まとめ記事(コンテンツ)

2007/02/13

苦心 フェアレディの進化の方向性とはS130国内登場。。







1978年・・よいよZもセカンドジェネレーション「S130」へとスイッチした!

ちょうど国内ではマツダがRX-7をリリースして、ロータリー復活の狼煙をあげ、デビューから約9年というロングスパンで造られ続けてきたS30Z・・さらにL20エンヂンでは、そういった新しい世代のスポーツカーには太刀打ちできなくなってきていた最中での登場であった。

しかしながらエンヂンのヴァリエーションは、やはりL20Eの2Lが主力であり、その上級グレードとしてL28Eの2.8Lが据えられていた。


これは、当時の税制がボディサイズ、排気量(全長4700mm以上もしくは全幅1700mm以上または排気量2000cc以上)によって3ナンバーになると「¥65000」となり高額で、2.8L一本では売れない・・と判断したからであった。

そのL28Eとてグロスで145PSであり、さすがにトルクは23Kg-mと大きかったが、正直快速・・とまではいかずこれがスポーツカー?と思った事は事実であった。
しかし逆にその豊かなトルクにモノを言わせたクルージングは、まさに「安楽」という以外の何物でなく、Zをスポーツカーからツゥアラーへの道筋を立てたモデル・・であったとも言えた。

外観は完全なるキープコンセプトで、S30をリファインされた形でリリースされたのだが、それは内装まで及んでいた。



しかしエクステリアもそうだが、インテリアを見れば、如何に快適性の向上に腐心したかという事が分かるだろう。
エアコンの装着が可能となったエアーコンディショナーや、オーディオが充実したセンターパネル。それまでスポーツカーといえば、深く沈みこんで光の反射が少ないようにモノトーンの内装が多かったのが、比較的明るい色調でカラーリングされ、開放感さえ漂うドライヴァーシート周りには、もはやスポーツカーというより、高速を如何に早く快適に移動するか・・という雰囲気が漂っているではないか。

そうそう、当時僕もそうだったのだが、このメーターの照明には本当にビックリしたものだ!!

それまで、グリーンの間接照明しか多く見たことの無かった我々にとって、アンバーの針自身や文字が光るイルミネーションを見て、メーターってこんなに綺麗に光るんだ!と思ったものだ。しかし当時の自動車評論家内でも、この照明を見て「眩しいし、赤赤してて眼が疲れる」と言った御仁が居た事は内緒だ。

さらに・・・高級感とかツゥアラーとしての性格を垣間見る事ができる内装色があった事はあまり知られていないが・・・日産といえば「真っ赤な内装」が実はこのS130Zにも用意されていたのだ!!



日産の「真紅の内装」については過去にもブログしたが・・・

真紅 !初代レパードにあった真っ赤な内装・・・
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/153803/

このS130Zの「真紅の内装」もハンパではない!!

内装の目のつくところ全てが「真紅」の染め上げられ、それはシフトブーツはおろかノブやカーペットまで入念に「赤」にされている。

こうしたかつての「真紅の内装」の日産車たちを見るにつけ、いったい何が日産をこうした赤内装にはしらせたのか??と思ってしまうのは僕だけだろうか??(閑話休題)

ハナシを少し戻して、さらにツゥアラーとしての性格を如実に現していたのが「燃料計」であった。



日本初の「親子式指針燃料計」がそうだ。

これは燃料が20L以下になると、サブメーター(小メーター)で残量を正確に表示する物で、まぁ今で言う「燃料給油ランプ」のはしり・・かもしれないが、さらに残量を表示するという事から、かなり凝った装備であったと言えよう。

この事からも、如何にS130Zが高速、長距離を移動する事を重点的に考えられていた証・・ともいえる代表的な装備だったとも言えるだろう。

快適性や高速長距離移動としての装備を満載して登場したS130Zだが、やはり国内でも、相次ぐライヴァルの登場やモアパワーの声によって進化をつづけるのであった。

しかしそれは、ツィンキャムを持たない日産の、装備や当時の隠しダマによって苦心苦労によって為し得られた歴史でもあったのだ。


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Posted at 2007/02/18 08:17:20

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