1時45分、旅情溢れる汽笛の音色を奏でつつ輸送船は瀬棚港に入港
船員の方々に別れを告げ、メンフィス・ベルのクルーさながら
大地にキスしたい気持ちで下船します。
海岸線に沿って走る國道229号線を、晴れ渡る日本海を望みながら一路北上します。
7月の心地良い風が、4本マフラーで可憐に唄うCBの心臓を優しく包むかのよう。
函館から小樽にかけて(奥尻島の全周を含む)の、総延長446.7kmのR229は
「日本海 追分ソーランライン」という愛称が付けられています。
愛称は、北海道の伝統民謡である江差追分とソーラン節に由来します。
國道229号線は、そのほぼすべての区間が海岸線に面していますが、
砂浜の割合は少なく、険しい地形の連続となっています。
険しい地形と厳しい自然は、時に人間の力の及ばない災害として牙を剥きました。
1962年10月17日、乙部町豊浜の海に面した國道(現在の旧道)で
大規模な山津波(土石流)が発生しました。
山側から崩れ落ちてきた、350万立方メートルという途轍もなく大量の土砂は、道路上で
退避中であった路線バスを、警戒に当たっていた作業員諸共に海側へと押し出しました。
バスを呑み込んだ大量の土砂は、海岸線を海側に70mも移動させる程でした。
この事故は、死者・行方不明者14名を出す大惨事となりました。
バスは現在も大量の岩塊に埋もれ、犠牲者と共に海底に眠っています。
凄惨な事故の一方、豊富な漁場に面しているという地理的な要因から
古来より重要な道路とされ、道路の改良や隧道(トンネル)の整備が進みました。
しかしながら、安全の為に整備されたトンネルで事故が発生しました。
1996年2月10日の、豊浜トンネル岩盤崩落事故です。
事故が発生したのは、皮肉にも1962年の事故の後に整備されたトンネル内でした。
老朽化の進んだトンネル内で、推定2万7千トンという巨大な岩盤が崩落。
トンネル内を走行していたバス1台と乗用車1台を巻き込み、20名の命が一瞬にして奪われました。
事故当時、自分は小学生でしたが当時のニュースを鮮明に覚えています。
翌1997年には同じ区間の第2白糸トンネルが崩落、幸いにも人的被害はありませんでしたが、
安全性を確保する為の改良工事が強化されることとなりました。
現在のルートからは、海岸線に面した旧道や廃止された隧道を至る所で見ることが出来ます。
現在も危険箇所の整備が進められていますが、安全の確保の為のそれらの工事さえも、
「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げた民主党政権の下で停滞しています。
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晴れ渡る夏空の下、CBは追分ソーランラインを直走る
ガードレールの外側の海に面した部分が旧道で、その先には覆道と廃止された隧道が見えます。
その役目を終え、静かに朽ちてゆく建築物には独特の情緒が感じられます。
ユニークな表情を見せる奇岩が並ぶ
奥尻島に負けず劣らず、追分ソーランラインもまた数多の奇岩が並んでいました。
太平洋側の海岸線とはまた違う魅力を湛えています。
9年前、高校時代にRZで辿ったルートをトレースする形で走ったので、
見覚えのある風景や、一期一会の出会いがあったPAやコンビニに懐かしさを感じました。
悠遠なる時の流れを感じさせる断崖絶壁
壮大な景色に感動する一方、巨大な落石防護ネットに恐怖も覚えます。
天気が良いから素晴らしい景色だなんて言ってられますが、これが暴風雨や
冬の凍結路面であったらまず走りたくないルートです。
冬の海岸線の走行は、一切の遮蔽物も無い凍結した路面へ
猛烈な海風が吹き付けるという最悪の条件が重なる為、極めて危険なものとなります。
これに濃霧や横殴りの吹雪が加われば、まともに走ることは不可能に近い環境となります。
コバルトブルーとターコイズブルーのグラデーションが美しい海辺
幾多もの隧道をくぐり、昨日の奥尻島に続き飽きるほど蒼い空と海を眺め、
上陸地点の瀬棚から100キロ余りの行程を走破し、岩内へと至りました。
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岩内町の市街地で、230セドリックを発見しました
新車時のナンバーが掲げられていました。
高年式のウィールがオーナーの若さを感じさせます。
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市街地を抜け、道内唯一の原発として何かと話題な泊原子力発電所が見える道路を進みます。
日没までに積丹岬に行かないと、と思い急いでいたこともあり、
郊外へ出て追越し禁止が解除されたところで、アクセルを開き前のクルマに追い抜くと
道の脇、樹木の影に隠れるかたちでパトカー が が が !!!
