![旧東海道本線跡の石部隧道を見に行こう 旧東海道本線跡の石部隧道を見に行こう](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/040/451/124/40451124/p1m.jpg?ct=4be32e06bd40)
自然の脅威によって潰された
石部洞門を観るために停めた駐車場から見える異様な光景……。
あれは何でしょう。
これを見に行きましょう。
駐車場から行けます。
こんな感じで、えっちらおっちら歩きます。
水色が辿ったルートです。
近づいてきた感じがします。
高低差があります。
先人の用意してくれたと思しき、降りるにおあつらえ向きな、信用出来るか分からない錆びきった脚立。
こういったものを使うかどうかは現場判断になりますが…。
大丈夫そうなので、使ってしまいましょう。
高低差6mくらい?
人の背丈より高い巨大テトラポッドの上を跳んで渡っていくわけですが、渡るために作られているわけではなく安全の保証は全くありませんので、どこから行けばいいかを考えてしっかり跳びましょう。
脚立が途中で折れたり、テトラポッドの隙間から落っこちたらえらい事ですよ。
とりあえず、降りました。
帰るのが面倒そう。
だいぶ近づいて来ました。
石垣とレンガですね。
レンガの赤が空々しい。
よく見ると、足元にかつて石垣だった物がたくさん倒れている。
正面に回ってみる。
つい最近作られたかのように、キレイな石造り。
ひっくり返っている事以外は。
上の方に見えるのが、旧東海道本線の石部隧道です。
向かって左が上り、右が下り線です。
ここから登るのは、相当頑張らなければ厳しいです。
もう1つ、上から水路を伝って降りてくるルートがあるのですが、そちらからは試しませんでした。
そちらからだと、隧道の中に入れるようです。
ここで、ずっと背負ってきたアイツの写真も混ぜていきましょう。
かつては、どちらの隧道内にも人が住んでいたという事が知られています。
直接、話した方もいらっしゃったようです。
そもそもこのトンネルは何なのか?
少し面白い歴史があります。
簡単に列記していきましょう。
明治21年(1889年):東海道本線として石部隧道と、400mほど先にある磯浜隧道が開通。単線。
明治44年(1911年):複線化工事により
山側に隧道が増設。上下線の2つの隧道が並ぶ。
昭和16年(1941年):
弾丸列車計画(新幹線の原型のようなモノ)の為に、山側に新しく日本坂トンネル(現代の新幹線が通っているトンネル)が開通。
昭和19年(1944年):
弾丸列車計画が中止。
東海道本線が日本坂トンネル(現代の新幹線が通っているトンネル)を使用開始。
石部隧道と磯浜隧道は自動車道路に転用される。
昭和23年(1948年):アイオン台風により、
下り側の坑門が一部崩壊。
通行に支障は無かった為、
以後修復されずに放置される。
引用元:TAKAの気まぐれ散歩様
昭和34年(1959年):東海道新幹線計画起案。
日本坂トンネルを新幹線が使用する事に決定。
石部隧道・磯浜隧道を再び道路から線路へ転用する事になった。
昭和36年(1961年):東海道新幹線開通。東海道本線は、
石部隧道の途中から新たに長距離のトンネルを掘り直し、磯浜隧道まで繋げた。これを改めて石部トンネルとして現在も東海道本線に使われている。
この為、私が今いる石部隧道西側坑門は不要となり、歴史の幕を閉じた。
磯浜隧道も途中で接続された為、東側の坑門は不要となり、現在は産廃処理施設が建ってしまい面影を見る事は出来ない。
※画像:
山さ行がねが様
という事で、最初は明治時代に
線路として使われていたのが
途中で道路となり、その後
また線路に戻ったうえに途中で掘りなおされたという忙しい隧道です。
道路時代の写真が、焼津市制50周年誌「やきつべ」にて掲載されています。
引用元:TAKAの気まぐれ散歩様
後ろに石部洞門も写っていますね…。素晴らしい。
近年まで、もう少しレンガが坑門の形を成していましたが、2007年頃に完全に崩落して今のようになってしまったようです。
※画像:Wikipedia
2017年現在の姿。風格はあるが以前ほどの風情は無くなってしまった。
上から見ても道路の面影は無い。
70年前の写真を見ても、どうやって通っていたのか分からない。
しかし、2013年10月にも1.5km程先の浜当目隧道付近で県道が崩落している。
※上の補足。2013年10月に、台風26号により県道416号線の浜当目隧道付近が50mに渡り崩落。
調査の結果、この区間の修繕を諦めて新しくトンネルを掘り直し、2017年3月に全線復旧となった。
奥にある建物は絶景館という宿泊施設だったが、相当前に廃墟となった。崖から海までへばりつくように作られた異様な風体は、県道からもよく見えた様子。
ストリートビューは、まだこの道が何事も無かった時代の物になっています。
引用元:
山さ行がねが様、
廃墟日常記録帳様
補足終わり。
石部隧道から磯浜隧道まで、道が繋がっていたはずです。
本来、こんな直線ではないでしょうがこのような感じだったはずです。
道路の脇で山を支えていたと思う石垣。高いところにあります。
布積みという、四角い石を敷き詰める工法で作られています。
道路を支えていたと思う石垣。低いところにあります。
谷積みという斜めに石を敷き詰める工法の上に布積みで石垣が作られて、最上段はまた谷積みになっています。
足元をよく見ると、この石垣の事がわかりそう。
石部隧道側方。
良く立派に持ってる。
実は、積み石とレンガにも積み方があります。
下のレンガをご覧下さい。
短い長方形になっている列と、長い長方形になっている列が交互に来ています。
これは
イギリス積みと呼ばれる積み方で、レンガを横に並べた列・縦に並べた列を組み合わせると少ないレンガで組み上げられ、且つ強度も高いという工法です。
では、次の積み方を見てみましょう。
1つの列に、短い長方形と長い長方形が交互に組まれています。
一般的に
フランス積みと呼ばれる積み方です。
フランドル積みが正しい呼び方のようですが。
最も美しいレンガ積みとされています。
明治時代の中期まで主流の組み方でしたが、効率の良いと言われるイギリス積みへとスイッチしました。
このように、レンガではなく積み石の場合は
ブラフ積みと呼ばれ、横浜の山手近辺でよく見る事が出来ます。
※横浜市自体が
案内のPDFや公園にブラフ積みの案内看板を設置している程です。
面白いのは、最初にできた海側の隧道と山側の隧道では、中の組まれ方が違うという点です。
明治20年頃からフランス積み→イギリス積みとなって来たと言われていますので、ちょうど技術の変わり目であったようです。
今回は中に入れなかったワケですが、次回は必ず入りましょう。
そろそろお暇しましょう。
波に洗われて丸くなってしまったレンガ。
100年経っても色褪せない美しさ。
最後に
このあたりは横穴が無数に存在します。
例えば、こんな所が隧道の中と繋がっています。
二段梯子でも無ければ入れませんが…。
ホフク前進で進んだり、狭くて中腰だけというような、狭くてきつい所なので私はやりませんけど。
団体で細かく探索レポートされている方がいらっしゃるので、見てるのは楽しいです。
→くるまみち様
では、また次回m(__)m
⇒2018年 再訪しました。
同じ日の事。
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Posted at
2017/09/24 11:02:01