2014年09月14日
94北往記19。トワイライトの日常
20・第6日/西の都へ
▽加越路を下る
※日本屈指の都市・金沢
金沢の到着は8:48である。
金沢は二年振り二度目の訪問だ。
前回途中下車をして兼六園と金沢城趾を見物したが、それだけでも金沢の持つ味を掴めた。
それはさすがに金沢の持つ底力なのだと思う。
金沢は維新期には日本4位の大きさを持つ大都市だった。今で言う名古屋に当たる存在感なのだろう。
だが、その金沢は前にも況して雰囲気を一変した。
高架橋から見下ろす駅前の風景は空き地や工事中の建物が目立ち、区画整理の嵐が吹き荒れているのが見て取れた。
家屋が押し並べて一戸建ての平屋ないし2階建が殆どだったこの街も高層建築が増えてきた。
こう言う都市化というのは形の善し悪しを問わずけっきょくは情緒を踏み潰す形を取る。
それは否定出来ない事実である。
何故か。
それは日本の建築様式が効率を追求し続けた結果だと思う。
建築学は専攻外で趣味でもないのでどうすれば・までは思い付かないが、このままでは情緒を踏み潰す都市開発だけが独り歩きしかねないと思う。
~しかも金沢駅は新幹線開業にその様相を一変したと聞く。
8分の停車の後、金沢を発車。
道路型に沿って削られた空き地に一抹の不安を抱きつつも、いにしえの都を見送った。
※越前の国
金沢で止んだ雨も今度は雲が晴れ、小松市辺りを駆け抜ける時には薄雲だけになっていた。微かな青空に迎えられて見えない海岸線まで拡がる平野に見惚れた。
この辺りは天候に似通った穏やかな地形が展望窓に拡がる。
背後こそ山並みが迫るが、眼前は広々と掩蔽物の無い平野だけ。水田や畑などが拡がって目を潤してくれる。
晩夏と強い朝陽でやや黄ばんでみえるが、実りの秋が近付いていることを示している。
時折普通列車や特急列車をやり過ごし、加賀・芦原の温泉街を過ぎると再び加越国境を越えて福井県にはいる。
もともと地理の得意な私が47都道府県を思い付くままに言うと、どうしても40番台のそれも後半になるまで口に出ない県なのだが、そんな福井県の持つ歴史や産業上の地味な印象に反して観光地は多い。
大分して若狭湾岸のリアス式海岸や、景勝地・東尋坊を筆頭とした北西部、加えて九頭竜渓谷など豊かな自然を持つ北東部と言う処だ。
その中の北西部をTWxが駆け抜ける。
車窓から景勝は望めないが、長閑な風景がそれに替わって私の心を和ませる。
福井市が近付いてきた。
近郊風景も地方都市のそれではあるが、金沢と違って妙に背伸びしておらず少し安心した。
福井県が長閑だから安心したというのでなく、都市毎に合った都市の成長を福井は出来そうだという感じを持ったからだ。
引き替え、広島の都市化は悲しい程の過成長を施されて軋んでいる。
それは広島の都市化の基本が、具現化されていない“平和”というものに成り立って来たからだ。
昭和20年代後半に打ち出された“平和都市構想”というものは所謂“平和の聖地”という形状的には曖昧なもので、都市機構や生活空間という観点は等閑にした上で、戦後の痛手を漸く克服した住人から住処を奪いながら構築した。
此処まででも軋んでいるのに、広島市は此のあとの急速な都市化の弊害を無視しながら都市構築をしたと言うべきだ。
周囲の宅地化に交通手段は飽和し切り、交通開発に不向きな地形に都市機能を集約した矛盾が今以て解消されない。
生活設備も然かりで、例えれば広島は玄関居間だけが立派な肋家という為体だ。
こんな街に、知っている処だけでもなって欲しくない。そう願うばかりだ。
此の福井市から、福井鉄道が見え隠れする。
広電や静岡鉄道と同様のJR併走型のインターバンで、JRの輸送を補完する形で頑張っている。
終点の武生市駅では電車が並んで待機している風景も見られた。その手前の鯖江市は近日の体操大会の会場で、ドーム競技場まで拵えたらしい。
※最後の一休み
広い平野も窄まり、暫く走ると敦賀に到達する。
此の敦賀では此の列車最後の機関車交換が行われる。
記録していないが確か26分もの停車時間があったはずだ。私は軽装のまま、車外に出ることにした。
素人考えからすると札幌大阪間は方向転換を考えても二回交換するだけでいいものだと思うが、この区間の機関車のやり繰りは想像を超えるらしい。
恐らくこの機関車はのちほどここに来るTWxの上り列車を曳くことになるであろう。
なおこの旅行後、大阪-新潟間を走る寝台特急“つるぎ”が廃止された。
私はこの機関車交換作業を見に行ったが出遅れ、解放作業の終わった場面から立ち合ってビデオを回した。
だがそれが終わると急に閑散としたので、趣旨を変えてこのビデオカメラを持って編成を見回した。
