去る19・20・21日の3日間、稚内の友達のトコまで遊びに行ってきました。
ちょうど1年前の20・21・22日にも連休があり、同じように稚内に行ったのですが、
その時は凄絶な猛吹雪に襲われてエラい目に遭いました。
凄惨極まる昨年の行程はこちら
楽しいウィンタードライブ♪ ~道北 死の彷徨 編~
先進の可変気筒システムによって6気筒が1気筒に減ったり・・・
携帯圏外な山間部で大破着底したり・・・
冬の大雪に挑んだり・・・
降雪・地吹雪・先行車の吹き上げる雪煙と、全周より迫る猛吹雪。
一面乳白色の完全なホワイトアウト、海と山から吹き付ける強風。
歩くことさえ覚束無い凍結路面、それらの過酷な環境が齎したエンジン不調と斗いながら、
深夜の道北を全身全霊を傾けて、這いずる様に1mを血で贖って走破してみせました。
それで自信(過信?)を付けたのか、”咽喉元過ぎれば熱さ忘れる”(超寒かったけど)なのか。
性懲りもなく行ってきました、稚内。
自分の休みは平日なので、稚内の友達とはなかなかタイミングがあわず
遊ぶのは前回以来、実に1年振りでした。
わざわざ勤務を調整して休みをとってもらったこともあり、天気予報は雪でしたが行ってきました!
今年はまだ1度も雪路を走っていない状態で、大半が凍結路面となる
往復1000キロオーバーを走ることには一抹の不安もありました。
しかしながら今次は、決して雪路走行を得手とはしない(当然ながら”出来ない”では無い)
FRの重量車たるグロリアに代わって、强力無比な水温式ヒーターと
ライトウェイトかつトラクションに優れ、冬場に强いことに定評のあるRRのレックスを投入しての
挺身行動とあって、不安一割に対し天佑確信せること9割の状況にありました。
万難を排し本道最北端に至り、これを以て1年前の雪辱を果たし、
一挙反転500キロを走破し無事に帰投することは出来るのか?
それでは旅の顛末をどうぞ!
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休みの日程が決まったのが遅く、遊ぶ約束をしたのが17日土曜日だった為、
僅か2日程でレックスの長距離走行準備を済まさなければいけませんでした。
摺動部にCRCを注油、エンジンオイル量を確認しプラグを磨き、タイヤ空気圧をチェック。
アーマオールで車内を清掃して、コンパウンドで外装を磨きました。
どうせ雪で汚れるとはわかっていても、とりあえずやります。
窓ガラスは外側にワックスを掛け、内側は水拭きの後に乾拭きし
油分や拭き残しの除去に万全を期します。
視界不良は危険を誘因する最たるものであり、只でさえ視界が制限される夜間や降雪などの
状況下では致命的な問題を惹起する可能性を孕んでいるので、決して妥協するわけにはいきません。
工具一式、スノーブラシ、解氷スプレー、補用蓄電池、バッテリィジャンプコード、曳航ロープ、
落下式増加燃料槽(5リッター)、防寒装備、これらに加えてお土産や入浴セットを
小さな車体に満載して、準備完了となりました。
19日の夜9時に仕事を終え、飯と風呂を手早く済ませます。
すぐそばのスタンドで給油、床下に搭載した燃料槽に
25リットルのレギュラー・ガスを満載し、暗夜を突いて抜錨しました。
22時30分に阿寒湖畔を通過、昼間に相当量の降雪があり路面はガリガリでした。
釧路に雪が積もったのは23日になってからでしたので、今シーズン初の凍結路面でした。
360cc車の中ではワイド・トレッドを謳うレックスも、現行車のつけた巾広い轍には
容易く足をとられる為、ステアリング操作には一層の注意が求められます。
悪路の阿寒湖畔を抜けると再び乾燥路面となり、機関の制限運転を解除し増速。
湖畔でのロスを取り戻すべく速度計の針を躍動させます。
