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olivercouのブログ一覧

2018年03月15日 イイね!

可笑しかったのは

あのね、今朝、桜予想が出ましたが例年より一週間早いとのことです。

 NHKを見ててね。すごいロボット見まして驚きましたね。

 動きがすごい。ボストン・ダイナミクス社の高性能ロボット・ハンドル・

キーパ・マーク・レイパートCEOがいっておられました。「つくって・

こわして・なおす」テストは想定外でおこなうと。あらゆることに役立つ

ようにと……驚きの高性能ロボット・ハンドルの動きでした。介護やら、

いろんな場面で活躍するようになるのかなぁ?

 「ロボット人間との共生」出来る日を目指すとのことです。

 昨日は病院でした通渠。朝8時過ぎに出掛け帰ると2時近くになるのです。

 だから、待つ時間を楽しみたいと、手紙を書く時間と、そして、いろん

んな方が来ておられますのでね。いろんなご家庭があるなぁ~~と思い見

てるのです。あちらこちらから、いろんな会話が耳に入りますしね。

 親子さんかな?ご夫婦かな?介護士さんとご一緒かしら?まあ息子さん

がお父さんを?お嫁さんと姑さんかな?とか、雰囲気で想像するのですが、

私も、舅を~姑を~夫を~連れて病院に行った光景が浮かんだり~~して

きましたね。遠い日となり、もう忘れてしまいましたが、ああやって、病

院にきておられる姿は、会話があろうとなかろうといいものですね。

 なんとなく、あたたかくなります內痔治療。大きな声でケンカのように話されて

ても、いいもんです。

 可笑しかったのは、母親(老婆)と息子(中年)さんと診察に来ておら

れるようで、検査とかでお見かけしていたのでね。

 その二人なんとなく行動がね。なんとも愛すべき感じの方で、お母さん

はチョコチョコし忙しそうに、息子さんは太ってて堂々としてて、そこに

お嫁さんがまたついて歩いておられてね。あちこち三人が思い思い行動。

 あのね。大きな病院です。待合室もとても広いのです。

 診察のときは、電工掲示板と言うのか、番号が出るのです。それを見て

いて自分の診察番号が出ると診察室に入っていくのです。だから番号を、

誰もが見つめているのです~~番号が出ると患者さんは待っていますので

すぐに、大体の人は、入っていかれるのに、番号が出ても、誰も入ってい

かれないなぁ~と、思っていたら、お名前が呼ばれ放送されて、そのお母

さんが入っていかれた雙眼皮手術。ああ、こういう方なんだな~~とね。

 名前を呼ばれることは、先ずないのです。その前に、番号が表示される

のを待って見つめていますからね。 

 また、暫くして同じことがあり、なんとなく、見ていましたら~~その

息子さんが入っていかれ~なるほど、親子さんらしいなぁ、ホント、同じ

行動なんだなぁと、なんとなく、へんに、感心してしまいました。似てる。

誰もそこまで見てる人はいないでしょうが、なんか、退屈な時間の中、心

が楽しくなりました。

 きっと私もおかしなところが母に似ていたり、父に似て同じことをして

るかもです。たのしくなりました。

 親子って、こういうことまで似るのですよ。自分では感じてないところ

がね。似てて楽しい。ふと、なんだか、愛すべき………ですよね。
Posted at 2018/03/15 12:53:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2018年03月15日 イイね!

見る時は勝てない

みなさんも楽しく見ていたでしょう。ぼくも毎日見ていました。どの試合も選手が一生けんめいがんばって、やっていましたね。「がんばったから、メダルが取れた」と言っていた選手もいましたが、メダルは取れない選手も世界中の人たちに感動をあたえていました。それもすばらしいことであり、スポーツを見る時は勝てない選手や力士にも注目し、拍手を送らなければならないことも今回のオリンピックを見て、気が付いたわけです。

 また、ぼくが今回の大会で注目したのは、スピードスケートの日本の小平奈緒(こだいら・なお)選手と、韓国の李相花(イ・サンファ)選手のことです。勝負を競うだけでなく、二人はかなり前から付き合い、友だちになったことです。言葉はちがいますが、小平選手は韓国語を、李選手は日本語を少しずつおぼえていき、それに英語も交えて話をして、お互いのことはもちろん、お互いのお国の生活や歴史、食べ物のことも知り合っていったのでしょうね。わかり合ったと。それが大事なことですね。たとえば、自分の行っている児童館に新しい子供が入ってきたら、「何が好きか」と聞き合い、知っていくでしょ。それが友だちになることですね。そうして、お互いに知らなかったことも知っていき、気が付かない内に心が広くなっていくわけです。

