
2001年に刊行されたものを2011年に文庫化したもの。
太平洋戦争中、日本軍がフィリピン中部のレイテ島での決戦に至るまで、日米両艦隊の動向、そしてレイテ島での日本陸軍上陸部隊の壊滅までがコンパクトにまとめられている。
著者が戦後の人なので、どうしても戦記としての生々しさには欠けるが、むしろレイテ戦はじめ太平洋戦争の記録に関しては当事者として戦場を経験した世代の記録がたくさん残っていて、それらと比較してどうしても生々しさに欠けるのは致し方ない面がある。
ことの発端は台湾沖航空戦で「米艦隊を殲滅した」という虚報である。
日本側航空機による大規模な爆撃・雷撃で台湾沖まで展開していた米艦隊に壊滅的ダメージを与えたと海軍が誤認したが、実際は米艦隊はこの爆撃・雷撃ではほぼノーダメージでまるまる戦力が残っていた。
こんなことありうるのかと思うが、とにかく海軍は戦果を誤認し米艦隊殲滅の大本営発表を行い、それが昭和天皇のもとまで届いてしまった。
そして3日後には無傷でまるまる残っている米艦隊を発見したが、訂正をしなかった。というかもはや訂正できなかった。
米艦隊壊滅の報をもってフィリピン北部のルソン島を防衛ラインとしていた日本陸軍はフィリピン中部のレイテ島に南下し、防衛ラインを押し出す。
陸軍指揮官・山下大将は台湾沖航空戦の戦果について「そんなことある?」と懐疑的だったが、大本営に逆らえずレイテ島に大軍を進出させた。
そして米艦隊の巨大戦力がレイテ島に押し寄せることになる。
米海兵隊の巨大戦力によるレイテ島上陸を阻止するため、北側を迂回して戦艦大和、武蔵を擁する栗田艦隊、南側海峡を通過し戦艦扶桑、山城を擁する西村艦隊ががレイテ湾突入、敵輸送部隊の殲滅を企図するが、主戦力の栗田艦隊がどういうわけかレイテ湾突入を回避して転回、北上してしまう(ここに至る過程で戦艦武蔵は撃沈された)。
残された西村艦隊は米戦艦、巡洋艦の壁に強行突入して壊滅。
米艦隊壊滅の大本営発表をいまだ信じていたレイテ島守備の日本陸軍が目にしたのは、20万以上の米海兵隊が圧倒的物量をもって上陸してくる絶望的な光景である。
日本陸軍は統制が分断される中、激闘を繰り広げるが、レイテ島守備部隊84006名に対して、実に79261名が戦死、全滅する。
Posted at 2025/08/17 06:15:15 | |
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