
つい4日前。
埼玉県の西の果て、世間ではパワースポットなんて言われてる神様のお膝元、三峯神社に詣でて来たんですが…
気がつくと、初めて自発的にこの場所に詣ってから以降、
それまでの、全く行ってなかった頃が嘘みたいに、遠い場所にもかかわらず、短いスパンで随分何回も行ってるなぁって思って。
それは、初めて自発的にこの場所に詣でた時に味わった雰囲気、体験が色々強く印象に残ったからこそ、その後繰り返し訪れるようになっているんだと思うけど。
…でまぁ、今回はちょっと、初めて三峯神社に訪れた時の事でも、振り返ってみようかと思います。
自分にとっては重い事でも、実際は全然軽い、
それでもきっと湿っぽくてうんざりするようなハナシになると思いますので、そういうのが嫌、
もしくはハナからヲメェのそんなハナシになんざ興味ねーよwwwってお方は、どうぞスルーしちゃって下さい。
…子供の頃、まだ三峰山ロープウェイがバリバリ稼働していた頃に一度、
親に連れられて、三峯神社に行った事はあった。
確かそん時は秩父市側の参道入り口から一時間ちょっと位?かけて、
やっとこさの感じで、三峯神社に着けて、お参りしたんじゃなかったっけ?と記憶してる。
子供心には、延々山道を歩かされた末やっと着いた場所、って位の気持ちしかなかったし、
神様に対しての信仰心とかありがたみも別に無かったから、行ったからって言って別に何がどうって気持ちも無かった。
それが当時の正直な気持ち。
その後月日は流れ、自分も年齢の上だけでは(いや本当に(^_^;))成人となって、自ら車に乗るようになり、
今も住んでるさいたま市の実家から、一番手近な感覚で行ける峠的な場所って事で、度々意味もなく秩父方面へ一人行くようになっていた。
そんな中で、秩父の山々の奥地に在る三峯神社…の入り口の駐車場にも、ほんの2、3回行った事はあった。
一番最初に行った頃は、確かまだロープウェイがギリギリ稼働していて、秩父市側の参道入り口の反対側から、神社の在る山を回り込んで行く、車用の駐車場は現在ほどきっちりはしてなくて、
夜中早朝辺りの時間帯には、もしかしたら無料で入れたかも知れない。
けどもその頃はまだやっぱり、わざわざ神社まで行こうって信仰心は無くて、駐車場まで続く一本道のワインディング路を、走り屋の真似事して走っただけで満足して帰っちゃってた。
後に一回だけ、友達連れてドライブ目的で行った事もあったけど、やっぱり駐車場には入らず、引き返すオチでしかなかった。
自分が免許取って最初に乗ってた、AE100カローラセダンの頃には、結局一度も三峯神社にお参りした事は無かった。
それからまた月日は流れ。
一度は家を出て長野の山奥に冬の間住み込んで、軟禁されの如く過ごしてめでたくうつ病になってまた家に帰って来て、
一年半程の期間、心療内科のお医者行く以外はほとんど外出ない半引きこもりのような状態になったりした後、
以前アルバイトしてた所から、また来てみない?とお誘いを受け、リハビリがてら仕事また始めたものの、
後々異動して来た店長の独裁政治的やり方について行けず、最後は喧嘩別れして辞めて、
それからすぐ後、本当に上手い具合に東京池袋の某百貨店に拾って貰って、またアルバイトとして勤務し始めて。
そんな具合に、仕事先を渡り歩いていた。
その一方、喧嘩別れして辞めた店にまだ在籍していた頃、今のS15シルビアと出会って、イキヲイで契約しちゃって。
それなのにまもなく勤務先を辞めちゃって…5年間のローンの支払いどーすんべ?と一時は考えたものの、
その百貨店&いろんなトコで短期のアルバイトしつつ、結局ローン返済が終わるまでの間ずっとそこの百貨店でお世話になって。
やがてその百貨店の中での階級がアガって、社内での規定による非正規ながら社員のはしくれとして雇用されるに至った後、試用期間を経て社員として雇用してくれるっていう働き口にありついた事で、めでたくその百貨店を円満退社したんだけど…
いざその後入った会社を結局一か月半程度で辞めちゃうに至って、そんで現在に至る、ってのがワタシの大学卒業から現在までの紆余曲折。
で、子供の頃からの長い長いブランクの後、
再び今度は自発的に、三峯神社に詣でるようになったのは、つい昨年からの話になるんですけど。
春先、桜の季節の終わりの頃、
その頃の日々の中で、色々上手くいかず将来の明るい展望も見いだせなかった事から、
徐々に絶望の気持ちに、心が支配されて行くようになって行ったんですね。
実際のところは本当に些細な、しょーもない事の積み重なりで
、気持ちをくらーく沈ませて行ってただけの事だったんですけど、
それで、最終的になんかもう全てが嫌、って気持ちになりまして、
翌日も仕事だったというのに、夜中もう家を飛び出しまして。
本当もういっそ死んだろ、って気持ちの元、とりあえず山の方へ、って気持ちで、
なんかもう無我夢中の感じで、秩父に向けて、
夜中の道をもう帰って来る事もあるまい、なんて思いながら、
突っ走って行ったのでした。
今となっては、道中どんな感じで走って行って、時間が過ぎて行ったのか、全然覚えてないんだけど、
憶えている限りでは、夜明け前位の頃?