23時30分に北見に入り、市街地を抜けショートカットコースを通り一気にサロマ側へと出ます。
深夜・郊外とあってクルマ通りは皆無に等しく、追越しや眩惑などの煩わしさがありません。
ベンチレーターとサイドウィンドウを僅かに開き、冷えた外気を導入しながら
理想的な頭寒足熱の環境の中、音楽を愉しみながら直走ります。
時折窓を全開にし天を仰ぐと、冷えて澄んだ空気の中に星々が美しく輝いています。
ノンストップで240キロを走り切り、日付が変わった1時10分に紋別に到達。
紋別以北には稚内までの214キロの間、24時間スタンドが一軒も無いので
ここで給油しておかなければ燃料が枯渇し、進退窮まる危険性があります。
紋別のESSOで給油を実施すると、10リットルしか入りませんでした。
湖畔で悪路があり、巡航速度が一定しなかったにも関わらずリッター24kmと
良好な成績を示したことに満足です。
なお、自分の計算したレックスの平均的な燃費は
市街地・昼間 20km
郊外・昼間 22km
郊外・深夜 24km
高速 18km
となっています(飽く迄も概算です)。
その後も黙々と走り続け、2時に雄武町に至りました。
0時前後にやや眠くなったものの、今回は睡魔らしい睡魔には襲われずに
仮眠というタイムロスなしで走り続けることが出来ました。
北上するにつれ、國道238号オホーツクラインは白い雪化粧で覆われはじめました。
ただし天候は雲量0の素晴らしい夜空で、地吹雪が時折起こるだけでした。
深夜3時過ぎ、対向車も後続車も皆無の中レックスを路肩に停め、車外へ降出て
冷たい空気を吸い込み、長時間の運転で固まったカラダを解しました。
昨年、凄絶な状況下で走破した道は路面こそ凍結していましたが
極めて快調にトバすことが出来ました。
4時20分に宗谷岬を通過、稚内市街地まで30キロを切り愈々最終行程に入ります。
早朝5時に稚内市街地に到達、給油を施し友達の家に向かいました。
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友達の家に上がってから、あーだこーだと喋っていると
不意に足にチクッとした痛みが走りました。
ん?と思って見てみると・・・

(汚い足のアップでスミマセン)
足首に火傷 が が が!!!
・・・どうやらヒーターの温風で火傷したようです。
大きな水膨れがひとつと、小さな水膨れがひとつ出来ています。
釧路から稚内までの470km、7時間15分、1度の給油と2度の休憩のみで
ノンストップで走り続けた結果、低温やけどになってようです。
自分は靴を脱いで運転するのですが、ちょうど左足の上にヒーターの
吹き出し口があり、直に温風が当たり続けた結果です。
ちなみに、靴を脱いで運転する理由は
1.フロアに水気を持ち込まない為
2.長時間の運転時、足の負担を軽減する為
3.アクセルペダルの機微な操作の為
です。
1番と2番はワーゲンでの経験が大きく影響しています。
ワーゲンの床が抜けてフロアの孔から道路の白線が見えたこと、床から生えるオルガンペダルが
床と一緒にもげて、ペダルの奥のローラー付ステーを直に操作したことがあったからです。
(ちなみに極初期のワーゲンはペダルがないです)
靴を脱ぐのは”お部屋カー”的な楽天的な理由ではありません。
レックスやグロリアでも、一時的に動きが渋くなり戻りが悪くなったアクセルペダルを爪先で
引っ掛けて手前に戻し回転数を下げることがあり、これも靴を履いていては出来ないことです。
ハナシが脱線しましたが、温風ヒーターの前に7時間も座ってればそりゃ火傷にもなりますよね。
弱火でじっくりこんがりと焼いたので、痛みや熱さはまったく感じず気付きませんでした。
帰路は足首に布を巻いて、温風が直にあたらないように対策をしました。
スバル車のヒーターは優秀で、その理由は群馬の気候(冬の寒さ、上州のからっ風)に
