
この記事は、
蒼い夏☆吉田拓郎について書いています。
もう9月なんですね〜。真清田地区は清々しい朝を迎えています。風はちょっと秋っぽい香りのするそよ風が時々吹いています。
発症後、33日目。愛犬「こたろうくん」が天国に旅立って14日目です。
時が解決する(ある意味、慣れてくる)こともあります。
先日30日に退院後、大学病院へ行ってきました。
耳から内部を覗いた先生が「前は骨が見えてたけど、だいぶ見えなくなっていますよ」
「骨が見えてた(汗)」
一昨日あたりから、手術をした右耳で鼓膜?たまにガサッとか音がするようになってきました。常時している「サァー」という音も「ブーン」というアンプのスイッチが入った音のように変化もしています。顔の麻痺感も取れるような感じとしての腫れぼったい感じも右側がドンドン上に上がって来ている感覚や多少、かゆみを感じるようになって来た。細かい神経が感覚的には戻っている感じはしています。
チュン太君達も少しずつですが、参加してくれる数が増えつつはあります。
ただワンコの「こたろうくん」。もう、いないという諦めは出ていますが、前ブログで書いたように、入院中に突然、亡くなっているので…未だ…だめですね。ブログを徘徊していると、ワンコ、ニャンコが出ていると「まだまだ辛くなります」。
さて、今回はお盆の頃にツゥさんとコメのやり取りをした「初・拓郎」という部分をアップしようと思っています。アンチ拓郎って方はここでお帰りくださいませ(笑)
僕が「吉田拓郎さん」を知って、一生懸命ラジオのエアチェックを始めたのが中学1年(1971年、昭和46年頃)。毎日新聞のラテ欄を眺め事前に拓郎特集と判れば、極力、聴くようにしました。
兄貴が高校に受かった際には、弟の僕がねだって親にステレオ(でかいやつ。確かサンヨーの4チャンネルのやつ)をかってもらったこともありましたね〜。
ステレオが来てからは、もちろんレコードとなるのですが、
ファンの方しか判らないですが「青春の詩」「ともだち」「人間なんて」「元気です」までは全てもらいもの(笑)タダです! 「青春の詩」は町内の子がくれたのですが、他の3枚は当時、バスケット部の仲間が「もう聴かないから」と大盤振る舞い。理由が何だったか知らないですが、余程じゃないと全部手放すってことはありえないでしょ? 気が変わらないうちに速攻でもらいにいきました。なにせ、この3枚は初期の拓郎を知るには必携のものですから。
拓郎のアルバムで最初に買ったのがエレックから出た「オンステージ第2集」。そして2枚目に買った「お伽草子」を購入した際の出来事です。
このアルバムは確か発売日(1973年6月1日、私15歳の中3)に雨の降る中、町まで出て行って買った記憶があります。
丁度、その日は田植えの真っ最中で「親から手伝って欲しい!」と言われ「手伝ってもいいけど、レコードが欲しいからお金をくれ!」と交換条件。朝から手伝い、3時過ぎにファンとしては発売日に買いたいので、おっかさんに「もう買いに行きたいので…お金欲しい」「そんなの明日でいかんのか?」「今日欲しい!」とやりあいましたね。
アルバムの見開いた中面は、レコーディング中の拓郎さんの画像がドカーンとあり、これがたまらない!
このアルバムは、現在も持ってはいるのですが、何せ、今回のテーマになる帯が無い状態なのでネットでお借りしました。アルバム帯のタイトルの上に「5周年記念」って入っているでしょ? 記憶では10周年だったのですが、5周年なんですね〜。
ツゥさんともコメでやり取りしたのですが…
初めて、拓郎さんのコンサートは招待!つまり「タダ」だったのであります。てっきり、ツゥさんもその恩恵を受けてると思っていたのですが…予想を反して?…どっかにこのコンサートへ行ったという人いないのかね?
このアルバムの中にはハガキが入っていました。
よくよく見るとCBSソニーが5周年である為に、ファンの皆様に感謝祭と言う名の「無料コンサートご招待」企画をやっちゃうよ!…全国、5〜6カ所位の会場が設定されていました。確か、東京が天地真理、郷ひろみ、キャンディーズ、浅田美代子あたりのアイドル系でした。ふ〜んと思いながら、名古屋を見ると、なんと!名古屋だけが「よしだたくろう、猫」じゃないですか!! 他の地域もアイドル系だったし、何故か名古屋だけ1会場がアイドル一切なしの
「拓郎、猫のジョイント」。手が震えましたね〜。当たるわけないと思うも「ぜひ!当ててください!」とハガキを即、投函しました!
このアルバムは、いっとう最初の元・六文銭の四角桂子さんと「結婚しよう」の歌のようにニューファミリーを気づき出した頃。アルバムの生活感が出ていて、夏をテーマにした曲が入っています。
このアルバムが出た頃は、奥様のお腹の中には、拓郎さんのお子様が宿ってる頃かな?
