
少し前に
書いたが、少し思うところが出てきたので、
徒然と。
私自身、この「若者のクルマ離れ」自体、本当かどうかも含めて、どうでもいいと思っており、いま自分がクルマ好きである現状を引き続き楽しんでいきたいと思っている。だって、そもそもこの話題自体に具体的な根拠がないし、原因も多種に及ぶ?と言われているから。なんだか雲をつかむような話題だな、という認識だ。
しかし、若者がクルマから離れることで、どうしようこうしよう!?なんてことは置いておいて、話題として「クルマ」について盛り上がっていることがイイことだなとは思っている。
だって、話題にも登らなかったら、終焉を迎えるだけだし。クルマが売れなければ経済はますます下降するし。
先般、トヨタが東大でクルマについての出張授業を行ったという。「どうすればクルマ離れを食い止められるか」というような内容だったようだが、私が思うに、これは東大をはじめ、大学生向けに「本当に」すがる思いでクルマについての講義を行ったのではなく、「こういう講義を大学でやりました」という広告戦略の一つに他ならないと思う。
「おお、あのトヨタがそこまでやってるのか」なんていう社会的風潮を煽り、さらには、皆さんご存知のように、この話題はかなりクルマ好きの心を揺さぶる訳で、あらゆる意見が出てくる。そう、ニーズが出てくるのだ。
しかも、多くの一般的なクルマ所有者ではなく、ごく少数のクルマ好きな人たちの限定的なニーズが。
本当にこれまで、ニーズを知らずにトヨタがやってきたと思うのなら、それはあり得ない。リーマンショック時、プリウスショック時を除き、ほぼ毎年かなりの売り上げの成長を見せているという段階で、すでに間違ったリサーチではないことを意味する(日本のクルマ市場自体小さいけどね)。だって、それこそかなりの頭脳と熱意を持った秀才ばかりを宛てがったリサーチ部署が、日々分析を重ねているのだ。もし、具体的根拠があるのなら、とっくに解明されていないと、そいつら全員クビだろう。だから、冒頭にも書いたが、具体的根拠は、本当はないのだと思う。それで、正当なマーケットリサーチの結果が、今のハイブリッド、ミニバンブームになっているわけで、それで売れている、ということは日本のニーズを掴んでいる、ということ。それで体力がさらについたので、今度は何かないか、再度探ろう、というものすごい愚直な努力をしている、というように私には思える。
確かに、私も学生時代には生意気にも、こう思っていたこともあった。
「あんないい車(スポーツカー)が、このくらいの値段で売っていれば、絶対買うのに!」買えもしないのにね
しかし、結局その時に乗っている中古車は可愛いし、大事にしていたものだ。安い、古いからって、何も引けは取らない。いつの時代もマイカーは自分のなかで輝いていればいいのだ。たとえ古かろうと、故障しようと。
その後、社会人になり、ようやく車種こそ違うがクルマを新車で購入できるようになるくらいには、自分もここまで来たか、だなんてまた生意気にも思ったし、クルマが人生の目標にもなり続けていたこともその時に知った。
ようは・・・
若者が欲しがるような、それなりのスペックとデザインを持ったクルマを、若者が買える値段で販売する必要は全くないし、そんなこと、これまでにも一度もなかったと思う。
(私が貧乏だっただけかもしれませんがね。)
それに、そんなクルマがデビューしたら、飽きっぽい日本人のことだもの、すぐに飽きられちゃいますって。え?お前なら飽きるのかって?私は飽きませんよ。クルマ好きですもの。小さい頃から。でも、そんなクルマは買わないと思う。だって学生か新卒でも買えちゃうクルマなんて、ちょっと嫌だな、なんて思うから。
そういうクルマって、どんなジャンルなのだろう。私の若い頃・・・ならばスポーツカーだ。スポーツカーかぁ・・・。
スポーツカーは昔っからその生存を常に危ぶまれつつなんとか生き残ってきた孤高のジャンルだ。
だから、万人受けしないし、その必要がないのと同じで、揶揄するあなたに好かれる必要もないのだ。
そのスポーツカーが心に刺さった人だけが買えばいい。