あると70年代のCG誌の記事にありましたが、わりと納得できる推測だと思います。
日本の主要自動車メーカーは、東京のプリンス、神奈川の日産、静岡のスズキ・ホンダ、
愛知のトヨタ・三菱、大阪のダイハツ、広島のマツダと比較的温暖な関東以南に位置しており、
スバルは最北という位置が関係していると考えてもおかしくはないでしょう。
スバル360、R-2と空冷エンジンに起因するヒーター能力の不足に満足していなかった
エンジニア達が、ライバルに対するアドバンテージとしてベンチレーション能力を含めた
ヒーター性能にこだわったとも考えられます。
スバル1000の全グレードへのヒーター装備は、デュアル・ラジエーターという技術的な
手法がもたらした副次効果とは云え、スタンダードはヒーターレスが多かった時代に
ユーザーフレンドリーな考え方を持っていたスバルのエンジニアの良心も感じられます。
開発した車の1番のユーザーは、誰よりもエンジニア自身なのですから妥協はしたくなかったでしょう。
ともかく、今回の火傷はレックスのヒーター能力の高さを身を以て示し得た?ということで
ちょっとした小ネタにはなりそうです
この後、水膨れはビー玉くらいのサイズにまで大きくなり今も腫れは引いていません。
触れなければ痛みはありませんが、病院でもらった軟膏を塗って大きめの絆創膏を貼っています。
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積もるハナシもあり、寝たのは結局朝方になってからでした。
途中から眠気がなくなり、逆に眼が冴えて眠り辛かったです。
10時頃に起きましたが、友達がまだ寝ていたのでジャンプ読んで暇つぶししてました。
友達が起きてから、レックスの準備の為に外に出ると周囲は真っ白でした。
積もった雪を払い、チョークを引いてキーを廻すとEK21型エンジンは難なく始動しました。
この子はロングヘアード、ブラック&タンのダックスフントの虎春(こはる)です。
自分は今時点では動物を飼えない状態ですが、環境が整えば犬と猫を飼いたいと願っています。
動物は大好きなので、はるばる稚内まで行くのはこの子と遊ぶのも楽しみの一つだからです。
友達は躾けに気を遣っており、無駄吠えせず待てやお座りもきちんと出来る頭のイイ子です。
アドルフ・ヒトラーも愛犬ブロンディ(ジャーマン・シェパード・ドッグ)を溺愛し、
「犬は賢い、人間よりよっぽどマシだ」と言っています。
仰る通りです伍ty・・・じゃなくて総統閣下。
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昼食とドライブを兼ねて、40kmほど離れた幌延町のトナカイ観光牧場に行きました。
昼はオムカレー

(iPhoneで撮った写真なので画質が悪いです)
帰路、豊富町の人気のパン屋さんでパンを買ってから市内に戻りました。
稚内には観光名所として、科学館(友達の勤務先)、水族館、宗谷岬、ノシャップ岬、宗谷丘陵、
稚内公園、利尻・礼文島、大岬旧海軍望楼跡、九人の乙女の像等があるのですが
何回も来ているのでほぼ行き尽くしてしまい、毎回どこに行くか何を食べるかで迷います。
今回は、今年の5月にオープンしたばかりの道の駅わっかないに行ってきました。
6時になってから「稚内天然温泉 港のゆ」に行きました。
この温泉は、稚内副港市場という複合商業施設内の2Fにあります。
施設の1Fには昭和30年代の商店街を再現したコーナーや、大日本帝國の領土たる
南樺太に関する資料や、稚泊連絡船(稚内~南樺太・大泊航路)の就航船舶などの
写真が展示されており、一般的な商業施設とは違い一種博物館的な価値を持っています。
夜は炭火焼肉に・・・
絶妙な位置の吸気筒のおかげでモザイクいらず!