慌てて急減速、ゆっくりとパトカーの前を通り過ぎて「危ないトコだった~」と安堵していると・・・
ミラーに映るは赤燈付けて道路脇から出てくるYPY31。
勘弁してよも~、と思いつつも逃げようとかは思いませんでした(満載排水量状態だし)。
交通違反は平成18年以来、7年振り4度目(毎回速度違反)です。
シートベルトの無いクルマに乗っているので、そういう違反で捕まることはありません。
昨年の更新でゴールド免許になったばかりでしたが、さっそく金メッキに化けました。
次の更新(平成29年)まではとりあえずエセ優良ドライバーです。
YPYの後席に乗り込み(初めてだ)、まず「どこで計測してたんですか?」と聞きました。
通過する前に減速していたので、手前で計測されていたと思ったのですが、
あのレーダー(赤色灯の真ん中にある箱型のヤツ)って後方にも照射できるんですね~!
・・・腹立つくらいに良く出来てます(笑)
免許を提示すると、助手席の警官が昔釧路で勤務したことがあるらしく
妙にテンションが上がってました。
自分の住所の地名は難読(大楽毛・・・おたのしけ)なのですが、運転席の若い警官に
対し「お前これ読めるか?読めないだろ?」みたいに絡んでました(笑)。
イマドキ5速マニュアルなんだーとか、パトライト社製の機器装備してるんだーとか思いつつ
車内をジロジロ眺めてると、若い方の警官が「これって自分のバイクですか?」と聞いてきました。
まさか盗難車とでも疑ってるのか?と思いきや「CBナナハンですよね!凄いですね!」と
予想外のリアクション。
さらに「釧路からここまで来れるってことは調子も良いんですね!」と。
なので「調子良すぎてスピード出過ぎちゃって困ります」と返しときました。
バイク、特に古いのが好きらしくCBに感動していました。
そして降りる時に若い警官が「大事にしてくださいね!」と・・・。
いやいやそこは「気を付けてください」だろうよ!(笑)
気持ちよくツーリングしている途中に捕まるという、テンションがガタ落ちになりそうな
事態でしたが無駄に話が盛り上がってしまい、笑ってYPY31を降りることが出来ました。
罰金1万2千円はたしかに痛いですが!別に免停になったワケじゃあないですし
グチグチ言っても仕方ありません。
気を取り直して、積丹に向け再出発です。
ポリスメンとの楽しいひと時を過ごしたせいで時間をロスし、急がないと間に合いません。
かといってさすがにスピードを出す気にもなりません。
ジリジリしながらも陽が傾く中を走ります。
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神恵内で給油し、5時になんとか積丹岬に滑りこみました。
今時期は陽が長く、7時を過ぎても明るいので助かります。
駐車場にバイクを駐機し、岬へと向かいますがこれがゆるくない!
急な坂がかなり続きます。
すっかり足が痛くなりました(完全に運動不足のせいだ)。
苦労して登り切った先に見えた積丹出岬灯台です
初点灯は1965年12月22日、1987年12月には改築されています。
名称:積丹出岬灯台
位置:北緯43度22分23秒 東経140度28分53秒
塗色:赤白横線
構造:円型塔形 コンクリート製
灯質:単閃白光 5秒毎に1閃光
光度:23万カンデラ(実効光度)
光達距離 21.5海里(約40km)
灯塔高:13.26m(地上~塔頂)
標高:140.66m(平均海面~灯火)
振り返ると、ひたすら走ってきた海岸線が見えました
息を切らせて苦労して登り切ると(我ながら情けない)、そこには雄大な景色が広がっていました。
積丹岬の頂上から島武意海岸、日本海を望む
沈みゆく太陽が、荘重なシルエットを浮き彫りにする
水平線は微かに靄がかかり、神威岬方面がわずかに確認できる
眩い夕陽に照らされ、yellow ocherとturquoise blueのコントラストがより鮮明に、美しく輝く
”積丹ブルー”と謳われる、美しい海の色
日没の時間だったので青みが強いですが、日中ならばもっとはっきりとした
エメラルドグリーンの美しい景色が現出します。
苦労して登ってきた甲斐のある、素晴らしい眺望でした。
時間帯もあってか、他には数名の観光客がいるのみでゆっくりと景観を堪能できました。
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積丹岬を後にし、宇宙飛行士 毛利衛氏の出身地である余市町へ入ると
複数の旧車を発見しました。
ダットサン・ブルーバード1200デラックス(310系)
中古車販売店のショールームに飾られていた310ブル。
ウィンド・シールドに貼られた点検整備済ステッカーは、昭和52年12月となっていました。
点火時期調整やOKステッカーも残っていました。
タイヤは4本バラバラでしたが、いずれも当時のバイアスやホワイトウォール・タイヤでした。
グローブ・ボックスに貼られたステッカー
グローブ・ボックスには、安全運転の為のステッカーが貼られており
オーナーの人柄が偲ばれます。
リヤバンパーには当時の社外バックホーン(ブザー)が装着されていました。
後付けヘッドレストも運転席・助手席の両側に備わるなど、オーナーが安全性に関して
先進的な理解を持っていたことが窺えます。
この年代のクルマはラジオ、時計などのデザインにも品があります。
ホーンリング付の白いステアリングの美しさといったら!
