![「狼狽」 「狼狽」](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/046/815/111/46815111/p1m.jpg?ct=22d86f11cf4b)
めったに使う言葉ではありませんが、究極の、慌てふためく状態としてタイトルを記しました。
「狼」「狽」ともに狼の一種である伝説の動物で、前者は前足が長く、後者は後ろ足が長いそうです。二匹が対になり、狼の背中に狽が乗っかる状態で協力しながら歩行するしかありません。このため、どちらか片方がつまずくと、両者ともにバランスを崩してまったく動けなくなってしまいます。それが、この語源になっているようです。
あれは、約10年前の菊池桃子さんのコンサートでの出来事でした。デビュー30周年を迎えた彼女が、ファンへの感謝を示す「MOMO CAN SHA」というフレーズがテーマになっていました。
私の中で、上述の「狼」と「狽」の歩行に乱れが生じ始めたのは、コンサートの中盤過ぎでした。
ある曲のイントロが流れ始めました。
この曲なんだろ。なんだっけ。シングル曲ではないな。ラムーか。いや、聴いたことないぞ。まずい。
歌いだしを思い出せないまま、桃子さんが歌い始めてしまいました。手拍子をしながら、横目で周囲を窺いました。声は聞こえませんが、全員が曲を口ずさんでいるように見えました。
これは、屈辱的な体験でした。主要曲であれば、歌詞カードなしで最後まで歌えると豪語してきた自分の矜持が轟音をたてながら崩れていきました。熱狂的ファンが、ごく普通のファン以下へ格下げになるのを受け入れるしかありませんでした。手拍子に専念しました。
歌詞は、「あなたが待ってくれているのを知って、私は、ありのままの自分でここへ駆けつけました」という路線で、まさにMOMO CAN SHAを感じるものでした。歌詞がダイレクトに心へ響く状態となり、目頭が熱くなりました。ですが、泣けません。全身が、屈辱と罪悪感に包まれていました。肩口から背中に覆いかぶさるわびしさの重さが辛かったです。
曲目を思い出せないまま、ついに曲が終わってしまいました。
桃子さんが、会場を見渡しながら、語り始めました。
「皆さん、いかがでしたかあ。この曲は、今日のために私が作ってきたオリジナル曲なんですよ」
転倒しかけていた「狼」に続いて、「狽」が反対側へ倒れていきました。作詞作曲の経緯に込み上げてくる感動と、熱狂的ファン失格の烙印が訂正される喜びとが入り混じる、なんともいえない複雑な気持ちになりました。「究極の感動による狼狽」と「極刑から一瞬で無罪放免となった急激な変化による狼狽」とが、同居していたのでした。
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こんな表情で、「私のこの曲知らないの?」と問い詰められた心境でした。
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2023/03/20 08:37:56