食後は何時間もカラオケに入り浸りました。
家に帰ったあとも夜中まで喋って、結局この日も寝たのは遅くなってからでした。
持参したお土産を気に入ってくれたようで何よりでした。
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朝になると、融けた雪が凍りツルツルのアイスバーンとなっていました。
前のクラウンも尻振ってました
友達は午後から仕事なので、11時頃に家を出て昼御飯を食べに行きました。
水曜の昼はハンバーグ~
相当ボリュームあって苦しかった!
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12時30分に友達を職場に送り届けた後、すぐ帰るのも芸がないので
レックスでの稚内初訪問を記念して、防波堤ドームに写真を撮りに行きました。
もともとオモチャみたいなクルマですが、巨大構造物との対比によって
普段以上にサイズ感覚が狂います。
パーキングランプを点燈させた方が良かったかもー。
天気がイマイチだったのが残念で、晴れていれば宗谷岬でも記念撮影したかったです。
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その後、港に停泊していた船舶の数々を眺めました。
浮かぶセメント工場 ” 扇洋丸 ”
扇洋丸は、ジェネック社(太平洋セメント関連会社)のセメント・タンカー/セメント・キャリヤー
(セメント運搬船/專用船)で、排水量は4908トンです。
太平洋セメント上磯工場(北斗市)を拠点に、セメント工場から各地のサービス・ステーション
(セメント出荷基地)へと、輜重の重責を担い航行しています。
1993年、NKK日本鋼管津造船所(現JFEエンジニアリング)にて竣工。
船籍は北九州で、現在のファンネル・マークは北九州運輸会社の「 北 」を掲げています。
IMOナンバー(船舶識別番号)・・・9070101
複雑な上部構造物が林立する特徴的な外観は、洋上工廠たる工作艦の如きです。
なお、2008年時点の日本國内に於けるセメント・タンカーの保有船腹量は134隻となっています。
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岸壁に憩う2隻の姉妹
稚内港のフェリーターミナルには、ハートランドフェリー所属の姉妹船である
ボレアース宗谷とサイプリア宗谷が接岸していました。
船体後部に濃藍色と茜色のダズル・ペインティングを施したサイプリア宗谷は、
昨年の利尻・礼文旅行で相棒CB750fourと共に乗船した輸送船です。
ダズル塗装の濃藍と茜色は、北海道の澄んだ空気と太陽が作り出す
鮮やかな朝焼け・夕焼けの茜色をイメージしています。
利尻・礼文には是非また行ってみたいです。
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北防波堤ドームを背に、冬の海に佇む巡視船「もとうら」(PM12)
昨年の夏訪れた際、この位置に停泊していた巡視船「しらかみ」(PM84)は
2012年1月18日(海のもしもの日)を以て退役、35年に渡る任務を全うしました。
「しらかみ」は264件の海難に出動、44隻の船舶と309名の人命を救助し、
総航走距離は実に地球約19周にも達しました。
見事に其の責務を果たしてみせた「しらかみ」の任を継ぐのは、
海上保安庁 第一管区海上保安部(北海道)所属の巡視船「もとうら」(PM12)です。
「もとうら」は1986年11月21日、四国造船所にて竣工した「てしお/なつい」級巡視船の
12番船で、この日はちょうど26歳の誕生日でした。
1977年、領海法改正と漁業水域に関する暫定措置法が施行され、200海里に及ぶ広大な
”排他的経済水域”が設定されると、従来は沿岸での運用が主であった
巡視船に、より高度な遠洋航海能力が求められる時代が訪れました。
所謂”新海洋秩序”への対応として、従来の350トン型巡視船の拡大発展型として
建造されたのが500トン型巡視船の「てしお/なつい型」でした。
1980年9月30日から1988年6月1日に掛けて計14隻が就役、同時期に大量建造された
