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2011年10月30日 イイね!

道南旅行2011秋~その③~



それでは、道南旅行2011秋~その②~の続きです。

夕方になって、ちょっと一休みしようと路肩にクルマを停めて仮眠していたら
ミニパトが前に止まって、警察官が降りてきました。
そしたら駐車違反だと!
ほとんど車通りの無い場所を選んだんですが、ダメな場所だったらしいです。

警察官はナンバーを見て「釧路から来たの?」と聞いてきました。
「何時間くらいかかったの?」「友達のトコに遊びに来たんだ?(何も言ってないのに・・・笑」と
矢継ぎ早に話しかけてきます。

「ちょっと疲れちゃって、ダメな場所だって気付きませんでした」と言うと
「そっか~、じゃあ本当は黄色切符なんだけど注意で済ましとこうか!」と。

免許証の提示と、注意を受けましたっていう確認の紙にサインして終わりました。
というか黄色切符ってはじめて知りました、そんなのあるんですね。

その後コンビニでコーヒーを買って飲んでいると、天気が急に悪くなり雨がパラパラと降りだしました。
本当は夕方から函館山に昇るつもりだったのですが、天気が回復するよう祈りながら
先に風呂に入ることにしました。

函館中心部から5キロ程度の湯の川温泉に向かい、湯本啄木亭に行きました。
雨はそれほど強くないものの、雷が凄かったです。
啄木亭の大浴場は最上階の11階で、露天風呂があるんですが
稲光と雷鳴が何度も激しく繰り返され、直撃すんじゃねーの?とちょいビビりながらの入浴でした。
天候はアレでしたが、お湯自体はすごく良かったです。

雷雨は1時間ほどでやんで、雲が急速に切れ始め綺麗な月が姿を表しました。
出発直前にも天候が急に良くなったり、今回は天佑神助に恵まれています。

函館の中心部に戻り、ロープウェイに乗って函館山の山頂に向かいました。
百万ドルの夜景はダテじゃありません。
函館の夜景を眺めるのはこれで3回目ですが、何度来ても良いですね。



その後は函館市内の観光名所を回りました。
街中の風情ある建築物はライトアップされており、昼間とは違う雰囲気があって素晴らしかったです。

函館では、異国情緒溢れる建造物を街の至る所で見ることが出来ます。
歴史ある景観を大事にする、観光都市ならではの趣があります。



石畳の道、赤レンガ倉庫群、秋色に染まる街路樹・・・
ライトアップされた夜の函館は、昼とはまた違う魅力を湛えています。

昼間は多くの観光客で賑わいますが、平日の夜とあって車通りも少なく
建物の前でクルマを停めて写真を撮る余裕があります。



百万ドルの夜景を創りだす街灯の数々と、情緒溢れる赤レンガ倉庫が
映画のワンシーンのような美しい景観を演出していました。



その日の夜、翌日から札幌に向かうつもりで森町の道の駅まで引き返して車中泊しました。
翌朝6:00頃に起きて軽い洗車をしながら色々と考えた結果、せっかくここまで来たので
札幌には行かずに北海道の南端まで行こうと決めました。

そしてふたたび函館方面へと走り出したのですが・・・
すぐに右手側にサバンナを発見!
来る途中にはまったく気付かなかったので、引き返そうと決めたのは正しい選択でした。
もしかすると、サバンナの引力に導かれたのかも知れません。

今回の旅行で、一番の発見となったマツダ・サバンナ スポーツワゴンです。

サバンナは、1971年9月に5番目のロータリー搭載車かつロータリー専用車として
華々しくデビューしました。
ボディシェルを共用し、レシプロエンジンのみの設定となるグランドファミリアが
姉妹車として存在しました。

ワゴンは1972年1月に追加、グランドファミリアには設定されたバンはなく
乗用ワゴンのみとなっています。
1973年6月にサバンナ・シリーズはフェイスリフトを敢行、1974年11月には
APのみに与えられていた12A型エンジンが全車に設定拡大されます。

このサバンナワゴンは、フロントグリルに「RE10」のエンブレムが装着されていたので
1973年6月~1974年11月の間に生産されたモデルだと推測されます。

海沿いにありながらも程度はかなり良く、下廻りも腐っていません
新車時から装着されていると思しき、バイアスのスペアタイヤが吊り下げられていました。
塗装も痛みは少なく、磨けば光る雰囲気でした。

気になった点としては、リヤフェンダーに凹み、フェンダーミラーが欠損
フューエルリッドが欠落といったトコロです。

オリジナル塗装に純正ストライプが残っており、「rotarywagon」「GR」といったエンブレムや
リヤゲートを飾るウッドパネルはきちんと残っていました。

サバンナ・スポーツワゴンは大変希少なクルマなので、我こそはという愛好家に
保護して欲しいですね。
ロータリーの快速ワゴン、ちょっと通な感じでステキです。



サバンナの下敷きになっていたのが、520型ダットサン・トラックでした。
ダットラとしては6代目にあたり、先代が320型なので順番でいくと「420型」になるはずですが
42という数字が「死に」に通ずるので、これを避けていきなり520となりました。

1968年以降の521型だと推測されます。
ヘッドライトが4つとも抜かれているのに、ウィールキャップはそのままという
のがちょっと不思議な感じでした。



このダットラ、ブリヂストンのサービスカーだったようです。
イエローの車体色に、ほとんど色落ちしていますがルーフが赤く塗られていました。

ドアには、旧ロゴのBSマークが入っていました。
ブリヂストンのサービスカーなら、グループ企業のプリンス・マイラーだったら
もっと嬉しかったんですが・・・



函館に戻り、観光名所を巡ります。

こちらはトラピスチヌ修道院です。
中世ヨーロッパの雰囲気を漂わせる、レンガ造りの重厚な外観が美しいです。

日本で最初の観想女子修道院だそうで、創立は1898年(明治31年)とあります。
1925年(大正14年)に火事で本館を焼失し、1927年(昭和2年)に再建された歴史ある建築物です。



こちらはトラピスト修道院で、日本初の男子修道院とあります。
修道院へ向かう道は長い並木道になっており、美しい草原が広がっています。



並木道にて一葉。



木々の間から、柔らかい陽の光が射し込んでいました。



函館を出て、北斗市内を松前方向へと向かって走っていくと海まで伸びる橋のようなものが・・・

最初は普通に橋かと思ったんですが、湾内で途切れています。
調べてみると「太平洋セメント 上磯工場」の海上桟橋とのこと。

太平洋セメント上磯工場は、現在稼動しているセメント工場としては日本で唯一
100年を超える歴史を持っています。
年間950万トンの石灰石採掘量を誇る峩朗鉱山から、全長6.2kmの長距離ベルトコンベアにより
石灰石を直接工場へ運び、年間約327万t(平成19年度実績)のセメントを製造する
能力を誇っています。

この海上桟橋は全長が2kmもあり、6万トン級の大型船舶の着桟が可能です。
帰路の高速道路では山側に伸びるベルトコンベアを見ることができ
その長大さに驚かされました。
こういった工場群や、複雑な造形の巨大構造物を見るとワクワクしますね。



元々は正規ディーラーで、現在は民間の整備工場となっている
ショールームに飾られていた、販売車のクラウン4ドア・ピラードハードトップ(MS90)です。

初年度登録は昭和51年1月で、一度オールペンしているようです。
オーバーライダー付きなので、3ナンバーの2600スーパーサルーンだと思います。

4速フロア・マニュアルで、サイドバイザー、カセットステレオ、空気清浄器
王冠マーク付きセンターキャップ+デザインスティール、レースのハーフシートカバーなど
高級車らしく豪華装備が満載でした。
内装も、破れやヒビ割れの見当たらない良好なコンディションでした。

80万円でいつかのクラウン・・・じゃなくて、いつかはクラウンの夢が叶いますよ!



