
旅も最終日です
お付き合いいただき、ありがとうございます😊
朝から快晴です
朝食は駅前のこちらへ
料理旅館 金沢茶屋
割烹つづみ さん
宴会場と思われる部屋に案内されます
ごはんと味噌汁はお代わり自由、
コーヒーとお茶はあちらに、と案内されます
ふぐの一夜干し
小鉢
左上 ずいきの胡麻和え
右下 甘海老
が面白い
加賀野菜
いしる(魚醤)出汁につけて、いただきます
お言葉に甘えて甘えて
ごはんと味噌汁のお代わりをいただいてから
玄関までお見送りいただき、お店を後にします
午前中は近隣を散策します
最初は駅からほど近い
安江八幡宮へ
手水舎
笠間稲荷神社を思い出しました
拝殿
(以下、安江八幡宮ホームページより抜粋引用)
安江八幡宮の御祭神は、(中略)誉田別尊(応神天皇)と気長足姫尊(神功皇后)と玉依姫命を祀っている。
(中略)
藩政時代には前田加賀藩主や大聖寺藩主に崇敬されて、火防や病気平癒を祈られ、また社殿の修繕および祭器具を寄進されている。神社のある此花町は以前安江鍛冶町と称して、多くの刀鍛冶のいたところである。有名な泰平・兼若もここにいた。これら刀鍛冶が水火の伝授(刀剣製作時の火と水の加減のこと)を必ず神社でおこなったことから、今でも俗に「鍛冶八幡さん」と称している。
(以上)
お土産品で見かけたことある
ホテルのフロントにも飾ってありました
加賀八幡起上り
(以下、安江八幡宮ホームページより抜粋引用)
この起き上がりは、八幡大神のお誕生の折、真紅の産着を着けられたお姿を写し、これを八幡起き上がりと名付けました。昔、氏子の一老翁が当八幡宮に参詣して御神像を受け、日夜多幸を祈って宏大なる御神恩に浴した事を深く悦び、諸人のためこの起き上がりを発案して毎年正月に献じたのを社参の人々がこれを拝受して、厄除け・病気平癒・愛児の健康祈願・起き上がると言われるため社業繁栄・商売繁盛のお守りとしました。石川県のキャラクター「ひゃくまんさん」のモデルとしても知られております。
(以上)
御朱印にも加賀八幡起上りがデザインされています
安江八幡宮を後に
別院通りからまだ静かな近江町市場を抜けて
こちらまで歩いてきました
尾山神社
神門
国指定重要文化財
和漢洋三様式折衷の外観が目を引きます
三層目はギヤマン張り(ステンドグラス)
上部の避雷針は日本最古であるそうです
内部の彫刻も見事です
参拝をして御朱印をいただきます
(以下、尾山神社ホームページより抜粋引用 長いです ご参考まで)
尾山神社の歴史
慶長4年(1599)閏3月3日、利家公が薨去します。その後、二代利長公は、利家公を仰ぎ神として祀ろうとしました。しかし、当時、前田家は、なんといっても外様大名の立場です。徳川幕府の許可なくして、勝手なことはできません。利長公とて、徳川幕府をはばかり、公然と神社創建に踏み切ることができませんでした。
そこで利長公は、守護神としていた物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で、卯辰山麓に社殿を建立し、利家公の神霊を合祀しました。これが、卯辰八幡宮です。
廃藩置県後、旧加賀藩士等は祭祀を継続し、利家公の功績を不朽に伝えんと、明治6年旧金谷御殿の跡地である現在の社地に社殿を新築しました。尾山神社と称して、郷社に列せられます。翌明治7年には県社に昇格、そののち明治35年には別格官幣社に列せられました。また、平成10年には正室であるお松の方も合祀されました。
(以上)
尾山神社を後にして
長町武家屋敷跡
足軽資料館
入場無料で自由に見学できます
旧加賀藩士高田家跡
大野庄用水に沿って歩きます
こもの巻かれた土塀が金沢の冬を感じさせます
市街を離れて
金沢市大野町に向かいます
『宝生寿司』さん
金沢では必ず立ち寄ります
おまかせでお願いします
鱈子
平目
鯛
中トロ
アオリイカ
甘海老
鯵
鰤
のどぐろ
クエ
ばい貝
ガス海老
鯖
おまかせはここまで
大好きな『じゃ海老』は入っていないとのことなので
特に良かった
鯖とガス海老を追加して締めます
やはり外せないお店です
大野町は醤油のまちです
『ヤマト醤油味噌』さん
こちらの『いしる』(魚醤)を重宝しています
直売所と食堂があります
昔はこじんまりとした売店があるだけでした
チーズケーキ店⁉︎
素通りもできずに
チーズソフト
旅も終わりに近くなりました
『チャペック』さん
県庁近くの住宅街に立地しています
以前は近江町市場近くにありました
奮発してゲイシャと
スイートポテトをいただきます
レンタカーを返却して
金沢駅はご覧の通り
かがやき510号
定時発です
富山付近の車窓
日常生活に戻ります
3日間の旅日記
神社巡りと食べ歩る記になってしまいましたが、お付き合いいただき、ありがとうございました😊
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2022/01/12 20:02:17