「返さなくていい奨学金」のはずが…。“地元に5年縛られる契約”を蹴り、東京で「月10万円の返済地獄」のなか生きる23歳看護師の告白
周期的に繰り返される奨学金の話題だ。それにしても、見出しが厭らしい。恰も「返さなくていい奨学金」の返済を不当に求められているように読める。また「5年縛られる」からは、不本意な働き方を強制されるような印象を受ける。そして「返済地獄」というワード…。「奨学金=人生の足枷」という、いつものアレである。
私自身、奨学金を借りて大学で学び、就職して十数年で完済して現在に至っている。奨学金があったおかげで、バイトに明け暮れなくても学業と私生活を両立できた。今は亡き日本育英会には感謝している。確かに、社会人人生を歩み出す時点で数百万の負債を背負っているのはマイナスからのスタートとは言える。ただ、奨学金を借りられなければ、スタートラインにも立てなかったのではないだろうか? 借りるときに十分な見通しを持って借りれば良かっただけだって思ってしまう。
リンク記事の女性は、5年間地元の病院に勤務すれば、返済は免除される奨学金を受けていた。契約通り、5年間地元で勤務していれば問題はなかったわけでしょ? 見知らぬ土地で指定された病院で働かなければならなかったわけではない。しかも地元なんだから、親元から通うことで、家賃などを浮かすことも可能だったわけだ。正直、ずいぶん恵まれた条件だったと思う。それなのに
「地元より高い給与水準に加え、自己投資やさまざまな娯楽を楽しむ友人の充実感あふれる姿」に憧れて、看護師を辞めて上京したわけだ。奨学金を受けたときは中学生だったのかもしれないが、上京を決意したときは21歳。十分、自分自身で判断ができる年齢だ。返済免除の権利を放棄してでも、華やかな都会に出たかったわけだよね。無論、それは個人の選択なのだから、周囲がとやかく言うことではない。
この女性が立派だと思うのは「返済が厳しいから免除してほしい」とか「奨学金は給付制にするべきだ」などと言わず、
「このお金(奨学金)があったから看護師資格を取ることができ、こうしてどこでも働ける力になっています。」と、前向きな発言をしている点だ。自分自身の選択について、自分自身で責任をもって受け止めようとしているのは素晴らしいことだと思う。問題なのは、そういう女性の生き様をネタにして、奨学金=人生の足枷みたいな感じの記事にしている筆者の有り様だと思う。
家庭に収入の格差があるのは当然。中には進学そのものを諦めざるを得ないケースも多々あるに違いない。その全てを救済することはできないが、一助となっているのが奨学金制度の筈だ。そして、借りたものは返すのが世の定め。だから借りる前に熟考すべきなのだ。無利子か有利子か、給付か貸与か、月幾ら借りると4年間で総額幾らになるのか、それを何年で返すか…。考えたり、確認したりしなければならないことは多い。それを十分に行わず、言葉は悪いが「ちゃっかり恩恵だけ受けた後で文句を言う」ような風潮は間違っていると思う。
現在、奨学金を借りて進学しようかどうしようか迷っている人は、学生に寄り添っているポーズをしている人の甘い言葉にではなく、リンク記事に出てくる女性の生き様、自分の選択を自分の責任として受け入れ、厳しい生活の中でもきちんと返済を続けている姿にこそ目を向けてほしい。
ただ、子どもに黙って教育ローンを組んでおいて、それを子どもに払わせる親ってのも何だかなあとは思う。奨学金を借りたのは本人の選択だけれど、教育ローンを組んだのは親の選択。だったら、そっちは最後まで面倒見てやれよ…と、親の端くれとしては思ってしまう。色々な事情があるんだろうけれど、誰にでも事情はあるのだから。
Posted at 2025/09/07 20:39:08 | |
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