310系は、歴代ブルーバードの中でもっとも好きな型です。
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フォード マスタング・グランデ
現在、日本で見ることの出来るこの年式のマスタングの多くは
ファストバックのスポーツルーフで、ノッチバックのグランデは珍しいです。
コーナーポールや後付のターンシグナル・レンズ、サイドモールが装着されていました。
ウィールはエンケイのメッシュです。
バイナル・トップは綺麗な状態で維持されています。
このマスタングの奥には、ブルーバード(410)もありました。
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流行っているのか??ギャランΣを複数の地点で目撃しました
三菱 ギャランΣ(タクシー・キャブ 1984~1999)
海沿いなので、かなり腐食が進行しています。
ステッカー類などから推測すると、タクシー上がりの車輛を営業車として使っていたような
形跡が見られました。
こことは別の場所で、ナンバー付きの実働車も見掛けました。
そちらもタクシー上がりで、現在は自家用として使用しているらしいフェンダー・ミラー車でした。
この型のタクシーは今ではほとんど見かけませんが、コンフォート、クルーと比較すると
さすがは乗用車派生だけあって、一番乗心地が良かったように思います。
というかコンフォートは足が柔すぎる(病院に着くまでに具合が悪くなるカンジのあの揺れ・・・)。
定規で引いたようなパキパキのライン、独立したデザインのCピラー、
リヤのディープ・スカート形状のフェンダーなど、クライスラー臭が強い外観もグッドです。
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沈む夕日を背に、小樽へと急ぐ
陽は沈んだもののまだ明るい19:10分、小樽に到着。
2日目の宿営地は、小樽の天狗山の麓にあるキャンプ場「おたる自然の村」です。
9年前、RZで訪れた際に宿営した場所です。
雨降る夜、小樽駅の前で地図を開いてキャンプ場を探したことが懐かしく思い出されました。
今はiPhoneで簡単に検索できるので、隔世の感があります。
薄暗い中、懐中電灯を銜えさくさくとテントを設営。
ここは昔ながらのキャンプ場で、クルマの乗り入れが出来ません。
キャンプ場よりも、野営場と呼んだ方がしっくり来る場所です。
荷物は駐車場に停めた車から、サイトまでリヤカーで運ばなければいけません。
結構距離がある上に、上り坂になっているので荷物の運搬も緩くないです。
クルマを横付けでき、サイトに電源や水道が完備されたオートキャンプ場に
慣れた方なら、多分へこたれるカンジです。
家族で来たらすんげー不評でしょうね。
鬱蒼とした森の中にあり、地面も傾斜しているので決して良い立地とは言えません。
ただし、パンフレットには明らかに別のオートキャンプ場の写真が使われており、
(※イメージです)とのキャプションが。
流石にそれは詐欺だろう・・・。
ここのキャンプ場は、学校のレクリエーションにも良く使われる場所らしいです。
中央のイベント広場では、ちょうど小学生の一団がキャンプファイヤーを囲んでいました。
フォークダンスを踊っており、定番のマイム・マイムが流れていました。
それとジンギスカン・・・懐かしいけど、なんであの選曲なんだろう(笑)
この2曲と、子供盆踊りは聴いただけでノスタルジーに浸ります。
最後の一曲がGReeeeNというのが今風~、と思ったけど自分が小学生だった時も
小松未歩とかでしたんで、流行の歌ってトコは変わってないですね。
テントを設営し終わった頃にキャンプファイヤーの火が消え、あたりが真っ暗になって
引率の先生が「それでは、肝試しをやります!」と拡声器で叫ぶと、ワーッと悲鳴が。
これも定番ですね。
まだ夕食を済ませていなかったので、駐車場に戻ってバイクの準備をしていると
子供たちの一団が、懐中電灯片手に真っ暗な道を歩いてきました。
泣きじゃくりながら手を引かれる女の子と、「怖くないもんね」と言いながら前へ前へと進む男子。
内心怖いんだろうけど、ここはカッコつけないとね。
歳とって薄汚れてしまった大人には、純粋純真な子供は眩しすぎて直視できません・・・!
テントの設営後、小樽の街に繰り出しましたが10時までの門限(コレもどうなんだ??)が
あるので、たいした観光も出来ませんでした。
キャンプ場に戻り、明日の準備を済ませたのち就寝しました。
