このたび新しく紙幣になる渋沢栄一って幕末・維新物の時代小説なんか読んでると主人公に束の間、交差するような形で登場することがちらほらあるが、のちに実業家になるっていうのは知ってても、要するに何した人だっけ?…と気になり、Amazonで手頃そうな本を入手する。
岩波新書で、伝記的な内容かと思ったら渋沢栄一の功績を時系列を追って深掘りしていく、けっこう堅い内容だった。
渋沢栄一は現在の埼玉県の農家に江戸時代末期に生まれたが、渋沢家は農民でありながら、藍の販売を中心とした商業で大きな財を成し、武家として出仕することを許されていた。
この時点でバックボーンとして商業的なセンスと官僚気質を併せ持つという独特な存在だったことがうかがえる。
さて渋沢栄一は世に出た当初、尊王攘夷運動に加わる。
時代小説によく出てくるのはこの時期の渋沢だが、これは挫折し、成りゆきから徳川慶喜に出仕するようになる。
持ち前の商業的なセンスが重宝され頭角を現し、ヨーロッパ訪問のメンバーにも選ばれるが、帰国後、すでに大政奉還が行われ明治政府が発足していたなかで大蔵省に入省する。
大蔵省でトントン拍子に出世する渋沢だったが、粘り強く着実に成果を出していくスタイルだったらしい。
ただ、この着実な気質は当時激しく局面が変わるなかイチかバチかで勝負する政治的な交渉に向かず、尊王攘夷運動に挫折したのと同じような形で自らが政治活動に関わるのを避け、大蔵省を辞め、民間の経済に携わる転身を余儀なくされた。
しかしここから渋沢は本領を発揮し、数々の会社の経営に関わり、次々と成功に導いていく。
経営手法としては独断専行を避け、徹底的な会議によって方向性を決定していたが、シビアなやりとりを好まず大家族的雰囲気を醸し出し、例えば部下が失敗して会社に大きな損害を与えてもそれほど責められることなく、渋沢自らが事態収拾に努めたという。
黎明期の日本経済に重要な役割を果たした渋沢だったが、第一次大戦後、世界経済が複雑化し各国が保護貿易に走るなか、しだいに従来のやりかたが通用しなくなり、経済界からは一歩身を引く。
以降は後進の指導で大きな役割を果たすようになり、学校の設立・運営で大きな功績をあげるが、晩年少しトチ狂ってキリスト教、仏教、儒教など世界宗教の統一に執心した。
当然失敗するが、なぜこんな一見頭悪そうなことをしたかというと、これは徳川幕府時代、お上が法令などと同様に儒教にもとづいた道徳的な面も民衆に「お達し」をおこなっており、これが民衆の生活に好影響を与えていたことから、グローバル化した近代社会でもそれを行うべし、という考えがあったためらしい。
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Posted at
2023/12/30 04:23:22