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2014年08月02日 イイね!

嗚呼!天運我に非ずして、三度の離島遠征為らず



---皇紀2674年7月21日 21:05

3度目となる離島上陸を掲げ、天売・焼尻島遠征に勇躍出帆せる。


今次の長距離行は平成23年8月23/24日の利尻・礼文島上陸、
翌24年7月17/18日の奥尻島上陸に続き、3度目となる離島遠征である。

昨平成25年は天候に恵まれず、また機材の整備に於いて問題が發生したことから
CBに依るキャンプ・ツーリングを実施し得なかった為、今年こそはの念を強く抱かん。

1泊3夜の強行軍を前にしながらも”万難を排し必ずや成功せしめん”の
意思は堅固、士気旺盛にして意気は益々軒昂であった。


計画では7月21日20:50の課業終了後、可及的速やかに抜錨。

夜を通して本道を打通、太平洋沿岸より出でて日本海沿岸に至る400粁を走破せしめ、
22日朝08:30のフェリー第一便に乘船、日本海を渡りて焼尻島に上陸し橋頭堡を築く。

22日は焼尻島に野営、翌23日に天売島へ飛石上陸を敢行した後、
焼尻島を経由し本道に再上陸を果たす。

往路の逆順を辿りて今一度本道を打通、400粁を大返し
23日25時前後(24日01:00)を期して帰投せんとする計画であった。


然れど、天運我に非ず。


往路に於ける本道の打通を完遂し、焼尻島への上陸を果たすも
鈍色の厚い雲が徐々に空を覆い始める。


天候は一向に恢復せず、深刻の度を増す許りなり。


切なる祈祷も虚しく、気象予報は惡い方へと外れ、
予想より半日も早い時点で激しい降雨に見舞われるに至りて、愈々進退窮まる。

降り頻る雨を前にして謀を巡らすも、万策尽きて立ち盡す。

此処に至りては、計画の放棄も已む無し。
斷腸の思ひで轉進を決心す。

多大な労力と資金を費やしながら焼尻島への上陸を果たしたにも関わらず、
目的を完遂すること叶わず反転帰投の途に就くは眞に悔しけり。

数ヵ月前より綿密に立てた計画は、非情なる天候の前に脆くも瓦解し、
雨に濡れる行動予定表の文字が哀しく滲む。

期せずして、7月21日夜より23日早朝に掛けて2夜0泊の強行軍に突入す。


非情なる天運に泣かされるも、愛馬の支えに依りて全行程800粁超を
31時間余で走破せしめるに至りし顛末を此処に記す。


必ずや、捲土重来を期すことを誓いて。


---


【7月13日~20日 遠征準備】


■7月13日 シート・バッグ購入

ツーリングに備え、大容量のシート・バッグを新調。

テントもシュラフも内部に呑み込める程の大容量に加え、外部にも多数の収納と
固定用ネット、長尺物用の荷紐を備えた使い勝手の良いバッグとあって大いに満足す。

充実した内容からすれば文句無しに廉価であり、
最大の懸念であった車体への縛着も容易かつ確実であった。

■7月15日 シガー・ソケット電源装着

二輪用の防水型シガー・ソケット電源を購入、主治医に装着して貰う。
配線の途中にギボシ端子を介し、不要の際には取り外し可能とした。

速度計手前に備わる黒い筒状の物がソケット電源


此れに依り、携帯電話やカメラの蓄電池の充電が容易に可能となり、
数日に渡る旅行の際、電源に不便することが無くなった。

■7月19日 後部積載甲板(リヤ・キャリア)加工装着

トラ乘りのS先輩より戴いたヤマハSR用のリヤ・キャリアを装着。

主治医の手に依り、純正のステーを切り詰めると共に
新規にステーを増設する等の加工が施され、宛も純正の様な佇まいに仕上がった。

後部積載甲板


CBはテール・カウルを有さない為、純正の儘では積載能力が限られているが
後部積載甲板の増設に依り、輸送能力は一挙に倍増された。

トラディショナルなヤマハSR用のキャリアとあって、
CBに装着しても外観的な違和感が無く、クロームが良く馴染んでいる。

主治医の手に依る巧みな加工を経て、積載甲板はシートとの段差が無い全通甲板となった。

利根型の様に、甲板に段差があると積載や縛着に工夫が求められるが、
最上型の様な全通甲板を得たことに依り、積載効率及び作業効率は極めて高いものとなった。

リヤのウィンカー及びショックのボルト/ナットに共締めすることで装着されており、
シガー・ソケット電源同様、不要時には容易に取り外すことが出来る様になっている。

■7月20日 満載排水量状態での公試を実施

バッグ、電源、キャリア。

愈々總ての駒が揃った所で、CBに馬具を装着する。

シート・バッグを縛着し貨物を全積載、脱落防止を2重3重に施し万全を期す。
貨物の防水処置にも充分に気を払う。

満載排水量状態のCB


主要な装備は、時計、ソケット電源、タンク・バッグ(手荷物、充電器等)、
サイド・バッグ(防寒着及び工具)、ツーリング・バッグ(テント・シュラフ等)、
一眼カメラ用バッグ、テント用フレーム、錠(2種)、背凭れ兼用アルミ・シート、
サイド・スタンド補助板となっている。


掩体内に於いて各種点検を実施する。

エンジンを始動し電氣系統の動作を確認せる所、前ブレーキ操作に聯動する
制動燈の不点燈を發見、直ぐに原因の配線不良を修正する。

万一の不具合無き様、積載状態での公試を実施する。
急制動、大傾斜、惡路に於ける上下動を試し、縛着に緩みが無いことを確認。

エンジン・オイル、ブレーキ・フルードの量が規定値にあるかを視認。
燃料を充填し、トリップ・メーターを0粁に戻す。

此れを以て、概ね總ての準備は完了せり。

残るは唯只管に好天を祈るのみ。







■7月21日(行程第一夜)


20:45 課業終了

21:05 抜錨

昼には爽快な夏空が広がっていたが、夜は字義通り暗転。
鈍色の厚い雲が垂れ込め、静かに雨が降る。

然れど征くより外に途はなく、夜陰に乘じ出帆す。


纏わり憑く様な霧と雨に悩まされながら黙々と走ること、2時間。







23:01 帶廣にて給油(走行距離115粁)

給油量9.66ℓ/1573円(レギュラー単価162.8円)燃費約12粁

隣接するコンビニで買った暖かい缶珈琲で一息つく。

帶廣に入ってからは雨も止み、此れで少しは楽になると
安堵するも束の間、暫く進むと再び雨が降り出した。

黒く染まる路面を睨みながら猶も進む。







日付は変わり7月22日---


霧煙る狩勝峠を越え南富良野に至った頃、漸く雲は切れ始め星が顔を覘かせる。

山脈の稜線に美しい三日月が其の姿を現す



01:17 富良野にて給油(走行距離238粁)

給油量8.75ℓ/1453円(レギュラー単価166円)燃費約14粁

忌々しい雨雲は字義通り雲散霧消し、仰ぎし空には幻想的な天の川が流るる。

星明りは空を深い瑠璃色に染め上げ、漆黒の稜線を浮き彫りにする。


深夜の樹海の風は冷たくも、心身は極めて軽くあり。







01:55 芦別にて給油(走行距離265粁)

給油量1.79ℓ/291円(レギュラー単価162.8円)燃費約15粁

燃料には充分な余裕があるが、此処より先は
24時間営業の給油所が限られる為、補給を実施する。







02:31 深川にて給油(走行距離308粁)

給油量2.44ℓ/395円(レギュラー単価161.8円)燃費約17.6粁

羽幌までの行程を走破するには充分な残燃料があるが、此処より先は
24時間営業の給油所が存在しない為、往路最後となる給油を行い万全を期す。

給油の後、深川留萌道・秩父別ICより高速に乗る。
此の頃より徐々に雲量が増加、天候の先行きに一抹の不安を覚える。







03:23 留萌のコンビニにて休憩(走行距離352粁)

21:05の抜錨より約6時間15分、漸く留萌に到達


いつしか空は次第に白み始め、夜が別れを告げ朝が訪れようとしていた。
夜の帳の下では6時間余、350粁超の行程も瞬きの内に過ぎ去りし。

美しい払暁の空は、刻一刻と其の表情を移ろわせる


稲荷寿司と天麩羅蕎麦で空腹を満たした後、
大休止を終え、最終行程に駒を進める。







日本海を望む國道232號、愛称”オロロン・ライン”を北上する。
雲量は多いが、晴れ間も顔を覘かせている。

眼前に迫りし白波立つ日本海


林立する風力原動機は、風を掴めずに沈黙している


見よ 東海の空明けて 旭日髙く輝けば 天地の正気潑剌と 希望は踊る大八洲


旭暉は白雲を淡黄に染め上げ、海は其の蒼さの度を深める。

04:38 沖合に島影を視認

遥か沖合の雲下、天売と焼尻の島影を朧げながらも見出す


洋上に浮かぶ2つの影を眺めつつ、島で過ごす緩やかな一時に期待を寄せる。







推定04:45分前後 交通事故に遭遇す(走行距離約395粁)

目的地の羽幌まで残す所僅か10粁余に迫りし地点で、交通事故に遭遇。


橋の上で3台程度の対向車と擦れ違った際、
最後尾の1台が突然フラフラと挙動を乱し、かなりの勢いで橋の欄干に激突。

橋を渡り切り、直ぐに停車する。
左右を確認し道路を横断、運転手に駆け寄り声を掛ける。

軽い怪我をしているものの、命に別状はないようで安堵する。

直ぐに110番するが、警察の対応が非常に惡い。

まず「救急車が必要かどうか」と聞かれ、大きな外傷は無いが
衝撃が大きかったことから念の為救急車が必要だと伝えるも
「怪我ないなら救急車いらないですよね?」と返される。

其れは自分で判断できることでは無いので、念の為に呼ぶように頼むも
執拗に「いらないですね?」と繰り返すばかり。

更には「レッカー車とか必要ですか?」と問うので「必要」と答えると
「手配は自分でしてくださいね、こっち(警察)ではやりませんから」と。

流石に呆れ果て、然も肝心のパトカーの手配を一向にしないので、
此の儘では埒が明かないと考え電話を切った。

運転手の方に改めて怪我の具合を聞き、
同乘者を含めて問題がないことを確認する。

警察から着信があり、今度は事故の場所を聞かれたので
橋の名前を伝えるも「番地は何番ですか?」と返される。

そんなもんわかるか間抜けと罵ってやりたい気持ちを抑えつつ、
國道232号の苫前から羽幌に向かう途中の橋だと説明する。

電話口で説明してもキリが無いから、とっととパトカーを寄越すように
強い口調で求めると、相手は渋々ながら了承した。

運転手の方に今警察が来ますのでと伝えると、ありがとうございますとお礼を戴き、
もう大丈夫ですのでと仰って下さったので一礼してその場を去る。







05:15 羽幌に到達(走行距離406粁)

本道を打通、日本海を望む羽幌に至る。

空は晴れ渡り気温も上昇し始めたが、やゝ強めの風が心地良い涼を届ける。
道の駅にCBを停め、ベンチで仮眠する。







2時間弱の仮眠の後、気温の上昇に応じ重ね着している防寒着を何枚か減らす。
虫や雨粒で汚れたヘルメットの風防を軽く磨き、併せてCBの汚れを落す。


07:46 羽幌にて給油

給油量5.82ℓ/1000円(レギュラー単価172円)

離島の燃料価格は本道と比して割高であるから、焼尻に渡る前に燃料を充填しておく。

給油中、隣接する整備工場にプリンス・グロリアを發見。

工場の方に一声掛け、見せて貰う。

昭和44年/1969年型プリンス グロリア・スーパー6(PA30D-2)


非常に綺麗な2型(昭和43年10月~昭和44年9月生産車輛)で、昭和44年登録とのこと。
整備工場の会長の所有車で、「仕事をはじめた頃の憧れのクルマ」と云うことで入手されたそうだ。

スーパー・デラックス(PA30QM-2型)との識別点は、前後のグリル・パターン、
エンブレム、ウィンドウ・サッシュ、内装パターン等が挙げられる。

飽く迄も端正で凛々しく、格調高い重厚な艦影


グレードは珍しいスーパー6(PA30D-2型)で、2型より設定された前席セパレート5名乘車仕様。
シート及びドア内張りはライト・グレー、前席の間にはセンター・コンソールが備わる。

フェンダーの四隅の峰には前後のライトを光源とするマーカー・ランプが備わる


タイヤは新品同様のブリヂストンSF-375(ホワイトリボン・ラジアル)、
ウィール・キャップはより高年式のシミュレーション・ワイヤーであったが、中央には
しっかりとグロリアの鶴の紋章が刻まれており、単なる代用品でないことがわかる。

ルーフからCピラー、そしてリヤ・フェンダーへと至る流麗なラインも実に美しい



久方振りに見たプリンス グロリア・スーパー6の、気品に満ちた佇まいに惚れ直す。






08:14 コンビニで朝食。

08:30のフェリー乘船を前に、パンとホット・コーヒーで軽く朝食。
此の時は特に何も考えていなかったが、軽挙であったと洋上で後悔することになる。







08:30 フェリーに乘船

フェリー・ターミナルで手続きを済ませ、CBと共に第一便のフェリーに乘る。

車輛甲板に収容されしCB


乘船したフェリーは、羽幌沿海フェリー所属の旅客船兼自動車渡船「おろろん2」。

總排水量489頓/全長:48.52米/全巾:10.50米/主機:1800PSディーゼル×2基/
聯続最大出力:1323kw×2基/航海速力:15ノット/
旅客定員300名/貨物積載能力:43頓/車輛積載能力:8頓級大型トラック2台及び乘用車8台。

おろろん2は總排水量489頓と、利尻・礼文航路で乗船したサイプリア/フィルイーズの
宗谷級(3555頓)や、奥尻航路で乗船したおくしり型(2248頓)と比較すると
非常に小さなフェリーで安定性で劣っている上に、当日の波は3米以上と高く海は荒れていた。

