2016年10月19日
ガレージに“猛獣”を……
この秋にドイツ車のアウディは、ラインナップ中で最もコンパクトな「1」のホット・スポーツ版の「S」で、さらに「クワトロ」(全輪駆動)であるという最新『S1』に、「最小の猛獣」という広告コピーを与えた。
……巧いコピーだなと思う。短くて、そして「内容」もある。近年、クルマそのものについては何も語らずに言葉(コピー)だけで“完結”させ、そのキャッチーなフレーズと新型車をくっつけてクルマの広告とする方法が流行っているようだが、アウディのこれはそうではない。
『S1』というモデルについて、作り手として伝えたいこと。また、このモデルで何をしたかったか。このコピーでは、それらが簡潔かつ的確に語られる。このクルマって何?……というポイントから逃げずに、たとえ「広告内」の表現であっても、きちんと「クルマ」を語ろうという意志がある。
ヤボを承知で、このコピーを解説すれば、まず始めの「最小の」で、「6」でもなく「3」でもなく、このアウディは「1」系なのだと知れる。さらに、速い「S」系であって、同時にさまざまな走行条件に対応可能な4WD(クワトロ)であること。このモデルはそうしたポテンシャルと「強さ」があることを、「猛獣」というひと言で語っている。
そして、このコピーは「文化」にも触れているかもしれない。ヨーロッパの──というより、ドイツのクルマとは何なのか。どんな特質があって、何が求められるか。そうしたことを短い言葉で伝えようとした意味で、このキャッチコピーはとてもジャーナリスティックでもある。
では、何故、このようなコピーが出て来たのだろうか。それはドイツのクルマには、何よりも「強さ」が必要だからではないか。ドイツ車は克服しなければならないテーマが多い。クルマが勝ち抜かなければならないバトルの相手は、たとえば「道」、地形、そして気候などである。
「道」といえば、まずアウトバーンだ。ドライバーがそれぞれ、走りたい速度を選べる超・高速の道路が各都市間を結ぶ。ゆえにドイツでは、何か用事を済ませようとすれば、すべてのクルマがこの「道」を使うことになる。
そして、ドイツは地形も険しい。フランスが「平原国」だとすれば「山岳国」という印象で、しかし、そうでありながら、アウトバーンにしても郊外の一般路にしても、曲がりくねったところを高速で移動するのがドイツ流である。さらに、気候も優しくない。冬場は雪と氷に覆われ、それ以外の季節でも、朝は霧や靄でかすんで見通しが悪く、路面は水を含んでいる。市街地を出てしまえば、前述のように「道」はすべてアウトバーン。クルマとドライバーは、その高速路でしっかり棲息できることが求められる。
そんなドイツの環境で、このクルマ(S1)は、速さや有用性では誰にも負けない「強者」であるのだろう。それを主張するのに、戦場とか兵器といったミリタリー方面での言葉は用いず、クルマが持っている「強さ」を「猛獣」という言葉で表わした。これはなかなか見事である。
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さて、こうしてアウディS1についてのスグレ・コピーが出現したことはわかったのだが、ふと、気づくことがある。それは、この「最小の猛獣」というコピーが「届く範囲」は、果たしてどのくらいなのかということ。
少なくとも私には、このコピーは届いた。「欧州車」というものをよく捉えているなと感心もした。アウトバーンがあるドイツは突出していると思うが、全体に西ヨーロッパという地域は、基本的にクルマを「速く走らせよう」とするエリアだ。
これはたぶん16~17世紀頃に、西ヨーロッパに「馬車の時代」が二百年くらいあったこととつながっていて、産業革命期に各種の原動機が出現した際に、それを馬車の車体に取り付け“馬なし馬車”として動かした。そのトライが、今日のモータリゼーションの原点だった。
その時点で西ヨーロッパには、馬車という交通機関が既にあったから、何か新作が出現しても、それより遅いシステムであれば、既存の馬車に取って代わることはできない。20世紀初頭に出現した“馬なし馬車”=自動車が、登場以後ずっと休むことなく、果てしない性能(速度)競争に明け暮れたのは、この「遅いのなら意味はない」ということが自動車開発の基本精神だったからであろう。
そして、そんな「馬なし……」から百年以上が経過しての、この2010年代。生まれた時には家にクルマがあったという世代にとって、クルマは珍しいものではなくなった。かつて20世紀には、クルマは「より速く!」とか「より良いものを」といった競争原理の中で、どっちがより「強い」か(猛獣か)という闘いを繰り広げていたが、そんな「闘い」とは無縁のものとして「クルマ」を捉えている立場や世代があっても、それはフシギなことではない。
「最小の猛獣」という広告表現に触れて、「クルマって、猛獣なんですかぁ?(笑)」と明るく問い返された時に、私は(そうだよ、クルマの本質は、どんな時代になったとしても、やっぱり“競争と競走”なんだ)と語る勇気はない。それより、もし日本市場が、そんな闘いの原理以外の目でクルマを見ている最初のマーケットになっているとすれば、そうした(21世紀的な)トレンドの方に注目し、さらにウォッチを重ねていきたいと思っている。
……さて、最後に一つ自問する。私にとって、クルマは「獣」か? そして、ガレージに「獣」を一匹飼う気はあるか?
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Car エッセイ | 日記
Posted at
2016/10/19 12:54:23
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