洞爺停車以来18時間振りの外の空気に触れる。時間帯もあるが、やはりけっこう蒸している。
上空は薄雲こそ浮かんでいるが「ピーカン」と俗に言う爽やかな青空。
ただこれが編成をビデオに納める私を泣かせた。
TWxはご存じ濃緑色の車体色だが、これを青空に合わせて撮ると車体色が潰れ、車体に合わせると青空は白く飛ぶ。
面倒になったのでオートにワイドコンバーションレンズの調整要らずの装備で外から撮影した。
編成最後尾の電源車を撮り終えた後、今度は車内を撮影しようと思ったがさすがにB寝台車両はためらった。
A寝台使用者の冷や水とも言おうか、逆の立場ならこれ程癪に障ることは無いと思えたからだ。
けっきょく4号車・サロン・デュ・ノールから前だけを撮った。
※車内を拝見
この時間はサロンカーも寛げる時間ではなく、人は疎らであった。
座席の全てが日本海を望むというレイアウトは伊達ではなく、大きな曲面窓と相俟ってクリアーな視界を持っている。
しかし此の窓から今見える風景は何の変哲も無い駅構内である。
この車両の裾には展望室のハイデッキから一段下がって自販機・公衆電話、シャワールームがある。
続いて食堂車・ダイナープレヤデスに入るが、普通食堂車は車両の半分しか乗客に解放されていない。
それもそうで、殺風景なライトグレイの壁の向こうには食堂車に無くてはならない厨房がある。
その手前の窓から何やら怪しげな光が見えた。
大昔の計算機が計算でもしているのではと思えるほどの暗がりの窓を覗き込むと、それは音響機器だった。
数台のベータデッキも稼働している。
車内放送の指令塔が此処にある。
そしてアルミの押し戸を開くと、そこには落ち着いた色彩のテーブルが並ぶ。食堂車に詰めている給仕係が疲れているのか、食卓に陣取りため息をついていた。
一級の列車に勤務するなら悩みなぞあるまいというのは大間違いである。此処の勤務だからこそ大変だと思う。
そこから自動ドアを二度くぐるとA寝台個室の車両だ。
ただ、一歩入ってハタと気が着いた。そういえば、個室のプライバシーが万全ということは、逆に言うと外から個室の様子が分かるべくもない。結局白い壁と五つの扉を見送る他無かった。
▽湖西線
※大廻りループ線
部屋に戻って間もなく列車が発車。寸も無く山並みに抱かれる事になる。
北陸本線最後の難所、柳ヶ瀬越えである。東の野坂山地と東の伊吹山地の間をくぐる形で衣掛・深坂の隧道を通る。
「ループ線の案内をさせて頂きます。
右手に見えて参りました衣掛山の山腹を、時計の針の方向に周回します。
これは少しでも緩やかな上り勾配で列車を運転するため、走る距離を長く改良したもので、ループ線と言います。
只今から右手に見えて参ります北陸・下り本線の上を越えまして、第二衣掛山トンネルに入って参ります」
車掌の案内のように距離をおいて離れてきた北陸下り線を列車が跨ぐ。
短音一発の後、そのループトンネルに入った列車。
「左下の方向に、先程停まりました敦賀の町並みと、敦賀湾が見えます。此の列車の中からご覧頂ける、最後の日本海です」
のはずだったのだが、ビデオカメラの操作を誤ってしまい、操作に気を取られ気が着いたときには再びトンネルの中(T_T)。
殆ど目に入らなかった。
「左下に、此の列車が走りました、北陸上り本線が下り本線を越えた所が見えます。
これで衣掛山の山腹を一周した事がお解り頂けると思います。
およそ2km進む間に28m登っております」
左側の小窓にはコンモリと盛られた小山が認められる。
衣掛山だろうか、通路を挟んだもどかしさこそあるが、此の山を綺麗に望める風景を堪能。
手前の稲穂の黄緑と、山の深緑のコントラストが綺麗である。
そのうち、下り線を跨いでから凡そ4分弱で再び下り線を左手に望む。
短いトンネルを潜るといつの間にか右手に移っている。
さらに元通り併走するまではまる4分半掛かった。
新疋田駅を通過後、一際長い深坂トンネルに入った。このトンネルを抜けると今度は右手眼下に北陸本線が分岐、下を桁繰って東に向かった。
※日本の風景
この山越えが終わると、TWx最後の景観琵琶湖が左手に拡がる。
唯一反対の小窓から見るこの景観は思いの外心鎮まるものであった。
最初は水田が拡がる平地の果てに微かに水面が見えてきた。
それをひと山ふた山小山を抜けるとその琵琶湖が近付いてきた。見え始めてから眼下に拡がるまでは10分ほど掛かった。
湖面の際を走る国道161号線に束ね掛かるように居並ぶ家屋や集落は戸建てが多く、都市に見られる殺風景さがない。
「生活臭」という言葉を折りに触れ使っているが、効率や機能だけが先走りした建物には人の持つ「余裕」がない。
