10月11・12・13日の3連休で、道南を旅行してきました。
道南を訪れたのは昨年の5月以来で、高校時代にバイクで初めて訪れて以来
RZで2回・レックスで1回・グロリアで2回と、トータルで5回目の訪問となりました。
なにせ釧路~函館は580kmもの距離があり、行くだけで半日以上かかります。
今回は3日間も休みが取れたのでゆっくり出来ましたが、1日半でトンボ帰りしたこともありました。
かなり遠く見える釧路~稚内ですら484kmで、日付が変わるちょっと前に出れば
朝日と共に到着することも可能ですが、函館はさすがにそうは行きません。
それでも釧路を出発して浦幌から天馬街道、日高富川ICから高速道路に乗り
落部ICまでは高速で一気呵成に行けるのでラクとも言えます。
アップダウンやワインディングの連続する山中をあまり通らなくて済むので助かりますね。
まずは、今回の旅行の燃費データと出費関係です。
総走行距離:1578キロ(3日間)
総給油量:169.27リットル
総燃料消費:概算164リットル
平均燃費(高速・一般道・市街地トータル):9.6Km/h
高速巡航燃費:概算11km/h
燃料代(レギュラーガソリン):19498円
高速道路料金:11450円
食事代:4156円(清貧やね)
施設入場料:3910円
お土産代:8961円
出費トータル:46175円
今回の旅行の前に、ベテランメカニックの方に整備をお願いし
バルブクリアランス・キャブ・点火系などを総合的に調整してもらったのですが
信号待ちで、エンストしてんじゃないのコレ?って思うくらい静かで振動が無くなりました。
高速では油断するとすぐに速度超過しそうになるくらいで
スピードを出しすぎないように気を遣う程です。
追越しではカタパルトのように猛進し、1.4トンの車重をまったく感じさせません。
燃費も明らかに向上し、登坂時もOD入れっぱなしでパワフルに駆けあがり
水温もずっと安定して、1500km超の全行程で唯の1度もグズることがありませんでした。
来年で製造から46年になるグロリアですが、その高性能には驚嘆するばかりです。
腹の底からこのクルマを選んで良かったと思います。
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さて、9時に仕事が終わってから食事と入浴を済ませて10時半頃に出発しました。
出発直前まで雨が降っており、翌朝出ようかと考えていましたが
一気に厚い雨雲が切れ、明るい月が顔を出し始めました。
天佑ヲ確信シ全軍突撃セヨってな気分です。
天候は良かったものの、天馬街道へ向かう山中は濃霧が立ち込めていました。
4灯シールドビームを照射し、キスカ島の如き濃霧を切り裂きながら断じて躍進してゆくと
丸っこい黒い影が・・・
タヌキでした。
1匹、2匹と視認し、警戒を密にして進んでいたものの痛恨のミスをしてしまいました。
「ゴツッ」という鈍い感触に、最初はタイヤがパンクしたか、前脚が折れたかと思いました。
あわてて下車して4輪を確認するも異常なし。
ということは・・・
引き返すと予想通り、タヌキを轢いてしまっていました。
かすかに息をしていましたが、自分に出来ることは何もありません。
せめて、何度も轢かれないようにと林の中に移動させせました。
今までも小鳥とぶつかってしまったことはありましたが、タヌキのような大きさの
動物を轢いてしまったのは初めてです。
今後の運転の戒めとします。
深夜(早朝?)の3時半頃に鵡川町の道の駅「むかわ四季の館」に到着
そのまま気を失うように眠りました。
さすがに10月ともなると冷え込みが厳しく、寒さのせいで6時前には目が覚めてしまいました。
むかわ町は、昨年ノーベル化学賞を受賞された鈴木章 北海道大学名誉教授の
出身地として一躍有名になりました。
6時15分に道の駅を抜錨、払暁と共に高速に乗り、旭光を背に一路南へと躍進します。
まだ燃料に余裕はありましたが、高速道路のSAのガソリンスタンドは割高なので
一旦高速を降りて、苫小牧で1度給油を実施しました。
写真は道東自動車道・有珠山SAの展望台から望む、有珠山と昭和新山のシルエットです。
有珠山は世界的に見ても活発な活火山として知られており、30年程の周期で噴火を
