
もうすぐ、東京モーターショーが開幕する。
いろいろと新しい・・・「五年後の車」(?)を、「コンセプト」として展示するわけだろうが、
残念ながら、五年以内の私には、あまり関係ない気がしている。
ただ、「エコカー」という観念に、少しだけモノ申したい気もしている。
「エコ」というのは、とにかく、エンジンを回さない、エネルギーを使わない。
「ない」「ない!」「しない」という意識だけが強調されている。
され過ぎている。
しかし、積極的にエンジンをブチ回していくことで、結果として、エコな技術が身についてゆくのではないだろうか?
たしか、日本のエンジン技術は、そうやって、エンジンをブン回すことを徹底的におこなって、その結果として、高効率でパワーを出すことを体得し、省燃費の技術が確立されてきたのではなかったろうか。
V-TECやMIVECは、そうやって生じたものだったと聞いているし、
本来、ターボも、省燃費対策として出ていた時期かあったという話も聞いた気がする。
そうすると、電気モーターも、ひょっとすると、高高速でブン回し、400kmオーバーの最高速を求めていったその先に、「悟りの境地?」が存在しており、そこに「かつてないほどのエコを達成する技術」が待っているのではないか?
そういう気がしている。
とはいえ、
五年以内だったのならば、コルト系やランサー系の車しか乗っていないだろうし、
乗るつもりがないのであるから。
コルト系やランサー系で魅力的な電気モーター車が出るとか、
i-MIEVのスポーツ版が、驚愕するほどスポーツ走行性能に優れているとか、そういった、走りに関するインパクトがない限りは。
走りにまつわる「道具選び」には、宗教性が伴っているから。
また「走り」、これ自体については、一種の宗教性が宿っている。
宗教を、信仰スタイルを、コロコロと変える人は、極めて珍しい人であろう。
だからして、私も、車での走りを志す以上、今の同系統の車に乗り続けることが望ましい。
つまり、「自動車メーカーは変えにくい」という、少し宗教性にかかる、そういう意思がはたらいている気がする。
走りにまつわる「道具」・・・「車」の、メーカー選定でさえ、そうした「宗教性」が発生してくるのだから、
「走りそのもの」特に「峠での走り」それ自体については、もはや宗教そのものだといっても過言ではない。
今日は、意外と多くの人が知らない、D1の起源についてみてゆかなければならない。
ヤビツ峠の宮が瀬湖側のエリアに集うドリフト族の攻め方は半端なかったという。
極限の美を求めて、ガードレールぎりぎりまでを、その走行ラインとしていた。
何のために?
速く走るために?
―こうしたドリフト走法が、ターマックにおいては「カニばしり」と揶揄されるようになって久しい。
何のために?
大勢の観客に見せるために?
―こんな暗い峠道に一体どれほどのギャラリーがいるというのか。
しかもここは、「一本道」なので、ギャラリーが「本線」を見物するためにあがってくる「側道」「旧道」が存在しない。
では、何のために?
何のために極限の美を追い求めるのか?
―それを理解するには、「奉納ドリフト」というものを理解する必要性がある。
「奉納ドリフト」・・・それは「神前の舞」であるといってよい。
こう言っても多くの人は、ポカンとするだけであろう。
だから、それを解消するために、「有名どころ」の「類似事例」を挙げてやる必要性がある。
「明治神宫奉納コンサート」・・・これを知っている人は多いだろう。
明治神宫(めいじじんぐう)は、東京都渋谷区にある神社で、
明治天皇と昭憲皇太后を祭神とするため、近代日本の発展の、まさに象徴的な神社であるといえよう。
初詣では例年日本一の参拝者数を集めることで極めて有名だが、この神宮では、数々のミュージシャンがコンサートをすることでも有名である。
雅楽の第一人者に始まって、ポップス系のミュージシャンやロックンローラーであることが多い。
要は、峠での「奉納ドリフト」もまた、こうしたムーブメントのひとつなのである。
「奉納ドリフト」・・・それは「神前の舞」なのである。
「神前の舞」である以上、人間のギャラリーがいないか、ごく僅かだとしても、手を抜くことは決して許されない。
極限の美を求めて、ガードレールぎりぎりまでを、その走行ラインとすることが、必然的に、義務として求められてくるのである。
そのため、ガードレールぎりぎりまでを、その「舞の動線」「ダンシングライン」として使わなければならないため、「落ち葉拾い」は必然的に発生するものなのである。
確認すると、「神前の舞」としての「奉納ドリフト」、「神前の舞」のクオリティーを引き上げるための「落ち葉拾い」、そしてまた、これが、「伝統的な奉仕活動の形態」としての「清掃活動」に、必然的な形で回帰しているわけである。
「奉納ドリフト」。
ただ、少し残念なことに、
宮が瀬エリアや奥多摩エリアのドリフトで、こうした言い回しが使われていることは、私はまだ聞いたことはない。
「奉納ドリフト」という名称が実際に用いられているのは、埼玉県の三峰山で、「三峰神社・奉納ドリフト」という名称がかなりメジャーである。
それは、この山が、山頂部に神社を頂き、道路がその山頂に向かって設けられているというコース形状によって、こうした信仰を、はっきりと意識するからであろう。
ただ、他の峠で、「奉納ドリフト」という名称が用いられていないからといって、これが三峰山だけの現象であるということは出来ない。
実際のところ、他のエリアでも、山岳信仰と奉納ドリフトという関係性が成立していることが多い、という事実である。
そういうことであるから、むしろ、三峰山において、「奉納ドリフト」という呼称が確立していることは、実に幸運なことである。
なので、今、語っている、ヤビツ峠・裏ヤビツ・宮が瀬側でも、「奉納ドリフト」が行われている、ということを確認しておきたい。
こうした「奉納ドリフト」こそが、現在のD1の、真の意味での起源であるといってもよい。
さらに、この事例で私が言いたかったのは、「ドリフトと落ち葉拾い」という表象的事実ではない。
動的な美の限界を求める行為に宿る魂が、峠という場所と結びつき、時として信仰と評するのが適切な、崇高なる領域まで高められる、ということを書いてきたのだ。
しかも、これは、他人事ではないのだ。
「君も、ドリフトをやっていたなら、落ち葉拾いはする気だった?」
「ええ、もちろん。自分が、ドリフト族なら、ドリフト族として、限界の美を求めるソリストになるために、オレは絶対にやってましたよ。落ち葉拾い。」
そこで、今度は、私の魂をも含めた話へと入ってゆくこととなる。