まとめ記事(コンテンツ)

2019/10/12

ジュニアスポーツ車の歴史(フラッシャー全盛期編)


では、フラッシャーは実際どういう風に光ったのでしょうか?


↑ フラッシャーの光り方(ツノダ車) まさしく流れるウインカー

いやあ、これは少年でなくてもワクワクしますね(笑)


という訳で、ミヤタも他社製のフラッシャー自転車が爆発的に売れるのを、ただ横目で眺めている訳にもいかず、GTラジアルとは別にフラッシャー付きのモデルも発売しています。


↑ 初期のタイプ おそらく昭和44~45年

おもしろいのは、フラッシャーを「安全のため」と謳っている所です。
あくまでディスクブレーキ付きであることも、ミヤタらしい拘りでした。


【余談】
当時らしいのは、広告に現金正価と6回分割価格が併記されている点。
今みたいにカードや自動引き落としも一般には普及していなかったので(JCBが初めて引き落としを開始したのは昭和43年らしいが、一般庶民にはまだ無縁だった)、割賦を選んだ場合、自転車で専用手形というのも聞いたことがないし、毎月末に店まで現金を持参したんでしょうか?

また、「ご相談は信用あるミヤタの代理店・有名百貨店へ」とあります。
私が対象年齢の頃(昭和55年頃)には、デパートでは既に自転車は売っていなかったようにも思いますが、この当時は自転車も普通に売っていたんですね。

もっとも、スバル360は当初白木屋(=のちの東急百貨店)が東京地区の正規サブディーラーでしたし、昭和44年登場のルーチェロータリークーペなども、全国の百貨店で発表展示会をやっていましたので、昭和30年代~40年代前半までは、自転車どころか、車ですらデパートで買えたようです(外商部御用達の富裕層は今でも買えるようだが、あくまで一般庶民の話)


↑ 白木屋でのスバル360の発表展示会


さて、話は戻りますが、ミヤタが自信をもって登場させたサリーGTラジアルでしたが、やはり思ったほどには売れなかったようで、その後はミヤタも路線変更を余儀なくされ、フラッシャー大戦争に完全に飲み込まれてしまいました。



↑ いきなりド派手な昭和47年モデル その名もサリージャンボテクニカ 当時最新鋭だった747ジャンボにあやかりたかったのでしょうか?

但し、肝心のリヤのフラッシャーは自社開発でなく、ナショナルからのOEMだったようです(松下と資本関係があったため)


↑ 左:ナショナル 右:ミヤタ

今ではOEMも当たり前になりましたが、当時は車から電化製品に至るまで、どの会社も自社開発に拘っていましたので、なかなか興味深いですね。
OEMを選択した理由は、おそらくはコストだけでなく、開発期間を短縮したかったからではないでしょうか?



↑ 昭和48年(もしくは49年)モデル フラッシャーは引き続きナショナルからのOEM


↑ 左:ナショナル 右:ミヤタ


しかし、昭和48年末の第一次石油ショックによる景気の悪化や、どんどん高くなる売価にPTA(※)や親達から総スカンを食らったことなどにより、フラッシャー自転車は逆風に晒され、昭和50年頃にはジュニアスポーツ車の第一次ブームは、静かに終わりを迎えます。

※今は形骸化しているPTAですが、当時は非常に大きな発言力を持っていました(ドリフでも、EDで加藤茶が「宿題やったか?」とか「歯磨けよ」などとPTAのご機嫌をうかがうほどでした)

因みに、私はこのフラッシャー自転車ブームの当時は、まだ生まれたて~幼稚園児くらいだったので、リアルでは体験していません。
小学生の頃に、プラモでその存在を知った程度でした。


↑ アオシマ文化教材社製 スケールは1/6


【おまけ】

↑ オリジナルの原型はとどめていませんが、ベースは昭和54年ごろのスーパーサリーに、当時のフラッシャー等を装着した改造車のようです

なぜこの写真を紹介したかというと、改造でハンドルを前後逆に取り付けているからです(・・・「いたよ、こういう奴」っていう声が聞こえてきそうですね)
もっとハンドルの角度を起こして、斜め45度位にしていた奴もいました。

車のシャコタンと同じで絶対乗りにくいはずなんですが、やはり目立ちたかったんでしょうか?

Posted at 2019/10/12 13:44:25

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