
石言葉にせよ、御守の伝承にせよ、いずれも取るに足らぬ俗習に過ぎないが、
旅は酔狂、敢えて迷信に惑わされるもまた一興。
また、塗色名に入っているキャンディとは塗装技法を指す。
キャンディ塗装は、メタリック塗料やマイカ塗料と混同されがちであるが異なるものである。
キャンディは塗装技法であり、メタリックやマイカは塗料自体の事を指す。
メタリック塗料とは、塗料に金属片(アルミニウム)を加える事により光彩を持たせたものある。
一方、マイカは金属片のメタリックに対し鉱物片(雲母)で光彩を持たせた塗料である。
それらに対し、キャンディは光を反射するシルバーを下地層に用い、
半透明の塗料を何層にも重ね、透明感と深みを持たせている。
メタリック及びマイカが塗料自体に光源となる金属ないし鉱物片を混ぜ込むことで
光彩を与えているのに対し、キャンディは下地のシルバーを光源とし
クリアの層を透過して光彩を持たせている事が大きく異なる点である。
キャンディ塗装の特筆すべき点は、シルバーの下地とクリア層が織り成す美しい塗膜に加え、
クリアを重ねる回数を変化させる事で色の濃度、塗装膜の厚さを自在に調整可能する事が
可能であり、これを以て様々な表情を持つ塗装を実現出来る事が挙げられる。
キャンディ塗装は、光の加減により様々な表情を見せる事が魅力であり、
光が強くなる払暁と黄昏にそれは顕著に表れる。
太陽の動きに連動するように、研ぎ澄まされた硬質感は次第に変化し、
深い柘榴から、艶やかで透き通るような美しさを湛えた赤味掛かった紅柘榴へと表情は移ろう。
一段と其の深みを増し、全身の至る部位に散り嵌められた銀白色のクロームも
紅柘榴との美しい対比を見せ、互いを際立たせる効果を発揮する。
柔らかな角のとれたティアドロップ(涙滴型)タンクは陽光を受け、
形容しがたい美しさを湛えている。
キャンディガーネット・ブラウンと呼ばれるこの車体色は、
馬の毛色であれば栃栗毛と呼ばれるものであり、それはかのウラヌス号と同じものである。
ウラヌス号こそは、1932年に開催されたロサンゼルス・オリンピック
(第10回オリンピック競技大会)に於いて馬術 大賞典障碍飛越競技で優勝を飾り、
金メダルの栄冠に輝いた帝國陸軍騎兵将校 西竹一中尉(最終階級は大佐)の愛馬である。
ウーラノスとはギリシア語で「天」を意味し、ギリシア神話に於いては
全宇宙を最初に統べた神々の王、大いなる”天空神”とされている。
ウーラノスは、ギリシア神話を再構築したとも云えるローマ神話に於いては「ウラヌス」と呼ばれた。
現代では、太陽系の惑星に於いて3番目の巨躯を誇る天王星の名として知られている。
ウラヌスと云う名はその巨躯と、額に白い星を有していた事に因んでいる。
体高(肩までの高さ)が181cmと非常に大柄で気性も荒く、西大佐以外には乗りこなすことが
出来ない暴れ馬であったが、自由奔放な大佐とウラヌスは忽ちの内に肝膽相照らす仲となった。
西大佐とウラヌスの名を一躍世界に轟かせたのが、
上述したオリンピック大会に於ける活躍である。
1932年(昭和7年/皇紀2529年)8月14日、大会最終日。
16日間に渡る世紀の大会を締めくくる最終競技として、
五輪の華と謳われる馬術 大賞典障碍飛越競技が
10万5千人の大観衆で埋め尽くされたメイン・スタジアムで行なわれた。
西大佐とウラヌスは歩調整斉、貫録に満ちた歩武で次々と障碍を突破。
最大の難関、160cm大障碍に於いてウラヌスは自ら馬体を捩りこれを跳越、
字義通りの”人馬一体”で優勝を勝ち取ったのであった。
愛馬と共に相携えて、栄えある金メダルを手にし表彰台中央に登った西大佐が語った
「We won.」(”我々”は勝った)と云う言葉は、大観衆に感動を与えた。
メイン・ポールに大日章旗が飜り、500人の大バンドが演奏する
日本国歌「君が代」が、満場起立のメイン・スタジアムに響き渡ったのであった。
当時、アメリカでは対日感情が悪化しつつあり、在米同胞らは苦しい思いをしていたが、
西大佐の優勝が彼らをどれほど勇気づけたかは想像に難くない。
また、黄色人種を含む有色人種全体に対する差別が想像を絶する程に過酷であった
当時のアメリカに於いても、五輪の優勝者と云う英雄は一目置かざるを得ぬ存在足り得た。
バロン(男爵)ニシの名が表す通り、西大佐は貴族(華族)と云う上流階級の出身であった事に
加え、175cmの長身、騎兵将校に相応しい長く優美な脚、美形の顏立ち、モダンな髪形、
青年将校文化を代表する華やかな軍服の着こなしはアメリカ人女性をも虜にするものであった。
馬具や鞭、乗馬用ブーツなどは総てフランスはエルメスの特注品で揃え、
軍服も欧州の一流仕立屋で誂えたテイラー・メイドと云う洒落者であった。
流暢な英語を話し、日本人離れした自由奔放・豪放磊落な性格で当時のハリウッドを
代表する銀幕スターたるダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻と親しくなるなど、
