2014年08月06日
94北往記2。上京
2・第1日/東海道走破
▽京都 6:44~米原 7:55・東海道本線(モハ112-5757)
※持病?
さて、遷都1200年を迎えた京都。今駅舎の改築で忙しい。
そんな京都駅は、どこがホームでどこが仮組土台だか解らない。
滑り止めがギシギシと軋む些か心細い陸橋を登る。
そういえば1934年、此処で海軍兵学校の入営を見送った客が将棋倒しになって多数の死傷者が出たって話を聞いたなぁと不気味なことを思いつつ、長浜行きの列車を待つホームに降りた。
待ち時間は約15分。
しかし普通の平日の朝ということもあり、客はけっこう多い。
イヤ、ラッシュに巻き込まれなかっただけでもヨシとすべきか?
やって来た列車は見慣れた113系湘南色。
車内には既に大阪から乗り組む客。このうえ開かれるドアと共に押し流された降車客に替わって雪崩込む乗車客。
とほほ(T_T)、結局立ち席を余儀なくされた。
ドア近くのロングシート、これを前に吊革に掴まり、一昨年流行った“反省”。
項垂れてしまう左手を見るとJRWのマナー啓発ポスターがあった。
私には殊更懐かしい“ウルトラマン”。
彼が、221系新快速に駆け込み乗車をしているバルタン星人を仁王立ちして制止している。
内容もそのもので、別にこれと言った工夫は他に無い。だが、やりそうなキャラクターが見事にはまっているのには味がある。
他にも姉妹版に、3面エイリアン“ダダ”が数人座席に居並ぶ中、一人分を空けて、その席をウルトラマンが勧めるもの、ヘビースモーカーのエレキングにウルトラセブンがむせって迷惑しているもの。
これだけかも知れないが、ウルトラマンに出た異星獣になぞらえて乗客の擬人化をこなしているのを見て、ウルトラマンの芸の細かさを垣間見た。
程なく正面のロングシートにありつけ、琵琶湖を見つつ、そうこう感心していると、列車左手に見えた筈の京阪石山行きの列車が右手の近江鉄道に替わっている。あれ?アレぇ~!ちょっと・寝るな~!
▽米原 7:59~熱海 13:46・東海道本線(モハ112-2050)
※アカン・睡魔が…
しかし丁度いい時に目が醒めたもんだ。
油断しているとまた米原で寝ぼけるところだったもの。
これを乗り遅れると本当に拙い。だって、此処から熱海までの電車って他には無いっ!
よし・米原か。来るなら来てみぃ!速攻で乗り換えたる!
車内放送に耳を側立て乗り換えホームを確かめ、決して軽くない荷物を担ぎ、折好く目の前に来た陸橋目掛けて、ドアが開けば…それっ!バタタタドドガタダンダンダンダン…ドドドド!そりゃあ!
助かった。間に合ったし席にありつくことが出来たァ!(ワレは餓鬼以下じゃのう(-_-;)
そんな訳で、何がそんな訳なんだか自分にもよく解らんが、南向きの陽当たりのよい前向きの席で安穏としていると間もなく発車。
東海と北陸のジャンクションである米原。東海道線を走り出すと高架を乗り上げて北陸線をオーバークロスする。
そもそも、この辺りは地形の険しい関ヶ原を避けて長浜へ北上する路線が先に開けた。
だいたいが名阪間の幹線が現在の関西本線。近鉄だってこの路線を走る。
いずれも関ヶ原の険しい地形を避けた訳で、此処を開通させたご苦労な奴は国鉄ぐらいのもの。
と言う訳で、鉄道でも国道でも序列が上な筈の東海道本線が北陸線を跨ぐという妙な光景に相成った。
醒が井長岡柏原。山裾に挟まれた谷を縫う列車。周囲の熟女連中が喧しいのが玉に傷だが、長閑な風景に免じて、まぁ堪えたろ!
周り。喧しいという訳で見回したが、少し離れるとその殆どが学生とおぼしき若者。彼らにして見れば、限られた盆休み・しかもその殆どを家族サービスに充てなければならぬ社会人を尻目に混雑を避けた美味しい時期。この好天でもあり、列車で18切符を手にパァーッと繰り出そうって具合てぇのか?
たるい…
おおがき…
ぎふ…
きそがわ…
なごや…
名古屋。9:20。あ~ああああああああ、眠いっ!