ショールームの外にも、マツダ・コスモAPが置いてありました。
バリカンの愛称で知られる第2世代のコスモで、1975年から1979年まで生産された前期型です。

6ライトの2ドア・クーペというスタイリッシュなデザインと、排ガス規制によって各社の
スポーツモデルが牙を抜かれた時代に、パワフルなロータリーエンジンを搭載して
デビューするや否や大ヒットを巻き起こしました。
内装も豪華で、当時のアメリカ製パーソナルカーの雰囲気を感じさせます。

前期型ならではのL字のテールランプがとてもカッコいいです。

この個体は2000ccのレシプロエンジンを搭載しています。
リヤウィンドウには「寒冷地特別仕様車」のステッカーが残っていたので
新車時から道内/東北に棲息していた個体だと思われます。

後付けのサイドモールが剥がれていたり、サイドシルから錆が来ていたりと全体的には
ヤレていましたが、まだまだ生かせそうな雰囲気でした。
農家さんも増車したことですし、CD23Cさんも増車しちゃいますか?(笑)



松前郡福島町では、青函トンネル記念館と横綱千代の山・千代の富士記念館を訪れました。

青函トンネル記念館には、工事に使われたボーリングマシンや潜水艇くろしおⅡ号が
飾られていました。

横綱記念館は、北海道出身初の横綱・千代の山とその弟子の横綱・千代の富士が同じ
福島町出身であることを記念して建てられたものです。

千代の富士は、脱臼癖を克服する為に鍛え上げられた筋肉質な体や
鋭い眼光に整った顔付きで一般層からも人気を得て、ウルフの愛称で親しまれました。

史上有数・昭和最後の大横綱で、相撲界唯一の国民栄誉賞受賞者でもあります。



北海道最南端の白神岬です。
「津軽海峡冬景色」で御馴染みの、竜飛岬まで19.2kmの距離しかありません。
この下には世界最長の海底トンネル、青函隧道が通っています。

本当は津軽側をバックに撮りたかったのですが、あいにく霞んでおり北海道側となりました。

もう道内のほとんど行くとこ行ってしましました。
次はどこにいこうかな?



こちらは松前城です。
松前城は慶長11年(1606年)に築城された、最後期の日本式城郭となります。

蝦夷ヶ島に新天地を求めた旧幕府軍と、それを阻もうとする新政府軍の間で行われた
戊辰戦争の舞台にもなり、激しい戦闘が惹起されました。

函館湾に展開した旧幕府軍の艦砲射撃の支援のもと、新撰組出身の土方歳三率いる
部隊によって攻撃され一度は落城を経験しています。

1949年には火災によって天守などを焼失、1961年に鉄筋コンクリートで再建されました。
とてもコンパクトな城ですが、春には一面の桜に覆われるそうです。
桜の季節に来てみたいですね。

ここでちょっと驚くべきことが・・・

天守閣の写真を撮っていると、敷地の外からよじ登って入ってくる中年男性が・・・

松前城の入場料は350円なのですが、それを払いたくないということでしょうか。
いい歳したオッサンが350円をケチって不法侵入とは、さすがに呆れますね。

警戒するようにこっちをチラチラ見ながら、パパッと何枚か写真を撮ると慌てるように
足早に出ていきました。
ていうか、その写真は友人に見せられるの?
不法侵入して作った旅の思い出ってどうなのよ?と思いますが・・・



太陽が西に傾きはじめた午後4時、落部から高速に乗って帰路に就きます。
グロリアは家までノントラブル走り抜いてくれました。



今回の旅行は3日間を通して天候に恵まれ、一切のトラブルもなく楽しい旅でした
みんカラで知り合えたお友達ともお会いすることができ、大きな収穫がありました。
また遊びに来たいです!

これにて道南旅行2011秋は終了です♪
Posted at 2011/10/30 23:18:58 | コメント(10) | トラックバック(0) | S4系グロリア(2代目) | クルマ
2011年10月29日 イイね!

道南旅行2011秋~その②~



1日目の夜に、nezupukuさんに教えて頂いた市内のローライダーショップにお邪魔しました。

オーナーさんはローライダーの制作に対するこだわりや情熱を熱く語る、仕事というより
趣味の延長線上でクルマ屋さんをやってるんだなぁ、という感じの良い方でした。

バラバラにしてレストア中の64インパラや、アメリカのカークラブで制作された
有名な64インパラのショーカーなどを拝見させていただきました。

こちらは、そのショップのヤードに置かれていた1959年型シボレー・ブルックウッド・2ドアワゴンです。
ブルックウッドはビスケインに相当する廉価モデルで、2ドアワゴンというとスポーツワゴン的な
1957年型ノマドが有名ですが、こちらは単純に安いからドアが2枚しかない、というモデルです。

廉価モデルだけあって、モールディングがほとんどありません。
側面から突っ込まれたような形跡があります。

隣は430で、トランクフードが色違いのモノを装着されているだけで
やたらとレーシーな雰囲気になってます。



リンカーン・コンティネンタルMark-Ⅴコレクター・シリーズです。
希少なサンルーフが装着されています。
少なくとも昭和62年頃までは現役で走っていたようです。

ものすごいツラウチなので、この角度からだとタイヤがないエアカーみたいです。
白いボディーに、コーチランプが埋め込まれた白のバイナルトップがとても上品です。



朝飯は近くのマックで済ませました。
以前、一度だけ凾館朝市に行きましたが、地元の和商市場と同じで観光地価格でしたね。
1000円くらいするイクラ丼を頼んだら、ドンブリが小さくてがっくりしました・・・


住宅街に路駐?していた、2台の510ブルーバード・クーペです。
2台とも、ちょっと古い道外ナンバーが付いていました。
両方とも1800SSSクーペで(スーパー・スポーツ・セダン・クーペっておかしくないか?)
同じサファリブラウンのカラーでしたが、1台は珍しい白いレザートップでした。

内外装ともに手が入っており、当時の走り屋仕様といった感じです。
場所的に、市から撤去の命令とか来ないんですかね?



五稜郭タワーでお土産を購入、今回は時間の関係でタワーには昇りませんでした。

お土産はお世話になっている整備関係の方々に配りました。
こういった日々の心がけが、面倒事を持ち込んでも断り辛い空気を醸成するのです・・・。
ヘンなクルマを維持していくのは、こういう手回しも大事です(笑)



そして10時からは、みん友のヤマス~さんと初めてお会いしました。

ヤマス~さんの愛車、シボレー・カプリス・クラシックワゴンです。
駐車場の白線にまったく納まらないデカさが凄いです!

センターキャップのトリムリング、ホワイトリボン・タイヤの足元が現地臭さたっぷりです。
さりげなくマニアックな雰囲気がたまらないです。



以前から、みんカラを通じてコメントのやりとりなどをさせて頂いていましたが
オフラインでは初対面とあって、ちょっと堅くなってしまいましたが
同じ系統(?)のクルマ趣味の嗜好とあってか、すぐに打ち解けられたと思います。

まずは、自分のグロリアにヤマス~さんを乗せてグルっと試乗してもらいました。
グロリアに乗る機会はあんまり無いと思うので、楽しんで頂けたかと思います。

続いては、ヤマス~さんのカプリスに同乗させて戴きました。
フルサイズならではの巨体と、フワンフワンとしたゆったりとした乗り心地や
共感を得られる車体から聞こえてくる軋み音・・・(笑)を堪能しました。

「運転して良いですよ」と言ってくれたのですが、なんせ運転のヘタな自分では
人様のクルマ(しかもフルサイズ)は、恐くてとても運転など出来ません。
キズでも付けた日には、重石を括り付けて凾館港に沈められてしまいます・・・・

カプリスに乗せていただくという貴重な体験に感動しました!
ヤマス~さん、この度はありがとうございました!



