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まとめ記事
フレンチクーペ列伝
hiko206さん
2020/10/18
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今となってはフランス車もハッチバック、SUVが主流となってしまいましたが、かつては個性的なクーペをランナップしていました。
そんなフレンチクーペに関して過去にupした記事をまとめてみました
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フレンチクーペ列伝
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クーペが好きでフランス車が好きな私ですが、プジョーはCCやRCZの生産を終了、現在残るフランス車のクーペと言えばメガーヌRSくらいになってしまいました。 そんなフレンチクーペの過去の名車について興味が湧いてきたのでちょっとクグってみることにしました。 まず最初はこのクルマ ルノー・フエゴ 1980年に18をベースにしたクーペとして登場したこのクルマ直列4気筒エンジンを縦置きにしたFFで1.4L&1.6LのOHVと2LのSOHCが存在、後にはターボやディーゼルターボも追加されます。 ロベール・オプロンによるデザインはモダンなフレンチテイスト溢れるもので、発売当初は販売も好調だったようですがその後失速、1985年に本国での販売は終了となってしまいましたがその原因は電気回路の設計不良によるトラブルの多発で、最悪の場合ショートして前触れもなく炎に包まれるという恐ろしいもの・・・ そんなわけで、フエゴは未来的なデザインの評価よりも「燃えるクルマ」という評判を残し消えて行ってしまったのですが、FBMなどでは今でも見ることが出来ます。 今でも魅力的なデザインのフエゴ、不名誉な定 ...出典:hiko206さん
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私が306でプジョーに乗るようになった頃、ディーラーのショールームにエレガントなクーペが展示されていました。 そう、それは皆さんもご存じ プジョー406クーペ 406のバリエーションの一つではありますが、ほぼ専用設計のボディーパーツはプジョーとかかわりの深かったピニンファリーナのデザインで、デザインのみならず製造もピニンファリーナによるもの。 その上品でスタイリッシュな佇まいは「世界一美しいフォーマルクーペ」とも評されるものでした。 私も、最初にディーラで初めて展示車を見たときからその美しさに心を奪われた一人ですが、当時の新車価格は確か500諭吉以上で到底手を出せるようなクルマでなく「いつか、そのうち・・・」と妄想を掻き立てられてきました。 現在でもオフ会でその色褪せぬ美しい姿を披露してくれる406クーペのデザインは今でも魅力的です。 オーナーの方に聞くと何かと維持には苦労も多いみたいですが、これからもその美しい姿を私たちに見せていただきたいと願うばかりです。出典:hiko206さん
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第二次大戦後、インフラの荒廃や大排気量車に対する禁止税的税制によって戦前にあったブガッティーなどの高級車メーカーが消滅していたフランスにおいてかつての「粋な高級フランス車」の復権を目指したのがジャン・ダニノという実業家でした。 彼は第二次大戦前に工作機械や家具などを製造するユール・エ・ロワール金属加工所(Facel)を設立、戦後はその金属加工技術を活用してパナールなどの自動車メーカーからのボディー製造を請け負っていましたが、各メーカーが自社でボディーを製造するようになるとその設備を利用して自社ブランドの高級車ファセルヴ・ヴェガの製造を開始しました。 ファセル・ヴェガFVS、戦災復興期で高級車のマーケットが見込めないヨーロッパよりもアメリカ市場を意識した大型クーペでエンジンはクライスラー製V8、メカニズム的にも保守的なアメ車的なものだったようですが、この車の真骨頂はファセル車の高度な金属加工技術とかつての高級フランス車の流れを汲むエレガントなデザインによる内外装にあり、現在もコレクターズアイテムとして高い評価を受けているそうです。 ファセルⅡ、ビートルズのリンゴ・スタ ...出典:hiko206さん