風も起こらず浪立たず、鏡の如く穏やかな羽幌港であったが・・・


白波を蹴立て船が沖合へと出でると、次第に浪がざわめき始めた


海は浅葱色から納戸色、紺碧から瑠璃紺へと千変万化の表情を魅せる


抜錨当初こそ景色を眺める余裕があったが、沖合に出ると動揺が激しくなり、
小さな船は荒れる海に翻弄され、ローリングとピッチングを繰り返す。

次第に遠ざかりゆく本道沿岸


波の高さは3米を越え、翻弄される船は宛も木の葉の様


船首が砕く白波は雷撃の水柱の如く高く吹き上がり甲板を濡らす


沖に出でると海の色は一変したが、
空と海の美しいパノラマを眺めるには厳しい揺れであった。

浪髙き群青の日本海


波浪に大きく持ち上げられた船首を滑る様に海面に突っ込ませる度、
ジェット・コースターが降りる際の「フワッ」と云う、足が地面に着かない感覚に襲われる。

上下動に加え左右への傾斜も大きく、激しい波飛沫が甲板を濡らす。
手摺に掴まっていないと立っていられない程である。

最初の内は寫眞を撮っている余裕があったが、出港から15分程度で
其れ処では無くなり、船酔いですっかり具合が惡くなってしまった。

今まで乘船した大型船と違い、揺れが大きい事を考慮していなかったのが運の尽き。

酔い止め薬を携行しておくべきだったと後悔。

朝食も抜かしておけば良かったと後悔。

睡眠不足は船酔いの症状をより重いものとした。

まるでプライベート・ライアンの冒頭、オマハ・ビーチに向かうLSTで揺られるG.Iの様だ。

手摺を強く握りながら深呼吸を繰返し、心を落ち着かせて揺れに耐える。







09:40 焼尻島に上陸

定刻より10分程の遅延を伴いて、船は焼尻港に接岸。

焼尻港の岸壁に立ちて、本道を遥かに望む


上陸後、暫しの間ベンチで横になり穏やかな潮風の中で小休止する。

1時間程の仮眠で船酔いも解消されたので、橋頭堡の設営に先立ち島の一周に出掛ける。

港に聳えるオロロン鳥の像が観光客を出迎える


北のペンギンとも呼ばれるウミガラスは、チドリ目・ウミスズメ科に分類される大型の海鳥である。
其の特徴的な鳴き声から、日本では”オロロン鳥”と呼び親しまれている。

天売島では絶滅の危機に瀕しており、繁殖個体群の恢復が図られている。

11:18 島の一周に出発

北海道道255號線 焼尻島線は島を周回している為、起点と終点が同一地点となっている。

看板では島内一周約12粁とされているが、道道255號の總延長は9.4粁と示されている


ふと道路脇に視線を落とすと、ウニが転がっていた


利尻島でも見た光景である。


11:30 羽幌町焼尻郷土館を見学


此の郷土資料館は、漁業及び呉服・雑貨商で財を成した二代目当主小納宗吉氏が
明治33年に建築した自宅兼店舗を資料館として公開しているもので、
当時としては珍しい洋風建築で黒檀や檜を惜しみなく使った豪勢な造りとなっている。

昭和54年11月27日、道指定有形文化財に指定された。

館内には、自動銭別金銭登録機(レジスター)、シンガー・ミシン(大正10年頃)、
ゴルフ・クラブ(昭和5年頃)、蓄音機、ヤマハ・オルガン等が展示されていた。

中でも目を引いたのは「大東亞戰爭 海軍戰記3輯」(大本營海軍報道部 編纂)や
「キング改題 富士」、野依秀一著「米本土空襲」、「精神興揚 國民百人一首」と
云った戰時下に於いて發行された書籍や雑誌等で在った。

寫眞撮影禁止が惜しまれる貴重な展示物が陳列されていた。


水平線の向うに本道の島影が伸びる


11:52 工兵街道記念碑

焼尻島を一周する道道255號線は、焼尻島に駐屯せる帝國陸軍工兵隊が
崖を切り崩し造成したことから、”工兵街道”と呼び親しまれている。

高台に聳える記念碑が、昔日の防人の功績を今に伝える


11:59 天売島を眼前に臨む


手を延ばせば届きそうな距離に天売島が浮かぶ。
両島ともに平坦な地形で、海に浮かぶ富士と形容される利尻島とは正反対の島影である。

12:08 綿羊牧場通過


スコットランドの牧羊地帶と近似した地形と景観を持ち、晴れた日には遥か洋上に利尻富士の
姿を仰ぐことの出来る美しい綿羊牧場と聞いていたので、空を覆う曇天がなお怨めしい。

緩やかな丘陵地帯にて羊が草を食む


晴天であれば”絶景領域”と銘打たれし美しい海が
眺望出来る筈なのだが、今は鈍色の空の下で冴えない表情を浮かべるのみなりし。

陽光を受け、浅葱、百群、紺瑠璃、花緑青、翡翠と多様な表情を魅せる海も今日は色を失う


低く垂れ込めし雲が陽の光を遮り、強さを増す風と相俟って暑さは
幾分か和らいだが、風は次第に湿り気を帶び降雨への不安は増す許りなり。

真夏にも関わらず、笹の葉を揺らし白波を立てる風が寒々しく吹き抜ける


天候に恵まれさえすれば、島の緑と海の蒼がどれ程美しいことだろうか!



空が晴れぬのに気持ちが晴れる筈も無く、
重苦しい曇天の下、いつ泣き出すかと不安を抱きながら肩を落とし島を巡る。

折角の絶景も、此の天候下では眞に惜しく感じる許りで非常にもどかしい。







12:14 御大典記念燈籠


皇紀2588年(昭和3年)11月6日、天皇陛下の即位の禮並びに大嘗祭が厳かに執り行われた。

一億臣民挙げて此の佳き日を奉祝し、全國各地で御大典記念碑が奉納された。
此の燈籠も其の一つである。



86年間の風雪に耐え、なお健在なりし燈籠を前にして、
今も大八洲を遍く照らす昭和大帝の御稜威に深い感動を覚ゆる。


起て一系の大君を
光と永久に戴きて
臣民我ら皆共に
御稜威に副はん大使命

往け八紘を宇となし
四海の人を導きて
正しき平和うち建てん
理想は花と咲き薫る


いま幾度か我が上に
試練の嵐哮るとも
斷乎と守れその正義
進まん道は一つのみ

あゝ悠遠の神代より
轟く歩調うけつぎて
大行進の行く彼方
皇國つねに榮えあれ







島の一周を終え、爾後の行動計画について長考する。


此処まで来たならば、当初の計画を斷じて遂行すべく
焼尻島に於いて野営し、天売島上陸も敢行すると云うのが第一案。

然しながら天候に恢復の兆しなく、寧ろ惡化しつつある現状を鑑みると、
野営及び翌日の天売島遠征が満足行くもの足り得ないであろうことは容易に想像出来る。

ならば今次の天売・焼尻遠征は潔く斷念し、本道に帰還。

羽幌より60粁/1時間の天塩町には中学時代からの友人、130粁/2時間の距離の稚内市には
高校時代からの友人が居るので、いずれかの家を訪ね一泊の後に帰投するか。

但し、フェリーが羽幌に到着する時間が17:25と比較的遅いことが気に掛かる。


だが、14:30頃より降り出した雨が總てを決定付けた。


予報では夜遅くから降雨とあったが、見事に外れたものだ。

土砂降りで濡れ鼠となってしまっては、友人宅に転がり込むのも気が引ける。


数時間に渡る憂慮の末、已むを得ず反転帰投を決心。
降雨を押して一挙に本道を打通せんとす。

帰れば、また来ることが出来る。


自分にそう言い聞かせ、捲土重来の誓いたる「ケ號」を掲げ復路の完走に挑まんとす。
商店で酔い止め薬を調達し、万全を期す。







16:00 酔い止め薬を呑む

CBを雨宿りさせて戴いた売店の叔母さんに再度の訪問を約束し
一礼して降り頻る雨の中、接岸せるフェリーに乘船す。


16:25 焼尻島より本道へ轉進

折角の船旅であるから、天気が良ければ景色を眺めていたい所だが
生憎、舷窓の外は一面の鈍色で覆われている。

船酔いを避ける為と、帰路の走破の為に少しでも睡眠時間を稼ぐべく、
直ぐに二等船室で雑魚寝し目を閉じる。


17:25 羽幌に再度上陸を果たす

1時間の航海の後、雨に煙る羽幌港に下船。
直ちに發動機を始動、篠突く雨を貫きて復路400粁の走破に挑まんとす。

雨足は一層激しくなり、道路には水飛沫が躍っている。
天から降り頻る雨が上半身を包み込み、対向車の撥ね上げる雨水が下半身に纏わりつく。

大型トラックが道路に刻んだ轍は、雨に溶け出した海水の塩分で白く染め上げられている。
低速の先行車輛が吹き上げる水飛沫も真白で、シールドの隙間から垂れてくる雨水さえ塩辛い。

車体の隅々まで浸透するように、水に溶かした塩カルの川を
突っ走っている様なもので、旧車には堪える路面状況である。

対向車が深い水溜りを通過すると、優に1米を越える水飛沫が上がり、
真正面からバケツで水を叩き付けられたかの如き波が襲い来る。

革のジャケットは強い雨でも水を弾き、滅多なことでは其の下に着込んでいる服までは
濡れないが、此れ程までの大雨の前には全く無力で下着までずぶ濡れのザマである。

水を含んだ革ジャンは、平時の倍はあろうかという重さとなる。

革製のブーツの指先には水が溜まり、不快感を伴いつつ波打っている。

自前の防水処置の御蔭で、ヘルメットだけは辛うじて
水の侵入を最低限に防いでいることが、せめてもの救いだ。

斯様に酷い天候ながら、幾台かのバイクと擦れ違った。

擦れ違い様に手を翳し、挨拶する。

天に見放され折れそうな心を、名も知らぬ仲間が支えて呉れる。


そして、何よりも、誰よりも、愛馬CBの堂々たる歩武が自分を支えて呉れた。

豪雨の中、自分はCBに導かれているだけに過ぎないと云っても過言では無かろう。


手綱は既に自らの手を離れ、愛馬の走りに身を任せるのみ。

此の瞬間、將に精神が疾駆していたと云えよう。







19:06 深川にて給油

給油量11.56ℓ/1870円(レギュラー単価161.8円)

フェリーを降りてから約100粁、一度も休止せず走り続けること1時間半。

バケツを引っ繰り返したかの様な豪雨で、全身濡れ鼠の如き有様である。
雨水は奥深くまで侵入し、財布の中の紙幣までもが濡れて精算機に入れることすら叶わず。
已む無く濡れた紙幣を交換して貰い、給油を済ませる。

革の手袋を絞ると、滝の様に水が噴き出した。

一向に止む気配の無い大雨に気力を奪われ、給油時の走行距離すら記録せず。

然しながら、深川の道の駅を通過せる頃より天候も少しずつ恢復。

芦別より富良野に至るまで暫しの間であったが小康状態を保つ。







20:07 芦別にて給油

給油量3.07ℓ/500円(レギュラー単価162.8円)







20:37(推定) 富良野に到達

濡れた衣服を乾かすべく、コイン・ランドリーで乾燥機にかける。

流石に革ジャンは乾燥機には入れられないが、直接肌に触れる
下着や靴下だけでも乾けば不快指数は相当下がるだろう。


水を吸い非常に重くなった衣服を乾燥機に放り込み、待つこと15分。



・・・生乾きである。

中途半端に温まった衣服には厭な臭気も付いてしまっており、却って不快なくらいだ。

此れではどうにもならないので更に15分間
乾燥機にかけるも矢張り結果は変わらず、生乾きのままである。

なんとも酷いポンコツ乾燥機だ。

まったく、ツイてないな。

ダメな時は何をやってもダメなものだ。
なんとか巧くやろうと足掻いても空廻るばかり。

不快極まりない生乾きの服を着込み、外に出ると
追い打ちを掛けるかの如く、また雨がポツポツと降り出している。

泣きっ面に蜂とはこういうことか。

クソッタレめ。

何処までも忌々しい天候だ。

何度も旅館に飛び込みたい衝動に駆られたが、此処まで来たら
万難を排し帰投する他に選ぶべく道なき。

憤懣遣る方無きを右足に籠め、キック・レバーを蹴り降ろす。







22:00前後(推定) 道東道へ進入

富良野から山部の裏道を通り南富良野に至り、狩勝峠の麓より道東道トマムICに進入。

時間短縮の為に高速に乗るも、平坦かつ単調な道路は
疲弊した肉体と精神を泥沼の様な睡魔に誘う。

泥沼に片足を突っ込んだ状態で1粁、また1粁と這う様に進む。

寒さに打ち拉がれながら走る最中、早朝に遭遇した事故の情景が脳裏を過ぎる。

車なればこそ死を免れたが、身を護るもの一切なき2輪車では
三途の川を一気呵成に渡河するは非常に容易である。

朦朧としながら、自らの精神に何度も鞭を入れて走り続ける。

途中、何度も意識が飛ぶも愛馬は正確に歩武を進め続けた。


気力、体力の限界を迎え十勝平原SAにて休止。

濡れた衣服は雨に湿る走行風に晒され、身体は芯まで冷えている。
強烈な睡魔に襲われる一方、寒さの余り落ち着いて体を休めることすら叶わず。

黙っていてもガタガタと震え、体は強張り腕も肩も背骨も悲鳴を上げている。


暫しの間、立ったまま眠っていた様だが曖昧な記憶しか残っていない。







何時の間にやら、再び日付は変わり7月23日---


萎える心に喝を入れ、再び愛馬の背に跨る。
燃え盛る鐵の心臓の力強い鼓動だけが頼りである。


01:27 音更帶廣ICにて高速を降りる(通行料金1120円/車種:軽二)

トマムICより49.6粁を辛くも走破し、残る行程は遂に120粁を切った。

目的地は今や目と鼻の先である。







01:45 帶廣にて給油

給油量10.61ℓ/1727円(レギュラー単価162.8円)

往路最初の給油地点にて、今行程最後となる給油を実施。

26時間前、意気揚々と給油した時には此の様な結果になるとは思いもしなかった。

最終行程の走破に向け、隣接するコンビニで腹ごしらえをする。
暖かい蕎麦と握り飯で空腹を満たし、気力を恢復する。

帶廣より釧路までの距離は僅か120粁、時間にして2時間余。

此処まで辿り着けばもはや帰投したに等しく、気持ちにも幾分かの余裕が生まれる。







04:23 帰投

予定の時刻を大巾に遅延するも、艱難辛苦を打ち耐えて復路400粁超の走破を完遂。

万難を排し、無事帰投を果たし得た。

空は薄らと明るくなりつつあるも、鈍色の雨雲に覆われている。

空の涙は未だ止まずして、最期の決まで終ぞ天は微笑まず。

終始、天運我に非ず。

天は我を見放した!


