最終日。
伊香保温泉から浜松までは370㎞ほど。7時間ほどかかります。
ですので帰路で立ち寄れる箇所は1か所、できて2か所程度。
サントリーの白州蒸留所か。ここの15年近くいっていないなあ。
奥さんに聞くと、今は見学も要予約みたいで何度も行っているからと。
山梨県立博物館も面白そうだなあ。
日本住血吸虫の常設展あるし。
川中島のところは結局行けなかったし。
「あ!」
あああ、そうだ!
スマフォからshifoさんのページを探し出す。
杉浦醫院!
奥さんに話してみると、行く!っと即決。
本日は開いているそうです。
で、片道170㎞超えです。到着予想時刻は15時すぎ。
途中、中央道を使って時間を稼いで14時半に着きました。
念願が叶いました。
これを見たかった。
風土病を終息することが出来た、世界でも類を見ない偉業の土地です。WHOでもこの日本だけが達成しています。
その風土病は日本住血吸虫症。
Wikipediaに詳しく載っています。日本で一番読みごたえがあるページとしても有名。
前述のshifoさんも詳しく書かれています。
甲府地方だけでなく、九州や静岡の伊豆にもこの風土病がありました。
一度、訪れて見たかったんです。川中島近くにも同様の施設があるのですが、その時は見学できませんでした。
中に入って。
受付の方は女性でした。
そこで、
「ここマイナーな施設でしょ。多くの方はYouTubeやWikipediaを見て立ち寄った方がほとんどなんです。あとは、こういう勉強されている方くらいですね。どこでこの施設を知ったんですか?」と。
ええ、
「30年ほど前、大学の講義で習いました!」
と言ったら驚いていました。
公衆衛生学の中でこの甲府盆地の風土病についての講義があったんですよね。夫婦ともども同級生で同職業なので、この講義を受けていたんです。
この杉浦醫院は当時の医院長がいたときのまま保存しているそうです。
で、我々が医療従事者と分かり逆質問されました。
当時のまま展示してあるのですが、注射器などは一般人でも分かるのですが用途が不明なものがいくつかあるとのこと。
写真左のコルク栓を挟んでいる器械はこれであっているのか?なんでこれが必要なのか?と質問を受けました。
コルク栓を圧縮する道具で用途は合っている。古い個人病院なんかの博物館でよく見た気がする・・・。瓶に蓋をするための道具だったよな。
調べたらすぐにわかりました。
コルク栓圧縮器と言い、ガラス瓶にコルクをはめるための器械。昔のガラス瓶は口の大きさが様々で調合した薬をいれて、ガラス瓶の口合わせてコルク栓を小さくする器械です。
ここにも大小さまざまなガラス瓶があり、その蓋をこれで作っていたんです。
他にも携帯用手術用具の器具の名前とか。これは私の元専門分野。
さらに、日本住血吸虫症末期患者の腹水は3回しか抜くことが出来なかった理由はなぜか?とか。写真を見ながら医院長が腹部が膨満した患者の腹を手でたたているのはなぜか?とか。
私、前職場で施術のスタッフ。奥さんは病棟で管理してた人。双方から回答しました。
この杉浦醫院、個人病院ですが当時(昭和初期)としてみれば最先端の病院。初期のレントゲン装置や高温加圧滅菌機(オートクレーブ)、手術室などもあります。
内科治療も行いつつ、外科治療も行う。
杉浦醫院が、甲府地方でこの疾患に罹患した患者の最後の拠り所で最前線だったことがよく分かります。
日本住血吸虫の宿主はミヤイリガイという小さな貝。
本では写真なので大きさが分からず、それなりの大きさと思っていました。実際は成貝でも米粒大の大きさしかなかったのに驚きです。
そしてこの小さなミヤイリガイのなかに成虫になった日本住血吸虫が300匹ほど。水中を漂いながら羽化し、ミヤイリガイに寄生し11週間後にはまた産卵を始める・・・。
その産卵数は1匹当たり1日1200~3500匹ほど。
そのため甲府盆地全域に無数ともいえるほどの生息数となります。
近代に入り原因が分かり、ここから人海戦術で50年以上撲滅するため戦い続けていたと。
日本住血吸虫はミヤイリガイから羽化し水中を漂い、哺乳類へ皮膚感染します。だから甲府地方では子供が水遊びをしようものなら他人の子であってもぶん殴ってでも止めさせたそうです。
こう考えると一度かかれば必ず死に至る日本住血吸虫症がどれだけ甲府地方では恐れられていたか。そのために何十年も徹底して住民を教育し、土地改良を行い感染しないように努めていたのか。
コロナでの感染対策。マスクがつらい、黙食は寂しい、出かけられないのが苦痛。
日本住血吸虫症の予防対策を知れば、コロナの対策なんて甘すぎるなと思いました。
「コロナでストレスが~。」なんて日本住血吸虫症から見れば甘言にしか過ぎないです。
1時間半ほど滞在して。
「残り少なくなってきたんです。」と言われた終息宣言25年後の罹患者の声を集めた本を1冊購入。
昭和町でこの杉浦醫院を買い取り維持しているとのこと。
終息から25年が過ぎ、この風土病が忘れされつつあるとのこと。
当時と今を考えると思うところがいろいろありました。
さて、帰路です。残り250㎞。
新清水JCに差し掛かる手前、トンネル内で火災が発生し通行止めとの掲示板。
第二東名を使わず東名高速に乗り換えて帰宅。
往復750kmほど。平均燃費は16.8km/Lでした。