各地で大雨による被害と日照不足が問題となった19年の梅雨。それが明け始めた7月吉日、嫁が第2子を出産しました。
早いものでもう2人目。子育て生活が始まってからは、何もかもがあっという間に過ぎていく現状で、更にもうひとり追加となります。
しかもまた赤ちゃんの状態から・・・。
久々のブログ、今回はそんな出産と子供の成長のお話です。
事の始まりは、遡ること2018年の10月です。ちょうど上の子(当時は一人っ子)が独り歩きを始めたり、愛車を乗り換えることを決め、探してもらっている時期でした。
今回はいわゆるタイミング法と言うオーソドックスな妊活からスタートです。ここみんカラは全年齢が閲覧できるという事もありますので、妊活や方法は細かく触れませんが、
「自然に出来ればイイね」と言う希望の元、もろもろ計算しながら始まったのです。
ところが、ありがたいことに
早期に妊娠が発覚。それが11月となります。
計算通りといえばその通りなのですが、想像以上に順調で逆に驚いてしまいましたね。
なんせ、愛車の納車日よりも先に妊娠が発覚してしまったわけですから。
SQ5を買うと決めて、その後に妊娠、そして納車・・・。
納車した頃には悪阻(ツワリ)が始まっていました。

家族クルマとしてアウディSQ5に乗り換えたのに、乗る機会がないのです(爆)
一人目の時もツワリが酷く、それで仕事を退社した嫁。2人目になれば多少軽減されるのかも!?なんて甘く考えていましたが、それは見事に打ち砕かれました。
一人目と同じか、それ以上に酷く体調を悪くする嫁。ツワリは病気じゃないって言われる方も居るそうなのですが、個人差が大きすぎて一概には言えないよ。と思ってしまいます。
妊娠発覚から4ヶ月目くらいまではなかなか厳しい生活でした。ツワリで寝込んでいる嫁を起こさないようにしながら、早朝より上の子のご飯を食べさせるところから一日が始まり、家の掃除に洗濯。日中は仕事で帰ったらこどものご飯を用意、お風呂に入れて寝かせる。当然、ツワリ中な嫁は日によって食べられるものが変わるので、その希望に合うものを買いに奔走・・・。
別にイクメンぶるつもりもありませんし、主夫してるでしょ?なんて言い張る気もありません。
この状態をなんとか打開するには、己が動くほか無い訳で、それで家族が回るのならたかだか数ヶ月ですから頑張ろう。そういった気合いで頑張ってましたね。
年が開けて2019年。2月に入るとツワリも終わり、いわゆる安定期へとなります。
過去のブログにも書きました滋賀へ妹たちを連れた旅行に行くことができました。

宿とSQ5。

長浜城を見てきました!
いわゆる
マタ旅ってヤツですが、緊急時の対処などを含めると宿泊を伴う旅行は愛知から滋賀あたりまでは限界でした。
一方、つわり期間中も関係なく成長を続ける上の子。いろんなモノへ興味が出始めます。男の子だからなのか、乗り物系がお気に入りに。自動車やトラック、建機に農機まで、ありとあらゆる乗り物に惹かれまくりです(笑)
公園に遊びにっても、奥で重機が動いてると
「がーがーだ!」と言って食い入るように見つめてます。
よたよた歩きだったのもいつの間にか普通に歩くことができるようになっていて、毎日驚きであふれますね。

これが2月の写真。
いよいよ自分で気になる方へと勝手に進み出します。危ない事の判断ができないので、
常に周囲に気を張らないといけません(;´∀`)
やがて走ることも出来るようになりまして、危険回避などは先回り先回りしながら、子供と仲良く走り回りました。

5月の写真。容姿は完全に幼児へと成長。
アクティブに動き回るようになり、自然とカメラを使わなくなったのは秘密。
基本はスマホでスナップです。なるべく目を離さないようにするにはそれしかありません。ファインダーを除きながら、ここらへんにピントを・・なんてやっていると、スグどこかへ行ってしまうわけですから(苦笑)
近所の公園へ歩いて行ったり、車で大きめの公園に行ったり、大型のショッピングモールへ行ったり。気がつけばクルマのブログであることを忘れるくらいに、家族優先の生活をおくっていました。
そして季節は春から初夏へ。嫁のお腹がますます膨らみ、赤ちゃんの胎動がわかるようになりました。
仕事も多忙な時期と重なってしまい、正直なところこのあたりから記憶があまり無い状態です。
嫁は無理な動きや、長距離の移動もできません。なのですが、上の子は「ママー」と言ってダッシュで抱きつきに行くのでそれを静止したり。
ドライブとか旅行とかは完全封印。妊婦の嫁の様態を気にしながら上の子を連れて近場へ買い物に出かける、それくらしかできない生活でした。
きっとこの頃から、上の子には何かしらの我慢を強いてしまっていたのだと思います。
そして7月下旬。梅雨が明け始めた頃に出産へと状況は動き始めました。病院で検診を受けた嫁が
「陣痛ぽい痛みが始まった」
と言う言葉と供に入院へ。経産婦(過去に出産経験がある妊婦のこと)なので、軽めの陣痛でも入院するそうです。
※産婦人科、病院によっては判断が違うことがあります。
入院が決まったのは午後。この日は出産予定日でもあったので、事前に子供は実家へ預けてあります。仕事のキリをつけたら急いで帰宅、着替えて病院へ。