 そのほか、ぼくは今回のオリンピックでは、カーリングとフィギアをよく見ました。カーリングは、コマのゆくえがわからないし、見ていておもしろいですね。フィギアはきれいです。女子はロシアのザギドア選手が金をとりましたが、どの国の選手でも、美しいおどりはほめるわけです。

 みなさんはいかがでしたか。

 3月9日から同じピョンチャンで、体や目が不自由な人のパラリンピックも開かれますから、そちらも見ましょう。

 このへんで失礼します。
Posted at 2018/03/15 12:32:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2018年03月01日 イイね!

頑丈そうで立派

BSプレミアムに“チョイ住み”という旅番組があり、バンコクの快適な借家暮らしの様子がでてきましたので、見入ってしまいました。


普通の家に住み、日用品を買い、食事を作り、近所の地図を覚え、その日ふと思い立った場所へ出かけ、地元の飲み屋でクダをまき、疲れたら家でテレビを見る。現地の人と同じ目線に立つことで、ガイドブックには載っていないその国の姿が見えてくるという番組。

番組を見ながら思い出していたのは沢木耕太郎の『深夜特急』でした。沢木耕太郎が20代のときに成し遂げたユーラシアの果てまでの旅行記で內痔如何治療、当時バックパッカーの間でいわばバイブル的に扱われるようになった作品。1970年代前半の交通事情、宿泊事情、途上国の貧困さの一端も伺えました。


一人だったらこんな旅をしてみたいと思った旅行記で、今もこのシリーズは大切に持っていますが、タイには一度も行ったことがありません。テレビで小説の約40年後のバンコクの姿を見ながら、行ったことがないにも関わらず、なぜか懐かしく感じていました。

『深夜特急』のバンコク到着からです。
<バンコクの天気は晴れ、温度は二十九度、というスチュワーデスのアナウンスがあって十五分後に、飛行機はバンコク・ドムアン空港に着陸した。入国の手続きも税関の検査も拍子抜けするほど簡単だった。空港ビルは閑散としておりどことなく気怠そうな雰囲気が漂っている。それでも出入口にはタクシーの運転手が屯し、盛んに客引きをしていた。>

増子が到着した空港はバンコク中心部より東へ約30Kmに位置し、敷地面積は沢木が到着したドンムアン空港の5倍虛擬辦公室 旺角、成田国際空港の約3倍の広さを誇るというスワンナプーム国際空港。


増子でさえ新国際空港の大きさには驚いています。
増子はインフォーメーションで尋ねて、白石の待つ宿泊先へ鉄道で向かいます。


インフォメーションカウンターの女性が化粧をしているのは、沢木が言っている気怠そうな雰囲気がなすところでしょうか。



近代化したとはいえ、屋台サイドカーがトヨタの高級車とすれ違ったり、


屋外での洋服の手直し屋さんなど、新旧入りまじった街の風景。

『深夜特急』で沢木がバンコクで泊まった最初のホテルはゴールデン・プラザという立派な名前のホテルですが、一泊120バーツ、日本円で1800円。ボーイの女の売り込みに嫌気がさして、別の宿に移ります浴室用品
<そこは看板も出ていない、しもたや風の建物の二階にある宿だったが、地図が正確なおかげで簡単に見つけられた。金物問屋の横の階段を登っていくと、暗い踊り場に老婆がひとり椅子に座っていた。>
そこで老婆に部屋を見せてもらいます。
<その部屋はゴールデン・プラザと比べると三分の一もないような広さだった。小さなベッドに小さな窓。クーラーはもちろんあるはずもなく、部屋と不釣合いなほど大きな扇風機が天井からぶら下がっているだけだ。それでも狭いトイレにはシャワーがついている。>
この宿泊費はゴールデン・プラザの四分の一、30バーツ450円でした。



一方増子と白石が借りた家は、白い塀を張りめぐらせ、頑丈そうで立派な門扉が付いた邸宅。


自転車が置いてあるのは、本来のガレージ、右側の白い建物は日本の豪邸にもみられたドライバーか庭使のための部屋(家?)でしょう。
タイの貧富の格差が垣間見えてきます。



