【クルマの歴史】イタリアの巨人、フィアット

2020年7月28日

クルマ 歴史 フィアット

イタリアを代表する企業であるフィアットグループは、今や数多くのブランドを吸収し一大グループとなっています。フィアットがどのような歴史を刻みながら、どのようなブランドを吸収していったかを中心に解説します。

FIATはトリノ自動車製造会社という意味

フィアットが設立されたのは19世紀末となる1899年7月11日のことです。フィアット(FIAT)は「Fabbrica Italiana Automobili Torino」の略で、トリノ自動車製造会社という意味です。フィアットの第1号車はその1899年に発売されている。7月に設立された会社がその年のうちにクルマの発売ができたのは、すでに4輪車を完成させていたジョバンニ・チェイラーノという人物のファクトリーを工員や特許などを含めすべてを買ったからなのです。


フィアットは設立してすぐトリノの東方向にあるコルソ・ダンテに工場を建てますが、その後すぐにトリノ県内にヨーロッパ最大規模を誇るリンゴット自動車工場の建設に着手します。1922年に完成したリンゴット自動車工場は5階建ての巨大な工場で、屋上にはテストコースまで備えていました。この生産工場はイタリア自動車産業の発展の象徴とされました。現在、この場所は再開発され、ショッピングモールや美術館、ホテルなどが入る複合施設に生まれ変わっています。

戦前、戦中、そして戦後

1922年、首相にベニート・ムッソリーニに就くとイタリアには独裁体制が敷かれます。そうしたなか、フィアットは政権下において海外事業を縮小、国内事業に注力するようになります。1930年代にはトラックや商用車を発展させ、さらに航空や鉄道分野にも進出。戦争が始まると、乗用車の生産は減りますが商用車の生産が増えます。それらはもちろん、軍需との大きな関係があります。1945年に終戦を迎えてすぐ、創業者であるジョヴァンニ・アニエッリが死去します。

フィアット

積極的な開発と大いなる飛躍

終戦後5年となる1950年、フィアットは1.4リットル4気筒エンジンを積み、フロント独立懸架のサスペンションを採用した1400を発表。1953年にはフィアット初のディーゼルエンジン車である1400ディーゼルも発売される。大ヒットモデルとなる2代目500は1957年に登場します。1966年には創業者の孫にあたる ジョヴァンニ・アニエッリ(創業者と同名)が就任。オートメーション化などを進めることになります。


1978年には組立ロボットのロボゲートを採用するなどしてますますの生産効率の向上が図られます。そしてこの時期から始まるのが買収攻勢で、アウトビアンキ、フェラーリ、アバルト、ランチャ、アルファロメオを買収しイタリアで唯一の自動車メーカーとなります。


2000年代に入ってからはアメリカGMとの提携解消などがありましたが、2004年に登場した2代目のパンダが大ヒットするなど徐々に経営状態も健全化していきます。2007年にはクライスラーを完全子会社化。2019年にはフランスのPSA(プジョー、シトロエン、DS、オペル、ボクスホールのブランドを展開)と経営統合することを発表。経営統合後は世界第4位の規模を持つ自動車製造グループとなります。

フィアット

諸星陽一
  • 諸星陽一
  • 日本自動車ジャーナリスト協会(外部リンク)
  • 自動車ジャーナリストとして専門誌やライフ誌での執筆活動をはじめ、安全運転のインストラクターも務める。1992年~99年まで富士スピードウェイにてRX-7のレースに参戦。セルフメンテナンス記事も得意分野。福祉車両の数少ない専門家の一人でもある。

歴史に戻る

マイページでカーライフを便利に楽しく!!

ログインするとお気に入りの保存や燃費記録など様々な管理が出来るようになります

まずは会員登録をしてはじめよう

注目タグ

最近見た車

最近見たクルマはありません。

ニュース