約2年ぶりの病院。たかだか2年なのに、ものすごく懐かしい気分になります。
病棟に向かうと元気そうな嫁が待っていました。
「陣痛はだいぶ遠のいちゃった」
男には永遠にわからないであろう陣痛。どうやら安静にしていたらそれが弱まったそうな。
とは言え経産婦は初産(初めて妊娠して産む人)と比べると、お産までにかかる時間が短いので入院出来る模様。案内された病室は、ビジネスホテルばりに広々でした。

ベッドが2つあります。
出産後に面会に来る人が居ること、一緒に親族が泊まれること、広々した部屋のほうが精神的に楽なこと、などなども含め空きがあったこちらの病室にしたのだそう。
当然ですが入院費は割高になります。
病室に荷物を置いたら、陣痛待ちの状態へ。嫁はベッドの上で体操したり部屋の中を歩き回ったりしながら、出産が促進される様に動き続けました。
これは出産予定日がこの日であった事、と予定日を過ぎると促進剤と言われる投薬により強制的に陣痛を起こさせる事を回避したい思いがあったためなのです。
促進剤による強制陣痛は、自然の陣痛とは比にならないくらいに痛いのだとか。嫁はそれだけは避けたいと常日頃言っていたので、何が何でも今日中に産むつもりでした。
・・・
やがて日も暮れまして夜へ。一向に陣痛が強まる気配もなく、病院のスタッフさんにも
「寝られるようなら寝てください。明日、促進剤を使うか決めましょう」
なんて言われてしまいました。仕方なしに21時過ぎに消灯。
・・・
1時間おきにお腹の赤ちゃんの状態を検診するので、毎時ごとに起こされるわけですが、23時の検診で状況は変わりました。
どうやら就寝後から陣痛が徐々に強くなってきて、
寝ることもままならない状況へと進んでいたようです。コチラはただ寝てただけですので、気が付きもしませんでした(汗)
そのまま病室から分娩室へ。
分娩室とは書きますが、いわゆるLDRです。LDRは陣痛・分娩・回復の英名の頭文字をとって呼ばれているそうです。単純に陣痛から出産、そしてお産後の一時的な休息までを流れで行える”個室”みたいなものとなります。
お腹にセンサーを取り付けると、
・赤ちゃんの心拍
・陣痛の間隔
・陣痛の強度
が数値化されてモニタリングできるようになりました。

上の子の出産ブログでも写真を上げましたね。
この状態から陣痛が強まり、そして間隔が短くなるのをひたすらに待つ状況へ。
強めの陣痛も来るには来ているのですが、間隔が不均等。赤ちゃんの出口は広がり続けているので、あと数時間は待たないといけなさそうです。
徐々に痛さに呻く嫁の声が大きくなります。
あぁ。一人目の時もこんな感じだったな・・・。
陣痛を体験する事も、代わってあげる事出来ません。ただひたすら擦ることしか出来ないのです。今更ながらに思い出しました。
日をまたぎ、深夜から明け方へと時間は過ぎていきました。
時刻は4時過ぎ。強まる陣痛は、間隔も短くなりその時が近いことを教えてくれていました。