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かつてフランスの自動車メーカーとして存在していたシムカ このメーカーは当初フィアットの半完成車の最終組み立てをフランス国内で行うということで関税を免れるという裏技を使いフィアット車を販売することでスタート、その後クライスラー傘下になった後にPSAに買収されるという変遷をたどるのですが、フランス車としては保守的でカリスマ的な人物の存在もなく地味な印象に終始したようです。 そんなシムカに存在していたクーペがシムカ1000クーペ 初代フィアット600をベースに、当時ベルトーネに在籍していたジウジアーロがデザインしたスタイリッシュなクーペ。 その後1000クーペは1200Sクーペに発展しますが、その出自もあってイタリアンテイストが強いデザインですね。 1200Sクーペは日本にも輸入されたらしいですが、今でも現存する個体を見る機会はあるんでしょうか?出典:hiko206さん
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戦後の馬力課税の影響もありイタリアのスーパーカーやドイツのドイツのポルシェのようなスポーツカーがほとんど存在しなかったフランスにおいて(アルピーヌがありましたが・・) 「スポーツカー製造会社(略称MVS)」を名乗る会社が送り出したスポーツカー、それがヴェンチュリーでした。 PRVのV6ユニットを搭載するMVSヴェンチュリー ライバルはイタリアンスーパーカーよりロータスエスプリといったところでしょうか? オープンモデルも存在したようです。 日本にはかつてアストンマーティンの代理店だったアトランティック商事がATで豪華仕様の「アトランティーク」とMTのスポーツモデル「アトランティーク300」を輸入していたようです。 市販車と並行してF1にも挑戦したヴェンチュリーでしたが、肝心の市販車はライバルから顧客を奪えなかったようで経営は行き詰まりモナコの投資家の手に渡り現在は電気自動車メーカーとして再生を目指しています。 フレンチスポーツカーを作ろうとしたMVSヴェンチュリーの挑戦、その志を受け継ぐメーカーが再び現れる日はやってくるのでしょうか?出典:hiko206さん
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70年代のシトロエンはイタリアの名門マセラティと提携関係にありました。 そのジョイントの成果としてマセラティ製V6エンジンをDSをベースとした独創的なクーペボディーに搭載して誕生したのが言わずと知れたシトロエンSMでした。 普通クーペと言えば尖がった攻撃的なデザインになりがちですが、そこはシトロエン、何とも言えない不思議で未来的なデザイン。 ハイドロのサスはもちろんキャスターアクションも油圧化、ヘッドライトも可動式と独創のメカ全開です 日本にも正規で導入されていましたが、当時のメカニックはさぞ難儀したでしょうね^^; 「宇宙船のような・・」とはよく言われる表現ですが、リアからの佇まいはそれも納得? SMは量産高性能クーペというより「FFで200km/hを超える」という当時としては不可能とされていた目標を目指した実験モデルという側面もあったそうで、ロータリーエンジンの搭載も検討されたといいますから未来志向のデザインは当然なのかもしれません(コンセプトカーをそのまま売っちゃったようなもの?) そういったチャレンジの一環かSMはラリーにも挑戦していました ...出典:hiko206さん
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ミサイル製造からから事業を拡大したフランスの航空宇宙産業メーカーマトラはかつてはモータースポーツへも積極的に参入し多くの個性的なクーペを作っていました。 当初は傘下に収めたルネ・ボネの世界初の量産ミッドシップカージェットを改良したマトラ・ジェットを生産していましたが、その複雑で高コストな構造ゆえに販売数は限られていたため、より量販化を意識して作られた初の純マトラ製モデルがマトラM530でした ミッドシップでありながら2+2で高い実用性を持ちジェットやアルピーヌのようなスポーツカーというよりは軽量なパーソナルクーペという性格でタルガトップと取り外し可能なアクリル製リアウィンドウを採用しオープンドライブも楽しめるなど斬新なモデルだったようです その後、マトラはモータースポーツ部門の赤字から経営難に陥りクライスラー傘下に入り、使用していたフォード製V4エンジンが使用できなくなり生産を終了、変わってシムカ製エンジンを搭載したタルボ・シムカ・バーゲラが登場します このバーゲラもM530と同じ高い実用性を兼ね備えたミッドシップクーペなのですが、最大の特徴は何と言っても横3 ...出典:hiko206さん
