超スーパーロングプロジェクトで地方ドサ周り中で、ブログや競馬予想も滞っているMARKWONDERです。
皆さん、お久しぶりです。 何とか生きておりますm(_ _)m
気がつけば、今年初ブログ(笑)
余裕が無い割には、おっ茶ん会(のりぃー会?)には参加させてももらっていたりしますが、月の半分は出張でほとんど単身赴任状態。 ご当地ラー三昧ながら、体重は減っているので、健康診断が超恐い! 内心ビビリまくっております(笑)
時間が出来ましたら、オフ会にも参加したいと思っておりますので、宜しくお願いしますm(_ _)m
さて、久しぶりのブログネタは、私の「気になる人」。
孤高の人生を歩まれた人物を紹介したいと思います。
その方の名前は、茨木のり子さんです。
1926年に大阪で生まれた方で、高校時代を愛知県で過ごし、上京して現・東邦大学薬学部に入学。その在学中に空襲や勤労動員(海軍系の薬品工場)を体験し、1945年に19歳で終戦を迎えた。戦時下で体験した飢餓と空襲の恐怖が、命を大切にする茨木さんの感受性を育んだ。敗戦の混乱の中、帝劇で鑑賞したシェークスピア「真夏の夜の夢」に感動し、劇作家の道を目指す。すぐに「読売新聞第1回戯曲募集」で佳作に選ばれ、自作童話がラジオで放送されるなど社会に認知されていった。
1950年(24歳)に結婚。この頃から詩も書き始め、1953年(27歳)に詩人仲間と同人誌『櫂』(かい)を創刊。同誌は谷川俊太郎、大岡信など多くの新鋭詩人を輩出していく。
1975年(49歳)、四半世紀を共に暮らした夫が先立ち、以降、31年間にわたる一人暮らしが始まる。2年後、彼女は代表作のひとつとなる『自分の感受性くらい』を世に出した。それは、かつて戦争で生活から芸術・娯楽が消えていった時に、胸中で思っていた事をうたいあげたものだった。
(wikiより)
茨木のり子さんの数ある詩の中の一つを紹介したいと思います。
題名:自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
その後、 弟が先に他界し、かつての同人仲間が1人、2人と世を去るのを見送った。
だが、彼女は孤独感をものともせず、1999年に73歳で『倚(よ)りかからず』を発表するなど、詩への創作意欲は衰えなかった。
2006年2月17日、病気のため東京都西東京市東伏見の自宅で死去。享年79。
夫・安信と1975年に死別してから独り暮らしで、19日に訪ねて来た親戚が寝室で死亡しているのを発見されました。
すでに遺書は用意されてあった。鶴岡市加茂の浄禅寺にある夫の眠る墓地に埋葬されました。
孤独をものともせず、最愛の人を失ってもなお、1人でたくましく生きた人物です。
この人の孤高な強さに感銘し、心身が疲れ、心が倚り所を求めそうな時にふと思い出す詩となりました。
重いニュースや嫌な事があった時、先人を想い、ふと読み返してみる。
そんなゆとりが必要な世なのかも知れないと思う、今日この頃です。
<追記>
このブログで毎年ご紹介している「おっぱい募金」!
今年も開催されるようです!
「24時間テレビ エロは地球を救う!2016」
今年も
募金活動がんばりましょう!!(〃 ̄ー ̄〃)テレ
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Posted at
2016/09/16 10:00:43