陣痛間隔が2分台。
夫の役目として擦る事に追加で、お尻を押すと言う事が増えます。陣痛とは赤ちゃんが外に出ようとする動きみたいなものなので、その対策みたいなものです。
※気になる方は調べてみてください。テニスボールを使って押しましたよ。
・・・
6時を過ぎた頃、いよいよ
”いきみたい”と嫁が言い出し、状況は最終フェーズに入りました。
助産師さん(病院のスタッフ)を呼び、検診。赤ちゃんの出口はあと一歩の状況の様でした
「あと1時間はかかるかな?」
なんて考えていたら
「破水しました!」
と助産師さんが言いまして、一気にお産モードへ。数人のスタッフがLDRになだれ込み、分娩に向けて事態は急ピッチで進みました。もろもろの準備が整い
「旦那さんどうぞ~」
と言われて嫁と対面したときには、
直前の状態でした。
・・・
陣痛の痛みに悲鳴をあげる嫁。この感じも上の子の時と同じ。
なんだろう。無性にこみ上げてくるもがあり、涙腺が崩壊しそうになります。
まだ生まれてもないのに(苦笑)
痛みに耐えてる嫁や助産師さん達に悟られないよう、平然を装いながらカメラをスタンバイ。いきむ嫁の左手を握りました。
・・・
「次の陣痛でいきます」
そんな事を言われて、痛みの波に合わせ渾身の力でいきむ嫁。
ほどなく
「頭が出ましたよ!!!」
の声と同時に
LDRに初声が響きわたりました!!
やがて助産師さんの手には小さな赤ちゃんが。無事に出産した瞬間でした。
上の子の時はお疲れ様と言いましたが、なんだかその言葉は違う気がしたので、労いと感謝の意を込めて嫁の手をギュッとにぎることにしました。
「ありがとう」
心の中か、はたまた実際に口に出ていたのか、ともかく感謝の気持ちでいっぱい。
ただただ、ありがとう。
取り上げられた赤ちゃんと嫁のご対面。

生まれてきた新たな生命。全力で泣き叫んでいました。
ココから先は上の子の時と同様に、別室に赤ちゃんと供に行きます。身体チェックを兼ねた状態の確認作業が、立ち会った夫としての仕事です。
身体の異常などが見当たらないかを助産師さんと供に確認。その後は身体測定をしました。
3070グラム。立派な赤ちゃんです♪
昨今、母体となる女性のスリム化が進んでいる影響なのか、出産時の体重は減少傾向にあるのだとか。聞くところによると3000グラムは昔は標準だったのが、今ではおっきい部類になるそうです。
※なにかしらの確証があるわけではありません。あくまで個人的に見聞きした範囲での見解です。
なにはともあれ、無事に生まれてきてくれてホッとします。

一部加工してます。
令和ベイビーですね(笑)
赤ちゃんの身体チェックをしている間、嫁は産後の処置を受けています。やはり出産というのは相当に負担のかかる一大事なのだと、改めて思います。
・・・
処置も終わり、赤ちゃんと嫁(ママ)との再開を果たすと、休憩タイムとなりました。
赤ちゃんは初めての授乳も済ませるも、
元気に泣き続けます。
あれ?生まれた瞬間から泣き続けてるけど、大丈夫なん??
(;^ω^)
上の子は出生後、早々に泣き止んでいたので、2人目とは言え状況・状態・赤ちゃんの性格すべてが違うのかっ!と思い知らされました。
・・・
新たな生命の誕生。家族の一員が増えるとこで、親としての責任も増えます。
生まれた赤ちゃんのためにもしっかりしなきゃ!と言う思いが、強まります。上の子が生まれた時は自分が親になるという現実と覚悟を覚えました。2人目はその土台の上に登った状態がスタートなのです。
子育てには正解が有るようで無いです。せめて、家族全員が楽しく幸せに暮らしていけるよう、最大限の努力を、さらにも増して勤しんでいかなきゃ。そう思いました。
なんだか、タイトルに親の責務なんて入れちゃったものですから、それっぽく結論を書こうとしましたが、完全にあいまいな感じになってしまいましたね(苦笑)
握る指には一生懸命に生きようとしている赤ちゃんのそのものが感じて取れます。
いつか「生んでくれてありがとう」なんて言われる日が来てくれるよう頑張りますか!!
2人目誕生でうるてぽライフ、4thステージスタートですね!
3rdステージが短いっていう意見は受け付けませんよ(笑)
これで今回のお話はおしまい。
あとがきみたいなこと
このブログを書いている時点で嫁と赤ちゃんは無事に退院し、嫁実家に里帰りしてます。上の子は既に赤ちゃん返りが始まりかけているのか、やたらと「ママ、ママ」と甘えるようになりました。
出産に伴い、両家の実家でお泊りが続いてきた状況での「赤ちゃん登場」ですから、相当なストレスを感じているのでしょう。
なんとかしたくても、パパじゃ駄目なんですよね(爆)
うーん、子育てはムズカシイ!
Z4クーペの時と同じで納車直後から出番がないSQ5の運命やいかに!?
首がすわる秋以降は家族4人で出かけられると信じて。
でわ。