秩父市街の外れに在る、秩父ミューズパークの山の上に在る、駐車場まで来ていて。
…其処でどんな事考えてたんだろ?
やっぱりダメだ、思い出せない。
ただ、夜の間、とりあえずは秩父を目指して走っていて、
秩父まで着いたら、あとは自分が知ってる何処かの場所を、
ヲノレの死に場所にしたろ、って考えでいたんだけど、
まぁ結局は、それ程強く思っていた訳じゃなく、
一時の気の迷い、現実逃避的感情でしか無かったからこそなのでせう、
その頃ちょうど、夜が明ける正にその時だったんですけど、
その時に見た、夜明けの空が、
本当に心から、素直に綺麗だ、と思えるものだった事で、
もう死んだろ、って思っていた気持ちに、陰りが生じたんですね。
ああ、この夜明けの空は、
この世界はなんて綺麗なんだろう、って思ったら、
死ぬのが惜しい、って思っちゃって。
んでまぁ、イキヲイで夜中、家を飛び出したっていうのに、
実にあっさりと、死んだろ、の気持ちに、ためらいが混ざったんでした。
それでも相変わらず、自分に対しての絶望の気持ちは変わらない。
これから…自分どうしよう?
その後も、ミューズパークの中をあっちこっちさまよったりしてたんですが…
やっぱり、死に場所を求めてだったか?
秩父の山の、更に奥地の方へ、向かう事にしたんですね。
この間、一体どんな事考えながら車走らせてたかは、やっぱり憶えてないですが。
ただ…何ですかね。
何か、見えない力とかに、引き寄せられていたんでしょうか?
気がついた時には、半ば無意識の内に、自分は三峯神社の方へ向かっていて、
果たしてたどり着いた、カローラ時代には、一度として踏み込まなかった、駐車場の入り口から先に、
実にあっさりと、進み入っていたんですね…。
三峯神社駐車場の側から、三峯神社に入るのは、本当にその時が初めて。

傷心引きずったまま、大鳥居くぐって、
参拝順路を、半ば虚脱したような状態で、
歩いて行ったんだと思います。

朝早くだったので、順路の途中、
宮仕さん(でいいのか?)が参道の掃き掃除をしてました。
その人らは、何処の馬の骨とも分からない、
冴えない、多分シケた面してたであろう自分に
「おはようございます」
って声掛けて下さって。
まぁ言われたからには、シカトするのもなんだな、と思い、
自分も「おはようございます」って返してた。
それを繰り返す内、何か心の中の憑き物が、スーッと下りていくような、
春先の早朝だったから、肌寒かったかも知れないけど、
心にじんわりと、何か温かいものが、満ちていく感じを覚えていたかも知れません。
やがて、本殿までやって来て。
何をどうしていたか、やはり記憶が定かではないんですが、境内をあてなくうろうろしているうち、
何か、その場所に満ちている?
優しく、温かいものを感じたのか?
何か、見えない力に、慰められているような思いがしたか?
泣きそうな気持ちに、なっていたのでした。
やっぱりまだ、死ぬのは嫌だ。
もうちょっと生きていたい。
多分、そんな事を思っていたんだと思います。
生きるも死ぬも自分次第だから、自分がしたいようにすりゃあいい。
それだけのハナシなんですけどね。
それから…どんな事を思いながら、本殿の在る場所を後にしたんだったか?
その後のアテなんか何も無かったのに、また駐車場の方へ戻らんとして。
その道すがら、やっぱりこれも、なんとなく何かの力に導かれるように?
この景色を眺められる、見晴らし台の方へ、歩を進めていたのでした。
この時もやっぱり、精神がオカシカッタんでしょう。
ここから飛び降りれば…何とか死ねるかもなぁ…
そんな事を考えたりもしました。
それでも、この場所から見える景色の綺麗さに、何か心が洗われて行ったからなのか、
それをやっちゃうのがなんか惜しいな、と思っていたんですよね。
でまぁ結局…他の人も来ちゃったし、死ねなかった。
で、まだ虚脱したような状態の中、とぼとぼと車まで戻って行った。
自分が初めて自発的に詣でた、三峯神社詣りは、こんな感じで、幕を閉じました。
とにかく気持ちが弱っていたせいもあり?この時に参拝順路にて撮った写真は、一枚も無い。
本当に、自分の中に、思い出として遺せるだけの記憶だけが、行って来た事を思い返せる材料として遺った。
その程度の参拝体験でした。
…ですが、ハナシはここまでではまだ、終わらなくて。
その後も、やはり虚脱したような状態のまま、もう既に帰路のつもりだったのか?