社交界に於いてもアメリカの上流階級と伍する堂々たる振る舞いを見せた。
後年、不幸にも西大佐はオリンピックを通じて得たアメリカの素晴らしき友人達と
銃を交えなければならぬことになり、硫黄島の戦いで壮烈なる戦死を遂げた。
祖国の命運を賭した血戦にその身を投じた西大佐は、
最後の瞬間までウラヌスの鬣を肌身離さずにいた。
西大佐が壮烈なる戦死を遂げた1週間後、ウラヌスは後を追うかのように永遠の眠りに就いた。
西大佐がウラヌスや先に逝った戦友、そしてアメリカの友人達と再会を果たした天を仰げば、
女満別空港を離陸した航空機の曳きし一筋の航跡雲が浮かびたる。
半世紀以上前、この大空に美幌航空隊所属の陸攻も同じように航跡雲を曳いた。
今や世界遺産知床の玄関口として多くの旅行者を迎え入れる女満別空港の前身こそは、
北辺の空の鎮めと云う重責を担った海軍美幌第二航空基地である。
航空機が空に残した航跡雲は、やがて薄れ消えゆく。
御聖断より半世紀の間に、価値観をはじめとした多くのものが変わってしまったが、
航跡雲は今もなお、昔日の空に銀翼が曳いたものと何ら変わる事はない。
その銀翼を陽光に染め上げて、ちぎれんばかりの総員帽振れを一身に受け、
轟音高く美幌基地の滑走路を蹴り、征途に就いた多くの搭乗員もまた、
先に逝った仲間が残した航跡雲を追うかのように天空に召された。
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【嗚呼 神風特別攻撃隊】
無念の歯嚙み 堪えつつ 待ちに待ちたる 決戦ぞ
今こそ敵を 屠らんと 奮い起ちたる若桜
この一戦に 勝たざれば 祖国の行くて 如何ならん
撃滅せよの 命受けし 神風特別攻撃隊
送るも征くも 今生の 別れと知れど 微笑みて
爆音高く 基地を蹴る ああ神鷲の肉弾行
大義の血潮 雲染めて 必死必中 体当たり
敵艦などて 逃すべき 見よや不滅の大戦果
凱歌は高く 轟けど 今は帰らぬ 丈夫よ
千尋の海に 沈みつつ なおも皇国の護り神
熱涙伝う 顏あげて 勳を偲ぶ 国の民
永久に忘れじ その名こそ 神風特別攻撃隊
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空に生き、空を駆け、空に散った勇士らに想いを馳せ、御霊の安らかなるを祈る。
愛する家族を守らんが為に、悠久の大義に命を捧げた先祖の御霊やすらかなるを願い、
靖國に参拝するは、貴い犠牲の上に築かれた平和と繁栄を享受する総ての国民の務めである。
特殊潛航艇によるオーストラリア・シドニー湾攻撃に於いて、戦陣訓に従いて虜囚の辱めを
受ける事なきように自決した我が海軍軍人に対し、敵将たるオーストラリア海軍の
司令官ジェラード・ミュアヘッド=グールド少将は海軍葬をもって丁重に葬った。
忌むべき敵を海軍葬をもって丁重に葬る事に対し、オーストラリアの国民や軍人からは
当然ながら反対の声が上がったが、 少将は弔辞に於いて毅然として訴えた。
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私は敵国軍人を海軍葬の礼をもって弔うことに反対する諸君に聞きたい。
勇敢な軍人に対して名誉ある儀礼を尽つくすことが、何故いけないのか。
勇気は一民族の私有物でもなければ伝統でもない。
これら日本の海軍軍人によって示された勇気は誰もが認めるべきであり、
一様に讃えるべきものである。
このような鉄の棺桶に乗って死地に赴くのには相当の勇気が要る。
これら勇士の犠牲的精神の千分の一でも持って祖国に捧げるオーストラリア人が、
果たして何人居るであろうか。
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弔辞の中で”鉄の棺桶”と形容された艦艇こそが、甲型特殊潜航艇である。
秘匿名称として”甲標的”の名を付与されし、乗員2名のこの小型潜水艦が備える
兵装は攻撃用の魚雷発射管2基と、140kgの爆薬を用いる自爆装置のみである。
航続距離が短く、小型故に外洋航海に適さない特殊潜航艇は巡洋潜水艦に搭載され、
敵泊地に接近したならば、母艦を離れ単独にて敵中深く潜行する。
敵地奧深く肉薄し必中の一撃を放つには、機雷や防潜網といった
障害を突破せねばならず、たとえ攻撃に成功したとしても、
ひとたび位置が露見するや、敵艦が放つ無数の爆雷が頭上に降り注ぐのである。
斯くの如き任務の特性上、特殊潜航艇乗員は常に決死の覚悟を抱きて元より生還を期さず。
攻撃が成功しようとも失敗しようとも十中八九、生還を望めぬであろう任務に勇んで赴き
武人の本懐を遂げんとする鉄の意志と、人事を尽くすも武運拙く進退極まりし時には、
陛下から御預かりした艇を敵手に委ねる事無きように躊躇うことなく自爆し、
艇と運命を共にするその潔さたるや、較ぶべくものあらず。
皇軍の神髄はここに発揮されるのである。
ああ何んたる崇厳!ああ何んたる壮烈!