また直前では、金沢事件が起こっており、当時、修学旅行で東京へ行った際に「拓郎さんと同じ空気が吸えるはずが…拓郎さんは金沢だった(涙)」そんな想い出(笑)
ハガキを出して、しばらくして学校から帰ると「
当たっちゃったんですね〜」
当日は、夏休みだったと思うのですが、行きは兄貴に会場まで連れて行ってもらい「帰りは多分、みんなが電車で帰ると思うので、人がたくさん歩く方へ帰れ」と指示を受けるような、中坊の田舎もん。。。頭は坊主刈りですので…長髪のお兄さん達に囲まれて並んでいると…変な意味で目立つ。「かっこ悪いなんて、言ってられない…もうすぐで拓郎さんに逢える」。
座席は15〜6列目位で思ったよりは前の方。まともなコンサートなど初めてだったので、すごく緊張していたと思います。ちびっていたかも知れません。
始まりましたぁ〜
ピアノのリズムが流れる中を、トコトコそでからセンターマイクへ。
歌い出したのが「今日までそして明日から」。
今回ブログを書く上でネット検索しまくり、情報をかき集めました。それで見つけたのが↓の動画。
例の金沢事件、釈放後にやったライブとほぼ同じだったと思います。
この時と同じように歌の途中で事件のことを振り返るMCも同じような感じでした。
ステージ衣装はオーバーオールのジーンズ。この格好のステージ写真はあまり世に出ていないですが…MCで「トイレへ行くと、いちいち全部前をボロンと外さないといけないから、おしっこが面倒だ」と(笑)
バックは小室等を除いた新六文銭とブラスセクション。とにかく、レコードに近い音が出てるので、感激しまくりです!間にお決まりの弾き語りをやって、猫のステージへ。
猫も上のアルバムを買っていたので、このアルバムとシングル曲のオンパレード、ステージ衣装もこのアルバムのままだし、亡くなられた田口さんの声が大好きで、実物に逢えたことが良かったな。常富さんの白のストラトで弾くリードギターが、この時は上手いと思った(その後、いくつかアコスティックなリードを見たけど、その時は…自粛(笑)。内山さんの各駅停車も渋かったな〜。
猫が終わって、また拓郎さんのライブ。
この時は弾き語りはマーチンD35のみを使用。
バックと一緒の際は、あの「ライブ73」のジャケットの裏面に載っている「ギブソン メロディーメーカー」のみを使用。個人的にはテレキャスターが好きだったので、テレキャスを持って来て欲しかったのが残念。
いろいろ検索して、当時のセットリストは記憶は定かじゃないですが、調べたらこの時期にやっていたのが、下記だと判明。
吉田拓郎リサイタル (6/3 – 6/29)
演奏曲目(6/3 神田共立講堂) 1.今日までそして明日から、2.また会おう、3.暑中見舞い、4.ビートルズが教えてくれた、5.からっ風のブルース ~弾き語り~ 6.蒼い夏、7.祭りのあと、8.ある雨の日の情景、9.制服 10.春の風が吹いていたら、11.伽草子、12.地下鉄にのって、13.おきざりにした悲しみは、14.長い雨の後に、15.新しい朝、16.人間なんて
吉田拓郎リサイタル (7/2 – 8/5、8/23 – 10/12)
演奏曲目(7/19 福島県文化センター)
1.今日までそして明日から
2.また会おう
3.暑中見舞い
4.ビートルズが教えてくれた
(弾き語り)
5.蒼い夏
6.祭りのあと
7.ある雨の日の情景
8.制服
9.夕立ち
10.伽草子
11.こんなに抱きしめても
12.地下鉄にのって
13.おきざりにした悲しみは
14.長い雨の後に
15.新しい朝
16.人間なんて
※セットリスト情報はhttp://mushi646.blog.fc2.com/blog-entry-537.htmlから
自分の記憶と合わせると。魔の神田共立講堂から後で、福島県文化センターとの頃ですし、1曲目の「今日までそして明日から」と最後の「人間なんて」は間違いないので、これであったと思います。「人間なんて」は警察、マスコミ批判のメッセージを叫びまくって幕が閉じるというものでした。
今から、思えばこの頃の「拓郎さん」。もっとコンサート行けば良かったって思います。当時、中坊から高校でしたが、なんとなく夜遅く出歩いちゃいけないと意外と真面目小僧だったかもしれないですね。今となってはあのライブ73のツアーを見てみたかったです(涙)。しかも、当時、2,000円台で確か拓郎さん見れたのですから!
大学入って「さぁ〜拓郎見るぞ」って時に、拓郎さんはフォーライフの社長業を真剣やりだし、ほぼ音楽活動はポツリ、ポツリのすれ違い。篠島前のローリング30発表後にアーティスト復活の「大阪フェスティバルホール」が2度目の拓郎コンサートとなった訳です。
長くなりましたが…。