何というか、ガラス越しの朝の陽光は本当に眠気を誘うねぇ。
電子レンジ状態になった車内の照射物は“陽気”という熱を受けて程よい気持ちになってしまう。
そんな訳で、折角目が醒めてもその陽気に誘われてまたコックリコックリ項垂れる。
創立100年を迎えた名古屋鉄道を左手に見てたものの、気が付いた時には全くよその、大府や安城に着いてたという按配だ。
岡崎・蒲郡辺りに来ると右手には三河湾、左手には山裾の遠い濃尾平野を望むことになる。ロケーションは絶好だが、退屈でもある。時刻だって10時を回って行く。寝ぼけ眼で岐阜・愛知両県を跨いだ列車は11時前に静岡県に突入した。
乗ってる私はダレが来てたのだが(T_T)。
※東海道を(気分的に(^_^;)ぶっ跳ばせ!
この辺りから、このあと幾度も眺める太平洋を拝むことになる。
高度を上げた太陽の反射光がギラギラ輝く。列車から見たい風景の一つである。
左手には浜名湖。じきに浜名湖の裾を括る大橋も渡って行く。右手に幾条も見える旧国道の石橋がいい味を出している。
海があると目が冴える私だが、山が近づくに連れて眠くなる。これははっきり言って病気である。
なんと、次に気が付いたときには掛川・六合である。
この静岡県は新幹線駅と沿線私鉄が多いのが特徴だが、駅にある乗り換え案内板を見ても遠州鉄道や大井川鉄道の名前がある。静岡を過ぎれば静岡鉄道も併走する。
この辺りを走っていて気が付いたのだが、この辺一帯然したる都会という感じこそはなかったが、そのJR駅の大きさや構造は大きくゆったりとしているのが多い。
遠い日に見た様な旅情を醸すホームが多いのだ。駅ビルなどは一新したのだろうが、列車から見る限りではいたずらな近代化は施されておらず、時代を感じない大らかさと安らぎがある。
間もなく静岡駅。
普通ならここで列車を乗り換えという処だが、熱海まで走るこの列車はまだ先に急ぐ。
だが客の入りは随分多い。名古屋で一旦少なくなったかに見えたが、豊橋や浜松、そしてこの静岡で大挙して乗り込んでくる。立ち席客がなくならないのだ。
正午もとうに回り、AMラジオを聞き流す。静岡草薙球場の照明塔や静岡鉄道の鉄軌を右手に見る。東急の電車に似たステン車両こそ見えないが、程よい長閑さに一息。場所柄か、“みんなでエスパルスを応援しよう!”調の横断幕があったりする。
清水を過ぎると、興津・由比と名勝に沿って東海道線は走る。山裾が海岸線まで迫った由比ヶ浜の海岸線や国道1号・東名高速がオーバークロスするなど、見応えは充分だ。遠くには伊豆半島も拝むことが出来る。
フェンス一つで国道と東名が仕切られており、車でも通って見たい風景だった。
(当時のマイカーはミニカだが、2012年にインプでようやく適えることになる)
その手前には古い防波堤の跡もあり、東海道の確保に頭を悩ませたあとが伺える。
蒲原、そして富士市にはいる訳だが、何かが物足りない。そう、富士山である。
右手の海はこうも晴れているのに、富士山には裾野から積雲が祟って丸まる見えない。こんな事があって良いのか?結局、鉄道で富士山を拝む機会は三度もあったのに一回も“富士額”を見たことがない。所詮そんなものか?
(富士額は以降二度望めたが、未だ全望は適っていない(T_T)
田子の浦、美保の松原と来たが、此処では途中から無粋な堤防がお邪魔。
松並木も頭しか見えず、何のこたぁ無い。
その後、沼津を過ぎるとトンネルが多くなる。三島、函南を過ぎれば、長かったこの列車も終着だ。
ところが、今まで殆ど高地を走らなかった列車がだんだん高度を上げて行く。この標高差には少し驚いたが、静岡県内の東海道でも特に平地の無い処。丹那トンネルで漸く貫通した路線だけにその地形は激しい変化がある。
その丹那トンネル。長いトンネルは嫌いだが苦手じゃない。呉にも休山があるし、山陽新幹線なんかトンネルの連続だ。それを思えば別に堪えやせん。
…ごめん。偉そうなこと言っておいて、寝ぼけてしもうた。
トンネルを抜けると、伊東線からやってきたSVOスーパービュー踊り子4号が併走してきた。こいつが一足お先に東京に向かう訳だ。しかし俺は、何というか、あのパステルバイオレットと言う色が電車として走ってるのを見て不気味に思うのだが…
▽熱海 14:00~東京 15:30・快速アクティー (クモハ215-104)
※東京なればこその…
そのSVOのエスコートに従われて入った熱海駅。
JRCtとJREの境界駅であるが、江戸時代の関所の名残りでもあるまいし、大抵の列車が此処で停められる。
マァ俺は米原から乗り換えを免れたから堪忍してやろう。
ところで乗り換え駅の何が嫌かと言うと、降りた客がみんな同じ列車に乗ろうとする。こんなに無駄なことはない。広くもない駅の構内を五百以上の人がぞろぞろと移動する。列車を替える必要なぞ無いと思うんだが。
だからこそこんな列車が必要だという訳なんだろうよ。SVO4号と東京行き普通列車をやり過ごした後に入った列車は215系という近郊列車では異例のダブルデッカー車。
その仇名を“アクティー”と名乗る。
白いマスクにサングラスとパープルの鼻。素っ気ないと言えば素っ気ない。
今のJREはこんな無気質のマスクが増えてきた。
色もパステルカラーやパープルなどのはっきりくっきりパナカラー・じゃ無かった。はっきりすっきりしない色が目立つ。
あわよくば折角の上品なフォルムをブッ壊している。
東京の電車という奴はどうも肌に合わない。
え?アレ?オトトトト…おい、俺が立っている処が一番前じゃないか?
