来る6月3日は
雲仙普賢岳の大火砕流で
多数の犠牲者が出た日から30年になるらしい
当時は関西にいたせいか
火砕流という聞き慣れない単語と
その火砕流から逃げる人の写真
いつ終わるのかわからない火山活動に苦悩する市長
くらいの印象しか残っていない
ローカルニュースの情報によると
火砕流の発生以後
危険地域として住民が避難しているところに
マスコミは迫力のある映像を求めて山へ接近
誰もいない民家に無断で電気や電話を借用していることが判明し
周辺住民がマスコミに対して不信感を抱いていたところに
大火砕流が発生してマスコミ関係者が犠牲になると同時に
空き巣を警戒していた消防団やマスコミ関係者を送迎していたTAXI運転手や
避難を呼び掛けていた警察官も犠牲になったので
周辺住民とマスコミの間に遺恨が有って
以後は島原市長の会見だけが報道の中心になったとか
火山活動の終息に5年かかったとはいえ
マスコミ関係の車両の残骸が掘り出されたのは昨年のことだという
島原で何が起きていたのか
ちゃんと見ておこう
ということで
島原まで約70km
1時間半のドライブ
島原は長崎市からさほど遠いわけではない
途中の道は諫早市内を除いて片側一車線だけど
混み合うことはなくのんびりとしたドライブになる
子供の頃に島原城に一度だけ行った記憶はある
島原半島としては潮干狩りとか温泉とかイルカウォッチングとか
大人になってからは
両親をパジェロ君に乗せて阿蘇山まで行くのに
島原からフェリーに乗った覚えがあるけど
あれは噴火を意識した覚えがないから
噴火の1~2年前だったんだろうなぁ
島原が面する有明海も深い湾なので波は殆ど無い
こういう静かな海を見ると
つい津波の無い海はいいよねとか思ってしまう
でもそれは間違いであることを後で知ることになる
島原に近づいて山が2つ見えて来た
手前の山は雲仙としては低くて小さい
遠くの山は雲仙っぽいけど斜面部分からは結構距離有るなぁという印象
まずは島原駅へ
駅の正面に島原城
駅前は田舎だ
店が無い
駅前の観光案内
右端に駅が有って左端に雲仙岳災害記念館というのが有る
先ずはここに行ってみよう
島原鉄道の車両が入って来た
災害記念館駐車場
正面の山が色的に普賢岳っぽい
平成噴火をたどるコースってのが有る
この後はこのとおりに行ってみようか
どこもちゃんと駐車場が有るみたいだし
普賢岳のてっぺんはいかにもちょっと前まで噴火してましたって感じに見える
なんか細い煙が見えるのは
まだ蒸気でも出てるのか?
およそ二百年ぶりに噴火したんだね
この大きさの溶岩がこの辺まで来たというわけではなさそう
災害記念館
”ジオ”と火山の体験ミュージアムで愛称が”がまだすドーム”
スポーツ施設に併設されてるのかと思ったけどあまりドーム感もないし
”がまだす”ってなんだろう?何か特産品か?
ジオはジオパークのジオ
立ち入り禁止の警戒区域というのが結構広範囲にある
今でもそうなんだろうか
赤い太い線はただの国道かぁ
表示としてややこしいなぁ
ジオパークとしては・・・
赤色が特別保護地区黄色が保護地区
緑までがジオパーク指定ってことかな
施設の建物に入って最初に目に入るのは記憶にある写真
被災したカメラに記録されて残っていた画像は
かなり乱れてるし元々火山灰であまり良く見えないけど
音声は比較的鮮明に残ってる
画像が公開されたのは大火砕流から14年後らしい
(ネットの動画を検索すればすぐ見つかります)
ここまではロビーの無料展示
入場料1050円で中へ
お客がかなり少ないせいか
入った瞬間にシアターコーナーへ誘導される
(たまたま30分毎の定時上映タイミング丁度だったっぽい)
他に誰もいなくて貸し切り上映
大火砕流の犠牲者は43人という数字が頭にあって
上映された中にも数字が出て来たのに
最後のところの説明では犠牲者が44人となっていて数が合わない
後で行方不明者が発見されたとかなのか?
