現在、不休状態の私。通常業務に加え、震災復興対応の細かい仕事が多々あり、愛車と接する時間はおろか、疲れている暇も無い。
今日も警察署で仕事。この悲しい仕事は、震災から2年が経とうとしている現在も続いている。この仕事の原動力はただひとつ「家族愛」である。
2011年3月11日の午後2時46分以前にはいつも一緒だった家族や愛する人が、2年弱経った今も会えずにいるという悲しみは計り知れない。その想いが、愛が、悲しみが私をつき動かしている。
今日は昼休みに出動要請が来た。昼飯もそこそこに、即座にクサラブレークに必要機材を積み込み、出動した。
仕事を終えてクサラブレークの下へ戻ってみると
我が町で活躍している復興支援のDS3である。クサラブレークの隣にわざわざ駐車してあるのは、運転していたの方がその筋(笑)の方なのであろう。悲しい仕事の合間のつかの間の嬉しさだった。様々な分野で、シトロエンは復興を支えてくれているのだ。
この2台のシトロエン達の活躍は、悲しみに耐えながら復興地で生きていかなければならない私に、未来に向かって真っ直ぐ突き進んで行くこと教えてくれたような気がする。
「風化を防ぐ、忘れないとは言いますが、明日に向かって生きてゆくには、ある程度忘れることも必要です」
この言葉は津波で3人の子供を失ったお母さんが私にに語った言葉である。
私はこのお母さんの気持ちが痛いほど分かる。
「風化させない」「忘れない」
一般論の裏側には様々な思いが存在しているのかもしれない
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被災地復興 | 日記

Posted at
2013/01/24 17:55:44