2011年3月10日午後9時。
私は当時の愛車であるシトロエンAX14TRSに乗り、大船渡方面に夜のドライブに出掛けた。
その日、AXはイグニッションコイルとイグナイターを交換し、そのテストドライブであった。
各ギアで気持ち良く加速してゆくAX。以前装着したIPFのヘッドライトリレーのおかげでイエローバルブのヘッドライトは抜群に明るくなり、黄色い閃光が闇夜を切り裂いていた。
AXはゾクゾクする程調子良かった。このAXは私の車人生の中で一番高額な中古車であった。3万キロしか走行していないだけあって、内外装ともコンディションは良好であった。
しかしその時の私は、これがAXの最後のドライブになるとは微塵も思っていなかった。
明くる日の午後2時46分、経験したことのない巨大な地震に見舞われ、私達家族は着の身着のまま避難した。最後にAXの姿を確認したことは今でも鮮明に覚えている。「ごめん!」とも言った。
AXと再会したのは、1週間程経ってからであった。馴染みの車屋さんが、四方八方に散らばっていた我が家の車達を引き上げてくれて、廃車置き場に運んで来てくれた時であった。
変わり果てた姿に言葉も出なかった。
しかし、私には悲しんでいる暇は無かった。悲しみの中にいる人々のために、歩みを止めるわけにはいかなかった。幸いAXは近所の建物の中に突っ込んでいたので、ガソリンは抜かれていなかった。(ちなみに妻のSX4は全部抜かれていた)
私はAXの燃料タンクフィラーチューブを壊し、ほぼ満タンだったガソリンを抜き、海水や異物が混入していないことを確認して、当時の移動手段に借りていたラーメン炎のご主人のエグザンティアブレークに給油し、遺体安置所に向かった。
あの日から2年の月日が過ぎようとしている。
私は昨日、天気が良く、路面もドライだったので久しぶりにCXを引っ張り出した。どうしても17時からのラジオ番組をCXのJVCのカーステレオで聞きたかったからである。
長らく冬眠していたCXであったが、先日発生したLHM漏れも完治し、とても調子が良かった。その時、ふとAXのことを思い出してしまった。極限状態の中で、なんの躊躇もなくAXを破壊しガソリンを抜いたこと、そのガソリンがエグザンティアブレークの糧となり、多くの遺体の身元が判明し、たくさんの支援物資を運搬し、避難所に届けることが出来た。
AXに対する感謝の念、自責の念、亡き友のこと、そして家族を亡くした人々の悲しみ。いろいろな思いが一気に襲ってきて、私はCXを運転しながら号泣してしまった。1本スポークのステアリングに私の涙がポロポロ落ちた。
「今日だけは泣かしてもらおう」
CXは涙脆いオーナーを乗せ、荒れ果てた故郷の道を駆け抜けていった。
明日は3月11日。あれから2年も経ったのかと思う反面、また2年しか経ってないのか?と思うこともある。
悲しくても、辛くても、悔しくても、後ろは見ず前進していこうと思う。基本的に、人も車も前進しかしないのだから。
東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
Posted at 2013/03/10 23:16:45 | |
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