なれど、どうして天を怨めようものか。

斯様な豪雨も、太陽の恵みも、大いなる自然の営みの一部に過ぎず、
日頃の行いなど天候には何ら関係なく、取るに足らぬ自らの行いが
天に影響を与え得るとの考えは寧ろ驕りと云うものだろう。


雨に打たれる辛苦を知るからこそ、晴れの恩恵をより深く知り得たる。


如何なる苦難も貴重な経験として生きるのである。

雷雨の下、大自然の力への畏敬の念を新たにす。


そして何より、執拗に襲い来る過酷な試練を撥ね退け、我を導きし愛馬に深く感謝す。

835粁に及ぶ過酷な状況の聯續に對して一言半句の不平もなく、
31時間に渡り休むことなく走破せしめれり忠勇比類なき我が愛馬には感謝の言葉もない。


今次遠征は不本意な結果に終わるも、命を預けるに足る誇り高き愛馬と相携えて、
必ずや捲土重来を期すものである。


今一度焼尻の地を踏むことを誓い、未だ見ぬ天売の島を訪れることを夢に見る。


Posted at 2014/08/02 23:56:15 | コメント(3) | トラックバック(0) | 旅行 | クルマ
2013年01月13日 イイね!

2012年を振り返る・・(下半期 7~12月編)

2012年を振り返るブログ、続きましては後半の7~12月編です。

前半はこちら・・・2012年を振り返る・・(上半期1~6月編)

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■7月度

イ:4日

ロ:釧路~北見~湧別~芭露~丸瀬布~(高規格)~旭川~東川~美瑛~富良野~帯広~釧路

ハ:グロリア

ニ:ガレージ訪問、1939年製蒸氣汽罐車見學

ホ:
三菱重工業B12型ローザ ”ライトローザ”(1967~1969年モデル)
國鐵C58形蒸氣汽罐車 139號車(1939年製造)
プリンス グロリア・スーパー6 S41D-1(1964)ライトブルーメタリック
プリンス グロリア・スーパー6 S41D-2(1964)ブラック
トヨペット クラウン2ドア・ハードトップ(MS50)
ジャガーEタイプ ロードスター
トヨタ・ブリザード(初代)
トヨタ・ハイエース救急車(H50)
プリンス クリッパー(T655)
トヨタ セリカ・ハードトップクーペ×2
三菱 コルト・ギャランGTO
ニッサン スカイライン・ハードトップ1800GL
ヤマハ FZ250 PHAZER

ヘ:765km

ト:晴れ

ライトローザ


湧別町計呂地交通公園に静態保存されているSLとの2ショット


その後、プリンス・グロリアのオーナー宅を二軒続けてお伺いしました。

昼食は旭川のレトロな食堂で。
店内には昭和30年代の扇風機や旧車カタログが展示されており、オーナーともお話しました。

4時過ぎにプリンス654さんの野外ガレージを訪問、新規導入のプリンス・クリッパーを見せて戴きました。
いつ車検取るn(以下ry

途中のスタンドで給油中のフェーザーを発見、声をかけるとなんと走行距離38万キロ!
平成元年に購入、以来20年余で38万キロを走破したそうです。
凄すぎる・・・。

地元でもフェーザーが1台復活したようで、個人的にフェーザー熱が高まっています。
またフェーザー乗りたいです、今度はジェットサウンドの初期1HX型が良いですね。
自分の乗っていたYSPスペシャルのガンメタもカッコいいんですがね。

中古車店では珍しいショートノーズのスカイラインHTを発見。

9時過ぎにCD23Cさんのガレージにお邪魔して、コスモを拝見したり
防錆ケミカルについて色々と教えて戴きました。

やっぱり夜遅くまで話し込んだので、帰宅は朝5時半に。

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8日 薄曇・・・仕事の休憩時間に先輩二人と軽く走りました。

カワサキポリス(1993)、トライアンフ・ボンネヴィルT120(1961)、CB750four(1971)の3台で
近所のマックまで走って、並べたバイクを眺めながらコーヒーを飲みました。



空冷モーターサイクルの集いはこちら

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イ:11日

ロ:釧路~帯広~釧路

ハ:グロリア

ニ:帯広市図書館見学

ホ:
フォード グラナダ・ギア(USA 1975~1977)
シトロエン 2CV6スぺシァル
日産 チェリーバネット・コーチ2.0SGX
トヨタ ライトエース・デラックス(M20)
トヨタ タウンエースワゴン・スーパーエクストラ サンルーフ・5速車(M10)
カワサキ W2TT
プリンス S57型スカイライン1500デラックス(帶5ナンバー)
トヨペット クラウン1900デラックス(RS31)
ホンダ N360カスタム(NⅡ)

ヘ:250km(概算)

ト:快晴

いよいよ夏本番、海沿いの地元はそこまで気温が上がらないものの内陸は流石に暑く
人車共にバテ気味になりがちな時期です。(それでも内地から比べれば遥かにマシでしょうが・・・)

目的はグロリアバン(VPA30D-1)オーナー宅訪問でしたが、あいにく不在で目的を達せず。
なのでアテもなく走って旧車を捜索したり、旧車ショップを訪ねたりしました。

駅前では内地からのツーリングと思われるW2TTがいました。
最後に図書館に寄って資料を閲覧しました。

19時頃帰宅。

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イ:17・18・19日

ロ:
7日:釧路~日勝峠~苫小牧~室蘭~(高速)~森~函館~江差~(フェリー)~奥尻島(一泊)
8日:奥尻島~(フェリー)~せたな~岩内~泊~神恵内~積丹岬~余市~小樽(一泊)
9日:小樽~札幌~新篠津~岩見沢~三笠~芦別~(仮眠)~富良野~釧路(20日朝8時着)

ハ:CB750four

ニ:夏の離島ツーリング

ホ:
トヨペット コロナ1500デラックス
トヨタ RK101系スタウト(現役車)
マツダ T1100
MZ ROTAX500 ”SILVER-STAR classic” & Side Car
三菱トラクター R2500G
トヨペット コロナ・マークⅡシングルピックアップ
ダットサン ブルーバード1200デラックス(312)
フォード マスタング・グランデ
ヴェロセットMSS(1937)
ニッサン スカイライン1500デラックス4ドア・セダン(S70D-1)
陸王 RQ750(1956)
シボレー カマロSS(1968)
マツダ キャロル360(KPDA)

ヘ:1448km(概算)

ト:快晴

夏と云えば、毎年恒例の長距離ツーリング!
2011年の利尻・礼文島に続き2012年は奥尻島に行ってきました。



海岸線を走りに走った3日間、1500km余。
全行程でこれ以上は望み得ない程の好転に恵まれ、最高の旅となりました。



天佑神助の元、最高の相棒と共に夏の本道を満喫しました。
やっぱり船旅は良いものです。

離島への旅行はは新鮮な気分になれて良いです。
小笠原諸島や石垣島にも行ってみたいです!

20日朝8時帰宅。

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25日 晴れ・・・先輩と鶴居村までショートツーリング。
復路はお互いのバイクを交換し、はじめてカワサキポリスを運転しました。

満艦飾で大変重く、サイドスタンドを立てるのにも苦労しますが一旦走り出してしまえば
非常に安定しており、巨大なフェアリングのおかげで風も殆ど受けない上に
アメリカ人の体格に合わせた大きなサドルシートはとてもラクでした。

先の長距離ツーリングですんげー尻が痛くなったので、余計にそう感じました・・。

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31日 薄曇・・・はるばる神戸からS800がご来店!快音を聞かせて戴きました。

■8月度

1日 大雨・・・札幌の恐竜博を見学する為、レックスで出発。
朝から強い雨が降っていましたが、開催スケジュールの都合で強行することに。
しかし!出発からしばらくして不調を感じる・・・。

ちょうど1時間後、パーキングでエンジンを停止して休憩の後セルを廻すも始動せず!
何度も何度も廻すも初爆が来ず、だんだんバッテリー上がりが心配になり始める。

激しい雨の中、エンジンをチェックしながら再始動に繰り返しトライ。
遂に始動!しかし瞬時に爆発音!駐車場の他のドライバーが轟音に驚いてこちらを見ている!

どうやらマフラーが裂けて直管になってしまったようだ。
仕方ないのでそのまま反転帰投、往復の120kmだけ走って目的は達せず。

12時頃帰宅。

翌日、主治医のトコに入庫しマフラーを修理してもらう。
エンジンも問題なく掛かるようになって解決したと思われたが・・・。

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イ:7日夜~8日

ロ:
7日夜:釧路~帯広~日勝峠(一泊)~帯広~釧路(一旦帰宅)
釧路~帯広~狩勝峠~富良野~芦別~旭川~美瑛~富良野~釧路

ハ:レックス/グロリア

ニ:みん友のトルクアートさんのガレージ訪問

ホ:
トヨタ クラウン・カスタムワゴン(110)
ダットサン ブルーバード4ドアセダン・デラックス(510)
トヨタ カローラ4ドアセダン・デラックス(KE10)
カワサキ・メグロ250S
プリンス マイラー(T430)
マツダ ルーチェ1800
トヨペット コロナ・マークⅡバン
マツダ クラフト
プリンス グロリア・デラックス(S40D-1)
トヨペット マスターライン・バン(40)
ファミリア プレスト4ドア・セダン
三菱 コルト1500
マツダ R360クーペ
スズライト キャリィ・トラック(初代FB型)
プリンス マイラー(T440)
プリンス スカイライン1500デラックス×2(S50/S57)
マツダ ルーチェ・レガート

ヘ:レックス381km/グロリア614km

ト:快晴~薄曇

7日夜、仕事が終わった後に出発。

マフラー修理とあわせてエンジンを調整してもらったので調子はバツグン。
アイドリングも従来より気持ち低めにしてもらったので、静粛性や安定性も向上。

が・・・160kmほど走り、日勝峠の登坂に差し掛かると出力がみるみる低下!
エンストすると思い、路肩に寄せて停止するとアイドリングに異常はなし。
レーシングしても問題なく吹け上がる。

平地や下りでは問題なく加速するが、登坂では次第に速度が落ちて
4速では維持できなくなり、3速・・・2速・・・と落としてなんとか走れる有様。

峠の中腹に達することも出来ず。
プラグの点検をするも異常無く、キャブの清掃をするも効果なし。

既に12時半を廻っていたこともあり、やむなく駐車場で就寝。

翌8日早朝、最後に一度登坂を試みるもダメで2週連続で反転する羽目に。
幸い帰路は緩い登坂しかないので、シフトチェンジでなんとか誤魔化し誤魔化し走り切る。

途中、事故があり乗用車が大破、大型トレーラーが横転しており交通規制が敷かれていた。
帰宅しレックスを格納、グロリアに将旗を移譲し再出発。

予期せぬトラブルで予定が大幅に遅延、1時過ぎに待ち合わせ場所の芦別の道の駅に到着。
そこからさらに進み、トルクアートさんのガレージのコレクションを見せて戴きました。

秘密のヤードには多数の旧いバイクやクルマが所狭しと並んでおり、素晴らしい景観でした。

リサイクル法やオリンピック特需によって、古いクルマはほとんど無くなってしまったので
このような景色は滅多に見ることが出来なくなってしまいました。

旭川の旧車ショップに寄り、コンビニの駐車場で軽く寝た後に富良野廻りで帰りました。

9日深夜1時帰宅。

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16日 薄曇・・・函館からキャンプツーリングで鶴居に来ている方がカワサキ900RS(Z1)で御来店。

Z1の他にもWやマッハなど多数のバイクを所有しており、
過去にはベレットGT-Rにも乗っていたとのこと。

その日の夜、コリンズ君が夏休みで帰ってきたのでY30前期HTに乗るY30^0^さんと3人で集会。

コリンズ君のニューマシーン・コロナバンで阿寒湖畔までドライブ。
3速コラムの快音(爆音)を響かせて、楽しいひと時を過ごしました。



翌17日 薄曇・・・昼からコリンズ君と帯広へ。
昨日の夜は結局朝方まで話し込んでしまった為、17日の午前中はずっと寝ていました。

帯広ではコロナマニアのヤードを訪問したり、現役のC31ローレルと遭遇したりしました。

途中、グロリアを目撃したm13pさんから電話がありジョイフルAKでお会いしました。
グロリアとルーチェを並べて記念撮影!


22時帰宅。

走行距離:250km(概算)

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イ:21・22日

ロ:
21日:釧路~日勝峠~北広島~江別~札幌~(高速)~岩見沢~三笠~芦別(一泊)
22日:芦別~旭川~美瑛~狩勝峠~新得~音更~釧路

ハ:CB750four

ニ:黄河大恐竜展見学、芦別友人宅訪問

ホ:特記無し

ヘ:800km(概算)

ト:快晴

お盆明けの連休を利用して、8月1日にレックスの不調で行けなかった札幌の恐竜博に行ってきました。

朝6時40分出発。
昼は30度を超す暑さの一方、夜は冷え込むので防寒着を積んでおきます。

下道をのんびり走り、2時過ぎにようやく札幌に到着。
ブラキオサウルス類のキャオワンロング・カンシイ、ティタノサウルス類のダシアティタン・ビンリンギなどの
大型竜脚類の化石は見応えがありましたが、クセのある配色の照明が残念でした。

札幌近郊の混雑を避ける為に岩見沢まで高速に乗り、そこから三笠~桂沢湖ルートで
5時過ぎに芦別に到着。

ザ・マックショウが好きな先輩は、凄く楽しそうにナナハンを運転していました。
夜は先輩の家族と職場の方とみんなで焼肉をしました。

先輩宅で一泊し、22日は旭川へ。

朝から快晴、郊外では風を切って気持ちよく走っていたのですが市内に入ると・・・。

暑い。とにかく暑い。

信号待ちで停車すると、路面の熱とエンジンの熱で茹で上がりそうになります。
まるでストーブに跨っている気分です。
走っていても風はヌルい・・・。

KMDさんとFXVさんのトコに寄ってから、天気が良かったので
美瑛のケンメリの木で記念撮影をし、富良野廻りで帰りました。

9時頃帰宅。

■9月度

4日 薄曇・・・友達が新たに購入したレクサスLS460をお披露目!
さすがにトヨタ最高級車、ホンモノはオーラが違う!

