ちょっと朝から気になるブログを読ませていただいて。
ごもっともと思うところもありまして、ちょっと考えたところもあったのでメモついでに。
痛車とは無縁の人からしたらせっかくの車を痛車化するなんて
「もったいない」
「恥ずかしい」
「剥がしたほうがカッコイイ」
こんな反応はまだまだ甘い方で
「気持ち悪い」
「ロリコンなの?」
「犯罪起こすなよ」
なんて反応も時折あったりするわけでw
そんな痛車だけど始めた当時はまだ世間に知られてなくて台数もそう多くなく一日車を走らせても痛車と遭遇することなんて無い場合がほとんどでしたね。
ちょっと頑張ってコンセプトと手間さえ惜しまなければイベントで何らかの賞をもらうことも出来ましたし、そういった第三者からの反応という意味では昔のほうがずっとやりやすかった。
今はどうかと言いますと、地元でも痛車を見かける事はほぼ毎日。
出先でも痛車と遭遇することも多々ありまして珍しい存在ではなくなっていますよね。
イベントに出たからとフルラッピングにしたからとベース車両が凄かろうと賞はおろか期待する反応をしてもらえる事なんて殆どない。
そりゃそうだ、これだけ痛車が増えてイベントも星の数ほど各地で開催されて車両のバリエーションに関しても何でもアリな状態ですもん。
で、見る方の視点は?といいますと「痛車見物」に来ている訳でカスタムカーを見に来ている訳ではないのですよ(殆どの場合ね)要は車のカスタム度や本来のカスタムデザインの真意を見抜こうと思っている人なんてほんの数パーセントいるのかな?って具合だろうと思うんです。
もちろんド派手なエアロや驚きの手法を使っていれば痛車以前に人目を引くのは確かでしょうよ。
でも正統派カスタムや走りに徹した質の高い車作りとはかけ離れてしまうのね。
どう考えたって「ド派手なフルラッピング+ド派手なカスタム」これに世間一般はおろか同じ痛車乗りだって目が行ってしまう事は当然でしょうと。
実際自分も以前の32で痛車やってた時代が「目立つ」という第三者からの反応と言う意味ではピークだったのかな?と感じているし、ここ数年は痛車に乗ること痛車で交流する意味というのは成熟期と言いましょうか本来あるべき所に落ち着きつつあるのかなと感じてます。
痛車という存在に世間は慣れて(慣れであり理解ではない)きましたし同じ痛車乗りでさえ、イベントに参加していると後半は「もう痛車はお腹いっぱいだからいいや」という気持ちになるんですよねーw
つまり世間で目立つことを目指す痛車はもう簡単には出来ません。
自分を無視して第三者が喜ぶであろう事を真剣に考え
「お金を諦めるか、恥を捨てるか」
しかないのかな。
テレビ見てたってそうでしょう?
世間が注目するネタなんて人の失態や痴態、失敗や不幸それと「分かりやすい金額提示または金かけてる感」。
だれも本質を見抜こうとか真意を探ろうなんて思わないです。
自分とは無関係なんですもん。
刺激を受けたいとか単に面白おかしくしたいだけであって仕事じゃないんだから当然かなと。
読ませて頂いた先のコメントにも書きましたが
痛車の存在ってさ
昔
「黒ギャル」みたいなのが流行った(?)じゃないですか
真っ黒に肌焼いて意味不明な化粧と服装で飾った女の子達、あれに近いんじゃないかな。
どう考えたってその女の子達はすっぴんやシンプルメイクの方が可愛いはずなのに独特独自な路線を突っ走ってる。
その異様さに世間は注目して驚いたり嘲笑したり。
そして希にその姿に共感してその世界を目指す人も出てきたり・・・と
確かに世間一般の可愛いからは大きく逸脱した存在だけど彼女は彼女たちの価値観でやってるわけだし、それを楽しむ姿は見ていて潔良さまで感じるなと当時思ったなー。
細かいことを気にしないで自分を自分だと認められる価値観や行動力が大切なのかなと。
きっと彼女たちだって当時の自分の姿が世間の可愛さ基準から逸脱している事は百も承知でしょうし、それを分かっているからこそ人と違う自分とその仲間にいる世界が楽しめたのだろうなって思う。
自分の車だって貼らない方が断然カッコイイ!
痛車になんてしない方がカッコイイのは火を見るより明らか!
どんなに頑張っても二次元キャラやそれを連想させるモノを貼っつけた時点で一般的にはアウト!
じゃ、あんたは何故痛車に乗るの?
「二次元の女の子が可愛くて大好きでそれを貼っつけた痛車に乗っている自分が好きだから」
はい、つまり
「変態」ですね。
痛車なんてカッコ良くも偉くも凄くも無いんです。
単なる変わり者で変態っぽい存在。
そう思ってもらえる事が痛車乗りである自分にとっての何よりの幸せです(*´∀`)
ブログ一覧 |
痛車 | クルマ
Posted at
2014/04/11 10:00:02