ま・ええ。とりあえずドアから入ろう。え?先頭車は二階のみ?おぉおぉ、みんな二階に行くわな。何処ぞやに席は…おぉ、此処があった!じゃあ叔母様・お邪魔します。‥‥‥‥オイ、此処は一階でも二階でもない普通の位置じゃないか?
どでかいチャコールグラス窓に片持ちクロスシート。座り心地が軽薄なのは否めないがバケット形状がわりと良くて座り心地は悪い気はしない。発車のオルゴールの後に走り出すと乗り心地もわりといい。チャコールグラス窓は日ざしの熱を効率良く遮ってくれる。開かないのが難点だが、これでもかというぐらいクーラーを効かせている。お蔭で暑くはない。汗も退いた。
と、感心しているのに、次の湯河原では不気味なスキップ制動。妙だと思って浮き腰を据え直すと、トンと言うクラッチ音の後に列車がバックしてきた。おいおい、オーバーランかよ!
神奈川県下に入って更に東海道を東に進むアクティー。
俗に湘南海岸と呼ばれるこの界隈で意外に風景が都市化されていないのが新鮮であった。小田原や平塚などを走るが意外に長閑で親しみすら覚える。
まだ静岡県下を走っている余韻を嗅ぎ取れる。
丁度この辺りで、南向きの窓越しに富士山を望むことができた。
完全に逆光下で、青い影を残すのみだが、これでも初めて富士山を肉眼で見たことになる。
疲れに任せて車窓に凭れる。振動は微細で殆ど体に伝わらず、日差しはグレーグラスがよく遮ってくれる。快適の一言に尽きる。ようやくJREにも221系に匹敵する列車が・と感心した。
「‥‥なお、ただいま9号車の冷房が故障しており効きが弱くなっております。お客様には大変御迷惑をおかけしますが‥‥」
あらら‥‥‥‥
窓外の風景は都市郊外の工場群が続く。製薬や科学製品会社の類いだろう、不気味な程清潔だ。周囲から隔絶された雰囲気すらある。これらを10分程流すと国道と商都が徐々に街を形作って行く。横浜が近づいて来たのだ。
意外な事だが、南から東京に入ると都市風景が加速度的に形作られる。
逆に言うと、それまでは意外な長閑さがある。横浜にしても、大阪を見慣れているせいか、然程の大きさを感じ取れない。
もっとも駅から一歩も出ていないからなのだが、それにしても都会の喧噪が徐々に膨らむ大阪のような緊張感がない。
列車の快速も手伝って東京には呆気なく到着する。
蒲田・品川の工場群、そこからオフィス街が繋がって、それを東海道新幹線が遮る。
岡山行きに方向幕を巻き替えた0系がスピードを揃えて並び行く。オット、もう一台新幹線が塞いだな・と思うと、既に東京に到着していた。
かくて“アクティー”を下車。色こそ上品じゃないが面長美人に別れを告げ、ようやく溶けきりぬるくなった1lポリカンのサイダーを飲み干した。
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~後記
今や贅沢とも思える3本の列車での東海道走破。
新快速にも乗らなかったんだね(当時は確かまだ117系だったかな?)。
米原発熱海行きという設定もするがシャトル運用で細切れになりロングシート運用ばかりになった現在に比べると贅沢と言うよりほかはない。
今やレトロ車両と言える113系だがこう言う運用なら嬉しい限りである。
最後もけっきょくこの時以外は乗ることがなかった215系に乗っている。まぁ二階建てのところでは無かったものの、イイ列車で東京に入れた印象がある。
オーバーランについて記述があるが、当時はまだ些細なミスにとられてたようで特に案内はなかったなぁ(^^ゞ。10年後には大問題になってるんだが。
この旅で、どこで目を覚ましてどこで寝るかというモノを諮ってた感じもするなぁ。
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蔵出し鉄旅録 | 旅行/地域
Posted at
2014/08/06 14:24:17
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