莞爾として死に赴く皇軍将兵の忠勇は、敵をして感嘆せしめたる。
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【大東亜戦争海軍の歌】
見よ檣頭に 思い出の
Z旗高く 飜える
時こそ来れ 令一下
ああ十二月 八日朝
星条旗まず 破れたり
巨艦裂けたり 沈みたり
あの日旅順の 閉塞に
命捧げた 父祖の血を
継いで潜った 真珠湾
ああ一億は みな泣けり
帰らぬ五隻 九柱の
玉と砕けし 軍神
凍る海から 赤道の
南へかけて 波万里
艦旗は競う 制海の
ああ伝統の 海の民
マレー、ジャバ沖 珊瑚海
英蘭今や 影もなし
水漬く屍と 潔く
散りて栄えある 若ざくら
見よ空ゆかば 雲に散る
ああ壮烈の 海の鷲
爆弾抱いて 体当たり
微塵に砕く 敵の艦
進めば遥か インド洋
世紀は讃う 気は澄みて
微笑む南 十字星
ああ大東亜 光さす
無敵の誇り くろがねの
聴け艨艟の 旗の風
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勇気は人類共通の至宝にして、崇高なる使命感は
人種も対立をも越え、感嘆と感銘を与える。
戦争にあるのは勝敗のみにして、勝者は正義を意味せず、
敗者は悪を意味するものに非ず。
あらん限りの力を尽くし死闘を繰り広げ、真の勇気というものを示しあった両者の間には、
敵愾心や人種差別を越えた尊敬の念が芽生え得る。
たとえ刀折れ矢弾尽き、力及ばず敗者となったとしても、
最高の勇気を示した者に対しては、自然と畏敬の念が生まれるものである。
これは格闘技の選手が、正々堂々と死力を尽くした試合の後に、
遺恨ではなく友情が芽生える事に似ている。
それは常に闘いから逃げ、強きものに媚び諂い、
勇気や使命感を放棄した者らが決して得る事の叶わぬ”崇高なる共鳴”である。
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西の活躍に隠れてしまいがちであるが、共に日本選手団の一員として
ロサンゼルス五輪の 總合馬術競技耐久種目に出場した
城戸俊三騎兵中佐と愛馬久軍号の素晴らしき逸話が伝えられている。
馬術日本代表の主将である城戸中佐は久軍と相携えて難関コースを見事攻略、
期待に違わぬ活躍で歩武を進め、愈々最後の障害を残すのみとなった。
しかし、城戸中佐はゴールを目前にしながら突然下馬したのであった。
上位入賞は確実となった選手が突然棄権した事は大観衆に驚きと疑問を与えたが、
その理由は老齢の久軍が体力の限界に達したからであった。
激しい競技によって、馬齢19歳となる古馬の久軍の体力は
もはや限界に達しており、全身から汗を吹き出し鼻孔は開き切っていた。
それでもなお久軍は前進気勢を見せ、鞭を入れれば障害を越えるべく挑んだであろう。
だが、競技を続行すれば久軍の命に関わると直感した城戸中佐は躊躇うことなく潔く下馬し、
愛馬の鬣を労わる様に撫でながら、静かをメイン・スタジアムを去った。
国家の威信を賭けて送り出されたオリンピック代表主将が、勝利を目前にして
棄権を選ぶに際しては、並々ならぬ重圧があったであろう事は想像に難くない。
容赦ない叱責が自らに浴びせられる事を覚悟の上で、愛馬を救わんとしたのだ。
”競技よりも愛馬の生命を優先した”勇気ある行為は、人種や国家という壁を越えた
感動を呼び、動物愛護の観点から勝者に劣らぬ賞賛を受けた。
「彼は大きな栄光の喝采ではなく、小さな慈悲の声を聞いた」
これは、中佐の勇気ある決断を評した言葉である。
帰国した中佐を待っていたのは棄権に対する非難ではなく、
世界に恥じぬ騎兵精神を発露した事への一億国民の称賛と歓呼であった。
城戸中佐の行動は、近代オリンピックに於いて最も尊ばれる精神を体現していた。
1908年に開催されたロンドン・オリンピックでは、日の沈まぬ国として世界に君臨していた
イギリスと、急速に台頭してきた新興国アメリカの対立が顯在化するに至った。
