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まとめ記事(コンテンツ)
徳小寺 無恒さん
2005/06/05
進化 !KPGC10 GT-R見参
1970年の春、日産村山のテストコースを1台の覆面をしたクルマが走っていた。。。
そのクルマこそが、日産ワークス待望の型式名「KPGC10」2ドアハードトップGT-Rであった。。。
通常、4ドアベースのクルマを2ドア車、しかもHTに仕上げると重量が増したり、ボディ剛性が悪くなるのが通例だが、このGT-Rだけは違っていた。
その秘密は・・・ボディサイズを見れば一目瞭然であった。
4ドアGT-Rに比べて、全長は65mm短く、幅は55mm広く、全高は15mm低くしつらえていた。
なんと言っても、回頭性の向上の為にホイールベースが70mmも短縮されていたのだ。。。
なぜ、日産は通常居住性や生産性の悪化を恐れて、同じ車種にサイズの違うクルマを造る事を嫌う中で、運動性を上げるためとは言えダウンサイジングをしたのか?
ここに、興味深いデーターがある。。
KPGC10
馬力250ps、車両重量1030Kg、空気抵抗係数0.00516
ファミリア・ロータリー・クーペ
馬力200ps、車両重量810Kg、空気抵抗係数0.00389
カペラ・ロータリー・クーペ
馬力230ps、車両重量930Kg、空気抵抗係数0.00422
いかに、HTになったとはいえ、それでもGT-Rは重く空気抵抗の大きなクルマだったかが、この数値から分かるだろう。。
当時の日産のコンピュータ解析によれば、富士を同じラップで走行するには、GT-Rに比べて
カペラは30PS低い馬力で、
ロータリークーペに至っては50PS低い馬力
で可能である・・・と割り出されたのである。。
もちろん、クルマは馬力だけで性能が決る訳ではないのだが、このデータを取っても、ロータリー勢は手ごわい相手だという事が分かるだろう。。
GT-Rは、エンジンの馬力向上と空力の改善で、これらのライヴァルに対抗していたのだ。。

10月23日、日産は富士スピードウェイを借り切り、HT GT-Rに、4ドアGT-Rから移植できる部品を全て移植して、初めての走行テストを行った。。
そこで、改めてHT化による性能の向上が著しい事が判明した。
まったく無理をしないで、軽く流してなんと、4ドアGT-Rのベストラップと同等かそれ以上のタイムを叩き出していたのだ!!
あまりの性能の向上に、ドラヴァーの感覚が付いてゆけず、4ドアのつもりでガスペダルを煽ると、オーヴァースピードになってしまい、ついには100Rでクラッシュしてしまった・・・
ここで新たに幾つかの問題が浮き彫りになった・・それは・・
1).空気抵抗が減った事により、回転数の上昇が早く、速度も高くなるのでエンジンの回転数が平均500min-1ほど高くなってしまった。。
2).4ドア用のフロント24mmのスタビライザーでは、高速コーナーではアンダーステアが強く走りにくい。。
HTボディ形状による空力の大幅な改善により、より高速走行が可能になったGT-Rであったが、逆にこれまでとは違ったアプローチが必要になったのだ。
まずは空力だが、従来の4ドアよりフロントの「揚力」が多少増加傾向にあったので、対策が必要となった。
しかし、空力的パーツの開発には時間が間に合いそうに無かったので、タイヤの幅の拡大と適切化によって、空力的な面と、アンダーステアの改善に努めることにした。
この時、HT用にフロント8.5インチ、リヤ11インチのタイヤが採用される事になった。
さらに、エンジンの回転の上昇スピードが早くなった代償に、クラッチの問題が発生するようになった。。
クラッチのボルトが破断するようになったのだ、この対策にはボルトの形状変更や材質の変更を何度も行い、なんとか対策できるようになった。
これらの対策が施されたHT GT-Rは、1971年3月に入ってすぐの走行テストでは、最初のテスト時より2秒以上タイムが向上するようになっていた。。
そして3月7日、ついにサーキットにHT GT-Rがデヴューした、ドライヴァーは「黒澤」。
ここでも、GT-Rはライヴァルを物ともせず、優勝したのである。
続けて3月は21日、4月は11日、25日とHT GT-Rは連勝し、「40勝」をマークした。

