2014年05月30日
1998.5.3 FISCO
書こうかどうしようか迷ったのですが…
山路慎一選手の訃報を聞き、思うところが。
山路慎一選手の思い出は、いろんな方がお持ちでしょうし、みんカラでも記事が上がってますね。
私はレースの印象はありますが、残念ながらご本人とは、面識も会話したこともありません。
山路慎一選手といえば、RE雨宮のドライバーだったことが印象に残ってますが、多くの方と同じく、1998年に起こった富士スピードウェイでの火災事故の記憶が、一番鮮明に残っています。
炎に包まれたF355に残された太田哲也選手の救出に向かったのが山路慎一選手でしたね。
あの日、私は富士スピードウェイに居ました。FSWではなく、当時はFISCOですね。
しかし、事故の瞬間はもとより、GT選手権のレース自体も見ていません。
その日、私はGTの前座(正確には前座の前座)レースを走りました。まさしくあの雨の中です。
当時、富士の雨のレースは多く、雨のFISCOは本当に視界が悪く、他の日でしたが、フォーメーションラップを2回行って、結局中止といったこともありました。
走り出すと、ポストの旗が全く見えないんですよ。
その日はスケジュールが押し押しで、小降りになった隙間でレースをするような感じで、押してる上に当然のようにレースは荒れ、自分たちのレースでも赤旗中断があり、それがまた後のレースを遅らすような悪循環でした。
土砂降りのFISCOでは、メインストレートは水溜りだらけで、車高が低くフラットボトムの車両では、ストレートでハイドロどころか、底が浮いて船状態ではないかと思ったくらいです。
メインストレートでも、アクセル緩めないと走れない状態でしたからね。
雨のレースで疲れてたのと(当然、自分たちのカテゴリーではピットも与えられないので、走る以外でも、準備撤収だけでも結構大変でした。)、その日に車両を筑波まで運んだのかな?、それかGWの渋滞を避けるために早く出たのか、事故のニュースを知ったのは家に帰ってからでした。
あの日の事故を通じて、太田哲也選手、山路慎一選手には、サーキットでの安全と事故の可能性、とるべき対応について、多くを教えてもらったと思っています。
再度になりますが、山路慎一選手のご冥福をお祈りいたします。
もし認めていただけるのなら、あの日のFISCOを走った仲間の一人として。
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Posted at
2014/05/30 23:33:06
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