ただやはり少し頭をかすめるのは、日本経済の二極化の功罪。貧乏と金持ち。私が学生だった頃は、まだ一億総中流階級の名残が十分にあったと思う。だから、「あいつも親に買ってもらったから、俺にも買ってくれよ、とーちゃん!」的なことや、「あいつがバイトで貯めて買ったのなら、俺も!」ということがまかり通ったのだが、今は、
各世帯収入に大きな差があるため、おいそれとはいかないだろう。
バイトしたって、家に仕送りしなければならなかったりと、それぞれのフトコロ事情に大きな差があるのでは。そうなると、皮肉なことだが、どれだけクルマが好きでも、買えない人の比率は高くなる。保険、税金を含め、国全体を巻き込んだ大問題だ。それに、多くの自動車会社が実験している「自動運転装置」。これってクルマ好きを増やす流れとは完全に逆行しているように思えるが、どうとらえればいいのか。高速道路だけとか限定的な運用にする等の意見はあるようだが、原始的な車の楽しみ方と違うだけで、実車のスロットカーのようだ!とか、新たな価値観を生み出すのかも!?と考えれば少しは肯定的に捉えられるか。
二極化といえば、経済だけじゃない。この20〜30年くらいの間に、アニメ、ケータイ・スマホなど、いろんな文化が日本に浸透した。これは、これまでの音楽、映画、スポーツ、ファッションとは違った新たな巨大文化だと思う。では、これらの何が二極化を生むのか。
大前提として、この世の人ってのは、以下の二つに分けることができると思う。「与える人」と「与えられるだけの人」だ。
<アニメ>
その作品によって、ひたすらストーリーを楽しむだけの人、即ち「与えられるだけの人」と、どうやったらもっと面白くなるだろうか、またはそのフィクションを現実に当てはめると・・・など、アウトプットとしてはアニメじゃなくても創作的に捉えて建設的になれる「与える人」。これで何年も経てば、考え方、行動に大きな差ができるし、それは収入の差にもなるかもしれない。
「与えられるだけの人」は、新しいものが出てきても、結局自分の好みに合わないと、工夫しようとすらしないので、不満となり、「楽しい車がないよー」ということになる。「与える人」は工夫を凝らすから、今ある状況を楽しむことができる。これがアニメによる二極化。
<ケータイ・スマホ>
もう、大人になってしまっては、そこまで大きな差はできないかもしれないが、現在は、中学生の約60%、高校生の約90%がスマホを所有しているという。機種の差こそあれ、情報端末としては同じものだが、昔のゲーム機のように、それしかできないのではなく、ある意味なんでもできる。なんでもできるから、何したってサボることができる。学生の本分と言われる勉学で、自分を律して「今日のスマホはこれで終わり。勉強しよう」と出来る人と、いつまでも
ダラダラとスマホのゲーム、メールに囚われてしまい、実はやればできる子なのに、自分を律することができないことで、落ちていく人。これにより、考え方だけじゃなく、これまた収入にも差ができてくるかも。これが、ケータイ・スマホによる二極化。
ちょっと話がそれてしまったが、クルマ離れ自体の犯人は、私やあなただけじゃなく、こうした文化的要因も多くあると思う。このことから、「若者のクルマ離れ」の犯人、それは、・・・やはり私やあなた?
いや、そもそも、もう既に、若者には趣味としてのニーズがないのでは!?ということかもしれないなぁ。
本当に好きなら、原始的なスポーツ系に限らず、自分でその趣味を見つけるでしょうに。ハイブリッドのスポーツカーだって、新たな価値観を生み出すだろう。
悲観することはない。新しいタイプが加わっただけで、走りの楽しみ方が増えたのだ。大歓迎じゃないか。そんな少数派のニーズまで掴もうとし、スポーツ系のクルマを新たに発売しようとするトヨタのG’zにしても日産のニスモVer.にしても、企業体力あるなぁ、と感心せずにはいられない。←やはりクルマの楽しみ方は「走り」が最重要と信じて疑わない。次にはやはり、「移動する居住空間」に重きを置いたキャンピングカーを筆頭にミニバンか!?
あ〜、やっぱり若者のクルマ離れって、どうでもいい。押し付けるのはかわいそうだし。
クルマ好きは、永遠に。
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じどうしゃ学 | クルマ
Posted at
2014/10/19 01:50:49