繰り返しています。
大きな被害をもたらした2000年の噴火は記憶に新しいかと思います。
小さい方の昭和新山は、戦時中の1944年から45年にかけて噴火を繰り返して形成されました。
当時は劣勢であったこともあってか「神国日本が怒っている」などとも語られましたが
國民の動揺を避けようとした大本営の情報統制によって噴火の事実は伏せられ
公になるのは戦後になってからでした。
昨晩までの雨が嘘のような秋晴れに恵まれ、爽快な風を受けて順調に進みました。
高速道路上で積算走行距離が20000キロに達しました。
2008年2月13日の納車時には76100kmだったのが、2010年7月23日にゼロに戻り
そして2011年10月11日に20000に・・・
この旅行から帰ってきた時点で21152kmを指し示していたので
2008年にこのグロリアが自分の元に来てから、3年8ヵ月で45052km走ったことになります。
このままのペースを維持できれば、10万キロもあながち夢の話では無さそうです。
一生乗り続けるとか、100万キロ乗り続けるというのは理想的ながら
現実には様々な理由で、人生の優先順位は変わってくると思います。
クルマは事故で簡単に失われますし、ましてや旧車はエンジンブローが
そのまま全損と同じような結果になりかねません。
ならば、手許にあり、走ってくれるうちは少しでも共に駆け抜けたいです。
死んでもハンドルを離しませんでした、と修身の教科書に載る勢いで走り続けます。
あと、高速の途中で60km/hくらいでノロノロと走る軽が・・・
痺れを切らした後続のADバンが路肩から抜かそうとするとブロック!
おいおい・・・
高速でゆっくり走るのはともかく、進路妨害はさすがにどうかと思うぜ?
今回の旅行でまず見つけたのが、ホンダT360でした。
いきなりの大物の発見とあって、幸先が良いです。
しかもケイヒン4連キャブを備える希少な前期型(通称AK250)でした。
見事にフレームが折れており、キャビンとベッドの部分でくの字に折れ曲がっています。
荷台には苔が生えていました。
宗一郎のおやじさんが全行程で開発に関わった唯一の4輪車でもあります。
白い「H」マークに、カエルのようなトボけたファニーフェイスと、まったく可愛らしくない
2バルブDOHC・4連キャブレターのエンジンにタコ足を奢ったエンジンをミッドシップに
レイアウトしたスポーツカーよりもレーシーな軽トラックです。
ここのトラック整備工場には高校生の時にもRZで訪れたことがあり、その時から
ファミリア・トラックがありました。
以前は生い茂る草の葉の中から顔を覗かせていましたが、今回は逆向きになっており
テールレンズやリヤ廻りを確認できました。
2代目ファミリア(FA3型)のトラックは内地のイベントで見たことがありますが
初代はこの1台の他に見たことがありません。
ワゴンが5ナンバーの荷室付乗用車としてのポジションを強調していたのとは反対に
トラックは実用重視で、シンプルなディティールに変更されています。
初代ファミリアのトラックは、ネットで探してもほとんど見当たりません。
かなりの希少車だと思うので、愛好家の元でレストアされて欲しいですね。
この後、昨晩の濃霧による汚れが気になったので森町の道の駅「YOU・遊・もり」にて洗車。
もちろん手洗いで、基本的に洗車場に行くのは下廻り洗車の時だけです。
軽く湿らせたウェスで拭きあげるだけですが、出る前にコンパウンドとワックスを掛けて
光らせていたのでそこそこ綺麗になります。
ちょうど交通安全週間だったらしく、地元のライオンズクラブの方々が交通安全の呼びかけを
しており、交通整理で警察官がたくさん来ていました。
洗車中に警察官の方が話しかけてきたのですが、スピードメーターを見ながら
「コレ100キロ以上出るの??」と聞いてきました。
なんて答えればいいんだよ!
かなり前にビートルで速度違反やらかして青切符を頂戴した際には
警官が旧車に興味があるらしく「こういうのまだ売ってるんですね」「いくらしたんですか」
といろいろ話しかけてきました。
そして一言「結構スピード出るんですね!」
そのおかげでパトカーの後部座席に座ってるんだけどね!
