2011年03月17日
東日本大震災被災
今回の東日本大震災で被災した方、またご家族や友人などに被災した方がいらっしゃる方、心よりお見舞い申し上げます。
かくいう私も被災者の一人でした。
金曜日に某所(宮城県仙台市)にて装置の修理作業で建物の5階で作業を行っていました。
当日は天気は良かったのですが、午後から雪が降るかもしれないという予報だったため、なるべく早く作業を終わらして帰りたいと思いつつ作業を行っていました。
そしてご存知のとおり地震は発生しました。
はじめは窓ガラスが振動する音がしたので、「そういえば数日前に大きい地震があったよな?」と思った瞬間、揺れるというよりも建物ごと1メートルくらい持ち上げたところから落とされたような衝撃があり、立っていられないほどの揺れになり反射的に部屋の扉を開けて廊下でしゃがんで揺れの収まるのを待ちました。
しかし、揺れは収まらずむしろ増加して行き、経験したこと無い事ににもかかわらず直感的に「やばい」と感じ、揺れが増加する中、近くにいた男性と女性1名ずつの3人で避難することにしました。
とっさのことだったので、男性に避難経路を指示してもらい女性の方を私と彼とで手を引くようにして非常階段に向かいましたが、その先には信じられないような光景がありました。
超低温冷凍庫(-80℃)と実験用冷蔵庫(共に100Kgは軽くある大きなものです)が、廊下をピンボールのように揺れに合わせて両壁にぶつかりながら行く手を阻んでいました。
一瞬躊躇するも、その間に廊下のうち天井の石膏ボードは落ちてくるわ、壁のモルタルははがれてくるわ見る見る損壊していく光景を目の当たりにして、先に進む以外の選択肢はありませんでした。
男性の彼と私とで揺れる冷凍庫を押さえて一瞬道を作り非常階段へ走りこむという映画さながらの現場。
非常階段も揺れでうねうね歪んでいるようで相当な危険を感じました。
冗談ではなく階段を下る際ずっと頭の片隅に「死」の文字がちらつきました。今までこんなこと経験したことがありません。
何とか中庭に避難することが出来ましたが、あちこちでものの壊れる音、崩落する音、地鳴りのような不気味な音がずっと続きました。
その後もかなり大きな余震が何度かあり、1時間ほど外で様子をみて余震のタイミングを予想して落ち着いたときに再度5階まで駆け上がり身の回りの必要なものをピックアップしに行くと、そこはもう先ほど作業をしていた部屋とはまったく違うものになっていました。
その後、あたりは停電となりあたりの道路も渋滞で混乱。
仕方ないので、歩いて駅まで行くことに。
ただ、新幹線が止まっていることは間違いないと思っていたので、なるべく駅に近い場所で新幹線待ちをしようと駅近のホテルに行きました。
当然のごとくホテルも停電のため部屋の割り振りなどできず、多くの人がロビーで待機。
何の情報も無くただ待機するしかありませんでした。
そのうちワンセグ携帯でテレビ放送をみて初めて被害の大きさを知りました。
結局被害の状況はワンセグテレビで情報を得られましたが、現場の状況がつかめない以上、動くことが出来ず、10分間隔でくる余震におびえつつホテルのロビーで待機。
ほとんど眠れない一夜を過ごしましたが、客でもない私たちにロビーと会議室や食堂を一時避難場所として開放し、夜と朝には備蓄されていたパンを提供してくれた「ホテルモンテエルマーナ仙台」の従業員の皆様には大変感謝しています。翌日の昼まで非常電源が尽きる最後の最後まで対応していただきました。たいしたお礼も言えず後にしてしまったので、後日改めてお礼をしたいと思います。
その後、ホテルの方の案内で宮城県庁の避難キャンプに向かいました。
そこには自衛隊やボランティアの方が集まって食料の配布などを行っていました。
おそらく一晩を過ごすことになると思い毛布を手に入れ、ダンボールを敷き寝床を確保しました。
隣には埼玉から仕事で来ていたおじさんがいました。
おじさんからチョコなどもらったのでお礼に、避難キャンプに来る途中のスーパーで無料配布していたシャウエッセン(ソーセージ)をプレゼントすると、そのおじさんのカバンからは日本酒が(笑)
ソーセージを魚に日本酒を1杯ご馳走になりました。
袖振り合うも他生の縁・・・日本にはいい言葉があります。
また、避難所でみた光景ですが、テレビでも一部報道されているとおり、現場には物資が不足しています。
水、毛布、オムツやミルク、それ以外にも電力や携帯の回線も不足しています。
現地ではそれを補うようボランティアでもない被災者が協力しあっています。
誰に言われるでもなく自然とみんなが協力しています。
ある人は情報を集めて整理しシェアしたり、ある人は携帯の充電で困っている人たちのためにみんなにまんべんなく充電するようコントロールしたり、ある人はお年寄りや体の不自由な方のために食料の配布を代わりに受け取りに行ったりと。。。
自然と自分も出来ることを手伝いました。
そして15日にようやく帰京しました。
現実問題として早く家に帰りたいという気持ちの一方で、避難所で知り合ったおじさんをはじめ、いろいろ協力し合った被災者の方たちをおいて去ることに後ろめたい気持ちがあるのも事実。
避難所を出る事を決意するのには悩みました。
なので、私は帰ったあとでも出来ることをしたいと思います。
その一つとしてみんなにお願いします。
先ほども書いたとおり現地ではいろんなものが不足しています。
ただし、物を送るのは現実として難しいので是非募金などで協力をしてください。
・日本赤十字社
・赤い羽根共同募金(中央共同募金会)
そのほかにも電力が大幅に不足しています。
連絡を取りたくても携帯の充電が出来ずにいる人がたくさんいます。
必要ない待機電力は極力消して、節電に協力してください。
また、現場では情報が錯綜してます。特に安否確認の情報は非常にデリケートな問題です。
現状では各避難所などで自分の所在を掲示板などで明らかにするのが一番確実と思います。数が多すぎる上にそれをまとめる作業が出来るほど現場に余裕は無い様に見えました。
確実な情報以外は混乱を招くので気をつけてください。
こんなことしか出来ない自分にもどかしさを感じますが、まずは現場の雰囲気の1%でもわかってもらえたらと思います。
本当に困っている人たちがたくさんいます。
私はそんな人たちに助けられました。
最初に寄ったホテルの従業員さんたちも自分の家族の安否が不明な中私たちのためにいろんな準備をしてくれました。
避難所で携帯電話番をしてくれた彼も自宅が被害を受けているにもかかわらず自宅からOAタップを持ってきて一人でも多くの人の充電を受け入れられるようがんばってくれました。
宮城県の職員の方は県外の人のためにいろんな情報を丁寧に教えてくれました。
そんな彼らのためにわずかながらも協力したくこの投稿をしました。
皆さん、よろしくお願いします。
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Posted at
2011/03/17 00:32:32
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