そのような状況下で、ペンシルヴェニア大主教のエチュルバート・タルボット氏は
次の一言をもって、スポーツ競技の持つ本当の価値を説いた。
「オリンピックで重要なことは、勝利する事よりも、むしろ参加する事であろう」
近代オリンピックの創立者であるピエール・ド・クーベルタン男爵は
この言葉に感銘を受け、晩餐会の席でオリンピック関係者に以下の様に語った。
「勝つことではなく、参加する事に意義があるとは至言である。
人生に於いて重要なことは、成功する事ではなく、努力する事である。
根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある」
闘いは勝者と敗者を生み、それぞれに栄光と屈辱を与える。
だが立ちあがらなかった者は、何も得る事は叶わない。
敗者はかけがえのない様々なものと引き換えに矜持を守り抜くが
立ち上がらなかったものは何もせぬままに矜持だけを喪う。
栄冠を手にした西大佐と、棄権しながらも称賛を浴びた城戸中佐。
二人は等しく勝者であり、矜持に満ちた英雄であった。
父祖らが歴史を刻んだ悠久の大空を遥拝し、愛する日本を偉大ならしめんことを誓う。
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【愛国行進曲】
見よ 東海の 空明けて
旭日高く輝けば
天地の正気 溌剌と
希望は躍る 大八洲
おお 晴朗の 朝雲に
聳ゆる富士の 姿こそ
金甌無欠 揺るぎなき
我が日本の 誇なれ
起て 一系の 大君を
光と永久に 戴きて
臣民我等 皆共に
御稜威に副わん 大使命
往け 八紘を 宇となし
四海の人を 導きて
正しき平和 うち建てん
理想は花と 咲き薫る
いま 幾度か 我が上に
試練の嵐 哮るとも
断乎と守れ その正義
進まん道は 一つのみ
ああ 悠遠の 神代より
轟く歩調 うけつぎて
大行進の往く 彼方
皇国つねに 栄えあれ
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7時13分 弟子屈
弟子屈のコンビニにて最後の小休止とする。
残照は地平線を花葉色に滲ませ、天は夜の女神ニュクスの足音と共に縹色に染まりゆく。
既に太陽は遥か西の空にその姿を没したが、気温はなお暖かい程である。
漸く涼しくなってきた風が心地良い。
スタンレー製ヘッド・ライトで闇を切り裂き、最終行程の1時間半余を走り抜く。
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8時47分 帰投
総走行距離 511km
ヘッド・ライトを消灯し、エンジンを停止させる。
ガレージに格納し、メイン・スタンドを降ろす。
キル・スイッチを作動させ、燃料コックを閉じる。
鍵を抜いた後、一日で511kmという長距離を
片言隻句の不平も漏らさず走り続けた愛馬のタンクをそっと撫で、労いの言葉を掛ける。
熱の残るエンジンは、囁くような静かな音で唄を奏でている。
形容し難き心地良い疲労と充足を胸に抱き、ガレージを出でて家に向かう。
日没から半刻、皐月は一八短夜にして空はまだ明るい。
深い瑠璃紺に染まる薄明の空を仰げば、遥か高くに北斗七星が連なりて、
アルクトゥルスとスピカが描く春の大曲線が星朧に輝いている。
スピカはおとめ坐の首星にして、ギリシア神話に於いては
大地に豊穣を授ける女神デーメーテールが手に携えた麦の穂に喩えられている。
デーメーテールは秋の豊穣と、その後に訪れる荒涼を掌る女神であり、
これが西欧に於ける季節と四季の起源譚となった。
ヘレーネスらによってギリシア神話が創造されたのは、紀元前15世紀頃と考えられている。
遥か古代の人々が、空に浮かぶ星々に想いを馳せた悠遠の神代と変わる事なく、
季節は巡り、冬が訪れ、やがてまた夏が訪れる。
長い冬が終わりを告げたならば、雪解けを迎えた初夏の知床を
愛馬と共に相携えて、今一度訪れたいと願う。