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イ:5日

ロ:釧路~池田~音更~新得~狩勝峠~富良野~芦別~富良野~音更~釧路

ハ:グロリア

ニ:芦別の先輩宅訪問

ホ:
ニッサン セドリック(130)
ニッサン セドリック1900カスタム(G31)

ヘ:550km

ト:快晴

芦別の先輩の所有する1963年型ニッサン・セドリック1900カスタムのレストアが完了し
ナンバーを取得したとの連絡があり、グロリアで行ってきました。



セドリックの助手席でドライブを愉しみ、2台を並べて写真撮影したりしました。
夕食は先輩の家族と一緒に、市内の寿司屋さんで御馳走になりました。

帰り道は先輩がグロリアを運転、助手席に座る機会は滅多にないので新鮮な気分です。

帰路、帯広は大雨!
あちこちに深い水たまりが出現し、派手に水飛沫を立てながら走る羽目に・・・。

深夜1時35分帰宅。

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8日 快晴・・・海上自衛隊の補給艦「ましゅう」(AOE425)が釧路港に寄港。
一般公開が行われたので見学してきました。



「ましゅう」はテロ特措法に基づきインド洋作戰に投入された、満載排水量2万5千トンの巨艦です。
その巨体に艦船用重油、航空機用燃料を満載し作戰参加部隊への補給を行うほか、
新鮮な食糧や真水を搭載し兵站を支える洋上のレストランでもあります。

ましゅうの名の由来は摩周湖で、釧路は「故郷」になることから港には後援会の
「おかえりなさい ふる郷ましゅうへ」という横断幕が飾られていました。

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イ:12日

ロ:釧路~帯広~上士幌~足寄~本別~釧路

ハ:グロリア

ニ:S氏ガレージ訪問

ホ:
ポンティック ファイアバード
フォルクスワーゲン ジェッタ
メルセデス・ベンツ(W114/115)
マツダ ファミリアXG(BD型)
マツダ ボンゴ・ボンディ
トヨタ カリーナ・バン
ニッサン セドリック(330)
富士重工 ラビット・ツーリング125(S302)
ホンダCB250エクスポート
トーハツPA58(1958)
ホンダ スーパーカブ
トヨモーター
ブリヂストン BSチャンピオン3型
光自転車(実用車)
日米富士自転車+BS自転車用発動機

ヘ:300km(概算)

ト:薄曇

岩見沢のイベントで知りあったSさんのガレージを訪問、2輪/4輪のコレクションを見せて戴きました。

1950年代の2輪車や実用自転車、本当の意味での「原動機付自転車」をはじめとした
素晴らしい2輪のコレクションに加え、エンジン単体やパーツ、さらには当時モノのシガレットケース
(40クラウン/初代セドリック)、ティントイ(ベレル/ベレット)、農発、水筒やカメラ、柱時計など
多岐に渡る圧巻のアンティーク・コレクションに感動です。

19時頃帰宅。

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13日 快晴・・・休憩時間に先輩とショートツーリング。
CB750fourとカワサキポリスの空冷4發2台で並んで走りました。



並走しながらポリスの走っている姿を撮影、なかなか良い絵が撮れました。
後ろがちょっと見切れてしまったのが残念。

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14日(夜) 快晴・・・仕事が終わってからCBで軽くナイトクルージングと洒落こんだのですが、
途中でスロットルワイヤーが断線し走行不能に!

先輩に救援を求め、トランポで家まで搬送していただきました。
結局これが2012年の乗り納めに・・・。

そして後日、闇矢屋からワイヤー類を購入するもまだ交換してません・・・。
手を付けなきゃ!

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19日 雨~曇・・・グロリアの冬タイヤ購入(+組み換え)でFXVさん宅まで。
アウトバックにタイヤを積んで持っていって、その場で組み替えてもらいました。

グロリアにタイヤ4本を積み込むには、カラにしたトランクにまず2本、そしてリヤシートを外して
(2アクションで外れます)後席スペースに2本、と相当苦しいことをしないといけないので
素直に両親のアウトバックを借りて運びました。

こういう時、ワゴンの便利さを痛感すると共に、現行車のイージーさも痛感します。
水温計や異音を気にせずノンストップで走れるなんて!

・・・刺激が足りないとも言う?

釧路~旭川~釧路/走行距離600km(概算)

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イ:26日

ロ:釧路~本別~陸別~置戸~北見~端野~美幌~阿寒湖畔~釧路

ハ:レックス

ニ:軽くドライブ

ホ:
トヨタ ライトエース・モンタナパッケージ(M20)
マツダ タイタン
雪印ドリンクス自動販売機(100円時代)
ベレット1600GT-typeR

ヘ:380km(概算)

ト:曇~晴れ

暗くなってライトを点燈すると、左目のロービームが切れていることに気付く。

以前グロリアで、接触不良が原因で点燈しなかったことがあったので駐車場でグリルを取り外し
(グリルを固定しているのはたった4本のネジと引っ掛けるツメ!)接点にCRCを吹いて付け直す。



すると点燈したので大丈夫かと思いきや、しばらくして消えてしまったので
単純にシールドビームの寿命だったよう。

翌日、部品取りのホンダN3から外した中古品に交換。
なんとなく光が弱くなった気が・・・(銘柄は小糸からスタンレーに)

23時10分帰宅。

■10月度

イ:2日(夜)・3日

ロ:釧路~阿寒湖畔~北見(一泊)~遠軽~紋別~端野峠~北見~釧路

ハ:レックス

ニ:オホーツク流氷科学センター/紋別市立博物館/紋別市立図書館/防波堤/とっかりセンター見学

ホ:
リンカーン コンティネンタル・タウンカー(1977~1979)
トヨタ ランドクルーザー(FJ55V)
シボレー・エルカミーノ(1968or69)
UDボンネット除雪車
フォルクスワーゲン・TYPE1(オーバルウィンドウ)
ウニモグ・キャンパー
SL 69644號
廃自動販売機×2(100円時代)

ヘ:583km

ト:薄曇~快晴

早朝は曇っていたものの、8時を過ぎた頃から急速に天候が回復し雲一つない快晴に恵まれる。

堤防道路を歩いてオホーツクタワーの海中水族館を見学。
アザラシを保護する「とっかりセンター」では、客が自分しか居ないという貸し切り状態で
アザラシの食事や芸を見せてもらう。

アザラシを触らせてもらい、記念撮影もしてもらいました


かつては洋上に浮いていた、物凄くシュールな「カニのツメ」オブジェをひさしぶりに拝む。
市内の博物館では収蔵されている大量の剥製や古民具、軍装を見て感動。

静態保存車輛 SL 69644號




夜11時10分帰宅。

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イ:8日(夜)・9日・10日

ロ:
8日(夜)釧路~襟裳岬
9日:襟裳岬~浦河~苫小牧~安平~岩見沢~砂川~東川(一泊)
10日:東川~旭川~芦別~三笠~岩見沢~(高速)~札幌~釧路

ハ:レックス

ニ:友人宅訪問、日産札幌ギャラリー訪問、廃車体捜索

ホ:
三菱 ミニカ・スキッパー
ホンダ バモスホンダ2
ホンダ TN360
1969プリンス グロリア・スーパーデラックス(PA30-D2)
スズキ バンバン75
富士重工 ラビット・ジュニアS301A
マツダ T2000ユニック
トヨタ ハイエース・トラック(10)
SL D51 47号車
SL C57 144号車
トヨタ カローラ2ドア・セダン(KE10)
プリンス グロリア・スーパーデラックスGL(HA30-QM)
トヨペット コロナ・マークⅡハードトップ(X20)
1966 プリマス ヴェㇽヴェディアⅡ4ドア・ポスト
カワサキ W1SA
陸王 RQ750(1953~1955)
ダットサン サニー1000デラックス2ドア・セダン(B10)
マツダ ルーチェ・バン(初代)

ヘ:1185km

ト:快晴

連休を利用して友人宅へ遊びに行きました。
もちろん直行ではつまらないので、目一杯遠回りのルートで行きます。
最短なら300kmで行けますが、寄り道しながら倍近い580kmをのんびりとドライブです。

8日夜、仕事が終わってからすぐ満タンに給油し出発。
なんとなく日の出が見たかったので、襟裳岬へ向かう。

深夜2時到着、30分ほど燈台の写真を撮ったりしたあと就寝。

朝5時45分、日の出と共に起床して日の出の写真を撮る。
雲量はやや多かったものの、素晴らしい日の出が見れました。

襟裳岬の日の出


日の出を拝んだ後は海岸線を走り苫小牧へ。
途中で旧車を並べているクルマ屋さんを覗いたり、公園に展示されているSLを見ながら北上。

C57 144


D51 47


4時、友人宅に到着。
地元の温泉に連れて行ってもらったり、オーストラリアの中古車情報誌を広げながら
トラックについてのマニアックなハナシを夜遅くまでしました。

翌朝、旭川に寄ってから芦別を通り三笠へ。
ここでバイク屋さんのショールームに飾ってある陸王とカワサキW1Sを発見。
話を聞くと店主が所有車とのこと。
結構なお歳でしたが、今も毎シーズン走り回っているそうです!

三笠ICから高速に乗って札幌へ。
高速道路のPAでヒッチハイクしている白人の男女二人組を発見。

逆方向の北広島に行きたいとのことだったけど、実質2シーターに加え
荷物を積んでいて後席の埋まっていたレックスではどうにもならず。

「情けは人の為ならず」(人に施した親切はまわりまわって自分ともとに還ってくる、の意)は
旅行の好きな自分のポリシーのひとつでもあるので、なんとか力になってあげたかったのですが・・・。
グロリアなら荷物はトランクで収まるので乗せれたのですが!

4時30分、札幌に到着しサニーを見に行く。

11日早朝4時15分帰宅。

1966 プリマス ヴェㇽヴェディアⅡ


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15日 晴れ・・・主治医の工場に入庫しグロリアのグリスアップ。
傷んだ下廻りを見るたび、きちんとしなければ・・・と胸が痛みます。

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イ:17日

ロ:釧路~帯広~釧路

ハ:グロリア

ニ:あてもなくドライブ

ヘ:
BMW イセッタ250
ダットサン サニー(B110/左ハンドル)
改造ファームジープ
ニッサン セドリック4ドア・ハードトップ2600GX(230/FAT車)
ホンダ ステップバン
ニッサン ローレル交通安全指導車(C32)
三菱ふそう3.5トントラック
メルセデスベンツ 280S
スバル360(過去に見たクルマを10年振りに発見!)
三菱ふそう セミデッカー観光バス
トヨタ ハイエースワゴン(10)
マツダ タイタン(初期型)
スカイライン ジャパン・バン
スズキ セルボ(初代)

ホ:347km

ト:薄曇~快晴~薄曇

16日夜、なんとなく出掛けたくなったので仕事が終わってからすぐ出発。
浦幌の道の駅で車中泊。
夜中、トラックの運転手数人がグロリアを囲んで話している声で目覚める。

17日朝6時起床、イマイチな空模様ながら出発する。
次第に青空が広がりはじめ、7時頃には快晴に。

しかし1時間程度で薄曇りに・・・。
途中、解体屋のショールームに展示されているイセッタを発見!
滅多にお目にかかれない大物・・・今年一番の成果かな?

壁には1950年代~1960年代の旧車のエンブレムがズラっと飾ってあり、
ライトスタウト、トヨタ・ブリスカ、コニー、キャブライト、プロシード、ベレル、プリンスなど
貴重なものばかり!!

14時55分帰宅。

---

イ:24日

ロ:釧路~帯広~釧路

ハ:グロリア

ニ:秋のドライブ

ホ:
マスターエース・サーフ スーパーツーリング・スカイライトルーフ4WD(前期型1982~1988)
三菱 ミニカ・エコノ(後期型1987~1989)
ホンダ T360(AK)
ダットサン サニー4ドア・セダンGL(B110後期型)
スバル サンバー550ハイルーフ・バン スライドサンルーフ装着車
トヨタ ハイラックス1600(RN10系)
ホンダ 145クーペGT ダイナミックシリーズ(後期型)
トヨペット コロナバン2ドア・デラックス(RT46V/PT47V)
三菱 ミニカ70(A100系 左ハンドル車)
日産 セドリック・パーソナルデラックス(130後期型)×2
三菱 ランサー・フィオーレ(2代目 現役車)
ダイハツ デルタ・ワイドバン・デラックス(物置×2)
トヨタ ハイラックス 現役車(30/40系 1981~1983)
日野 RB10(十勝バス)
フォード F350クルーキャブ・デューリー トライトンV10
カワサキ W3 650RS
ヤマハ RZ250(4L3)最初期日の丸カラー
ホンダ ドリームCB400four
カワサキ Z400FX
ダイハツ オート3輪
スバル360(中期小判テール)
トヨペット クラウン・スーパーデラックス(MS41)
プリンス グロリア・スーパーデラックス(HA30QM)×3
トヨペット クラウン4ドア・スーパーサルーン(クジラ前期)

ヘ:343km

ト:快晴

10月もそろそろ終わりに近づいた24日。
もう少しすれば雪が降り気ままに走れなくなるので、この時期はついつい乗り廻してしまいます。

夏よりも涼しく人車ともに快適で、車中泊でも毛布さえ被ればさほど寒くない。
霧の発生頻度が少なく、快晴の日が多い秋のこの時期は絶好のドライブ日和です。
道端の草も程良く枯れて、廃車体も見つけ易いですし。

素晴らしい快晴の下、以前より気になっていた物件をチェックして廻る。
途中、日糧パンとコカ・コーラのホーロー看板(昭和30年代モノかな?)を発見。

捜索後は図書館で資料の閲覧。

21時20分帰宅。

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28日 曇・・・地元から1時間程度の街に住んでいる方が、
雑誌にも掲載された有名なコロナ・マークⅡ(X20)でご来店!