素晴らしい発展を遂げたバンコクの街。

約40年前に訪れた沢木耕太郎はその騒音に驚きます。
<とりわけ意外だったのはその騒音である。バンコクは東京や香港以上にけたたましい街だった。オートバイはマフラーをつけずに走り廻り、サムロと呼ばれるミゼット型のタクシーは爆音のような凄まじい音を残して発進し、バスはバスで絶え間なく警笛を鳴らしている。>


ミゼット型のタクシーは今も健在でしたが、騒音はテレビの映像だけではわかりませんでした。

食事の値段で、タイの物価がどの程度上がっているのか推定できます。
沢木耕太郎のバンコクのうどん屋での朝食の値段です。
<出されものは私の望んでいた通りのものだった。スープは胡椒のよくきいた塩味で、ひとくち飲んだ時、日本のなつかしい味がした。麺にも必ずモヤシが使われるということを含めて、それはバンコク版塩ラーメンといった趣きのある食べ物だった値段は五バーツ、約七十五円という。これでバンコクにいる間は飢えなくてもすみそうだと安心した。>


「チョイ住み」では同じ食べ物は出ませんでしたが、庶民的な店で、このエビのバカオライスが160円。


二人でシェアできそうな量の三品で、570円ですから、40年で1.5倍程度の値上がりでしょうか。

二人が食事したこのテント張りのようなお店。


気になったのは夜間に小学生高学年か中学生くらいの少女が数名、ウエイトレスの仕事をしている姿。
今の日本では考えられませんが、少女たちの表情は決して暗いものではなく、生き生きしていました。学校の授業が終えて塾通いをする日本の子供たちと比べて、本当はどちらが幸福なのでしょう。
Posted at 2018/03/01 15:12:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2018年03月01日 イイね!

夢のハワイへ行き

「10問正解して、夢のハワイへ行きましょう!」こんなキャッチコピーで
人気を集めたクイズ番組『アップダウンクイズ』がスタートしたのは1963年のこと。
一問正解すると回答者のゴンドラが一段上がり、
10問続けて正答となるとハワイ旅行がもらえることになる。
正解者に対して、CA のいでたちをしたお姉さんが
飛行機のタラップを模した段を登りハワイアンのレイをクビにかけてくれる。
この番組は1985年まで続いていた。
このキャッチコピーを調べてみると「夢のハワイ」としていたのは、
70年代の前半まで、それ以降は「夢の」が消え、
「10問正解して、ハワイへ行きましょう!」となったという。

実際に1963年ごろはハワイ旅行は、まさに「夢」。
さすがに70年を過ぎた頃になると「夢」ではなく、
パック旅行なども充実し始めてきて海外旅行ブームとなっていた。
学生でも行ける時代になった。
ラジオCMに「50円で海外旅行に行ける方法」などのコピーがあった。
「まず、日刊アルバイト○○を40円で買う。
見つかったアルバイト先に10円で電話をかける。これでお金を貯めて海外旅行」。
初めての海外旅行者のお土産にしたものにウィスキーが多かった。
代表格はジョニーウォーカーの黒ラベル。
コニャックのナポレオンなども続いた。
いずれも日本買えばその当時の価格で1万円はしていた。
給料が月に2万円3万円という時代に考えられないほどの価格。
今日のニュースに、このジョニーウォーカーのラベルが変わるという記事が出ていた。
ジョニーウォーカーのラベルといえば、テールのあるコートにシルクハット、
片眼鏡にブーツ、ステッキを手にしている、そんなラベルだった。
これは創業者であるジョン・ウォーカーを模したものらしい。
この3月はアメリカで女性月間と国際女性デーを迎えることから、
このモデルをジョニーから女性に変換したラベルをあしらうとしている。
その名もジョニーならずや「ジェニー」。
34ドルで売り出すという。今や約3700円となるが、
当時、1ドルといえば、360円の時代。
あのままの計算値であるならば、優に1万円を越すことになる。
「ジョニー」様だったことが浮かんできた。

隔世の感なのか?
自分自身が歳をとったのか...?
Posted at 2018/03/01 12:54:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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「わしは負けちゃ http://cvw.jp/b/2844512/42258228/
何シテル?   12/03 11:58
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