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まとめ記事(コンテンツ)
麺屋 魔裟維さん
2020/04/23
F1日本GPの歴史 Vol.6【1992年編】
過去のF1日本グランプリを振り返るシリーズ『F1日本GPの歴史』は第6弾・・・前回はあっけないN・マンセルのリタイア&チャンピオン決定、また鈴鹿ラストランとなった中嶋をお送りしました(^.^)
全盛期を既に過ぎた感のあった中嶋でしたがあと数年早くF1に参戦し、速いマシンがあったら表彰台もあったかも・・・『雨の中嶋』の真骨頂が見れたかもしれませんね!
<これまでの日本グランプリ>
76&77年(in JAPAN) 1987年 1988年 1989年 1990年 1991年


92年のF1はM・マンセル&R・パトレーゼウィリアムズのウィリアムズルノーが圧倒t来な強さでマクラーレンホンダを引き離した形で鈴鹿へ・・・J.アレジ(フェラーリ)、M.シューマッハ(ベネトン)、M.ハッキネン(ロータス)といった新世代の台頭が見られる年でもありました(#^.^#)


予選は2回目が雨で中止となったことで1回目の結果で決着・・・マンセルが僚友パトレーゼに0.859秒差をつけてポールポジション、以下3位セナ、4位ベルガー、亜久里16位、この年ベンチュリー・ラルースから参戦した片山右京は20位でした!


レースはスタートダッシュに成功したウィリアムズ2台が他車を引き離す・・・3周目にセナがエンジントラブルでリタイア、13周目にはシューマッハもギヤボックスが壊れリタイアと波乱の展開(p_-)



36周目にはなんとトップのマンセルがスローダウンし、トップを譲り、45周目にエンジンブローでリタイア・・・そのままパトレーゼが今季初勝利を飾り、以下2位ベルガー、3位M・ブランドルと表彰台が全てセカンドドライバーという結果に終わりました!


日本人では粘りを見せたットワーク・無限ホンダの鈴木亜久里が8位、追突されながらも途中フェラーリのラリーニをパスする見せ場を作ったベンチュリー・ラルースの片山右京は11位でした(^_-)-☆


ドライバーズタイトルは鈴鹿の前に既に決定済みでナイジェル・マンセルが獲得・・・レッド5のマンちゃんは何故か鈴鹿では勝てないけど速くて凄いドライバーですね( ̄▽ ̄)
全盛期を既に過ぎた感のあった中嶋でしたがあと数年早くF1に参戦し、速いマシンがあったら表彰台もあったかも・・・『雨の中嶋』の真骨頂が見れたかもしれませんね!
<これまでの日本グランプリ>
76&77年(in JAPAN) 1987年 1988年 1989年 1990年 1991年


92年のF1はM・マンセル&R・パトレーゼウィリアムズのウィリアムズルノーが圧倒t来な強さでマクラーレンホンダを引き離した形で鈴鹿へ・・・J.アレジ(フェラーリ)、M.シューマッハ(ベネトン)、M.ハッキネン(ロータス)といった新世代の台頭が見られる年でもありました(#^.^#)


予選は2回目が雨で中止となったことで1回目の結果で決着・・・マンセルが僚友パトレーゼに0.859秒差をつけてポールポジション、以下3位セナ、4位ベルガー、亜久里16位、この年ベンチュリー・ラルースから参戦した片山右京は20位でした!


レースはスタートダッシュに成功したウィリアムズ2台が他車を引き離す・・・3周目にセナがエンジントラブルでリタイア、13周目にはシューマッハもギヤボックスが壊れリタイアと波乱の展開(p_-)



36周目にはなんとトップのマンセルがスローダウンし、トップを譲り、45周目にエンジンブローでリタイア・・・そのままパトレーゼが今季初勝利を飾り、以下2位ベルガー、3位M・ブランドルと表彰台が全てセカンドドライバーという結果に終わりました!


日本人では粘りを見せたットワーク・無限ホンダの鈴木亜久里が8位、追突されながらも途中フェラーリのラリーニをパスする見せ場を作ったベンチュリー・ラルースの片山右京は11位でした(^_-)-☆


ドライバーズタイトルは鈴鹿の前に既に決定済みでナイジェル・マンセルが獲得・・・レッド5のマンちゃんは何故か鈴鹿では勝てないけど速くて凄いドライバーですね( ̄▽ ̄)
Posted at 2020/04/23 07:39:37
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