その存在は噂には聞いていたものの、実車を見るのは初めてでした。
X10/20系は珍しい。

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イ:31日

ロ:釧路~帯広~音更~釧路

ハ:グロリア

ニ:グロリアバンオーナー宅訪問

ヘ:
1967年型プリンス グロリア・バンデラックス6(VPA30D-1)
三菱ふそうFK 消防タンク車
三菱ミラージュ・ナウ3ドアハッチバック
三菱ミニキャブ・ワイド55XL
マツダ ポーターバン「6帶」車
三菱ギャランΣ SL(ワンオーナー車)

ホ:279km

ト:大雨~薄曇

朝から大雨!しかし事前にオーナーと約束をしていたので「雨なんで行けません」では
失礼ですし、これしきの悪天候では全天候型乗用車たるグロリアの誇る
その機動力と快適性になんら制約を課すことは出来ません。

道路の窪みが作り出す水溜りを越える度に、水飛沫がフロアを叩く度に、
老体に酷なことを強いている自責の念に駆られ、グロリアの痛覚を共有する幻覚を抱きます。

ワックスの良く効いたガラスに、雨粒が綺麗な円型を描くのがせめてもの慰めです。

幸い、帯広に入る頃には雨は止みました。
柳月で手土産を購入し、VPA30Dオーナー宅へ。

3オーナー車の1967年式プリンス グロリア・バンデラックス6(VPA30D-1)とトヨタ パブリカ(UP20)を
所有されているオーナーはイベントでお会いし、近所(僅か100kmの距離)に住んでいるということで
連絡先を交換し、現在車検切れのグロリアを見せて戴く約束をしていました。

既に定年を迎え悠々自適な生活を送るオーナーは、夏場はキャンピングカーであちこちに
旅行に行っていた為になかなかお会いすることが出来ず、10月最終日となってしまいました。

極めて希少な最初期型のグロリアバンは、新車時の塗装と極上の内装を維持しており、
しばらく掛けていなかったというエンジンもバッテリーを繋ぎ、やや長いクランキングの後
素晴らしく静かで、それでいて心地良い快音を響かせ目を醒ましました。

リヤクォーターウィンドウの動作を実演してもらったりもしました。

2時間近くもいろいろとお話を聞かせて戴き、来春(つまり今年)に車検を取るので
その時には連絡すると仰って下さいました。

その後、旧車仲間でプリンス スカイライン1500デラックス(S50D-1)を所有されている方の
住所を教えて戴いたので行ってみました。
当日は残念ながら不在でしたが、こうやって人の輪が繋がっていくのは何物にも代えがたいものです。

また、ワンオーナーの三菱ギャランΣを発見。
室内まで見せて戴きました。

19時10分帰宅。

■11月度

イ:7日

ロ:釧路~津別~置戸~北見~端野~美幌~女満別~阿寒湖畔~釧路

ハ:レックス

ニ:廃車体巡りドライブ

ホ:
マツダ ボンゴ1000
トヨペット コロナ(RT20)
トヨタ パブリカ(UP10)
いすゞ TX
マツダ ファミリア800セダン
いすゞベレット×2
ホンダ ステップバン×2
トヨタ クラウン4ドア・ハードトップ(120)
プリンス クリッパー(T40)
マツダ タイタン

ヘ:450km

ト:雨

プリンス654さんと一緒に廃車体巡り。

生憎の雨でしたが、レックスとプリンス・・・じゃなくてプリウスの2台で
あんな物件やこんな物件を見て廻り、さらに偶然見つけたクリッパーの部品を
その場で買い付けるなどフリーダムな旅となりました。

クリッパー最終型T40


バンパーやサッシュがメッキのデラックス。
ルーフラックが良いカンジ。
そして「”N”ISSAN」の「N」が逆になってる!

この日、途中でコロナ・スーパールーミーを発見。
遠目にしか見ていないですが、実物ははじめて見ました!

17時帰宅。

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翌8日 快晴・・・プリンス654さん夫妻が御来店。
父親のスバル360を試乗して調子の良さに感動していました。

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15日 薄曇・・・近所のバイク屋にラビットS301スーパーフローが入庫していたので見に行く。
ウチのは3速ハンドチェンジのジュニアなので、トルコンのスーパーフローは欲しいです。
スペースフローも欲しいです。

90ccで2気筒というメカニズムがインパクト大な、ヤマハHX90もありました。

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イ:19日(夜)・20日・21日

ロ:
19日(夜):釧路~北見~紋別~稚内(20日早朝着)
20日:稚内(一泊)
21日:稚内~旭川~層雲峡~北見~釧路

ハ:レックス

ニ:友人宅訪問

ホ:特記無し

ヘ:1157km

ト:快晴~曇~雪

連休を利用して、稚内の友人宅まで行ってきました。
2011年の冬は酷いコトになりましたが、今回は大過なくクリアしました。
火傷はしたけど。



昨年の雪辱を果たした本道縦断行

22日深夜12時15分帰宅。

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イ:27日(夜)・28日

ロ:釧路~帯広~日勝峠~道の駅 樹海ロード日高(一泊)~江別~札幌~(高速)~苫小牧~
(高規格)~占冠~(高速)~帯広~釧路

ハ:レックス

ニ:北海道大学博物館/図書館見学、日産ギャラリー札幌訪問

ホ:
ヤマハRZ350
トライアンフ・サンダーバード(バスタブ)
プリンス スカイラインGT(S54R)第2回日本グランプリ出場車レプリカ

ヘ:775km

ト:快晴~雨~吹雪

往路・・・日高の道の駅までは走り易かったが、それ以降は全面凍結路。
早朝、極寒のせいで路面はスケートリンク状態に。

あまりの寒さで、裸の木々には”雪の葉”が生い茂っていた


山中の登坂ではツルツルの路面のせいでトラクションが不足して空回りするのか、
40km/h以上の速度が出ず、アクセルを踏み増しても加速せず!

大型トレーラーは信号を右折するのに極めて慎重で、曲がり切るまでに信号が変わってしまう始末。

この日は今シーズンで1番の緊張を強いられました。

札幌に入り、北大の博物館へ。
「ムラージュ」の展示が非常に興味深かったです。

日産ギャラリーで54を見た後、大丸でお土産を購入して苫小牧の先輩宅へ。
しかし風邪とのことで、お土産だけ置いてきました。

プリンス スカイラインGT(S54R 1964年第2回日本GP出場車レプリカ)


夕食後、仮眠していると雨音で目が覚める。
雨は次第に激しさを増し、ワイパーをLoの位置で固定して高規格道路を走る。

高規格道路を走行中にアクセルが非常に重くなり、ブレーキの異常かと思うも
以前にも同じ症状があったことから判断して、どうやら片肺になっていると予想。

とにかく高規格道路の出口までなだめながら走る。

しかし出口の信号は無情にも赤、エンジンは停止し再始動も叶わず。

降りしきる雨の中、信号が青に変わると共にクルマを押して
道路を渡り向かいのコンビニの駐車場に揚陸する。

煤けたプラグを磨き、キャブを掃除すると問題なくエンジンは再始動。

その後はスムーズに走り続けましたが、雨は次第に雪へと変り、占冠インターに入る頃には
横殴りの吹雪となり、殆ど通行量の無い時間帯の高速は深い雪で覆われていました。

降雪量が凄く、一瞬でこんな雪まみれに


一度トラブった為、いつもより不安は大きかったですがレックスは極めて快調に巡航し、
水温式ヒーターの強力暖房とゴキゲンなカーステレオのおかげで疲れることなく帰り着きました。

29日深夜12時45分帰宅。

■12月度

7日 快晴・・・近所の旧車ショップに入庫した「帯6」ナンバーを掲げるマツダT1500をチェック。

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11日 快晴・・・いつもお世話になっている板金屋さんに入庫したホンダN360(NⅡ)を見に行く。

NⅡのハナシ

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イ:12日

ロ:釧路~本別~足寄~陸別~置戸~留辺蘂~北見~津別~阿寒~釧路

ハ:レックス

ニ:留辺蘂 山の水族館見学、北見市立中央図書館見学

ホ:特記無し

ヘ:406km

ト:快晴

7月にリニューアルしたばかりの留辺蘂町「山の水族館」を見学。
独特のアイディアが盛り込まれた生態展示により、本道に棲息する淡水魚を多数見ることが出来ます。
施設自体は小さいですが、見応えのある水族館でした。

滝壺を見上げる水槽


帰路、北見市の図書館に寄る。

北見市立中央図書館は昭和17年に設立へ向けての動きがスタート、戦時中に一時中断するも
昭和21年8月に市民からの寄付や献本によって図書館が開設されました。

昭和42年に現在地に移転、当初は博物館との併設でしたが昭和59年に
北網圏文化センターが設立されたことに伴い図書館単独へ移行。

施設自体が古く、収蔵している資料も貴重な年代物が数多くあり大変興味深いものでした。
特にローカルな郷土資料に強く、本道に於ける自動車ディーラー網の
発展を記した図書は大変参考になりました。

20時45分帰宅。

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◆2011年度まとめ

以上が2012年度の大凡の動きでした。

3台の2012年度走行距離は

①グロリア:8521km

②レックス:13088km

③CB750four:2478km

(アウトバック:600km)

総計:2万4687km
(いずれも概算)

復活を果たしたレックスの距離が伸びた一方、グロリアが1万の大台に乗りませんでした。
CBの距離は殆ど長距離で稼いでおり、ちょこちょこと乗ることが出来ませんでした。

以上の数字には、近所の整備工場への移動や郊外に出ない近距離走行など
近郊の移動は含まれていない為、総走行距離は2万5千kmを確実に上廻ると思われます。

本来ならきちんと積算距離計の記録をメモすべきなのですが、なんせtake it easyな人間なので
そこらへんの几帳面な計算が出来ません・・・。

オイル交換をはじめとしたメンテナンスの面から見ても、交換頻度や諸費用等も記録すべきなのですが、
まぁ少々のトラブルで2万5千km以上も走ってくれてるんだから結果オーライ??ってことで。

今年の5月にはグロリア3度目の車検が控えており、それに備えたブレーキのOH等が必要です。
果たしていつまで走ってくれるかな?

レックスもアンダーコートを施工したいと思っていますし、CBも取り寄せた部品を交換しないと・・・。

やらなきゃならないコトはいくらでもある!

時間は(なんとか)作れるはず!

でもお金はない!

お金が無いなら手間をかければ良いのだけれど、整備の腕も知識も無い!

そんな感じですが、まぁなんとかやっていけるでしょう。
みんな良く出来た子なので!


さて、素晴らしい相棒達は今年はどこに連れていってくれるのでしょうか??
3台とも、大きなトラブルなく元気に走ってくれることを祈っています。
Posted at 2013/01/13 00:06:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅行 | クルマ
2013年01月01日 イイね!

皇紀二千六百七十三年元旦 美幌峠山頂に於いて旭日を遥拝す





皇紀2673年1月1日、新年を迎え一刻が過ぎた頃。

快晴の空には月齢18.8、中潮の月が浮かぶ。
その煌々と輝く光は、周囲の星々の輪郭までも朧げにする。

凍える手で鍵を解錠し、格納庫の鎧戸を静かに開く。
白い息で窓を曇らせぬよう口を覆い、夜の帳の下で眠るレックスの運転席に体を滑り込ませる。

クラッチ・ペダルを踏み込みチョーク・ノブを一杯に引き、一呼吸置いてセルフ・スターターを廻す。

富士重工製EK21型液冷發動機は瞬時に始動、閉め切った格納庫の中に快音が反響する。
チョーク・ノブを半分強まで戻し、暫しの後に機関の安定を確認しつつ半分弱まで押し戻す。

外気温を考慮しチョークを僅かに開いた状態で暖気を行い、その間に準備を済ませる。

2時40分、準備完了。
エンジンの響きも高らかに、払暁を待たずして格納庫を出でる。

燃料補給を実施し、往復200km超の行程を熟し得るに充分な量の揮發油を満載。
勇躍、美幌峠へと針路を取る。

湿原を抜け鶴居に出でて、弟子屈の酒保にて軽食を入手した後に美幌峠へと向かう。

5時、まだ暗い美幌峠の頂上に至る。
道の駅は既に開放されており、多くの人達が集まっていた。

日の出の予報時刻は6時50分、暖房の効いた車中で仮眠し待機する。

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予報時刻の6時50分、未だ太陽の姿を見ずも空は次第に明るくなりゆく。

時計の針が丁度0700を示すや否や、稜線-スカイライン-を橙色に染め上げて太陽がその姿を現した。

その名に恥じぬ美しい雪化粧を纏った美幌峠の頂に、栄えある皇紀2673年1月1日の暁が訪れる


朝靄煙る中、鮮烈な印象を与える太陽が姿を現す


気象情報の示す気温は零下13度だが、峠の山頂は強い風が吹き荒び体感温度は優にそれを下廻る


快晴の空に輝く初日の出に歓声が上がる


屈斜路湖は面積79.3㎢・周囲57Kmの湖で、カルデラ湖としては日本最大の規模を誇っている


稜線より出でて全姿を現した太陽は日出る処、日本の國旗そのものであった


陽の光は白い雪壁を仄かな薄紅色に染め、雲一つなき冬空の蒼と爽快なコントラストを描く


陽光を浴び、輝くレックス


屈斜路湖の中島は面積5.7km²・周囲1kmの火砕丘であり、日本最大の湖中島である


零下13度の澄み切った冬晴の空に、凛として月が輝く


明け染める屈斜路湖の湖面に、一条の光帶が伸びる


強風と酷寒の中での初日詣となったが、雲ひとつ見当たらない快晴に
恵まれたことは正に天佑神助に他ならない。

旭日を遥拝し、皇室の益々の御繁栄と祖國の一層の發展を祈念す



レックスの發動機を始動させ一路反転、帰投の途に就いた。
滞在時間は2時間30分程度であった。

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帰路の途中、鶴居村にあるタンチョウ給餌場「鶴見台」を見学


艨艟居並ぶ聯合艦隊艦艇の中でも一、二を爭う武運艦として知られる「瑞鶴」の名が示す通り、
古来よりタンチョウは瑞兆、長寿の象徴であり、神聖な存在として崇められてきた。

雪の如く清楚な白き羽毛と、優美なフォルムを引き締める黒のエルロンのコントラストは
まことに流麗にして、その名の由来である頭頂の鮮やかな丹色は気高きシルエットを鮮烈に彩る。



アイヌ民族はタンチョウをサルルン カムイ(湿原の神)と呼び敬っており、
タンチョウの求愛行動を取り入れた彼らの民族舞踊が伝えられている。

江戸時代には三河島村の飛来地を竹矢来(柵)で囲い、給餌係や
野犬の侵入を防ぐ犬番を立たせる等の手厚い保護が幕府によって施された。

将軍の鷹狩の中でも最も厳かなものとして「鶴御成」と呼ばれる鶴の鷹狩も行われた。

鷹狩に供される鶴は手間暇を掛けて予め人に慣れさせておき、鷹匠頭や若年寄、老中らの綿密な
協議の上で鷹狩の日時が決定され、将軍は戰の際に纏う陣羽織で飾るという荘厳なものであった。

獲た鶴は昼夜を分かたず東海道を伝い運ばれ、京都の朝廷へと奉られた。
大名行列さながらの姿を見た街道の人々はこれを「御鶴様のお通り」と呼んだ。

朝廷に献上された鶴の肉は新年三が日の朝供御の吸物となり、血は鶴酒として振る舞われた。



しかしながら、美しく崇高な存在であったが故にその羽毛や、万病の薬となると考えられていた
血肉を求めて乱獲が行われたことに加え、明治維新以降の本道開拓により
湿原が水田や農地に転換され、タンチョウの棲息地域は急激に縮小してしまった。

これらが原因でタンチョウの数は激減、明治の末には既に絶滅したと考えられるようになった。

タンチョウが原野から姿を消して暫し時が流れた大正13年、釧路湿原に於いて
十数羽のタンチョウが確認されるや否や、官民挙げての保護活動が始まった。

村の人々は厳しい冬の為に蓄えていた貴重な食料を与えるなど、保護の為の労を厭わなかった。



國は昭和10年8月27日にタンチョウを生息地を含め天然記念物に指定。
昭和27年3月29日には特別天然記念物に昇格するなど、保護の為の取組みに尽力した。

こうした日本の総力を挙げた手厚い保護が結実し、2006年には遂に
千羽を超えるタンチョウの棲息が確認されるに至った。

なお、その過半数が釧路湿原に留鳥している。

表面が夏目漱石の肖像となっている旧千円札の裏面に描かれている”求愛ダンスを舞うタンチョウ”の
図は、釧路でタンチョウ寫眞家として活動している林田恒夫氏の撮影した寫眞を基に制作された。



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9時30分、帰着。

全行程216km、レックスは年始の航行を機関不調等なく無事に熟してみせた。
これも偏に富士重工技術陣の成果と、整備にあたる強兵の真心籠めた調律の賜物である。



栄えある皇紀2673年を迎えた今日1月1日。

國家の存亡、民族の危機に瀕している現状に於いて、誇りある日本を次世代に継承するには
一億國民の総力を結集し、内憂を排撃し外患を粉砕。
万難を排し時艱を克服し、以て皇國を盤石の安きに置くあるのみ。

護國の華と散った英霊に報いる道は、これを措いて他に無きものと信ず。

Posted at 2013/01/01 13:37:11 | コメント(11) | トラックバック(0) | 旅行 | クルマ
2012年11月30日 イイね!

