まとめ記事(コンテンツ)

2009/03/27

回顧 初代RX-7は衝撃的だった。

久々にロータリーネタをひとつ。

昭和53年3月30日、そのクルマは遂にベールを脱いだ。初代RX-7、SA22の登場だ。

それまで輸出仕様にのみ許されていた「RX」のコードネームが遂に国内にも登場した訳だったが、如何にマツダがこのクルマに期待を寄せていたか、また実際に実力の高い物だったか、その意気込みと熱意が「RX」という二文字に凝縮されていた。

当時の国産車と言えば、公害対策に追われ、どのクルマも青色吐息の状態。踏めども踏めども前には進まず、中古車の世界では「規制(公害)前」というタグが付いたクルマが飛ぶように売れていた。

マツダも「ロータリゼーション」という、全てのクルマを「ローターリー」にするという「妄想」を捨て、

驚異 RE13Bローターリー搭載のバスを君は知っているか!?
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/152561/

軽量でコンパクトでハイパワー、そして、ちょっぴり(かなり)燃費悪し・・・というREを生かすのは、ラグジュアリーカーかスポーツカーだと開眼した最初のスポーツカーが、このRX-7であった。



軽量コンパクトなREの特性を生かし、エンヂンはフロント・アクスルの後ろに置かれ、2名乗車で前50.7後49.3の、FRでは絶妙な重量配分を編み出していた。

(後年どこぞのメーカーが、フロント・ミドと重量配分の事を、あたかも自分が先だみたいな事を言ってましたなぁ。実はすでに30年も前にマツダが言ってたんですがねぇ。。。閑話休題)

実質的には量産国産車初のリトラクタブル・ヘッドライトを採用してCDは0.36を誇り、GT-Rとの激闘で生まれたリヤサスを正確に駆動する「ワットリンク」を奢り、ニュートラルというより、ちょっと気を抜くとワッ!と一回りしてしまう過激なハンドリングは、ちょっぴり怖かった記憶がある。

公害対策で回らないL20に、ストロークが大きくねっとりと路面を離してくれないS30Zとは、まったく正反対の性格で、なんだか後ろが常にムズムズした感覚はクルマってこんなに向きを変えれるるんだと、怖いながらも感動したモンだ。

そんな初代RX-7だったが、見回すと色々な疑問や割り切りもあった事も事実。



セミハイバックのフロント・シートの背後には、一応リア・シートらしきモンがあったが、これは当時ツゥーシータはご法度という、運輸省対策に設えられたものでとても座れたモンではなかった。



インパネは、マツダお得意の「T型ダッシュボード」をベースに、回転計が真ん中に大きく奢られた計器版が、否応無しにスポーティさを醸し出していた。

そして、その操縦系で当時盛んに言われたのが、パッセンジャーサイドに大きくオフセットされたパーキング・ブレーキレヴァーのこと。
これは輸出が中心のクルマだから、数が望めない国内仕様にしわ寄せが来たと、実しやかに言われていたが、タイトなコクピットのおかげで、この位置でも意外に弊害が無かった・・と僕は記憶しているのだが。

軽量ボディで負荷が少なかったので、リアにはドラムが採用され、一応、ドラムブレーキが苦手とする放熱対策として、ドラムの外周に「アルミフィン」が埋め込められた「アルフィン・ドラム」が採用されていたが、性能面では問題なくとも、見た目や商品価値で大いに損をしていたのも事実。

こうした面では、マツダの馬鹿正直さが出ていて、ある意味商売下手だったと言えるかもしれない。

当初は、サーマルリアクター(後燃焼方式)だったから燃費は最悪、それでも踏めば、どんどん加速するフィーリングに、自動車雑誌を中心に歓喜したのも事実。

それくらい当時の国産車は、走らなかったのだ。

そうは言っても燃費が悪すぎては・・という事で、この後どんどんと改良され続けられてゆくのであった。


Posted at 2009/03/27 06:37:51

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