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さて、森町から函館へと進みますが、数台の旧車が道を阻みます・・・
こちらは閉鎖された店舗の前で静かに眠っていた、第3世代のシボレー・カマロです。
ボンネットに備わる二対のエアダクトが迫力満点で、奥目がちの角4灯ヘッドライトと相まって
如何にもワルそうな雰囲気を漂わせています。
この個体は、3rdカマロのバリエーションの中でも高性能版である”IROC-Z”でした。
”IROC”とは「International Race of Champions」の略であり、カマロという車が
レース活動と切っても切り離せない存在であったことを如実に表すグレードと云えるでしょう。
エンジンは235馬力を発揮するV8・OHVの5.7リットル”TPI”(チューンド・ポート・インジェクション)で
総ての米国車が軒並みパワーダウンを余儀なくされた、排気ガス規制の厳しい時代の中でも
兄貴分のコーヴェットと共に、シボレーを代表するスポーツカーとしての矜持を保っていました。
この個体は、Tバールーフとオートマティック・トランスミッションが選択されています。
痛んではいるもののオリジナル・ペイントのようで、ストライプやサイド・ステッカーも残っていました。
「ハリケーン・レーシング」と刻まれた社外アルミ・ウィールが装着されています。
比較的新しめの3桁ナンバーが付いているにも関わらず、何十年も放置されている
かのような外装でしたが、欠品はなさそうなので復活は容易と思われます。
解体屋の前に並んでいた、赤と青の2台のトヨタ・チェイサーです。
「ブタ目」と喩えられる30/40系コロナ・マークⅡ/チェイサーの兄弟(クレスタは次世代より登場)
は圧倒的にコロナ・マークⅡの残存率が高く、チェイサーは比較的珍しいです。
2台とも2ドア・ハードトップで、グレードも同じくGSでした。
赤い個体は張り出しの少ない標準バンパーで、青い個体は大きく突き出した
オプションの衝撃吸収バンパー(5マイル・バンパー)が備わっていました。
青い個体は「GS」と刻まれた純正のサイド・ストライプや、リヤバンパーに張られた
「トヨタオート函館」のステッカーが素性の良さを感じさせました。
リヤトレーには当時モノらしき、後付けのハイマウント・ストップランプが備わっていました。
2台ともボンネットやルーフは日焼けしているものの塗装の剥がれは無く、磨けば光りそうでした。
内装やクロームの状態も良好で、公道復帰は比較的容易なように思えます。
函館市内に入る前に、大沼国定公園に行ってきました。
はじめて訪れたのですが天気に恵まれ、木々もほんのりと色付いて素晴らしい景観でした。
澄みきった秋晴れのもと、紅葉が輝いていました。
独特のシルエットを見せる、雄大な駒ヶ岳を遥かに望む。
余計なキャプションは無用ですね。
大変暖かく、自分はTシャツ1枚でちょうど良いくらいでした。
地元の方はコートなどで秋らしい装いの中、Tシャツ1枚の季節感皆無の男という
光景はさぞかし異様だったかと思います。
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こちらは、物置として使われている(いた?)「トヨタ・ライトバス」(RK170-B)です。
1963年3月から1965年6月までのモデルで、荒川車体工業株式会社で生産されたボディです。
リヤウィールの手前にはしっかりとした造りのエンブレムが奢られていました。
打ちこまれた大量のリベットが時代を感じさせます。
コマツ重機の社用車として使われていたようで、車体側面には屋号が記されていました。
「ポリバケツのフタ」と形容される純正キャップ(スタウト/ダイナと共通)も確認できました。
フロントマスクの造形が、1967年登場のMS50クラウン(前期)と似ているように感じました。
こちらはショップのデモカーとして店内に飾られている
1959年型シボレー・インパラ・コンバーティブル&パークウッド・ワゴンです。
鏡面仕上げの、深いメタリック・グリーンが美しいコンバーティブルには
フロント・オーバーライダーやコンパス、クルーザースカート、コンティネンタル・キットなどの
高額なオプションが多数奢られていました。
”キャッツアイ&バットウィング”のデザインは大変インパクトのあるもので
自動車の歴史に残る独創性に溢れています。
パークウッド・ワゴンはやや車高を下げているものの、純正ウィールキャップが備わっており
純正の雰囲気を感じさせる好ましい個体です。
1959年型シボレー・ステーションワゴンは、9人乗りの最上級モデルでインパラに相当する
「キングスウッド」を頂点に「ノマド」「パークウッド」「ブルックウッド」が設定されていました。