全国区で有名な函館の旧車ショップ、函館空冷製作所さんにもお邪魔してきました。
先回にもお邪魔させて頂いて、わざわざ釧路から自走で来たことを記念して?
オリジナルTシャツを戴きました。

たくさんの展示車の中で気になったものをいくつか。
まずは1963年型インパラ・ワゴンです。

シェビーブルーのボディが爽やかな雰囲気です。
車高はペタペタに下げられていますが、純正のウィールキャップにホワイトリボン・タイヤの
組み合わせが異様なカッコよさを醸し出しています。

繊細なディティールのルーフラックや、リヤゲートの両端に装着された
ディフィーザーがワゴンらしいルックスを盛り上げています。



シボレーのサービス・デパートメントの看板です。
こういった小物類があるだけで、周囲の空気が凄くアメリカっぽくなります。



ウィリス・ジープ・ワゴニアです。
ワゴニアは1963年にデビュー、1991年まで長きに渡って製造された為、現在も
多く見かける車種ですが、この個体はまず見かけない1965年以降の初期モデルです。

ワゴニアは最初期モデルでは縦型グリルを持っていましたが、1965年のフェイスリフトで
横長の乗用車ライクな顔付きに変更されました。
ベンチシート、コラムATでエンジンはV8・350でした。

リヤゲートのガラスはパワーでは無く、アウタークランクハンドルで昇降させます。
ジープのワゴンというと、武骨なJ36系がイメージですが
ワゴニアは内外装共にスマートな印象で、現在のアーバンSUV的な存在だったように思えます。



オーバル・ウィンドウのT-1です。
”オーバル”とは、リヤウィンドウの形状が楕円であることから付けられた通称です。
高価なレーダー・ウィールを履いています。

赤と白のツートーン・カラーにルーフラック、ストーンガードと抜かりありません。
ワーゲンに乗っていた時に思い描いていた理想の姿とかなり近く、思わず欲しくなってしまいました。

個人的な好みとしては、ダブルバンパーにアイブロウ、フロントバイザー、ミラーバイザー
フロントストーンガード、ポルシェアロイ、サイドバイザー、外付けクーラー
ポップアップ・リヤサイドウィンドウ、コーナーポール、インターナショナル・ライセンスプレートなんか
でめいっぱい飾り立てた状態で乗りたいです。



こちらは現在、大変高価になってしまったT-2・23Wです。
23W(ウィンドウ)とは窓の数を示し、これはもっとも多くの窓を持つモデルです。
マイナーチェンジでリヤゲートが拡大されると、リヤのコーナーウィンドウが廃止されるため
窓の数も21枚に減ぜられます。

たくさんの天窓と、大きな開口部を持つサンルーフによって室内はとても開放的です。
2枚のフロントウィンドウは、下側が開いて通風できるようになっている”サファリ・ウィンドウ”で
これもT-2の特徴的なディティールです。

T-2の最上級仕様は「サンバ・バス」という名前なのですが、サンバーバン・ベースの
VW仕様のことだと勘違いされやすいです。
文句の付け所のないパーフェクトな仕上がりですが、お値段も相当なんでしょうね・・・



お昼はハセガワ・ストアの焼き鳥弁当にしました。
後から聞いたら、フタで串から抜き取るという”流儀”みたいなのがあるらしいとか・・・
全然知りませんでした。

ちなみに根室には「タイエー」という地場コンビニチェーンがありまして
ハセストの看板を掲げています。
なんでもフランチャイズだそうで、そこでも同じ焼き鳥弁当を買うことが出来ます。



JAFで運用されている、トヨタ・メガクルーザーです。
メガクルーザーは、米軍の軍用車「HMMWV」を参考に開発された高機動車の民生仕様です。
自衛隊にいた頃は他の車輛(73式小型トラック/3トン半)よりも広く、乗り心地が良く
暖房も強力だったので好きでした。

個人オーナーも少ないながら居るようですが、ランクルやジムニーなんかよりずっと目立つし
走破性もハンパじゃないから面白い選択肢だと思うんですケドね。

4WSもリヤのステアがハンパじゃない量で、演習場内の狭い道でもクルッと転回してました。
整備工場でピットに潜って気が付きましたが、スバル1000と同じインボード・ディスクブレーキでした。

まぁ実際に買ったらデカすぎるし、タイヤの置き場やタイヤ交換も困りそうですが・・・



バイク屋に並んでいた、ヤマハ・FZ250フェーザーです。
イメージカラーの赤×白ツートーンで、貴重な純正アンダーカウルが装着されています。

このバイクには強い思い入れがあります。
高校生の頃、お世話になっているバイク屋さんに廃車処分で入ってきた
不動のフェーザーを譲り受けて、父と一緒に初めてのレストアに挑戦したからです。

鍵も紛失しており、ハンドルロックを解除する為にまず鍵を作るところからスタートしました。
カウルを全て取り外して、フレームをワイヤブラシで磨いて錆を落としました。
エンジンは、調律の難しい4連キャブだけはバイク屋さんに清掃・調整を依頼しました。

フロントフォークのベアリングを取り替えたり、スプロケットを交換したりもしました。
自らの手でバラして、組み立てることによって構造が理解できて楽しかったです。
まぁ、重要な作業はほとんど父がやってたんですけどね。

エンジンが掛かった瞬間は嬉しくて嬉しくて、噴き出したオイルが顔にかかっているのも
気にせずに父と歓声を上げてました。

高校時代にRZと2台体制で乗り、2スト2気筒と4スト4気筒のそれぞれの良さと悪さを
味わうことが出来ました。
残念ながら手放してしまった(失敗でした・・・今も後悔してます)のですが
いつかは再び乗ってみたいです。

自分が持っていたのは、排気音が静かになった2型のYSPスペシャル
(ヤマハ販売店特別仕様車)で、ガンメタリックとシルバーグレーのツートーンでした。

YSPスペシャルはトリプルディスク・ブレーキが自慢でしたが、雨の日はリヤブレーキが
すぐにフェードして、ケツを振ってヒヤヒヤしたものです。
また、前傾45度のジェネシス・エンジンは雨の日にはヘッドの間に水が浸入して
プラグが濡れて、頻繁にエンストしました。
これは、前傾45度エンジンにハーフカウルという組み合わせゆえの持病だったようです。

エンジンが掛からなくなったフェーザーを、友達とずっと押して帰ったのも懐かしい思い出です。

どマイナーなバイクで、生産期間も1年少しだったそうです。
かなり売れたらしいですが、信じられないくらいの残存率の低さです。
乗っていた時は1度しか同型車とスライドしませんでした。

フェーザーは4気筒250ccという小排気量に16バルブを奢り、16000回転という正気の沙汰とは
思えない高回転から、最大出力45馬力を叩き出す小さなモンスターです。