楽しいウィンタードライブ2012♪ ~雪辱の道北縦断 編~









去る19・20・21日の3日間、稚内の友達のトコまで遊びに行ってきました。

ちょうど1年前の20・21・22日にも連休があり、同じように稚内に行ったのですが、
その時は凄絶な猛吹雪に襲われてエラい目に遭いました。

凄惨極まる昨年の行程はこちら
楽しいウィンタードライブ♪ ~道北 死の彷徨 編~

先進の可変気筒システムによって6気筒が1気筒に減ったり・・・


携帯圏外な山間部で大破着底したり・・・


冬の大雪に挑んだり・・・


降雪・地吹雪・先行車の吹き上げる雪煙と、全周より迫る猛吹雪。
一面乳白色の完全なホワイトアウト、海と山から吹き付ける強風。
歩くことさえ覚束無い凍結路面、それらの過酷な環境が齎したエンジン不調と斗いながら、
深夜の道北を全身全霊を傾けて、這いずる様に1mを血で贖って走破してみせました。

それで自信(過信?)を付けたのか、”咽喉元過ぎれば熱さ忘れる”(超寒かったけど)なのか。

性懲りもなく行ってきました、稚内。

自分の休みは平日なので、稚内の友達とはなかなかタイミングがあわず
遊ぶのは前回以来、実に1年振りでした。
わざわざ勤務を調整して休みをとってもらったこともあり、天気予報は雪でしたが行ってきました!

今年はまだ1度も雪路を走っていない状態で、大半が凍結路面となる
往復1000キロオーバーを走ることには一抹の不安もありました。

しかしながら今次は、決して雪路走行を得手とはしない(当然ながら”出来ない”では無い)
FRの重量車たるグロリアに代わって、强力無比な水温式ヒーターと
ライトウェイトかつトラクションに優れ、冬場に强いことに定評のあるRRのレックスを投入しての
挺身行動とあって、不安一割に対し天佑確信せること9割の状況にありました。

万難を排し本道最北端に至り、これを以て1年前の雪辱を果たし、
一挙反転500キロを走破し無事に帰投することは出来るのか?

それでは旅の顛末をどうぞ!

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休みの日程が決まったのが遅く、遊ぶ約束をしたのが17日土曜日だった為、
僅か2日程でレックスの長距離走行準備を済まさなければいけませんでした。

摺動部にCRCを注油、エンジンオイル量を確認しプラグを磨き、タイヤ空気圧をチェック。
アーマオールで車内を清掃して、コンパウンドで外装を磨きました。

どうせ雪で汚れるとはわかっていても、とりあえずやります。

窓ガラスは外側にワックスを掛け、内側は水拭きの後に乾拭きし
油分や拭き残しの除去に万全を期します。

視界不良は危険を誘因する最たるものであり、只でさえ視界が制限される夜間や降雪などの
状況下では致命的な問題を惹起する可能性を孕んでいるので、決して妥協するわけにはいきません。

工具一式、スノーブラシ、解氷スプレー、補用蓄電池、バッテリィジャンプコード、曳航ロープ、
落下式増加燃料槽(5リッター)、防寒装備、これらに加えてお土産や入浴セットを
小さな車体に満載して、準備完了となりました。

19日の夜9時に仕事を終え、飯と風呂を手早く済ませます。

すぐそばのスタンドで給油、床下に搭載した燃料槽に
25リットルのレギュラー・ガスを満載し、暗夜を突いて抜錨しました。

22時30分に阿寒湖畔を通過、昼間に相当量の降雪があり路面はガリガリでした。
釧路に雪が積もったのは23日になってからでしたので、今シーズン初の凍結路面でした。

360cc車の中ではワイド・トレッドを謳うレックスも、現行車のつけた巾広い轍には
容易く足をとられる為、ステアリング操作には一層の注意が求められます。

悪路の阿寒湖畔を抜けると再び乾燥路面となり、機関の制限運転を解除し増速。
湖畔でのロスを取り戻すべく速度計の針を躍動させます。

23時30分に北見に入り、市街地を抜けショートカットコースを通り一気にサロマ側へと出ます。
深夜・郊外とあってクルマ通りは皆無に等しく、追越しや眩惑などの煩わしさがありません。

ベンチレーターとサイドウィンドウを僅かに開き、冷えた外気を導入しながら
理想的な頭寒足熱の環境の中、音楽を愉しみながら直走ります。

時折窓を全開にし天を仰ぐと、冷えて澄んだ空気の中に星々が美しく輝いています。

ノンストップで240キロを走り切り、日付が変わった1時10分に紋別に到達。

紋別以北には稚内までの214キロの間、24時間スタンドが一軒も無いので
ここで給油しておかなければ燃料が枯渇し、進退窮まる危険性があります。

紋別のESSOで給油を実施すると、10リットルしか入りませんでした。
湖畔で悪路があり、巡航速度が一定しなかったにも関わらずリッター24kmと
良好な成績を示したことに満足です。

なお、自分の計算したレックスの平均的な燃費は

市街地・昼間 20km
郊外・昼間 22km
郊外・深夜 24km
高速 18km

となっています(飽く迄も概算です)。

その後も黙々と走り続け、2時に雄武町に至りました。
0時前後にやや眠くなったものの、今回は睡魔らしい睡魔には襲われずに
仮眠というタイムロスなしで走り続けることが出来ました。

北上するにつれ、國道238号オホーツクラインは白い雪化粧で覆われはじめました。
ただし天候は雲量0の素晴らしい夜空で、地吹雪が時折起こるだけでした。

深夜3時過ぎ、対向車も後続車も皆無の中レックスを路肩に停め、車外へ降出て
冷たい空気を吸い込み、長時間の運転で固まったカラダを解しました。

昨年、凄絶な状況下で走破した道は路面こそ凍結していましたが
極めて快調にトバすことが出来ました。

4時20分に宗谷岬を通過、稚内市街地まで30キロを切り愈々最終行程に入ります。

早朝5時に稚内市街地に到達、給油を施し友達の家に向かいました。

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友達の家に上がってから、あーだこーだと喋っていると
不意に足にチクッとした痛みが走りました。

ん?と思って見てみると・・・


(汚い足のアップでスミマセン)

足首に火傷 が が が!!!

・・・どうやらヒーターの温風で火傷したようです。
大きな水膨れがひとつと、小さな水膨れがひとつ出来ています。

釧路から稚内までの470km、7時間15分、1度の給油と2度の休憩のみで
ノンストップで走り続けた結果、低温やけどになってようです。

自分は靴を脱いで運転するのですが、ちょうど左足の上にヒーターの
吹き出し口があり、直に温風が当たり続けた結果です。

ちなみに、靴を脱いで運転する理由は

1.フロアに水気を持ち込まない為
2.長時間の運転時、足の負担を軽減する為
3.アクセルペダルの機微な操作の為

です。

1番と2番はワーゲンでの経験が大きく影響しています。

ワーゲンの床が抜けてフロアの孔から道路の白線が見えたこと、床から生えるオルガンペダルが
床と一緒にもげて、ペダルの奥のローラー付ステーを直に操作したことがあったからです。
(ちなみに極初期のワーゲンはペダルがないです)

靴を脱ぐのは”お部屋カー”的な楽天的な理由ではありません。

レックスやグロリアでも、一時的に動きが渋くなり戻りが悪くなったアクセルペダルを爪先で
引っ掛けて手前に戻し回転数を下げることがあり、これも靴を履いていては出来ないことです。

ハナシが脱線しましたが、温風ヒーターの前に7時間も座ってればそりゃ火傷にもなりますよね。
弱火でじっくりこんがりと焼いたので、痛みや熱さはまったく感じず気付きませんでした。

帰路は足首に布を巻いて、温風が直にあたらないように対策をしました。

スバル車のヒーターは優秀で、その理由は群馬の気候(冬の寒さ、上州のからっ風)に
あると70年代のCG誌の記事にありましたが、わりと納得できる推測だと思います。

日本の主要自動車メーカーは、東京のプリンス、神奈川の日産、静岡のスズキ・ホンダ、
愛知のトヨタ・三菱、大阪のダイハツ、広島のマツダと比較的温暖な関東以南に位置しており、
スバルは最北という位置が関係していると考えてもおかしくはないでしょう。

スバル360、R-2と空冷エンジンに起因するヒーター能力の不足に満足していなかった
エンジニア達が、ライバルに対するアドバンテージとしてベンチレーション能力を含めた
ヒーター性能にこだわったとも考えられます。

スバル1000の全グレードへのヒーター装備は、デュアル・ラジエーターという技術的な
手法がもたらした副次効果とは云え、スタンダードはヒーターレスが多かった時代に
ユーザーフレンドリーな考え方を持っていたスバルのエンジニアの良心も感じられます。

開発した車の1番のユーザーは、誰よりもエンジニア自身なのですから妥協はしたくなかったでしょう。

ともかく、今回の火傷はレックスのヒーター能力の高さを身を以て示し得た?ということで
ちょっとした小ネタにはなりそうです

この後、水膨れはビー玉くらいのサイズにまで大きくなり今も腫れは引いていません。
触れなければ痛みはありませんが、病院でもらった軟膏を塗って大きめの絆創膏を貼っています。

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積もるハナシもあり、寝たのは結局朝方になってからでした。
途中から眠気がなくなり、逆に眼が冴えて眠り辛かったです。

10時頃に起きましたが、友達がまだ寝ていたのでジャンプ読んで暇つぶししてました。

友達が起きてから、レックスの準備の為に外に出ると周囲は真っ白でした。
積もった雪を払い、チョークを引いてキーを廻すとEK21型エンジンは難なく始動しました。



この子はロングヘアード、ブラック&タンのダックスフントの虎春(こはる)です。

自分は今時点では動物を飼えない状態ですが、環境が整えば犬と猫を飼いたいと願っています。
動物は大好きなので、はるばる稚内まで行くのはこの子と遊ぶのも楽しみの一つだからです。

友達は躾けに気を遣っており、無駄吠えせず待てやお座りもきちんと出来る頭のイイ子です。

アドルフ・ヒトラーも愛犬ブロンディ(ジャーマン・シェパード・ドッグ)を溺愛し、
「犬は賢い、人間よりよっぽどマシだ」と言っています。
仰る通りです伍ty・・・じゃなくて総統閣下。

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昼食とドライブを兼ねて、40kmほど離れた幌延町のトナカイ観光牧場に行きました。

昼はオムカレー

(iPhoneで撮った写真なので画質が悪いです)

帰路、豊富町の人気のパン屋さんでパンを買ってから市内に戻りました。

稚内には観光名所として、科学館(友達の勤務先)、水族館、宗谷岬、ノシャップ岬、宗谷丘陵、
稚内公園、利尻・礼文島、大岬旧海軍望楼跡、九人の乙女の像等があるのですが
何回も来ているのでほぼ行き尽くしてしまい、毎回どこに行くか何を食べるかで迷います。

今回は、今年の5月にオープンしたばかりの道の駅わっかないに行ってきました。

6時になってから「稚内天然温泉 港のゆ」に行きました。
この温泉は、稚内副港市場という複合商業施設内の2Fにあります。

施設の1Fには昭和30年代の商店街を再現したコーナーや、大日本帝國の領土たる
南樺太に関する資料や、稚泊連絡船(稚内~南樺太・大泊航路)の就航船舶などの
写真が展示されており、一般的な商業施設とは違い一種博物館的な価値を持っています。

夜は炭火焼肉に・・・


絶妙な位置の吸気筒のおかげでモザイクいらず!
食後は何時間もカラオケに入り浸りました。

家に帰ったあとも夜中まで喋って、結局この日も寝たのは遅くなってからでした。
持参したお土産を気に入ってくれたようで何よりでした。

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朝になると、融けた雪が凍りツルツルのアイスバーンとなっていました。

前のクラウンも尻振ってました


友達は午後から仕事なので、11時頃に家を出て昼御飯を食べに行きました。

水曜の昼はハンバーグ~


相当ボリュームあって苦しかった!