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「クーペ」といえば普通イメージするのがスポーティーないかにも早そうなデザインを連想しがちですがそんなクーペの常識をまったく覆したデザインで登場したのがルノー・アヴァンタイム ルノーブランドではありますが、生産は当時ルノーのミニバンエスパスを生産していたマトラ社が行っており、このアヴァンタイムもエスパスをベースとしたミニバン風のモノスペースのデザインですがルノーはこれを新しいコンセプトの「3ドアクーペ」として発表 この車のデザインはパトリックルケマンによるものでその大胆なクリフカットのテールゲートのデザインはメガーヌⅡやヴェルサティスといった当時のルノーのクルマにも影響を与えています。 ルーフは広大なグラスサンルーフを採用しており解放感は抜群。 上屋が軽量なエスパスがベースということもあってミニバン風の見た目以上に走りは軽快なのだとか・・・ コンセプトもデザインも独創的なアヴァンタイムはその変態っぷりから一部のファンに熱狂的な支持を受けますが一般受けはしなかったようで販売台数は低迷、エスパスがモデルチェンジに伴い生産がルノーに移りマトラの自動車生産は終了、 ...出典:hiko206さん
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日本においてDセグメント以上のフランス車、いわゆる「デカフラ」は好きな人からはそのゆったりした乗り味や快適なシートなどから熱烈な支持を受ける一方で押し出しの弱さや「ガイシャ」としての認知度のなさから販売の方は振るわないことが多いようです。 ルノーにおいても以前はDセグメントのサルーンとしてラグナを日本でも販売していましたが、販売不振により最新のラグナⅢでは「導入を検討中」とアナウンスされたまま未導入なのが実態です かつて販売されていたラグナⅡオフ会でたまに見ますが、スタイリッシュで個人的には好きです こちらはラグナⅢ、ルノー・日産グループとなったことを受け日産ティアナなどとプラットフォームを共用 そのラグナⅢのクーペがこちら ルノーらしく斬新でそれでいて優雅さを感じるデザインですが、日本では好き物しか買わないんでしょうね^^; 現在日本でのルノーはカングーとRSというターゲットを絞った販売戦略で活況を呈しているように思いますが、その中にこういった大人のクーペを加えることはもうないんでしょうか?出典:hiko206さん
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最近ではSUV志向でクーペモデルが設定されないクルマが多くなってきていますが、かつてのクルマのランナップは基本的にベースとなるセダン(ハッチバック)に加えブレーク、そしてちょっと贅沢なクーペもしくはカブリオレといったものが多かったように思います。 そしてプジョーでは当時関係の深かったピニンファリーナによるデザインのクーペが各世代に存在してました。 プジョーが初めてピニンファリーナデザインであることをアナウンスした404クーペ 304クーペ 504クーペ そしてピニンファリーナの最高傑作406クーペ これらピニンファリーナによるクーペたちはいずれも派手さはないものの端正で細部まで煮詰められたディティールを持つ職人芸的デザインで今なお色褪せない美しさを感じます。 プジョーとは疎遠になって富裕層向けのワンオフカーなどを手掛けているといわれるピニンファリーナですが再びピニンファリーナデザインのプジョーが出るのを期待してるのは私だけでしょうか?出典:hiko206さん
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実用車が中心の第二次大戦後のフランスにおける例外的とも呼べるスポーツカーメーカー、それがアルピーヌです。 レーシングドライバーでルノーディーラーを経営していたジャン・レデレが設立したアルピーヌはルノー車のチューンナップやレース車両の製作等を手始めに次いで4CVをベースにFRPボディーを架装したA106を販売、その後ベース車両を変更したA108、A110へと発展 なかでもA110はラリーで活躍しアルピーヌの名前を不動のものとする名車となります。 その後、アルピーヌはルノー傘下になりGTカー的要素を加えたA310を販売 その発展型のV6やV6ターボ そしてA610へとモデルチェンジしアルピーヌブランドは一旦途絶えてしまいます その後アルピーヌはクリオV6やスピダー、そしてメガーヌ2のRSなどのルノーのスポーツモデルの製造を請け負っていましたが、カルロス・ゴーン氏が会長就任に伴いアルピーヌブランドの復活を明言、2012年モナコGPでコンセプトカー アルピーヌA110-50を登場させます。 A110-50のデザインのもとになったDeZir (K ...出典:hiko206さん
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