こちらは、自分が免許を取って初めて乗ったバイクのRZです。
自分のRZは最初期型ですが、こちらの個体はマイナーチェンジ後のモデルです。

純正のリヤキャリアは初めて現物を見ましたが、ツーリングに便利そうで欲しくなりました。
テントを積んで、内地を放浪した時の相棒もRZでした。
今はコンテナの中で眠らせていますが、ひさびさにオイルで背中を汚したくなりました。



現役で活躍中の、三菱ふそう・中型トラックFK(後期型・通称ブラックマスク)です。
「函 88」ナンバーを掲げるダブルキャブの高所作業車で、当時の三菱トラックの
イメージカラーである黄土色が眩しいです。

それにしても、ワイパーブレードの短いこと!!
払拭面積がやたらと小さい気がするんですが・・・



その後、以前に2回訪れたことのあるローライダーショップに顔を出してきました。
お土産は本国版のローライダーマガジンです。
ここのショップにはオーナーのお気に入りの64インパラをはじめ、何台もの
アメリカ車が並んでいる凄いトコロです。

1964年型シボレー・インパラSSスポーツクーペの内装です。
SS仕様は多くありますが、ホンモノのSSは希少です。

SSとは”スーパー・スポーツ”のことで、シボレーのハイ・パフォーマンスモデルに
与えられる称号です。

エンブレムやモールだけを交換したSS仕様は多いですが、センターコンソール付きの
セパレートシートや、フロアATは容易に交換できないのでなかなかお目にはかかれません。

シックなガンメタリックのボディカラーに、煌びやかなシルバーグレーの内装色がマッチしています。



1963年型のインパラ・コンバーティブルです。
ホワイトのエクステリアに、レッドのインテリアのコントラストが美しいです。
オプションのパワーウィンドウが装着されていました。

デジタルに交換されやすいメーターも、純正のアナログを保っていました。
60sらしい絢爛さと、コンバーティブル特有の華やかな雰囲気はたまらないものがあります。



日本では珍しい、4ドア・ポストセダンの1964年型シボレーです。
リヤのテールレンズの数が確認できなかった為、インパラかベル・エア/ビスケインかは
判断できませんでした。
サイドモールからインパラかなぁとも思いますが、ツートーン・カラーに塗装する際に
ペイント・ディバイダーとして装着したのかも知れないので、決め手に欠く感じです。

日本ではインパラと云えば、2ドアクーペかコンバーティブルが定番で
小数ながらワゴンが居るといった感じです。
4ドアでもハードトップのスポーツセダンがほとんどで、ポストセダンはまず見かけません。

60年代モノと思しきフェンダーミラーからして、当時に輸入された車輌かも知れません。
スクエアなリヤドアのおかげで、サッシュがなくても窓が下がりきるのが美点です。



気になったのは、このビッグブロアム。
本来はトランク側に納まるライセンス・プレートが、バンパーに移されています。
本来の位置には、きちんとボディにあわせた形状のカバーが取り付けられており
バックランプ組み込みのリヤガーニッシュも装着されています。

リフレクターの付いたキャディラック・クレストは、確か社外品であったと思いますが
カバー類ははじめて見ました。
社外なのか、特別仕様車的なグレードなのか、純正オプションなのか判然としません。

トランクリッド右端に「cadillac」のエンブレムの下には「LUXURY SPORT」という
エンブレムが装着されています。
ネットで検索してもそれらしいモノが出てこないので、たぶん社外品かワンオフ品だと
思うのですが・・・



さて、この後は夜の部の③に続きます!
Posted at 2011/10/29 22:36:51 | コメント(7) | トラックバック(0) | S4系グロリア(2代目) | クルマ
2011年10月28日 イイね!

道南旅行2011秋~その①~

10月11・12・13日の3連休で、道南を旅行してきました。
道南を訪れたのは昨年の5月以来で、高校時代にバイクで初めて訪れて以来
RZで2回・レックスで1回・グロリアで2回と、トータルで5回目の訪問となりました。

なにせ釧路~函館は580kmもの距離があり、行くだけで半日以上かかります。
今回は3日間も休みが取れたのでゆっくり出来ましたが、1日半でトンボ帰りしたこともありました。

かなり遠く見える釧路~稚内ですら484kmで、日付が変わるちょっと前に出れば
朝日と共に到着することも可能ですが、函館はさすがにそうは行きません。

それでも釧路を出発して浦幌から天馬街道、日高富川ICから高速道路に乗り
落部ICまでは高速で一気呵成に行けるのでラクとも言えます。
アップダウンやワインディングの連続する山中をあまり通らなくて済むので助かりますね。

まずは、今回の旅行の燃費データと出費関係です。

総走行距離:1578キロ(3日間)
総給油量:169.27リットル
総燃料消費:概算164リットル
平均燃費(高速・一般道・市街地トータル):9.6Km/h
高速巡航燃費:概算11km/h

燃料代(レギュラーガソリン):19498円
高速道路料金:11450円
食事代:4156円(清貧やね)
施設入場料:3910円
お土産代:8961円
出費トータル:46175円

今回の旅行の前に、ベテランメカニックの方に整備をお願いし
バルブクリアランス・キャブ・点火系などを総合的に調整してもらったのですが
信号待ちで、エンストしてんじゃないのコレ?って思うくらい静かで振動が無くなりました。

高速では油断するとすぐに速度超過しそうになるくらいで
スピードを出しすぎないように気を遣う程です。
追越しではカタパルトのように猛進し、1.4トンの車重をまったく感じさせません。

燃費も明らかに向上し、登坂時もOD入れっぱなしでパワフルに駆けあがり
水温もずっと安定して、1500km超の全行程で唯の1度もグズることがありませんでした。

来年で製造から46年になるグロリアですが、その高性能には驚嘆するばかりです。
腹の底からこのクルマを選んで良かったと思います。

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さて、9時に仕事が終わってから食事と入浴を済ませて10時半頃に出発しました。

出発直前まで雨が降っており、翌朝出ようかと考えていましたが
一気に厚い雨雲が切れ、明るい月が顔を出し始めました。

天佑ヲ確信シ全軍突撃セヨってな気分です。

天候は良かったものの、天馬街道へ向かう山中は濃霧が立ち込めていました。
4灯シールドビームを照射し、キスカ島の如き濃霧を切り裂きながら断じて躍進してゆくと
丸っこい黒い影が・・・

タヌキでした。
1匹、2匹と視認し、警戒を密にして進んでいたものの痛恨のミスをしてしまいました。
「ゴツッ」という鈍い感触に、最初はタイヤがパンクしたか、前脚が折れたかと思いました。
あわてて下車して4輪を確認するも異常なし。
ということは・・・

引き返すと予想通り、タヌキを轢いてしまっていました。
かすかに息をしていましたが、自分に出来ることは何もありません。
せめて、何度も轢かれないようにと林の中に移動させせました。

今までも小鳥とぶつかってしまったことはありましたが、タヌキのような大きさの
動物を轢いてしまったのは初めてです。
今後の運転の戒めとします。



深夜(早朝?)の3時半頃に鵡川町の道の駅「むかわ四季の館」に到着
そのまま気を失うように眠りました。
さすがに10月ともなると冷え込みが厳しく、寒さのせいで6時前には目が覚めてしまいました。

むかわ町は、昨年ノーベル化学賞を受賞された鈴木章 北海道大学名誉教授の
出身地として一躍有名になりました。

6時15分に道の駅を抜錨、払暁と共に高速に乗り、旭光を背に一路南へと躍進します。
まだ燃料に余裕はありましたが、高速道路のSAのガソリンスタンドは割高なので
一旦高速を降りて、苫小牧で1度給油を実施しました。