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12時30分に友達を職場に送り届けた後、すぐ帰るのも芸がないので
レックスでの稚内初訪問を記念して、防波堤ドームに写真を撮りに行きました。



もともとオモチャみたいなクルマですが、巨大構造物との対比によって
普段以上にサイズ感覚が狂います。



パーキングランプを点燈させた方が良かったかもー。



天気がイマイチだったのが残念で、晴れていれば宗谷岬でも記念撮影したかったです。

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その後、港に停泊していた船舶の数々を眺めました。

浮かぶセメント工場 ” 扇洋丸 ”


扇洋丸は、ジェネック社(太平洋セメント関連会社)のセメント・タンカー/セメント・キャリヤー
(セメント運搬船/專用船)で、排水量は4908トンです。

太平洋セメント上磯工場(北斗市)を拠点に、セメント工場から各地のサービス・ステーション
(セメント出荷基地)へと、輜重の重責を担い航行しています。

1993年、NKK日本鋼管津造船所(現JFEエンジニアリング)にて竣工。
船籍は北九州で、現在のファンネル・マークは北九州運輸会社の「 北 」を掲げています。

IMOナンバー(船舶識別番号)・・・9070101

複雑な上部構造物が林立する特徴的な外観は、洋上工廠たる工作艦の如きです。
なお、2008年時点の日本國内に於けるセメント・タンカーの保有船腹量は134隻となっています。

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岸壁に憩う2隻の姉妹


稚内港のフェリーターミナルには、ハートランドフェリー所属の姉妹船である
ボレアース宗谷とサイプリア宗谷が接岸していました。

船体後部に濃藍色と茜色のダズル・ペインティングを施したサイプリア宗谷は、
昨年の利尻・礼文旅行で相棒CB750fourと共に乗船した輸送船です。

ダズル塗装の濃藍と茜色は、北海道の澄んだ空気と太陽が作り出す
鮮やかな朝焼け・夕焼けの茜色をイメージしています。

利尻・礼文には是非また行ってみたいです。

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北防波堤ドームを背に、冬の海に佇む巡視船「もとうら」(PM12)


昨年の夏訪れた際、この位置に停泊していた巡視船「しらかみ」(PM84)は
2012年1月18日(海のもしもの日)を以て退役、35年に渡る任務を全うしました。

「しらかみ」は264件の海難に出動、44隻の船舶と309名の人命を救助し、
総航走距離は実に地球約19周にも達しました。

見事に其の責務を果たしてみせた「しらかみ」の任を継ぐのは、
海上保安庁 第一管区海上保安部(北海道)所属の巡視船「もとうら」(PM12)です。

「もとうら」は1986年11月21日、四国造船所にて竣工した「てしお/なつい」級巡視船の
12番船で、この日はちょうど26歳の誕生日でした。

1977年、領海法改正と漁業水域に関する暫定措置法が施行され、200海里に及ぶ広大な
”排他的経済水域”が設定されると、従来は沿岸での運用が主であった
巡視船に、より高度な遠洋航海能力が求められる時代が訪れました。

所謂”新海洋秩序”への対応として、従来の350トン型巡視船の拡大発展型として
建造されたのが500トン型巡視船の「てしお/なつい型」でした。

1980年9月30日から1988年6月1日に掛けて計14隻が就役、同時期に大量建造された
「しれとこ」級1000トン型巡視船と共に、日夜密漁船や不審船に対する哨戒を行なっています。

「もとうら」という船名は日高の清流”元浦川”に由来し、最初の配属先も浦河海上保安署でした。
2012年1月18日からは「しらかみ」の後任として、稚内に転属配備となりました。

・・・巡視船「もとうら」(PM12)要目・・・

「てしお/なつい」級12番船 500トン型巡視船

総トン数:526トン 常備排水量:630t
全長:67.8m 全巾:7.9m 深さ:4.4m

機関:4ストローク・ディーゼルエンジン2基2軸 最高出力3000馬力
速力:18ノット 航続距離:3200海里
乗員:33名 武装:JM61 20mm多銃身機関砲1門

・・・・

船首には20mmガトリング砲「JM61”バルカン”」が据え付けられています。

JM61は、かのトーマス・エジソンが設立したジェネラル・エレクトリック社の開発した
20mmガトリング砲を日本でライセンス生産したものです(JはJapanを意味します)。

高速回転する6連装の砲身からは、毎分450~500発の20mm砲弾が間断なく撃ち出され、
洋上を跋扈する敵性國家の工作船を瞬時に蜂の巣と化す能力を備えています。

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14:00を過ぎた頃、稚内を後にし針路を南に取り高規格道路を勇躍前進する。
天候は短い周期で頻繁に変わり、非常に不安定でした。

厚い雲間から時折顔を覗かせる青空


去年とまったく同じ地点で、まったく同じ空模様・・・。
嫌な予感しかしませんでしたが、幸いなことに杞憂に終わりました。

15:15 道の駅なかがわに到着。

昨年、アクセルロッドの凍結によりこの道の駅の入り口でグロリアが擱座。
地吹雪と、氷のように冷たい周囲の視線の中でエンジンルームに首を突っ込んで
応急処置を実施した因縁の場所です。

ですが今年は一切の不調なく、悠々と入港できました。


レックスのラジエーター面積は、グリルの半分(運転席側)しかないので
助手席側の雪が融けずに残ります。

暖かいコーヒーが飲みたかったものの、お気に入りの銘柄が冷たいのしか
無かったのでそれにしました。
車内はガンガンにヒーター効いてるので、冷たいコーヒーで正解でした。

センターキャップには氷が妙なカタチでくっついていました。


センターキャップは現在も入手できる社外の汎用品で、冬用の鉄チン自体も社外品です。
純正キャップが欲しいです。

すっかり暗くなった17:00、漸く士別市に入りました。

士別剣淵ICからすぐ高速に乗ろうかと思いましたが、比布北ICまで行けば
そこから先は暫定無料区間なので、そこまでは下道を走ることにしました。

・・・が、事故で通行止めとなっており、結局比布北~愛別の一区間しか走れませんでした。
あんまり意味なし!

19:25 セブンイレブン上川新光町店で軽食を買って峠越えに臨む。

20:00 層雲峡温泉街


層雲峡から石北峠は、完全に雪に覆われていました。

20:30 石北峠越え

20:45 石北峠通過、北見側に降りると漸く乾燥路面となりました。

21:35 北見市内のスタンドで給油を実施。

22:00 北見市内のなか卯でミニ丼・ミニうどんセットの軽い(?)夕食。

一休憩を入れたあと、最終行程の北見~釧路間150kmを直走りました。
首・肩・腰が痛く、目が疲れていたものの、最後まで眠気はなく順調に進みました。

0:10 帰投

2日目の走行距離:539km。

10時間30分も走りっぱなしで、さすがに腰と首が痛い・・・。

今回の総走行距離:1157km

今シーズン初の雪上走行を一切のトラブルなく完遂、これもレックスの高性能に依るものです。

今次の走破達成を可能とした一因には、前回のような過酷な状況が現出しなかったことが
大きいですが、兎も角これを以て昨年の雪辱としておきます。

また来春か夏あたりには遊びに行きたいです。

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おまけ

友達から貰ったエブロ プレミアムコレクションシリーズの1/10スケール ホンダCR93公道仕様。


(ミラー付け忘れてました)

定価1万8900円(!)という高額モデルですが、イベントの際に1000円で購入したとか。

稚内では毎年の夏、エブロが主催するクラシックカーイベントがあり、
その際にブースでこういったモデルの数々が格安で販売されるそうです(行ったことはない)。

前行った際にはスカイラインスポーツとスカイライン2000GT(S54B)、スバルR-2を貰いました。

CR93も好きだけど、同じシリーズにCB750four(2万1000円!)があるので、
次はそれをお願いしようと思います(図々しい)。

これとエブロのカタログ(2012年版)も貰いました。
こっちも1050円となかなか良い値段してます。

現在、このCR93はPCの前に鎮座しています。
1/10スケールとあって、精巧なディティールを誇り大きな存在感があります。

レーシーなロングタンクはキャップの開閉が可能、鋲の打たれたストッパー付ソロシート。

クローム仕上げの繊細なステアリングダンパー、スポーク、マフラー、ショック、エアクリーナー。

”テレフォンダイアル”クラッチカバー、3箇所から選択できるステップ位置、

カムギアトレーン機構を与えられたエンジン、美しいレンズカットのヘッドライト。

市販レーサーたるCR93のメカニカルな美しさを高いレベルで再現したこのモデルは、
ずっと眺めていても飽きがこない魅力があります。
次はCB750f(以下ry)

あ、もちろん貰いっぱなしではなくお土産は持っていってますよ(笑)。

・・・

ホンダCR93 ベンリィ・レーシングは、世界最高峰の内容を持った市販レーサーです。

鈴鹿サーキットの完成と第1回日本グランプリの開催に照準をあわせて、1962年6月から
生産が開始され1962年9月にCR110 カブ・レーシングと共に発売されました。

「時計のように精密」と謳われた、精巧で緻密な空冷4ストローク並列2気筒DOHC ギア駆動の
CR93E型エンジンは僅か124.8ccの排気量から、13500回転(!)で21.5馬力を叩き出しました。

發揮可能な最高速度は135km/h、カウリング装着車では実に155km/hに達しました。

1962年のマン島TTレースでは、ワークスレーサーのRC145に次ぐ3位と4位に堂々入賞。
第1回全日本ロードレース選手権では、黒沢元治選手のドライブでノービスクラス優勝を飾りました。

価格は大卒初任給が約15000円の時代に30万円という、当時の軽自動車に匹敵する
非常に高価なものでしたが、購入希望者が絶えなかったと云われています。

総生産台数は252台で、その大半がレースで消耗した為に現存数は極めて少ないものです。

◆ホンダ CR93 ベンリィ・レーシング主要諸元

エンジン型式:CR93E 空冷4ストローク並列2気筒DOHC 4バルブ ギア駆動

総排気量124.8cc ボア・ストローク:43×43mm 圧縮比10.2 
潤滑方式:ウエットサンプ オイルポンプ方式:プランジャー
キャブレター:京浜RP28-22P6 点火方式:マグネトー点火
エンジン整備重量:41kg

最高出力:21.5PS / 13,500rpm(運輸省届け出値は16.5ps/11500rpm)
最大トルク:1.05kgm/10700rpm

最高速度:135km/h(カウリング装着車)155km/h

最小回転半径2.15m 制動停止距離:6.5m(35km/h時) 登坂能力:18゜

変速機:5段リターン式 変速比(1)2.000 (2)1.429 (3)1.227 (4)1.083 (5)1.000
1次減速比3.700 2次減速比2.500

寸法・重量 全長:1960mm 全幅:600mm 全高:915mm 軸距:1275mm 最低地上高:145mm
キャスター:26゜ トレール:87mm サスペンション  フロント:テレスコピック  リヤ:スイングアーム

制動装置 フロント:200mmツーリーディング・ドラム リヤ:175mmシングルリーディング・ドラム

タイヤサイズ フロント:2.50-18 リヤ:2.75-18
車輛重量:127.5kg

燃料タンク容量:10L オイル容量:1.1L
Posted at 2012/11/30 00:25:14 | コメント(4) | トラックバック(0) | 旅行 | クルマ
2012年10月13日 イイね!

2輪免許取得10周年ツーリング ~③日目~









すっかり更新が遅くなってしまいましたが!!3日間の旅も最後となりました。

朝起きると雲量は8程度、天候の回復を祈りつつテントの撤収をはじめました。
キャンプ場には内地ナンバーの2台のハーレーがおり、そちらも出発準備中でした。

荷物を積載し縛着していると、ハーレーのオーナーが「ナナハンでしょ!凄いね~」と
話し掛けてくれたので、少しばかりお話しました。

準備中に少しずつ雲が切れ始め、キャンプ場を出発した9時頃には
厚い雲は文字通り雲散霧消し、素晴らしい晴天が広がりました。

これによって3日連続の晴天という、本当に天候に恵まれた旅となりました。
バイク旅の雨ほど哀しいものはないのです。

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・・・エンジンの音轟々と CBは征く 道の果て・・・

キャンプ場を出発し、山を下りて軽い朝食を取ったのち、
再び急峻な坂を駆け上がって、天狗山の頂へと向います。

天狗山は標高532.5m、山頂にはロープウェイで接続された展望台があり、
小樽市街と石狩湾を一望することが出来ます。
特に夜景は「北海道三大夜景」として広く知られています。

また、冬にはスキー場として賑わいます。

国鉄の「DISCOVER JAPAN」ポスター


ロープウェイの通路に、有名な「DISCOVER JAPAN」のポスターが展示されていました。
天狗山スキー場を紹介しており、当時、実際にここで掲示されていたものと思われます。

「DISCOVER JAPAN~美しい日本と私~」キャンペーンは、個人旅行客の増大を目指して
1970年10月より開始された、国鉄による大規模企画でした。

1964年10月1日、東京オリンピック開催にあわせて戰前の「彈丸列車計画」を引き継いだ
新幹線が遂に開業、1968年10月1日には大阪万博開催を睨んで
”ヨンサントオ”白紙ダイヤ改正が実施され、在来線の輸送力向上が図られました。

当時の日本では団体旅行が一般的でしたが、高度経済成長の中で個人旅行が注目を
浴びるようになり、大阪万博後の旅客需要の確保も狙ってのタイミングで始まったのが、
このディスカバー・ジャパン・キャンペーンでした。

この企画は成功し、多くの人達が日本中を旅しました。

人々は旅の中で、高度経済成長の中で忘れかけていた古き良き日本、
変わらぬものの良さに気付き、故郷の美しさを再発見することとなりました。

80年代に入ると、自動車の普及と航空機の一般化、そして極左集団によって
惹き起こされた各種の非合法・反社会的行為が原因で、国鉄離れが急速に進行、
民営化による国鉄の消滅へと繋がりました。

ディスカバー・ジャパン・キャンペーンは、国鉄最後の光芒でした。

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展望台の外にはリス園がありました。

が、最初に会ったのはうさぎでした


もそもそとレタス食べたり器用にヒゲのお手入れしたりと、仕草がいちいち可愛かったです。

ちゃんとリスもいました


シマシマ模様と毛バタキみたいなしっぽが可愛いです。

網走の呼人リス園のよりは警戒心が強いカンジでした。


入口にエサの自販機があったのですが、使われているガシャポンの筐体がどう見ても古い!
たぶん平成ヒトケタの頃では??