元来た道を戻って行って、秩父市街まで帰ってきて。
おりしもその頃は、桜のシーズンはもう終わったけど、今度は羊山公園の芝桜が見頃だったせいもあり、
その周辺は平日にもかかわらず、人でごった返していて、
道路は絶望したくなる程の大渋滞。
そんな中、同じく大混雑していた、道の駅ちちぶにてまた、
しばし虚脱して、ボーゼンとした気持ちのまま、しばしを過ごしたりした後、
その大渋滞にどハマりした上で、まぁ何とか家までのこのこ帰って来られて
※この時の帰路の記憶も、まるで残っていない※
家の前まで来て、車庫に車を収めようとした時。
「スパコーン‼︎」
( ゚д゚)⁇( ゚д゚)⁉︎
何の前触れもなく、そんな音が鳴り響いて。
その時は、一体何の音か、皆目見当が付かなかったんですけど、
次の日車を見たら…運転席側のリアタイヤが、見事に潰れていて。
…つまるところ、その三峯神社へ初めて詣でて帰って来た、その日のドライヴで、最後の最後、間一髪のところで、
道中でのタイヤパンク→立ち往生(T_T)orz の憂き目から、逃れる事が出来たんです(;´Д`A アヴネー
…其処で思ったんですよ。
もしも帰りの道中で、そんな目に遭ったとしたら、気持ちが弱っていた自分の事、
また尚更絶望するし、なす術なく泣きながら立ち尽くすしか出来なかったかも知れない…
そうならなかったのは、三峯神社で手を合わせて来た神様と、
なけなしのお金で買って持って帰って来た、龍水晶の御守りが、自分を護ってくれたからに他ならない‼︎
そのように信じられると、強く思いまして。
そんな事があったから、世間でパワースポットだと言われている、三峯神社の神様の御力、
御利益はホンモノだ( ゚д゚)‼︎と、強く思ったんです。
…それと併せて、こんな自分みたいなしょーもないヤシにまで、神様は有難くも、守護の御力を手向けてくれていた。
それでいながら、かくもつまんない些細な事でカンタンに自ら死んだりするのは、神様にも申し訳が無い。
そんな事を思ったりもして、一度はもう死んだろう、なんて考えて、孤独のRunawayをかました自分を恥じたんですね(´・_・`)
…このような体験が、自分が三峯神社っていう場所の神力を、本当のものだと信じるに至り、
その場所を、自分にとっての、心の拠り所だと据えるに至った経緯、と言えるかと思います。
そんな体験があったからこそ、今でもわざわざ遠出をして、やっとこさの感じで行って来られる感覚の場所なワケですが…
だからこそと言うか、やっぱり近場の楽なカンジで行って来られちゃう神社とは一味違う、より神様の近くまで行けて、より強い御力を賜れるような、
自分にとってはそんな気持ちが持てる場所だと、言える気がするんです。
最初に自発的に詣った時が、本当に精神的に参ってた(←シャレではなく(^_^;))時で、
何かとにかく救いが欲しい、と思っていた中、
まるで何か見えない力のお導きがあって、たどり着いた処だった、という感じだったんですが…
果たしてたどり着いたその場所が、何か本当に優しく、
愚かな事を考えていた自分を赦して、慰めてくれた。
それでまた、気持ちを入れ替え、立て直して、
また生きる気力を取り戻せるに至った場所だからこそ、
また、後になってからも、本当に何か、救いが欲しくなった時、
「神様の御力」が欲しくなった時に、改めて訪れたくなる、
そんな場所に成ったのだと、言える気がするんです。
…こんなところが、勝手ながら自分にとって、
三峯神社っていう場所が、心の拠り所となった、
自覚している、一番の根拠だと思っています。
つい4日前に赴いた時も、かの場所、三峯神社は、
本当に居心地の良い、心安らげる、素敵な場所だった。
其処へ行ったからって、たちどころに人生がバラ色に変化して、きゃっほるんるんマンモスうれP(←歳がバレるwwwww)な事になるワケでもないけど、
行った事で、なんか好い気持ちになれる、そんな場所だからこそ、
そのうちまた改めて来よう、と思える、
そんな場所なんだと思うんです♪( ´▽`)
多分この先も、また心が弱ったり、
何か救いが欲しくなった時などに、
自分勝手なハナシですが…自分はまた、神様にすがりに、
かの場所へ、赴くんだと思います。
その時の相棒が、この先もずっと、今のシルビアのままでいくのか?
はたまた色々紆余曲折あって、将来的には違う別のクルマになるのかは、今はまだ判りませんが…
それでも、今回のような来訪→参拝の体験は、
これから先も、末永く続いて行くんだろう…
今は、そんな思いを持っています…( ´ ▽ ` )♪
…此処まで、途中しみったれたハナシを交えながら、
個人的な事をつらつらと書き連ね、
陰鬱な気持ちにさせてしまったりもして、すみませんでした。
それでも、コレを最後まで読んで頂いた、貴方様には、
お付き合い頂いた事を、心より感謝申し上げます。
最後までご高覧頂き、誠にありがとうございましたm(_ _)m