写真は道東自動車道・有珠山SAの展望台から望む、有珠山と昭和新山のシルエットです。

有珠山は世界的に見ても活発な活火山として知られており、30年程の周期で噴火を
繰り返しています。
大きな被害をもたらした2000年の噴火は記憶に新しいかと思います。

小さい方の昭和新山は、戦時中の1944年から45年にかけて噴火を繰り返して形成されました。
当時は劣勢であったこともあってか「神国日本が怒っている」などとも語られましたが
國民の動揺を避けようとした大本営の情報統制によって噴火の事実は伏せられ
公になるのは戦後になってからでした。

昨晩までの雨が嘘のような秋晴れに恵まれ、爽快な風を受けて順調に進みました。



高速道路上で積算走行距離が20000キロに達しました。

2008年2月13日の納車時には76100kmだったのが、2010年7月23日にゼロに戻り
そして2011年10月11日に20000に・・・

この旅行から帰ってきた時点で21152kmを指し示していたので
2008年にこのグロリアが自分の元に来てから、3年8ヵ月で45052km走ったことになります。

このままのペースを維持できれば、10万キロもあながち夢の話では無さそうです。

一生乗り続けるとか、100万キロ乗り続けるというのは理想的ながら
現実には様々な理由で、人生の優先順位は変わってくると思います。
クルマは事故で簡単に失われますし、ましてや旧車はエンジンブローが
そのまま全損と同じような結果になりかねません。

ならば、手許にあり、走ってくれるうちは少しでも共に駆け抜けたいです。
死んでもハンドルを離しませんでした、と修身の教科書に載る勢いで走り続けます。

あと、高速の途中で60km/hくらいでノロノロと走る軽が・・・
痺れを切らした後続のADバンが路肩から抜かそうとするとブロック!
おいおい・・・
高速でゆっくり走るのはともかく、進路妨害はさすがにどうかと思うぜ?



今回の旅行でまず見つけたのが、ホンダT360でした。
いきなりの大物の発見とあって、幸先が良いです。
しかもケイヒン4連キャブを備える希少な前期型(通称AK250)でした。

見事にフレームが折れており、キャビンとベッドの部分でくの字に折れ曲がっています。
荷台には苔が生えていました。
宗一郎のおやじさんが全行程で開発に関わった唯一の4輪車でもあります。

白い「H」マークに、カエルのようなトボけたファニーフェイスと、まったく可愛らしくない
2バルブDOHC・4連キャブレターのエンジンにタコ足を奢ったエンジンをミッドシップに
レイアウトしたスポーツカーよりもレーシーな軽トラックです。



ここのトラック整備工場には高校生の時にもRZで訪れたことがあり、その時から
ファミリア・トラックがありました。
以前は生い茂る草の葉の中から顔を覗かせていましたが、今回は逆向きになっており
テールレンズやリヤ廻りを確認できました。

2代目ファミリア(FA3型)のトラックは内地のイベントで見たことがありますが
初代はこの1台の他に見たことがありません。

ワゴンが5ナンバーの荷室付乗用車としてのポジションを強調していたのとは反対に
トラックは実用重視で、シンプルなディティールに変更されています。

初代ファミリアのトラックは、ネットで探してもほとんど見当たりません。
かなりの希少車だと思うので、愛好家の元でレストアされて欲しいですね。



この後、昨晩の濃霧による汚れが気になったので森町の道の駅「YOU・遊・もり」‎にて洗車。
もちろん手洗いで、基本的に洗車場に行くのは下廻り洗車の時だけです。

軽く湿らせたウェスで拭きあげるだけですが、出る前にコンパウンドとワックスを掛けて
光らせていたのでそこそこ綺麗になります。

ちょうど交通安全週間だったらしく、地元のライオンズクラブの方々が交通安全の呼びかけを
しており、交通整理で警察官がたくさん来ていました。
洗車中に警察官の方が話しかけてきたのですが、スピードメーターを見ながら
「コレ100キロ以上出るの??」と聞いてきました。

なんて答えればいいんだよ!

かなり前にビートルで速度違反やらかして青切符を頂戴した際には
警官が旧車に興味があるらしく「こういうのまだ売ってるんですね」「いくらしたんですか」
といろいろ話しかけてきました。

そして一言「結構スピード出るんですね!」

そのおかげでパトカーの後部座席に座ってるんだけどね!

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さて、森町から函館へと進みますが、数台の旧車が道を阻みます・・・

こちらは閉鎖された店舗の前で静かに眠っていた、第3世代のシボレー・カマロです。
ボンネットに備わる二対のエアダクトが迫力満点で、奥目がちの角4灯ヘッドライトと相まって
如何にもワルそうな雰囲気を漂わせています。

この個体は、3rdカマロのバリエーションの中でも高性能版である”IROC-Z”でした。
”IROC”とは「International Race of Champions」の略であり、カマロという車が
レース活動と切っても切り離せない存在であったことを如実に表すグレードと云えるでしょう。

エンジンは235馬力を発揮するV8・OHVの5.7リットル”TPI”(チューンド・ポート・インジェクション)で
総ての米国車が軒並みパワーダウンを余儀なくされた、排気ガス規制の厳しい時代の中でも
兄貴分のコーヴェットと共に、シボレーを代表するスポーツカーとしての矜持を保っていました。

この個体は、Tバールーフとオートマティック・トランスミッションが選択されています。
痛んではいるもののオリジナル・ペイントのようで、ストライプやサイド・ステッカーも残っていました。
「ハリケーン・レーシング」と刻まれた社外アルミ・ウィールが装着されています。

比較的新しめの3桁ナンバーが付いているにも関わらず、何十年も放置されている
かのような外装でしたが、欠品はなさそうなので復活は容易と思われます。



解体屋の前に並んでいた、赤と青の2台のトヨタ・チェイサーです。
「ブタ目」と喩えられる30/40系コロナ・マークⅡ/チェイサーの兄弟(クレスタは次世代より登場)
は圧倒的にコロナ・マークⅡの残存率が高く、チェイサーは比較的珍しいです。

2台とも2ドア・ハードトップで、グレードも同じくGSでした。
赤い個体は張り出しの少ない標準バンパーで、青い個体は大きく突き出した
オプションの衝撃吸収バンパー(5マイル・バンパー)が備わっていました。

青い個体は「GS」と刻まれた純正のサイド・ストライプや、リヤバンパーに張られた
「トヨタオート函館」のステッカーが素性の良さを感じさせました。
リヤトレーには当時モノらしき、後付けのハイマウント・ストップランプが備わっていました。

2台ともボンネットやルーフは日焼けしているものの塗装の剥がれは無く、磨けば光りそうでした。
内装やクロームの状態も良好で、公道復帰は比較的容易なように思えます。



函館市内に入る前に、大沼国定公園に行ってきました。
はじめて訪れたのですが天気に恵まれ、木々もほんのりと色付いて素晴らしい景観でした。
澄みきった秋晴れのもと、紅葉が輝いていました。



独特のシルエットを見せる、雄大な駒ヶ岳を遥かに望む。



余計なキャプションは無用ですね。



大変暖かく、自分はTシャツ1枚でちょうど良いくらいでした。
地元の方はコートなどで秋らしい装いの中、Tシャツ1枚の季節感皆無の男という
光景はさぞかし異様だったかと思います。

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こちらは、物置として使われている(いた?)「トヨタ・ライトバス」(RK170-B)です。
1963年3月から1965年6月までのモデルで、荒川車体工業株式会社で生産されたボディです。
リヤウィールの手前にはしっかりとした造りのエンブレムが奢られていました。