小学生の頃、カンヅメの中に塩ビ製の虫が入ったヤツとか買った記憶があります。
昔住んでいた家の向かいに、「坂本ホーマ」なる地場ホームセンターがあって
そこでガシャポン廻してました。
ゴジラの塩ビ人形とか結構集めたなぁ~、全部どっかにいってしましましたが。。



網走のリス園のリスは人慣れしており、撫でたり手に載せたりもできますが
こちらのリスは割と警戒心が強く、触れられるとすぐに退散してしまいます。

リス園だけど、うさぎが一番触り易いというオチ。

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蒼い空と青い海、森に囲まれた市街地・・・自然溢れる小樽を一望する


好天に恵まれ、暖かな陽射しを受けて満足の行く写真が撮れました


しかしながら機材の性能の限界を感じるのも確かで(腕の無さの言い訳でしかありませんが)
来年には一眼を投入しようと計画しております。

急な傾斜の山腹には、ロープウェイとスキーリフトが見えます


次は夜景と、雪化粧の冬の街を見てみたいです。
以前、真冬にグロリアで小樽を訪れた際には凍結した急坂に苦労しましたが、
RRのレックスであれば然したる問題にはならないでしょう。

天狗山山頂にはリス園、展望台の他にスキー資料館と「天狗の館」なる、
全國各地の天狗の面を飾っている資料館がありました。

スキー資料館の展示の中では、日本で初めて本格的なスキー指導を行った
オーストリア=ハンガリー帝國の陸軍武官、テオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐の
紹介が興味深かったです。

天狗の館の展示の中では、数多の武将・軍人達が怨敵調伏を祈願した、
烏天狗の飯縄大権現が印象的でした。

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天狗山を降りた後、11時に朝里川温泉で入浴しました。
駐車場には、1980年代後半~1990年代初頭頃の年式と思しきロールス・ロイスがいました。
冒頭のスピリット・オブ・エクスタシーはその車輛のものです。

入浴後、小樽郊外のヴィンテージ・モーターサイクルやクラシック・カーを展示してある
カフェに立ち寄り、カフェラテを飲みながら展示車両を眺めました。

1937年式 Velocette MSS


ヴェロセットを製造したヴェロセ社は、1905年創業のイギリスのモーターサイクル・メーカーです。

1905年と云えば、日本では明治三十七八年戰役(日露戰爭)に於いて
熾烈極まる奉天会戰や日本海海戰が行われた、歴史的に重要な年です。

ヴェロセ社は企業としての規模はとても小さく、家族経営による典型的な
イギリスのバックヤード・ビルダーでした。

ハンドメイド故に生産台数も少なかったですが、後世に大きな影響を与えた
数々の革新的な技術開発を成し遂げ、レースでも圧倒的な速さを見せつけました。

1935年にデビューしたMSSは、1933年に登場したOHVエンジン搭載の
Mシリーズの拡大発展型となります。

貨物サイドカー用途にも耐え得るよう余裕を与えた重厚なフレームに、500ccエンジンを搭載。

高い剛性を持つフレームはレース用ベースとしても最適であり、戰前から戰後にかけて
ヴェロセットがサーキットを席巻する原動力となり、大きな利益と誇り高い名誉をもたらしました。

「馬具」の香りを色濃く感じさせるサドル・シート、フィッシュ・テールのマフラー・エンド、
今やアンティークと呼ばれる磨りガラスのようなヘッドランプ、メカニカルな魅力に
溢れるエンジンなど、戰前車にしかない格調高いディティールに満ちています。

他のイギリス系メーカーと同じように、戰後の日本製オートバイの躍進によって
1971年、ヴェロセットは長きに渡る偉大な歴史に幕を閉じたのでした。

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スカイライン1500デラックス 4ドア・セダン(S70D-1)


こちらは珍しい、最初期(1型)のスカイライン1500デラックス(日産呼称型式C-10)です。
合併後の1968年8月1日デビュー、悲しいかな車名は「”ニッサン”スカイライン」に変更されました。

ハコスカは大きく分けて3度のフェイス・リフトを経験しましたが、最も人気が高いのは
”睫毛”がついてツリ目になり、凄みの増した最終型です。

それに対しこの初期型、大人しい顔付きの通称”3ピース”はあまり人気がありません。

しかしなが合併前より設計が進められ、最もプリンスの血が濃く、
ライト・ベゼルの中央にガラスのレンズが組み込まれるなど、細部まで徹底した
デザインを施されているのがこの初期型です。

以降はマイナー・チェンジの度にコスト・ダウンが行われてしまいます。

ハコスカの原点にして本質、それはGT-RでもGT-Xでもなく、この最初期型1500DXにあります。

扱い易いサイズ、広々とした空間、個性的なデザイン、ダイナミックなディティール、
パワフルなエンジン、優れた走行安定性、細部まで気を配った安全性、保守の容易さや経済性。

どれかひとつを突出させることは容易ですが、これら総てを高い次元でバランスすることは
”一点豪華主義”のわかりやすいクルマよりも、遥かに実現することが難しいのです。

スカイライン1500デラックス、1度は乗ってみたいクルマのひとつです。

「2年クルマに乗ると、スカイラインが欲しくなる」

そのコピーが偽りないものか、確かめてみたいのです。

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カフェを後にして、小樽の街中を抜けて札幌方面へと向かう途中、
ハーレー・ダビットソンの販売店に、面白いクルマが多数入庫していたので
慌ててUターンして覗いて来ました。

このショップは以前からマスタング・マック1やリンカーン・コンティネンタルなどを
入庫しており、オーナーの趣味が感じられます。

1956年式 陸王RQ750


1953年から1955年にかけて生産された陸王の代表的車種、それがRQ750です。
この個体は1955年度生産分の1956年登録車と推測されます。

陸王には1200ccの”V型”系統と、750ccの”R型”系統、
350ccの”A型”系統(グローリー)、250ccの”F型”系統がありました。

このRQ型は、1937~1949年のR型、1951~1952年のRO型の後継車です。

V型2気筒サイド・バルブ750cc、22馬力、手動進角、手動油圧ポンプ、前進3段ハンド・シフト、
フット(スーサイド)クラッチという、大凡現代のライダーのは乗りこなせない機構を持ちます。

それ以前に、知識と経験がなければエンジンを掛けることすら不可能です。

陸王は國策として生まれた経緯から、その主たる”顧客”は帝國陸軍であり、
一般人にとっては雲上の存在でありました。

その他の”顧客”も、海軍陸戰隊や天皇陛下の車列を警備する皇宮警察など
極一部に限られており、「陸の王者」の名に恥じぬ威容を以て路上に君臨していました。

たまに「ハーレーのコピー」とか言われますが、違法コピーの類ではなく
正規の契約に基づいた「ライセンス生産」です。

外板にプラスチックなど使っていないホンモノの「鉄馬」、それがこの陸王です。

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1968年式 シボレー・カマロSS


ハイダウェイ・ヘッドライトによって演出される無機質な表情が精悍な、68カマロSSです。

鮮烈なレッドのペイントに、レーシーなホワイトのストライプが雰囲気です。
フードの下に秘めたる大パワーを主張するかのように大きく膨れ上がったボンネットが強烈です。

ホワイトレターのファットなタイヤに、ケツ上げのスタイルがセクシーな
コークボトル・ラインとマッチして、大変蠱惑的です。

日本では、どちらかと言うと第二世代のカマロ(通称サメカマ)が人気ですが、
個人的には第一世代の”baby camaro”の方が好みです。

シャープなウィンドウ・グラフィックスと、グラマラスなウェスト・ラインの
コントラストの美しさと来たら!

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トヨペット・コロナ マークⅡシングルピックアップ


トヨタの最高級車(別格のセンチュリーを除く)クラウンには、3代目50系まで伝統的に、
シングルとダブルの2種のピックアップ(乗用トラック)が設定されていました。

今考えると凄いハナシだ。

しかしクラウンの高級化と車種の多様化を受け、1971年デビューの4代目”クジラ”以降は
セダン・ハードトップ・バン・ワゴンに絞られました。

従来のクラウン・ピックに代わるモデルが、1968年デビューのコロナ・マークⅡピックアップでした。
シングルとダブルの2種が用意され、前半分は高級車/後ろ半分はトラックという構成でした。

旧いコロナ・マークⅡと云えば、”ブタ目”の愛称で知られる3代目X30/40系の残存数が
圧倒的に多く、この初代(T60系)と2代目(X10/20系)はかなり珍しいです。

マークⅡのピックアップは初代限りで消滅し、以降はハイラックスが担当しました。

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マツダ・キャロル360(KPDA型)


キャロルは、マツダがR360クーペに続いてリリースした軽乗用車です。

R360は軽規格での4名乗車は不可能であると割り切って、2by2のクーペとし、
低価格を武器にしてスバル360に対抗しましたが、スバルの牙城を崩すことは叶ませんでした。

キャロルでは一転し、4名乗車に加え3BOXセダン、水冷4気筒オールアルミ・エンジンを採用。
2ドアに加え、クラス初となる4ドアを設定しました。
R360の空冷V型2気筒エンジン、2ドア・クーペという構成とは真逆をいっています。

空冷2ストローク2気筒のスバルに対し、静粛性とヒーター能力で大きく上回る
水冷4ストローク4気筒エンジンは、上級クラスのパブリカ(空冷4ストローク水平対向2気筒)さえ
凌駕する贅沢なメカニズムでした。

後席への乗り込みが容易な4ドア、”乗用車”感覚を発揮する3BOXセダンのスタイリング。
エンジン・ボディともに1クラス上と言える贅沢な構成のキャロルでしたがその反面、スムース
だが非力なエンジン、豪華故に重すぎる車体によって総合性能は低くなってしまいました。

垂直に切り立った個性的なクリフ・カットのリヤ・ウィンドウや、キュートなフェイスなど
魅力的なスタイルと、意欲的(すぎた)な設計など、360cc軽の中でもかなり好きな車種です。

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渋滞の多い札幌市内を抜けて、主要國道である12号線に並行する國道275号線を北上。
275号線は郊外に位置しているので、信号が少なく交通量も少なめなので走り易いです。
ただ、先日ありがたい切符を頂戴したばかりなので、さすがに飛ばす気にはなりませんでした。

ダットサン・サニー1000デラックス4ドア・セダン(B10)


途中、整備工場の入り口に事故でクラッシュした模様の初代サニーが置いてありました。

販売店ステッカーの”日産サニー札幌”が残っていたので、塗装もオリジナルと思われます。
B10はこのグリーンが多いように感じます。

オペル・カデット風のクリーンでストレートなスタイリングは健康的で好ましいです。

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ニッサン・キャブオール(手前)とトヨタ・ダイナ(奥)


その工場の裏手には、2台のトラックがありました。
手前のキャブオール(C240)はそんなに珍しくないのですが、奥のダイナ(K170)は
ちょっと珍しいと思います。

2代目ダイナは1963年3月にフルモデル・チェンジ、1968年まで生産されました。
この個体はグリル・パターンからして後期型と思われます。

キャブオールはホーンリング付の朝顔型ステアリングを持つ、見るからに古そうな
トラクタ・シャシを積んでいました。

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275号線から道道81号線を通って、新篠津村にあるFLAMINGO CAFEへ。

50sスタイルで統一されたオシャレなこのお店は、1955年式フォード・フェアレーン ヴィクトリアと1975年式三菱・デボネア エグゼクティブを所有するオーナーの経営するカフェです。

時間はもう4時でしたが、まだまだ暑くアイスコーヒーを戴きました。

カフェを後にして、岩見沢市に出た頃には時計の針は5時を廻っており、
もう釧路に向って帰らなければ間に合わない時間だったのですが、
芦別の先輩のところに挨拶してから帰ることにしました。

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岩見沢市内の國道12号線から、三笠市を抜けて桂沢湖へと至る道道116号線を走り、
そこから富良野・芦別方へと國道452号線を進みます。

ひたすら樹海を走ること70km余、1時間程度で芦別に到着しました。
その後先輩の御家族と共に焼肉を戴き、クルマ談義に花を咲かせているうちに
あっという間に夜になってしまいました。

結局、軽く寝てから釧路に向かうようにというお言葉に甘えて仮眠させていただきました。

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深夜2時半に起床。
わざわざ起きてくださった奥さんにお礼をして、静かに家を出ました。

騒音が迷惑にならないよう國道までバイクを押して移動した後、エンジンを始動しました。

コンビニに移動し、軽食で体力をつけて防寒装備をきっちりとして3時に出発しました


山々の稜線はすでに明るくなり始めています


見上げれば一片の雲もない、満天の星空が広がっていました。
芦別市は「星の降る里」というキャッチコピーを掲げていますが、納得できる光景でした。

最終行程、芦別~釧路間265km、時間にして概ね4時間半。
良い旅だった、と言う為には人車共に無事に家まで帰投することが肝要です。
グリップを握る手にも力が入ります。

・・・実際には寒さで手が悴んでいるだけですが。

真夏とは云え、さすがに深夜から払暁前にかけての樹海は冷え込んでおり、
ビバンダム君並の着膨れ厚着も虚しく、冷たい風が身を切るようでした。

まぁ、10~11月の深夜に走る時みたいに指先の感覚が無くなり、レバーの操作も
難しくなるようなコトはありませんでしたが・・・。

空冷エンジンには、多少寒いくらい方が冷却的には良いので我慢我慢。

CB750のエンジンは、フレームから両端がはみ出ており夏場の真昼間には
ストーブに跨って走っているみたいな状態になります。

更に酷いのは6気筒のCBX1000で、乗り手が良いカンジに
ボイルされそうなレイアウトになってます。

冷たい風を切り裂き、山中を直走ります。
さすがに深夜ともなると対向車とすれ違うことは稀で、ライトの切換の頻度が少なくて楽です。

CBのヘッドライトがオーバーラップ式になるのはK-2型からで、K1型では
スイッチングが巧くいかないと、完全に灯火が消えてしまいます。

現代のバイクのように常時点灯ではなく、off/low/highの3接点式で
しかも横にスライドする操作系統なので、正直言って遣り辛いです。
まぁ、アメリカ人向けに作ってあるバイクなので自分の指の長さでは不足なのかも知れません。

途中、速度計の針が沈黙していることに気付く。
どうやらケーブルが断線したようです。

これらのワイヤー類も、ヘタしたら新車時から交換されていないことも十分有り得るので、
40年の耐久性を持っていた、とポジティブに考えておきます。
(ちなみに、後日スロットルのケーブルも断線しました。)

走行距離が加算されなくなり、現在発揮している速度が不明となりましたが、
タコメーターの示す回転数で、おおよその速度は予想できます。

切符を切った直後ということで、もともと速度は控え目だったのであまり影響はありませんでした。

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結局、家に着いたのは明るくなってからでした。

昨年の利尻・礼文に続き、2度目の離島遠征に挑んだ今回の旅でしたが、
スケジュール的にも前回より余裕があり、終始好天に恵まれ素晴らしい旅となりました。

早朝の山中、昼下がりの高速、夜の離島、渋滞する都市部と、刻々と変わる
気象・道路条件を総て軽く熟し、1500km余の全行程を一切のトラブル無く、
見事走破して見せたCB750には感謝の言葉もありません。

いよいよ道内で未踏の離島は天売・焼尻を残すばかりとなりました。
来年の夏の訪問を予定しています。

その次は内地、さらに次は外地を目標に走り続けられるようにCB750を労わっていきたいです。
走りながら各種の部品交換を進めていく、ランニング・レストレーションを目標としています。

さぁ、来季は轍をどこに残すかな。

Posted at 2012/10/13 23:33:38 | コメント(7) | トラックバック(0) | 旅行 | クルマ

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