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2020/04/27

F1日本GPの歴史 Vol.9【1994年鈴鹿編】

過去のF1日本グランプリを振り返るシリーズ『F1日本GPの歴史』は第9弾・・・前回は正式にはパシフィックGPという名称ですが日本で開催されたということで94年のF1第2戦をレポートしました(^.^)
レースはベネトン時代のシューマッハが圧勝・・・あのベネトンカラーが気に入ってトレ-ナーやジャンパーを買ってしまったミーハー気味の当時の私でした~(爆)







<これまでの日本グランプリ>
76&77年(in JAPAN)   1987年   1988年   1989年   1990年   1991年   1992年   93年   94年Pacific









94年シーズンはハイテク装備禁止が仇となって事故が続出し、3戦のサンマリノGP予選でラッツェンバーガーが事故死、そして決勝ではセナが・・・他にも数えきれない負傷者・欠場者が出たため、後の安全性重視のF1になるキッカケの1年でした(T_T)








残り2戦という段階でドライバーズではシューマッハD・ヒルを5ポイント引き離しトップ・・・コンストクターズはベネトンが僅か2ポイント差でウィリアムズをリードという状況でしたがウィリアムズは全戦からマンセルを復帰させての鈴鹿です(#^.^#)







予選は2回目が雨で中止となり1回目の結果でシューマッハがヒルに0.487秒差でポールポジション・・・以下3位H.H.フレンツェン(ザウバーメルセデス)、4位マンセル、5位J.ハーバート(ベネトンフォード)、14位片山右京、23位野田英樹(ラルースフォード)、26位井上隆智穂(シムテックフォード)という結果でした!








レースはフルウェットでのスタート直後に更に雨が激しくなり、スピンするクルマが続出・・・1周目に野田が3周目にはハーバート・右京・井上がクラッシュしてリタイアとなり早くも日本勢が姿を消してしまいました(>_<)








雨が続く中13周目にはコースマーシャルをブランドルのマシンが跳ねる事故があり、赤旗中断に・・・レース中止の議論もありましたが結局25分後に2ヒート制で再開することとなったのでした(^-^;









1ヒート目に6.8秒差をつけてトップのシューマッハは2ヒート目のピットストップで後続車にはまる形でヒルにトップを譲る・・・残り10周で14秒差から怒涛の追い上げを見せたシューマッハでしたが結果は3.365秒差でD・ヒルトップチェッカー、以下2位シューマッハ、3位J・アレジ(フェラーリ)、完走13台、リタイア13台という結果となりました!








後にウィリアムズのパトリック・ヘッドが「ヒルの走りの中で最高のレースだった」と語った94年の日本グランプリ・・・紙面のタイトル通り、セナに捧げるヒルのVでした(^_-)-☆
Posted at 2020/04/27 06:54:18

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