「しれとこ」級1000トン型巡視船と共に、日夜密漁船や不審船に対する哨戒を行なっています。
「もとうら」という船名は日高の清流”元浦川”に由来し、最初の配属先も浦河海上保安署でした。
2012年1月18日からは「しらかみ」の後任として、稚内に転属配備となりました。
・・・巡視船「もとうら」(PM12)要目・・・
「てしお/なつい」級12番船 500トン型巡視船
総トン数:526トン 常備排水量:630t
全長:67.8m 全巾:7.9m 深さ:4.4m
機関:4ストローク・ディーゼルエンジン2基2軸 最高出力3000馬力
速力:18ノット 航続距離:3200海里
乗員:33名 武装:JM61 20mm多銃身機関砲1門
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船首には20mmガトリング砲「JM61”バルカン”」が据え付けられています。
JM61は、かのトーマス・エジソンが設立したジェネラル・エレクトリック社の開発した
20mmガトリング砲を日本でライセンス生産したものです(JはJapanを意味します)。
高速回転する6連装の砲身からは、毎分450~500発の20mm砲弾が間断なく撃ち出され、
洋上を跋扈する敵性國家の工作船を瞬時に蜂の巣と化す能力を備えています。
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14:00を過ぎた頃、稚内を後にし針路を南に取り高規格道路を勇躍前進する。
天候は短い周期で頻繁に変わり、非常に不安定でした。
厚い雲間から時折顔を覗かせる青空
去年とまったく同じ地点で、まったく同じ空模様・・・。
嫌な予感しかしませんでしたが、幸いなことに杞憂に終わりました。
15:15 道の駅なかがわに到着。
昨年、アクセルロッドの凍結によりこの道の駅の入り口でグロリアが擱座。
地吹雪と、氷のように冷たい周囲の視線の中でエンジンルームに首を突っ込んで
応急処置を実施した因縁の場所です。
ですが今年は一切の不調なく、悠々と入港できました。
レックスのラジエーター面積は、グリルの半分(運転席側)しかないので
助手席側の雪が融けずに残ります。
暖かいコーヒーが飲みたかったものの、お気に入りの銘柄が冷たいのしか
無かったのでそれにしました。
車内はガンガンにヒーター効いてるので、冷たいコーヒーで正解でした。
センターキャップには氷が妙なカタチでくっついていました。
センターキャップは現在も入手できる社外の汎用品で、冬用の鉄チン自体も社外品です。
純正キャップが欲しいです。
すっかり暗くなった17:00、漸く士別市に入りました。
士別剣淵ICからすぐ高速に乗ろうかと思いましたが、比布北ICまで行けば
そこから先は暫定無料区間なので、そこまでは下道を走ることにしました。
・・・が、事故で通行止めとなっており、結局比布北~愛別の一区間しか走れませんでした。
あんまり意味なし!
19:25 セブンイレブン上川新光町店で軽食を買って峠越えに臨む。
20:00 層雲峡温泉街
層雲峡から石北峠は、完全に雪に覆われていました。
20:30 石北峠越え
20:45 石北峠通過、北見側に降りると漸く乾燥路面となりました。
21:35 北見市内のスタンドで給油を実施。
22:00 北見市内のなか卯でミニ丼・ミニうどんセットの軽い(?)夕食。
一休憩を入れたあと、最終行程の北見~釧路間150kmを直走りました。
首・肩・腰が痛く、目が疲れていたものの、最後まで眠気はなく順調に進みました。
0:10 帰投
2日目の走行距離:539km。
10時間30分も走りっぱなしで、さすがに腰と首が痛い・・・。
今回の総走行距離:1157km
今シーズン初の雪上走行を一切のトラブルなく完遂、これもレックスの高性能に依るものです。
今次の走破達成を可能とした一因には、前回のような過酷な状況が現出しなかったことが
大きいですが、兎も角これを以て昨年の雪辱としておきます。
また来春か夏あたりには遊びに行きたいです。
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おまけ