そして5月、伝説の高橋と長谷見の、0.02秒差というワンツゥフィニッシュの日本GPへと繋がったのであった。
('71年日本GPについてはhttp://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=207014をご覧下さい)
ここまで不振のロータリー勢だったが、カペラの投入が決り、馬力でも空気抵抗の面でも、GT-Rに充分に勝てる!と「マツダ」は踏んでいたのだが・・・
翌年からは、レース用に開発がされていた「ペリフェラルポート」が禁止されてしまった。
禁止された「ペリフェラルポート」の代わりとして、市販車と同じ「サイドポート」で、いかに馬力を出すか・・・
この回答を求めるために「マツダ」も苦心を続けていく事になったのだった。
そのクルマこそが、日産ワークス待望の型式名「KPGC10」2ドアハードトップGT-Rであった。。。
通常、4ドアベースのクルマを2ドア車、しかもHTに仕上げると重量が増したり、ボディ剛性が悪くなるのが通例だが、このGT-Rだけは違っていた。
その秘密は・・・ボディサイズを見れば一目瞭然であった。
4ドアGT-Rに比べて、全長は65mm短く、幅は55mm広く、全高は15mm低くしつらえていた。
なんと言っても、回頭性の向上の為にホイールベースが70mmも短縮されていたのだ。。。
なぜ、日産は通常居住性や生産性の悪化を恐れて、同じ車種にサイズの違うクルマを造る事を嫌う中で、運動性を上げるためとは言えダウンサイジングをしたのか?
ここに、興味深いデーターがある。。
KPGC10
馬力250ps、車両重量1030Kg、空気抵抗係数0.00516
ファミリア・ロータリー・クーペ
馬力200ps、車両重量810Kg、空気抵抗係数0.00389
カペラ・ロータリー・クーペ
馬力230ps、車両重量930Kg、空気抵抗係数0.00422
いかに、HTになったとはいえ、それでもGT-Rは重く空気抵抗の大きなクルマだったかが、この数値から分かるだろう。。
当時の日産のコンピュータ解析によれば、富士を同じラップで走行するには、GT-Rに比べて
カペラは30PS低い馬力で、
ロータリークーペに至っては50PS低い馬力
で可能である・・・と割り出されたのである。。
もちろん、クルマは馬力だけで性能が決る訳ではないのだが、このデータを取っても、ロータリー勢は手ごわい相手だという事が分かるだろう。。
GT-Rは、エンジンの馬力向上と空力の改善で、これらのライヴァルに対抗していたのだ。。

10月23日、日産は富士スピードウェイを借り切り、HT GT-Rに、4ドアGT-Rから移植できる部品を全て移植して、初めての走行テストを行った。。
そこで、改めてHT化による性能の向上が著しい事が判明した。
まったく無理をしないで、軽く流してなんと、4ドアGT-Rのベストラップと同等かそれ以上のタイムを叩き出していたのだ!!
あまりの性能の向上に、ドラヴァーの感覚が付いてゆけず、4ドアのつもりでガスペダルを煽ると、オーヴァースピードになってしまい、ついには100Rでクラッシュしてしまった・・・
ここで新たに幾つかの問題が浮き彫りになった・・それは・・
1).空気抵抗が減った事により、回転数の上昇が早く、速度も高くなるのでエンジンの回転数が平均500min-1ほど高くなってしまった。。
2).4ドア用のフロント24mmのスタビライザーでは、高速コーナーではアンダーステアが強く走りにくい。。
HTボディ形状による空力の大幅な改善により、より高速走行が可能になったGT-Rであったが、逆にこれまでとは違ったアプローチが必要になったのだ。
まずは空力だが、従来の4ドアよりフロントの「揚力」が多少増加傾向にあったので、対策が必要となった。
しかし、空力的パーツの開発には時間が間に合いそうに無かったので、タイヤの幅の拡大と適切化によって、空力的な面と、アンダーステアの改善に努めることにした。
この時、HT用にフロント8.5インチ、リヤ11インチのタイヤが採用される事になった。
さらに、エンジンの回転の上昇スピードが早くなった代償に、クラッチの問題が発生するようになった。。
クラッチのボルトが破断するようになったのだ、この対策にはボルトの形状変更や材質の変更を何度も行い、なんとか対策できるようになった。
これらの対策が施されたHT GT-Rは、1971年3月に入ってすぐの走行テストでは、最初のテスト時より2秒以上タイムが向上するようになっていた。。
そして3月7日、ついにサーキットにHT GT-Rがデヴューした、ドライヴァーは「黒澤」。
ここでも、GT-Rはライヴァルを物ともせず、優勝したのである。
続けて3月は21日、4月は11日、25日とHT GT-Rは連勝し、「40勝」をマークした。

そして5月、伝説の高橋と長谷見の、0.02秒差というワンツゥフィニッシュの日本GPへと繋がったのであった。
('71年日本GPについてはhttp://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=207014をご覧下さい)
ここまで不振のロータリー勢だったが、カペラの投入が決り、馬力でも空気抵抗の面でも、GT-Rに充分に勝てる!と「マツダ」は踏んでいたのだが・・・
翌年からは、レース用に開発がされていた「ペリフェラルポート」が禁止されてしまった。
禁止された「ペリフェラルポート」の代わりとして、市販車と同じ「サイドポート」で、いかに馬力を出すか・・・
この回答を求めるために「マツダ」も苦心を続けていく事になったのだった。
Posted at 2005/06/05 17:59:08
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