と思って
係の人に聞くと
44人目の人は大火砕流からは約2年後の火砕流に巻き込まれたとのこと
警戒区域で避難していたんだけど
避難所にはペットが入れず
家に残した犬の世話に戻った時に犠牲になったらしい
避難所ペット問題は最近の震災でも取り上げられていたけど
30年も前だと相手にされなかったんだろうか
確実に長期間だし地震とかよりもペットが死んでしまう可能性は高い気がする
動物保護法か何かに基づいてせめて犬と猫くらいは対応する制度を整備すべきだよね
きちんと報道されてれば愛好家のボランティア活動的なものくらいはできたんじゃないのかねぇ
もう一か所は立体紙芝居風のシアターで江戸時代の噴火にまつわる昔話
かつて
島原に津波が来たという話が含まれてた
島原大変肥後迷惑という言葉が残ってるらしいけど
語り継がれているとは言えないだろう
まして熊本を含む他の有明海沿岸の人は
自分が住んでる地域に津波が来たことが有るなんて夢にも思ってないんじゃなかろうか
立体地図とプロジェクションマッピングでの火砕流と土石流の到達範囲を示す展示
とても分かりやすい
黄緑部分が火砕流
茶色っぽいのが土石流
火砕流は手前の眉山に当たって南側へ
2年後には北側へ流れてる
土石流は基本的に南側
今なら
5年分を10分くらいに圧縮して
わかってるだけの火砕流と土石流の到達状況をアニメーションにしたら
この災害の本当の怖さが良く理解できるような気がする
データ持ってる九大あたりが作っておくべきだよね
島原城のバックに巨大な火砕流って凄い迫力
動画だと近くも迫力あるとは思うけど
島原城を入れた映像の迫力に気付いていれば
あれほど多くの犠牲者は出なかったかもしれない
黄砂の影響とか梅雨時で鮮明に撮れないということはあったかもしれないけど
危険な最前線を好むカメラマンの性も否めないかも
この時も自衛隊は災害派遣されてた 5年間に渡って派遣されてたらしい 当時はJeepだった
立ち入り禁止区域のパトロール時の映像を
避難所の住民に見せていたらしい
留守宅に何か被害が出ていないかとか住民に代わって様子を見に行ってくれてたってこと
今はコロナの関係で中断されてるけど
普段は展示車両の座席に座るとその映像を見ることができるようだ
火砕流を浴びたガードレール
えっ?と思ったけど柱の部分は変形してないから変だなと思ったらプラスチックの反射板だった
日テレはカーボン製の三脚を使ってたようです
この辺は原爆資料館で目にするものにとても良く似ている ガラスの変形具合とか
当時の自衛隊の装甲車はキャタピラ式 今のタイヤ式よりは熱に強いかもしれないけど
火砕流に巻き込まれたらエンジン止まるし乗員は蒸し焼きだろう
火山国なんだからハイブリッドでバッテリーで走行できて内部冷却できる車両を持っててもいいよね
火山研究者(外国人)が先頭にいたってことの影響は大きいだろうな
住民を除けば仕事の上での事故
危険と言われても多少の火傷は覚悟の上さってノリで行動しちゃうだろう
’91はバブルが崩壊し始める頃
マスコミ関係者は思いっきりブイブイ言わせてた(死語か?)のも影響してたかも
報道関係者を送迎してたTAXI運転手は報道関係者に含まれてるんだろうか
長期の派遣だったから災害派遣の在り方とか組織内でどう準備をすべきかとか
かなり検討・準備は進んでいたんじゃないだろうか
阪神淡路大震災は’95年の1月だから
阪神淡路大震災の時は発生直後から自衛隊が出動準備万端だったというのも
うなずける
問題は法整備ができていなかったことと
当時の政権が社会党であったことか
だから出動要請が正式に出るまでに相当な時間がかかって
自衛隊はなかなか出動できなかった
島原での災害派遣がもう少しきちんと報道されていれば
せめて関西の各県知事は自衛隊の派遣を政府に求めて
少なくない命が救われていたのかも知れない
当時は関西の状況すら東京にあまり届いていなかったし
まして西の端の出来事なんて東京には届いてなかった(関西ですら)
江戸時代に島原で眉山が山体崩壊して有明海中に津波が広がった様子
島原での火砕流の様子も記録されている
島原の川を津波が遡った範囲も正確に記録されている
こういう災害の記録は日本中に存在しているはずなので
地元できちんと共有しなければならないし
地震学者とか火山学者を名乗る人は真っ先に基礎知識として持つべきだよね
各市町村の庁舎にこういうものを展示することを義務付けたらどうだろうねぇ
無人化施工って何だ?と思ったら火砕流で危険だからリモコンで建設機材を動かして
将来のために技術開発もやれてラッキーだったってことか
こんなものが有ったけど・・・
なんか
ライブ配信チャンネルのアプリみたいなんだけど
災害時に役立つんでしょうか?
