
							
							今日は亡父のことを書いてみます。よろしければお付き合いください。
亡父が76歳の時に新車購入したPASSO。寒冷地仕様の4WD。 
兄や私が帰省した時に便利なので手放さずそのまま使用している。 
「俺の最後のクルマ」と本人が言ったとおりに最後のクルマになった。 
家族が色々言って聞かせても最後まで運転し続けた人だった。 
晩年、多少反応の遅さはあったものの、車体をぶつけたりこすったりすることもなく、ごく普通に安全運転だったので、皆まあいいか、という感じだった。 
ソ連軍が迫る中、当時日本領だったサハリンから命からがら引き揚げ、戦後の貧しさの中で子供時代を送り、戦後復興期に青年時代を迎え、懸命に働き、ついに自家用車に手が届いた時、どれほどの充実感があったことだろう。 
父が初めて買ったのはカローラだった。 
若かった父が嬉しそうに車体側面に「自家用」と筆で書いていたのを覚えている。 
その次買ったのも、その次もずっと、全部カローラだった。最後だけパッソ。 
車には華やかさは求めずひたすら実用重視だった父らしい。 
よほどカローラが好きなんだな、と思っていたが、そういえば私のレビンもカローラだな。カローラはいい。 
父とドライブの記憶といえば、ダム巡りだ。 
父は技術者としてダムを設計する仕事をしていた。 
これは俺が作ったダムだぞ、すごいだろ、と日曜日はカローラでしょっちゅうダム見物に連れられて行った。私のダム好きはその頃から始まったのかも知れない。 
残念なのは、あんなに沢山見に行ったのに、それがどのダムだったか全く覚えていないことだ。父が死ぬ前にちゃんと聞いておけば良かった。 
父とは普通の親子並みに色々あった。関係がかなり険悪な時期もあった。 
が、亡くしてみるとかなり穏やかに懐かしい。そんなものかと思う。 
実家に帰りパッソを運転すると父の気配を感じる。 
事故もおこさず、命が尽きるかなりギリギリまで運転し続けたのは、やはり父の努力と気力の結果だったろう。夜は運転しない、とか左右はよくよく確認する、とか毎日スクワットするとか。色々父オリジナルな工夫をしていたらしい。
それを聞くと、無理矢理、老いた父から車を取り上げなくて良かった、と今は思う。 
次は自分が老いる番である。まずは日本が平和であり続けて欲しい。 
それから、年をとっても、身体が不自由になっても、自分で安全に自由に、好きな時に好きな所に行ける車が欲しい。その前に毎日スクワットぐらいはしておきます。
							
						
					
 
					
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						2023/10/03 15:29:30