食って寝て、それ以上の味が建物から感じ取られない。言わば都市住宅は“シェルター”の如くである。
そんな都市の忘れた佇住まいが此処にはあった。
「田舎が良くて都市が殺風景」と一概に言っている訳ではない。
生活という物が如何な物かを考えた時、必要なものが何であるかを見つめ直す必要があるのでは・と思うばかりである。
この界隈を走っていて思い付く言葉が“日本の縮景”だ。風に耐え、雨に耐え、その繰り返しが磨く生活の場だ。
穏やかな昼の陽に照らされて、心静める風景が続く。屈曲の殆ど無い湖西線の線路状態にも助けられ、のんびりとした昼下がり風景を琵琶湖を肴に満喫する。
この風景を湖西線は一段上がった処から見下ろす。高架なのか山の端の高地なのかはこちらからは解らないが、比良山地を背後に背負い、眺めの程よい風景がこの一帯に続く。
日本海を走り終えるともう京都に急ぐだけの旅路だと思っていたTWxだが、その名前に似合わず本州側では余すところ無く日本の風景を見せ付けてくれる。
骨の髄まで日本という風景で心を潤してくれる列車、それがTWxである。
此の琵琶湖湖畔の旅は一時間にも満たなかった。
その中には水田風景あり、湖水浴場のキャンプや駐車場がありと、水のある生活が拡がる。
それが、山の瀬に窄められた都市風景を仰ぐと大津市が間近になる。
左手にはびわ湖タワーの観覧車が見える。琵琶湖湖畔に繰り広げられた“日本の縮景”も間もなく終わる。
▽いよいよ京阪路へ
※通い馴れた旅路の中
湖東・湖西のジャンクションになる大津駅を通過すると、もう頭の中に叩き込まれた、悪く言うと見飽きてしまった京阪路が始まる。
ただ、この辺りのJR京都線は古来から高速交通として高度に整備されており、運行施設がこの様な優等列車の走行を一切妨げない複々線だ。
左の小窓から山科の町並みが見えてきた。ここも歩いたという意味では思い出がある。
ムーンライト山陽で京都まで初めて旅した夏、泊費で採ったホテルが上花山の東急インで、此処からJR山科駅まで歩いたら1時間以上も掛かった苦い思い出がある。
1道一号線を西進し、新幹線高架の下をかい潜った風景、古都の落ち着いた風景が拡がる山科を思い出す。
京都に12:02定時到着。
TWxの旅も余す処あと30分余になった。
工事中の殺風景な足場などを見送り、いよいよ京阪路に入った。
商・住宅地を暫く走ると間もなく乙訓郡に入る。東海道最後の隘路・山崎の天王山である。
名神高速、東海道新幹線、そして阪急京都線が束になって合流する交通の要衝だ。宇治川、桂川、木津川の三つの川が合流して淀川になるのも此処である。
此処を境に、11道府県を縦貫するTWxの、最後の自治区になる大阪府に入った。
暫く併走していた高速、新幹線、阪急がそれぞれの袂を分かつと、京阪間独特の衛星都市風景が始まった。
高槻-茨城間の巨大工場群が続く。高槻の車両基地や駅を過ぎると車内のラジオサービスが終了した。
間を繋ぐリスニングミュージックが始まって間もなく、車掌の案内がした。
「ただいま、外側線・TWxTEXとすれ違います」
その案内が終わるまでもなく、車窓に濃緑色の特急列車が走り去った。
特急同志の擦れ違いでもあり、アッと言う間ではあったが、直線路で遮るものもなく綺麗に見ることが出来た。
私は車内の片付けを始めた。
※いよいよお別れトワイライト
部屋に拡げた私物を片付け、大きなバッグにまとめると列車は吹田を過ぎていた。
間もなく新大阪に到着する。
ただ、此の時、余りこのTWxで長途留をすると折角さっぱりした気持ちで迎えた終点で名残惜しくなる。
私は時刻表を開いて大阪発の列車を漁って一策練った。
新大阪も定時に発車。
部屋を片付けて部屋を出るとJRWの担当車掌に出喰わした。
挨拶を交わし、灰皿を返して貰い、車内の出来事話しに花を咲かせた。
間もなく大阪。この列車に別れを告げる時がやって来た。
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TWxの乗車もコレで終わり。
本当に日本の借景を堪能できる列車です。
無くなるのがここまで惜しい列車という物もない。
さて、大阪からはまっすぐ帰りません。
そしていよいよ次が最後の章ですm(_ _)m。
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蔵出し鉄旅録 | 旅行/地域
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2014/09/14 11:57:02
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