友達から貰ったエブロ プレミアムコレクションシリーズの1/10スケール ホンダCR93公道仕様。

(ミラー付け忘れてました)
定価1万8900円(!)という高額モデルですが、イベントの際に1000円で購入したとか。
稚内では毎年の夏、エブロが主催するクラシックカーイベントがあり、
その際にブースでこういったモデルの数々が格安で販売されるそうです(行ったことはない)。
前行った際にはスカイラインスポーツとスカイライン2000GT(S54B)、スバルR-2を貰いました。
CR93も好きだけど、同じシリーズにCB750four(2万1000円!)があるので、
次はそれをお願いしようと思います(図々しい)。
これとエブロのカタログ(2012年版)も貰いました。
こっちも1050円となかなか良い値段してます。
現在、このCR93はPCの前に鎮座しています。
1/10スケールとあって、精巧なディティールを誇り大きな存在感があります。
レーシーなロングタンクはキャップの開閉が可能、鋲の打たれたストッパー付ソロシート。
クローム仕上げの繊細なステアリングダンパー、スポーク、マフラー、ショック、エアクリーナー。
”テレフォンダイアル”クラッチカバー、3箇所から選択できるステップ位置、
カムギアトレーン機構を与えられたエンジン、美しいレンズカットのヘッドライト。
市販レーサーたるCR93のメカニカルな美しさを高いレベルで再現したこのモデルは、
ずっと眺めていても飽きがこない魅力があります。
次はCB750f(以下ry)
あ、もちろん貰いっぱなしではなくお土産は持っていってますよ(笑)。
・・・
ホンダCR93 ベンリィ・レーシングは、世界最高峰の内容を持った市販レーサーです。
鈴鹿サーキットの完成と第1回日本グランプリの開催に照準をあわせて、1962年6月から
生産が開始され1962年9月にCR110 カブ・レーシングと共に発売されました。
「時計のように精密」と謳われた、精巧で緻密な空冷4ストローク並列2気筒DOHC ギア駆動の
CR93E型エンジンは僅か124.8ccの排気量から、13500回転(!)で21.5馬力を叩き出しました。
發揮可能な最高速度は135km/h、カウリング装着車では実に155km/hに達しました。
1962年のマン島TTレースでは、ワークスレーサーのRC145に次ぐ3位と4位に堂々入賞。
第1回全日本ロードレース選手権では、黒沢元治選手のドライブでノービスクラス優勝を飾りました。
価格は大卒初任給が約15000円の時代に30万円という、当時の軽自動車に匹敵する
非常に高価なものでしたが、購入希望者が絶えなかったと云われています。
総生産台数は252台で、その大半がレースで消耗した為に現存数は極めて少ないものです。
◆ホンダ CR93 ベンリィ・レーシング主要諸元
エンジン型式:CR93E 空冷4ストローク並列2気筒DOHC 4バルブ ギア駆動
総排気量124.8cc ボア・ストローク:43×43mm 圧縮比10.2
潤滑方式:ウエットサンプ オイルポンプ方式:プランジャー
キャブレター:京浜RP28-22P6 点火方式:マグネトー点火
エンジン整備重量:41kg
最高出力:21.5PS / 13,500rpm(運輸省届け出値は16.5ps/11500rpm)
最大トルク:1.05kgm/10700rpm
最高速度:135km/h(カウリング装着車)155km/h
最小回転半径2.15m 制動停止距離:6.5m(35km/h時) 登坂能力:18゜
変速機:5段リターン式 変速比(1)2.000 (2)1.429 (3)1.227 (4)1.083 (5)1.000
1次減速比3.700 2次減速比2.500
寸法・重量 全長:1960mm 全幅:600mm 全高:915mm 軸距:1275mm 最低地上高:145mm
キャスター:26゜ トレール:87mm サスペンション フロント:テレスコピック リヤ:スイングアーム
制動装置 フロント:200mmツーリーディング・ドラム リヤ:175mmシングルリーディング・ドラム
タイヤサイズ フロント:2.50-18 リヤ:2.75-18
車輛重量:127.5kg
燃料タンク容量:10L オイル容量:1.1L