打ちこまれた大量のリベットが時代を感じさせます。
コマツ重機の社用車として使われていたようで、車体側面には屋号が記されていました。

「ポリバケツのフタ」と形容される純正キャップ(スタウト/ダイナと共通)も確認できました。

フロントマスクの造形が、1967年登場のMS50クラウン(前期)と似ているように感じました。



こちらはショップのデモカーとして店内に飾られている
1959年型シボレー・インパラ・コンバーティブル&パークウッド・ワゴンです。

鏡面仕上げの、深いメタリック・グリーンが美しいコンバーティブルには
フロント・オーバーライダーやコンパス、クルーザースカート、コンティネンタル・キットなどの
高額なオプションが多数奢られていました。

”キャッツアイ&バットウィング”のデザインは大変インパクトのあるもので
自動車の歴史に残る独創性に溢れています。

パークウッド・ワゴンはやや車高を下げているものの、純正ウィールキャップが備わっており
純正の雰囲気を感じさせる好ましい個体です。

1959年型シボレー・ステーションワゴンは、9人乗りの最上級モデルでインパラに相当する
「キングスウッド」を頂点に「ノマド」「パークウッド」「ブルックウッド」が設定されていました。
ベーシックなブルックウッドにのみ、2ドア・ワゴンも用意されました。

この個体はパークウッドで、ベル・エアに相当する中位グレードです。
ステアリングや内装、外装のサイドモールなどもベルエアと共通となっています。



デ・トマソ・パンテーラ

パンテーラとはイタリア語で「豹」を意味し、販売網を提供したフォードの
「マーキュリー・クーガー」と通じるネーミングとなっています。

ル・マンでフェラーリを打ち破った、フォードGT40のイメージを投影したスーパースポーツで
イタリアン・メイドのボディに、フォード製クリーブランドV8エンジンという組み合わせです。

この個体は1984年以降の「GT5 S」で、1980年に登場したGT5をリファインしたモデルです。
標準仕様で300馬力、高性能版では350馬力を発揮するエンジンを搭載し
最高速度は280km/hを越えると豪語されていました。

パンテーラはこの種のエキゾチックカーとしては異例なことに、当初から量産を前提とした
プロジェクトで、競合するランボルギーニやフェラーリと比べ価格を抑えることに成功しました。

信頼性が高く、メンテナンスや部品供給に不安のないエンジンに加え
エアコンなどの快適装備を標準装備とするなど、デイリーユースできるスーパーカーという
外観からは想像もつかないユーザーフレンドリーな車でした。

車体の下側には置いてあるのは、シボレーの純正ウィールキャップです。



1966年型キャディラック・コンバーティブル

1966年型キャディラックは、1948年以来のテールフィンに決別を告げ
縦目4灯ヘッドライトと縦長テールライトを採用し、大きくイメージを変えた
1965年型をほぼ踏襲したデザインとなっています。

また、1966年には先進的なFWDを与えられたエルドラドが登場しています。

1960年代のデザイン・トレンドである、ボックス・スタイルらしい躊躇いのない
ストレートなラインで構成されたスクエアなボディは、数値以上の巨大さを感じさせます。

ボンネットとトランクはひたすら長く、キャビンは全長に比して控え目にデザインされています。
1950年代と比べるとモールディングは少ないですが、効果的に配置され要所を引き締めます



ビュイック・ロードマスター・エステートワゴン

ミラーの取り付け位置から、1991~1993年モデルと推測されます。
ロードマスターは、1991年のGM B-bodyのフルモデルチェンジの際にワゴンのみで登場しました。

B-bodyの主力は、タクシー/ポリスカーを主としたフリートユース向けの
シボレー・カプリス(セダン/ワゴン)であり、ビュイック・ディヴィジョン版のロードマスターは
当初それほど重視されてはいませんでした。

保守的で高齢層向けのビュイック・ディヴィジョンらしく、ウッドグレインや本革で
クラシックに装ったロードマスターは、予想以上の売り上げを記録しました。
市場の大きな反響に応え、翌92年からは新たにセダンも追加設定されました。

その一方、オールズモビル・ディヴィジョンのB-body「カスタム・クルーザーワゴン」は
販売不振で、早々に生産が中止されました。



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午後からは、みん友のnezupukuさんとお会いしました。
まずは、nezupukuさんの貴重なコレクションを拝見させて頂き
その後は業界裏話?など興味深いお話をたくさん聞かせて頂きました。

旧車業界も、なかなかドロドロしているようで・・・!

さらにはグロリア用ワイパーリンクまで戴きました。
nezupukuさん、この度は色々とありがとうございました!

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晩御飯は、函館名物ラッキーピエロでオムライスを食べました。
以前函館に来た時にハンバーガーは食べたことがありましたが、オムライスは初めてでした。

安いのにボリュームたっぷりで、食べごたえ充分でした。
これなら人気が出るのも頷けますね。

ただし、時間帯のせいか店内は高校生カップルがほとんどでした・・・w



夜は例によって車中泊です。
昼間は釧路と比べると暑いくらいでしたが、やっぱり夜は冷え込み
たいして寝てないのに、またもや朝早く目が覚めてしまいました。

どれだけ寒くても、エンジン掛けっぱなしで寝るのは現行車でもしません。
ガソリンの一滴は血の一滴!

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先回(昨年春)は天気に恵まれず、せっかく桜が満開なのに曇天でイマイチだったのですが
今回は御覧の通り素晴らしい天気で、景観を存分に楽しめました。

それでは、道南旅行2日目に続きます!

Posted at 2011/10/28 22:40:52 | コメント(9) | トラックバック(0) | S4系グロリア(2代目) | クルマ
2011年10月03日 イイね!

いすゞワスプ&ベレット



今回はいすゞの小型トラック「ワスプ」及び、そのベースとなった「ベレット」を御紹介します。

ベレットは新車当時から欧州調グラン・トゥリズモとして人気が高く、現在も愛好家が
多く存在し、資料や現存台数も多いです。
しかしワスプに関する資料は少なく、ネット上でも詳細なデータなどは見当たりませんでした。
偶然にも新車発表時の記事が掲載された自動車専門誌を持っていたので
まずはそれを御紹介します。

※以下、鉄道日本社発行 自動車工学 第十二巻・第八号 昭和三十八年八月号より抜粋



ページの左下には”需要家の利益を保證し業者の信用を高める!”という
ヘッドコピーが印象的な、ベアリング・メーカーの広告があります。

現在では、ベアリングやガスケットといった部品の広告は一般紙では見かけませんが
当時はエンジンO/Hが珍しいことではなく、交換が前提となる
こういった部品の広告も多く掲載されていました。

右下には、ニッサンディーゼルの8トン車”T80”と、6トン車”UG680”が掲載されています。
T80は、日野の”剣道面”デザインに強い影響を受けたことがわかります。
同時期の、G30系ニッサン・セドリックとも共通するイメージの縦目配置が特徴的な
UG680型は、トミカ・リミテッド・ヴィンテージで立体化されたことで有名です。


※以下、記事本文

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新小型商業車 いすゞワスプ

いすゞ自動車が発表した1トン積みトラックのワスプ
(WASP。蜂のことで小さいながら力の強い勤勉な働きをするものの意味)。
同時に発表された新乗用車ベレットのスタイルを基調に乗用車感覚を十分盛り込んでいる。