被災した時にその状況をライブ配信したら
アクセスがあって色々情報がもらえるんだろうか?
災害時にSNSが役に立つっていうけど
オジサンはピンと来ません
困っている状況を発信すると
直接解決策を教えてもらえたり応援メッセージが心強いってことなのかな?
オジサンはどうしても解決策を自分で探して何とかしようとするから
理解できないのでしょうか?
火砕流や土石流が昔から有ったというのが地下をボーリングしたら地質的に分かりましたたという話
でも火砕流なのか土石流なのかの見分けはついてないのかな??
土石流は土とか火山灰とかが混ざってるから
普通の水と違って密度が高い(重い)ので
流れの持つエネルギーが大きくなるし
大きな石には一層大きな浮力も生じるので
普通(?)の水害よりも下流の被害が大きくなるってこと
更に火山灰は水が浸み込まないのでちょっとした雨でも
大量の水が土石流となって一気に下流へ押し寄せるという悪循環
火砕流の温度は800~400度
阿蘇山のカルデラができた時に発生するような巨大なものも代表的な火砕流なので
学者さんは島原の火砕流を小規模な火砕流と表現してしまった
もちろん間違ってはいないんだけど
学者の言葉は
自分が分かりすぎているから説明が足りないか
あまりにも説明が多すぎて要点が分からないか誤解を招きがち
災害なんかで学者が情報発信する時は
各大学の情報発信の専門家を補佐に付けて大学として情報に責任持って欲しいところ
大学の肩書持ったままテレビのコメンテイターとかで稼ぐのは禁止にして欲しい
とか言ったら研究者の成り手がいなくなるか海外に流出しまくったりするのか?
火砕流の構造
火砕流は
砕けた溶岩と
溶岩から噴き出す火山ガスと火山灰
巻き上がる火山灰
の3つから成り特性や動きがそれぞれ異なる
我々が目にしていたのはほぼ巻き上がる火山灰の部分のみ
従って
ちょっとくらい熱い火山灰をかぶっても・・・
という捉え方になりがちだけど
火砕流の本体に飲まれたら確実に死ぬ
”危険”という単語は生命や身体の損害、事故・災害などが生じる可能性のあること
だけど
意味する可能性の範囲が広すぎる
だから最近は色々な表現で避難指示や避難勧告とかを報道の中で表現してるけど
結局危険度合いは分かりにくくなる一方の気がする
何か漢字二文字でその度合いをうまく表す単語を新たにいくつか作ったらどうかなぁ
もしくはピクトグラムを作るのが良いか?
身の回りの物を800度の環境に置くとどうなるのかを画面に表示する展示
子供にウケそう
島原市内での降灰と噴石
懐かしいクルマが多数登場
鹿児島の人には申し訳ないけどクルマ持ってると降灰とか耐えられないなぁ
有料部分の見学終了
一旦外へ
たぶん熊本へ向かうフェリー
以下
ロビーの展示
報道関係者(含むTAXI)の車両を掘り出された際の報告書が掲示されてた
この時の火砕流は二波に分かれていて
最初の火砕流で人は死亡し
二波目で車両二台が吹き飛ばされ斜面を転げ落ちたようだ
最近慰霊碑も作られたようだけど
ちょっとパスです
このがまだすドームは’02年に作られたようです
ちなみに”がまだす”というのは島原弁で「がんばる」の意味らしい
喫茶スペースでアイスコーヒー
初めて紙ストローを使った 普通と言えば普通
記念館を出て山を見るとまたちょっと違って見える気がする
眉山
確かに山体崩壊の跡が
文字数に制限が有るようなので
その2に続きます