
1979年、松本零士原作の漫画をりんたろう監督でアニメ映画化したもの。
もっとも『銀河鉄道999』は最初に松本零士がアニメの企画としてTV局に企画を持ち込んだが、実現に至らず、漫画でスタート、これが大ヒットしてすぐにTVアニメ化、映画化してるので、漫画・TVアニメ・映画の製作がほぼ並行している。
原作・TVアニメは3年続いてるので、当然物語の結末は映画が最も早くファンの目に触れている。
漫画・TVアニメ・映画とも機械帝国の滅亡、主人公の星野鉄郎とヒロインのメーテルの別れという結末は同じだが、微妙に展開が異なるので、いわゆるネタバレという感じはあまりしない。
星野鉄郎とメーテルのラストでの別れは原作がメーテルの「遠く時の輪の接する処でまた巡り合いましょう」という言葉を受け入れた鉄郎が、メーテルの移り香だけが残った999の客席にひとり座ってるというものだが、アニメは999に乗って本来の姿に戻るため冥王星へ旅立つメーテルを鉄郎が線路沿いに追いかけてゴダイゴによるED曲が流れ始めるというもので、いずれも味わいがある。
TVアニメの鉄郎の年齢設定が10歳で原作もだいたいそれくらいなのに対し、映画では鉄郎の年齢が引き上げられて15歳、見た目も少し男前に変更されている。
が、それぞれの物語の結末にもあらわれているとおり、原作の鉄郎が3年間の連載の間にメーテルの言葉を受け入れられる内面的に成熟した戦士(単に戦闘を行う戦士ということではなく、世界を自分の意志で渡り歩くだけの力を持った戦士、つまり映画の鉄郎ではまだ使いこなせてない宇宙に4丁しかない“戦士の銃”を使いこなす戦士である)に成長してるのに対し、映画の鉄郎はあくまで大人になる一歩手前の少年である。
原作の鉄郎が向こう見ずながら意外と自力で問題解決する自立性があるのに対し、映画の鉄郎はあくまでキャプテン・ハーロック、クイーン・エメラルダスといった劇中に登場する大人の英雄に憧れを抱く少年である(ちなみにキャプテン・ハーロック、クイーン・エメラルダスは当初の構想では別個のストーリーの人物ではなく999の登場人物なので、そういう意味では彼らが表だって活躍する映画のほうが漫画よりも当初の999の構想に忠実である)。
そのため原作が文明批判、人類史批判、時間と生命という、深遠、わるくいえばひねくれたテーマ性を孕んでいるのに対し、映画は大人の世界への憧れに触れて大人の階段を上りはじめた少年のストレートな青春物語という側面が強い。
Posted at 2025/06/27 05:12:24 | |
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