1325cc、58PS(5000rpm)、最大トルク 9.8mkg(1800rpm)のガソリン車(KR10型)および
1764cc、50PS(4000rpm)、最大トルク11.2mkg(2000rpm)のジーゼル車(KRD10型)がある。

軸距が2.5mで最小回転半径は5.2mと小回りがきく。
前照灯は4つ目。走行燃費はガソリン車13.5、ジーゼル車17km/l。
車両総重量2150kg。

ボデーは全鋼板プレス製で、箱型断面梯子型のサイド・メンバとクロス・メンバを組み合わせた
フレーム上に搭載され、トーションバー式前輪独立、後輪は板ばね懸架で、デフに
ハイポイド・ギアの採用、半浮動式リア・アクスル等、1トン車として十分な堅牢性を誇る。

なお、ガソリン車は2連気化器を採用して最高速度 116km/h、ジーゼル車も 104km/hをマーク。
4段変速機と相まって加速性も優れている。
そのほか、ボール循環式ステアリング、前後輪共デュオサーボ・ブレーキ等が機構上の特徴。

■主要諸元■(カッコ内ジーゼル)
全長4095×全巾1525×全高1615mm
軸距・・・・・・・・・・2500mm
輪距・・・・・・・(前)1220mm (後)1200mm
最低地上高 205mm
荷台内側寸法 長1745×巾1355×高380mm
車両重量 1040kg(1100)
最大積載量 1000kg
乗車定員 2名 登坂能力(Sin θ) 0.275(0.272)
変速機 前進4段(2速以上シンクロ) 後進1段

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ワスプは1963年6月17日、のちにいすゞを代表する乗用車に成長することになる
ベレットと共に発表されました。
両車のイメージは似通っており、ドアパネルやフロントフェンダー、インストゥルメント・パネル
などは共通で、リヤフェンダーのラインも同じデザインで仕上げられています。

乗用車とのパネルの共用は、ライバルの日野・ブリスカ(2代目・H100系)も行っています。

車名は蜂を意味し、いすゞの”働きバチのように活躍する”という願いを込めたネーミングでした。

外観こそベレットと共通のイメージが与えられていますが、乗用車と貨物車という
用途の違いから、機構的には大きな差異があります。
軽量なモノコック・ボデーと独立懸架のベレットに対して、ワスプは堅牢かつ多種多様な
ボデーの架装が容易なフレームシャシーと、大きな積載に耐えるリーフ・リジッドの
リヤ・サスペンションを持っています。

ワゴン版である「ベレット・エキスプレス」も、外観はベレットと共通のイメージで
仕上げられていますが、ワスプと共通のフレームシャシーを持ち、生産ラインも
ベレットはいすゞ藤沢工場、ワスプ/エキスプレスは大和市の車体工業と別になっています。

1967年7月に登場した”ジープ・ルック”のオープン・トラック「いすゞ・ユニキャブ」の
シャシーは、ワスプ/ベレット・エキスプレス用のフレームを短縮したもので
前後サスペンションも流用されています。


ワスプは、ディーゼル・エンジンを搭載したエルフの成功で勢い付くいすゞの意欲作で
あったものの、トヨタですら攻略できなかった当時の市場の覇者、ダットサン・トラックの
牙城を崩すことは叶いませんでした。

自慢のディーゼル・エンジンも燃費面では有利であったものの、振動・騒音の点で不利でした。
当時は技術的な問題から、小排気量のディーゼルは普及が進んでいませんでした。
少なくともこのクラスに於いては、ディーゼル搭載車はガソリン車に対する圧倒的な
アドバンテージがあるとは言い難く、販売は伸び悩みました。

ワスプは、ベレット譲りのその姿が乗用車感覚を強く打ち出していたことも
かえってマイナスになってしまったのかも知れません。

1972年には後継車としてファスターが登場、ワスプは1代限りの車名に終わりました。

後継車のファスターは、ベレットの1クラス上の乗用車であるフローリアンがベースです。

ファスターはワスプと同じく、乗用車であるフローリアンのパネルとデザインを共用しつつ
フレームシャシーを与えられたトラックでした。
GMとの提携によって兄弟車としてシボレー・LUVが登場、日本でも
北米嗜好のマニアから人気になりました。

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こちらは解体屋で新たなるオーナーを待っている、希少なワスプです。

1966年4月のマイナーチェンジで、ベレットBタイプと共通の異形2灯ヘッドライトに変更されるので
1963年6月のデビューから、MCの1966年4月までに生産された初期モデルと思われます。



フロント・フェンダーから始まる、抉られたプレスラインは荷台まで続いています。
これには、キャビンとベッドの一体感が演出する効果があります。

実用性が求められるトラックでありながら、セダン譲りのデザインを尊重した
そのスタイルは、まさにセダン・ピックアップと云った雰囲気を醸し出しています。
さしずめ「ベレ・カミーノ」と云ったところでしょうか。

リヤ・フェンダーに刻まれた、疾走感溢れるサーフィン・ラインは
スピード感と力感を感じさせるデザインとなっています。

しっかりした造りの鳥居や、荷掛けフックが良心的です。
基本ボディの低床1方開きで、タイヤハウスは積載容量の数値よりも
実際の使い勝手を考慮した角型となっています。



ベレット譲りの丸っこいキャビンは、洒脱な雰囲気を漂わせています。
ドアには、今ではほとんど見かけなくなった「自家用」の文字が記されています。

バンパーは本来、白色ですがボディ同色に塗られています。
新車時の写真を見ると、グリルもバンパーと同じく白で塗られており、ヘッドライトベゼルは
クローム掛けされていますが、この個体はボディ同色に塗られていました。



インストゥルメント・パネルの形状は、ベレットと共通で輸出を考慮した左右対称型が特徴です。
現在では多くのトラックがフロア・シフトを採用していますが、当時はこのクラスのほとんどが
コラム・シフトを採用し、3名乗車と乗用車感覚の運転を実現していました。

カマボコ型のホーンリングや、スポーティーな丸型2眼メーターがカッコいいです。
ピアノの鍵盤のような配列のスイッチ類も、いすゞの謳う
「コージー(居心地の良い、の意)インテリア」の特徴です。

助手席側の窓がわずかに閉まりきっておらず、浸水による錆やカビの発生が懸念されます。



リヤ・フェンダーには、停まっていても躍動感を感じさせるサーフィン・ラインが刻まれています。
この部分だけを見ると、とても貨物車の荷台とは思えないデザインです。
当時のバン/トラックには、現行の”乗用車”とは比べ物にならないほど洒落っ気がありました。

シンプルなフェイスのスティール・ウィールは純正で、本来はクローム掛けの
お椀型センターキャップが装着されます。



凝った造りの、スライド・カバー付燃料キャップはクローム仕上げで、ベレットと共通部品です。



現存するワスプの台数は不明ですが、かなり少ないものと推測されます。
もともと生産台数も多くは無かったと思われる上、こういったトラックは愛好家によって
保存されることなく、スクラップにされてしまう割合が多いのも影響しているでしょう。

大変希少な1台ですので、潰される前に愛好家に引き取ってもらえるように祈っています。
程度も良いので、復活させることは容易と思われます。

---------------------------------------------------------------------

続いてはワスプのベースとなった、いすゞの主力乗用車「ベレット」を御紹介します。

トランクに輝くガーニッシュには、疾走感溢れるレタリングで車名が刻まれています。

ライセンス・プレートは、新車登録時に交付されたと思しき「 北 5 」のシングル・ナンバーです。
長年の風雪によって研磨されたライセンス・プレートは、下地の色が透けて見えることに
よって素晴らしい雰囲気を演出しています。