ベーシックなブルックウッドにのみ、2ドア・ワゴンも用意されました。
この個体はパークウッドで、ベル・エアに相当する中位グレードです。
ステアリングや内装、外装のサイドモールなどもベルエアと共通となっています。
デ・トマソ・パンテーラ
パンテーラとはイタリア語で「豹」を意味し、販売網を提供したフォードの
「マーキュリー・クーガー」と通じるネーミングとなっています。
ル・マンでフェラーリを打ち破った、フォードGT40のイメージを投影したスーパースポーツで
イタリアン・メイドのボディに、フォード製クリーブランドV8エンジンという組み合わせです。
この個体は1984年以降の「GT5 S」で、1980年に登場したGT5をリファインしたモデルです。
標準仕様で300馬力、高性能版では350馬力を発揮するエンジンを搭載し
最高速度は280km/hを越えると豪語されていました。
パンテーラはこの種のエキゾチックカーとしては異例なことに、当初から量産を前提とした
プロジェクトで、競合するランボルギーニやフェラーリと比べ価格を抑えることに成功しました。
信頼性が高く、メンテナンスや部品供給に不安のないエンジンに加え
エアコンなどの快適装備を標準装備とするなど、デイリーユースできるスーパーカーという
外観からは想像もつかないユーザーフレンドリーな車でした。
車体の下側には置いてあるのは、シボレーの純正ウィールキャップです。
1966年型キャディラック・コンバーティブル
1966年型キャディラックは、1948年以来のテールフィンに決別を告げ
縦目4灯ヘッドライトと縦長テールライトを採用し、大きくイメージを変えた
1965年型をほぼ踏襲したデザインとなっています。
また、1966年には先進的なFWDを与えられたエルドラドが登場しています。
1960年代のデザイン・トレンドである、ボックス・スタイルらしい躊躇いのない
ストレートなラインで構成されたスクエアなボディは、数値以上の巨大さを感じさせます。
ボンネットとトランクはひたすら長く、キャビンは全長に比して控え目にデザインされています。
1950年代と比べるとモールディングは少ないですが、効果的に配置され要所を引き締めます
ビュイック・ロードマスター・エステートワゴン
ミラーの取り付け位置から、1991~1993年モデルと推測されます。
ロードマスターは、1991年のGM B-bodyのフルモデルチェンジの際にワゴンのみで登場しました。
B-bodyの主力は、タクシー/ポリスカーを主としたフリートユース向けの
シボレー・カプリス(セダン/ワゴン)であり、ビュイック・ディヴィジョン版のロードマスターは
当初それほど重視されてはいませんでした。
保守的で高齢層向けのビュイック・ディヴィジョンらしく、ウッドグレインや本革で
クラシックに装ったロードマスターは、予想以上の売り上げを記録しました。
市場の大きな反響に応え、翌92年からは新たにセダンも追加設定されました。
その一方、オールズモビル・ディヴィジョンのB-body「カスタム・クルーザーワゴン」は
販売不振で、早々に生産が中止されました。
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午後からは、みん友のnezupukuさんとお会いしました。
まずは、nezupukuさんの貴重なコレクションを拝見させて頂き
その後は業界裏話?など興味深いお話をたくさん聞かせて頂きました。
旧車業界も、なかなかドロドロしているようで・・・!
さらにはグロリア用ワイパーリンクまで戴きました。
nezupukuさん、この度は色々とありがとうございました!
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晩御飯は、函館名物ラッキーピエロでオムライスを食べました。
以前函館に来た時にハンバーガーは食べたことがありましたが、オムライスは初めてでした。
安いのにボリュームたっぷりで、食べごたえ充分でした。
これなら人気が出るのも頷けますね。
ただし、時間帯のせいか店内は高校生カップルがほとんどでした・・・w
夜は例によって車中泊です。
昼間は釧路と比べると暑いくらいでしたが、やっぱり夜は冷え込み
たいして寝てないのに、またもや朝早く目が覚めてしまいました。
どれだけ寒くても、エンジン掛けっぱなしで寝るのは現行車でもしません。
ガソリンの一滴は血の一滴!
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先回(昨年春)は天気に恵まれず、せっかく桜が満開なのに曇天でイマイチだったのですが
今回は御覧の通り素晴らしい天気で、景観を存分に楽しめました。
それでは、道南旅行2日目に続きます!