ベレットは1963年6月に登場、ヒルマン・ミンクスの後継車かつ
いすゞの5ナンバー・フルサイズセダンであるベレルの弟分としてデビューしました。
ヒルマン・ミンクスの生産で培った経験が生かされた、欧州調の小型サルーンです。

スポーティーな「GT」を設定するなど、黎明期の日本のモータースポーツ界で活躍し
大手のライバル車とは一味も二味も違う強い個性が、多くの愛好家を産みました。

ラック&ピニオン式のシャープなステアリングや、優れたコーナリングを可能とする
四輪独立懸架、軽快な加速と高速巡航を両立する4速ミッションなど
ライバルの持たざる機構を多数備えていました。

特筆すべきは上掲の装備が、スポーツ・グレードではなく標準車に装備されていたことでした。
素性が良く、ベーシックなグレードであっても当時の国産車の中では
かなりスポーティーに仕上げられていました。
その一方、より保守的な機構を与えられた「Bタイプ」も追加設定されました。

更に、トップモデルとしてDOHCエンジンを搭載した「GTtypeR」を投入し、その人気は頂点に
達しましたが、GMとの提携によっていすゞはオペルの開発した「Tカー」(世界戦略車)を
生産することになり、ベレットは「ジェミニ」を後継車に指名し1973年に舞台を去りました。



この個体は1500デラックスの4ドア・サルーンで
1966年4月のマイナーチェンジ後のモデルとなります。

外観上の差異として、テールランプが縦に細長い「オムスビ」と形容されるタイプから
幅広い台形型に変更されました
トランクリッドに独立していたバックランプは、テールレンズの下側に組み込まれました。

トランクのヒンジが剥き出しのアウターヒンジなのも味があります。



タマゴ型と形容されたスタイルは、当時の欧州車風です。
ボディに走るプレスラインが、ワスプと共通なのが良くわかります。

運転席側Aピラーに装着されたアンテナがスタイリッシュです。
GTではアンテナが、ルーフ前端のセンターに取り付けられます。



中央に「ISUZU」と刻まれた、純正のウィールキャップは4枚とも欠品していません。

本来はクローム仕上げのハズですが、もともと無塗装のような雰囲気でツヤはありません。
カバーのスキマから見えるスティール・ウィールも、キャップと共通のイメージで
デザインされたもののように見えます。

また、いすゞ純正の保護紙に包まれた新品のバンパーなど
スペアパーツもストックされていました。



この車輛は中古車販売店の展示場に並んでおり、価格応談となっています。
機関の状態は不明ですが、内外装ともに良好であることから大きな問題は無いと推測されます。

万金を積んでも買うことの叶わない貴重な「 北 5 」のシングルナンバーを
継続できる方が新しいオーナーになってくれるよう祈っています。
シングルナンバーは、気安くナンバーを外せないので、ある意味では重荷にも
なりかねませんが、それ以上の特別な「価値」があると信じて疑いません。

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少し話が脱線しますが、ワスプという言葉には様々な意味があり
スズメバチやアシナガバチといった捕食性の大型蜂や、アメリカの
自動車メーカー・ハドソンの車種名としても使われていました
また「White Anglo-Saxon Protestant」の略でもあります。

そんな中で個人的に「ワスプ」と云えば、コレを思い起こします。

アメリカ海軍・航空母艦 USS Wasp(CV-7)



1942年、それまで欧州戦線にあったワスプは、レキシントンとヨークタウンを相次いで喪失し
活動可能な空母の数で日本軍に対して劣勢となっていた太平洋戦線に派遣されました。

1942年9月15日、索敵中であった日本海軍潜水艦”伊-19”はソロモン海洋上で哨戒機の
収容作業中であったワスプを捕捉、これに対して6本の魚雷を発射しました。

様々な技術的障壁を突破し、日本海軍のみが実戦投入できるレベルに達していた酸素魚雷は
一般的な魚雷に対して、航跡が残らない・威力が大きい・長射程といったメリットがありました。

小型艦船ならば唯の一撃で葬るその威力から、連合軍は酸素魚雷を
「ロング・ランス(長槍)」や「姿なき殺戮者」と呼び畏れました。

伊-19の放った魚雷のうち3本がワスプに命中し、残り3本は遠方に位置していた
新鋭戦艦ノースカロライナと駆逐艦オブライエンに、それぞれ1本ずつ命中するという
驚異的なハットトリックを達成しました。

ノースカロライナは艦首を吹き飛ばされ半年間もの間、修理のために戦線を離脱しなければ
ならず、オブライエンはしばらく後に沈没の憂き目に遭いました。

3本もの酸素魚雷が命中したワスプは、艦内に満載している航空機用燃料や
爆弾が次々と誘爆を起こし大火災が発生、格納庫内は凄惨たる地獄絵図と化しました。

ワスプの指揮を執るシャーマン艦長は、懸命に態勢の立て直しを図ったものの
運悪く消火用設備が破損、被雷直後にダメージ・コントロール機能を喪失しました。

懸命な復旧努力も虚しく、3度の大爆発を繰り返したワスプに遂に総員退艦が下令されました。

ワスプは日本側の手に渡ることのないように、味方駆逐艦の魚雷によって自沈処分されました。
連日連夜、激戦が繰り広げられる中で貴重な正規空母を一瞬で失ったことは
米海軍にとって大きな痛手となりました。


一撃必殺ノ酸素魚雷ヲ其ノ巨体ニ受ケ、断末魔ノ叫ビヲアゲル敵空母。
破孔部カラノ多量ノ浸水ニヨリ、忽チ右ニ大傾斜セリ。
航空機燃料ノ誘爆ヲ起コシ大火災ヲ生ジタル。



ワスプ撃沈は、日本軍潜水艦が無傷の敵正規空母を仕留めた唯一の大金星でした。

しかし困ったことに、1942年9月に喪失したワスプは僅か1年余り後の
1943年11月にエセックス級8番艦として復活しました。

アメリカは、ホーネットやレキシントンなど日本軍によって撃沈された空母の名を
次々と就役する新型空母に与えました。
圧倒的な生産力を誇る米国にしか出来ない芸当でした。

1943年2月には日本軍はガダルカナルから「転進」(撤退)し、戦争遂行能力の限界を迎えた
日本は、坂道を転げ落ちるように後退を余儀なくされます。
それに対して1942年より総力戦体制に移行したアメリカは、次々と航空機や艦船を増産し
徐々に日本に対する包囲網を狭めていったのでした。
Posted at 2011/10/03 10:19:47 | コメント(9) | トラックバック(0) | いすゞ | クルマ

プロフィール

「1971 Plymouth Fury Ⅲ(PM23K1D) http://cvw.jp/b/949539/48436650/
何シテル?   05/18 08:09
戰前から昭和40年代頃迄の自動車を趣味として居ります。 2輪・3輪・4輪、國産車/外國車の何れも興味の対象です。 此の他の趣味としては、艦艇及び航空機が在り...
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1971 Plymouth Fury III 2door Hardtop(PM23K1D ...
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スバル レックス・カスタムL K22B 2ドアセダン 改5速
ヤマハ RZ250 1980 YAMAHA RZ250 (ヤマハ RZ250)
1982年式 YAMAHA RZ250(4L3) 2024年8月12日再公道復帰
ホンダ ドリーム CB750 FOUR ホンダ ドリームCB750four (ホンダ ドリーム CB750 FOUR)
1971年型 ホンダ ドリームCB750four(K1型中期) 初度登録年月 昭和46 ...

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