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まとめ記事
昭和41年の北海道道路地図 全頁掲載!
2021/07/22
7,206
昭和41年(1966年)6月発行
「ミリオン道路地図帖 北海道編」
出版元:東京地図出版株式会社 (現 株式会社マイナビ出版) の紹介です。
法人名義の著作権保護期間(50年)満了につき、全ページ掲載しています。高速道路の無い時代。国道が砂利道だった時代。未開通区間があった時代。国鉄、簡易軌道がたくさん残っていた時代。 そんな時代の地図です。現代の地図と見比べると楽しいですよ~
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その1~その6
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カーナビが無い頃、車には必ずロードマップを積んでいたものです。 昭文社のマップルも良く使いましたが、やはり「ミリオン」が、特に見やすく使い易かった記憶があります。 出版元の東京地図出版株式会社は、2012年に株式会社マイナビに吸収合併され、その後、マイナビの出版部門が2015年に分社化され、現在は株式会社マイナビ出版となっています。 ウチには、父が買った昭和41年(1966年)発行のミリオン道路地図帖が今も残っています。380円也。 前にブログで著作権について取り上げましたが、日本の著作権法では、団体名義の著作権保護期間は暦年計算で公表後50年となっています。 この地図帖は2016年12月31日をもって保護期間が終了しましたので、この場を借りて紹介して行こうと思います(※文末参照) まずはリンク先→凡例と索引からご覧ください。 凡例ですが、道路の濃い色は舗装、薄い色は砂利となっていることにご注目ください。昭和41年といえば東京オリンピックも終わって2年後ですが、地方の道路は砂利道ばかりです。 では、これから、索引の地図番号に沿って紹介していきます。 ...出典:キャニオンゴールドさん
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今回は、道南、森町から北上し長万部までまいります。 4図左 森-長万部 4図右 森-長万部 【ほとんど未舗装】 内浦湾(噴火湾)に沿って走る国道5号線。幹線国道だけあって既にほぼ舗装されていますが、一部未舗装(地図薄色)も残ってますね。 森と言えば駅弁のいかめし。いかめしいおじさんといかめしを食べるTVCM、 ...出典:キャニオンゴールドさん
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第1〜2回は、函館から北上し、長万部(おしゃまんべ)まででした。 このまま国道5号を進むと、道南の渡島・桧山地方の南端を紹介するチャンスがなくなってしまうので、第3回は函館から西側に行ってみよー \(^o^)/ まずはリンク先→凡例と索引をチェック。地図の場所を確かめましょう。第1回の3図、木古内町から西に続きますよ。 9図 松前周辺 8図江差周辺 【国鉄江差線と松前線】 鉄道ファンならご存知、国鉄江差線は、函館の五稜郭駅(3図)から日本海側の江差町までを結ぶ鉄道で、青函トンネルの開 ...出典:キャニオンゴールドさん
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第4回は、函館から札幌への国道5号線の旅、長万部(おしゃまんべ)から後志地方に入り、ニセコ、倶知安(くっちゃん)へと行ってみよー \(^o^)/ 今回は、第5図です。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。第2回の4図、長万部から北上しますよ 5図左 長万部-倶知安 5図右 長万部-倶知安 【函館→札幌はなぜ倶知安、小樽経由か】 現在、函館札幌間は、高速道路もJRも室蘭経由がスタンダードですよね。 しかし開拓初期、函館から札幌を結ぶ道は、内浦湾沿いの森町か ...出典:キャニオンゴールドさん
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第5回は、函館から札幌への国道5号の旅、倶知安(くっちゃん)から小樽まで、行ってみよー \(^o^)/ 今回は、6図です。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。前回の5図北側、倶知安から北上しますよ 【キロロを避ける国道5号】 国道5号は6図右のとおり、倶知安町から大きく時計廻りに、共和村(現共和町)→稲穂峠→(ここでやっと舗装)→仁木町→余市町を経て小樽市へと続いています。直線で結べないのは当然山があるからでして、その山中に赤井川村が ...出典:キャニオンゴールドさん
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第6回は、函館から札幌への国道5号の旅、ついに札幌へと到着です。 \(^o^)/ 今回は、7図です。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。前回の6図右、小樽から西へ、札幌までです。 【札幌小樽間は札樽(さっそん)と言います】 札幌小樽間の国道は、地図にもあるとおり札樽国道といいました(最近は言わないかもしれません)。よく見ると今とは少し線形が違いますよ。また、当時は高速道路は一切無く、後に札幌冬季オリンピック開催に合わせ開通した高速道路 ...出典:キャニオンゴールドさん
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詳細図もあります
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第7回は特別編、 詳細図 函館と札幌をお送りします。 皆さんの思い出や、ここが今と違う、などの情報は、コメント欄にいただけるとありがたいです。 函館市 西 函館市 東 【函館市】当時は当然青函連絡船です。船着場がありますねえ。また、今とはだいぶ海岸線が違うようです。50年を経て埋め立てが進んだからでしょう。また、函館といえば市電!、今より路線が多いですね。 札幌市 西 (拡大は地図をクリックまたはタップ) 札幌市 東 (拡大は地図をクリックまたはタップ) 【札幌市】 ・札幌オリ ...出典:キャニオンゴールドさん
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その8~10
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第8回は札幌から千歳方面、国道36号線と、夕張などの産炭地です。 今回は、12図です。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。 【弾丸道路】札幌と室蘭とを結ぶ国道36号は、12図では札幌から千歳空港あたりまで載っています。この区間は戦後、超短工期で直線的な道路整備が行われたので「弾丸道路」とも呼ばれています。航空機を利用される方はご存知でしょうが、札幌便の行き先は「札幌(新千歳)」となっていまして、空港名は現在「新千歳空港」となっています。 ...出典:キャニオンゴールドさん
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第9回は千歳から登別まで、11図です。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。 【苫小牧港】世界初の掘込港湾、苫小牧港も、現在の姿よりもずいぶん小ぶりだなあと思い、よく見てみると西港区があるだけで、大規模な東港区はまったくその姿がありません。地図は「めん羊牧場」となっています。まったくもって、のどかな時代だったのですね。 【オロフレ峠】地図西側の南、登別温泉から洞爺湖へと抜ける急峻な峠が「オロフレ峠」です。有名な観光地を結ぶルートだけに、観光バスなどの ...出典:キャニオンゴールドさん
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第10回は登別から室蘭、洞爺を通り長万部へ戻る、10図です。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。 【鉄の街室蘭】来ましたねえ、鉄の街室蘭。ドン詰まりの突端から内陸を結ぶ、あの美しい白鳥大橋も、地図には全く見当たりません。それに、南端近くの小さな山「母恋富士」。地元の方はご存知でしょうけど、私名前は知りませんでした。電子地図には名前は載っていませんゾ。「母恋」いい名前ですよね。 【伊達市は札幌の隣町?】室蘭から洞爺湖方面に進むと伊達町(現伊達市)があり ...出典:キャニオンゴールドさん
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詳細図
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第11回は特別編、 小樽市、室蘭市、洞爺湖の詳細図をお届けします。 皆さんの思い出や、ここが今と違う、などの情報は、コメント欄にいただけるとありがたいです。特に、小樽、室蘭をよくご存知の方、お願いします~ 前回、予告していなかったのですが、紹介を忘れていましたので、小樽市から行きます。 小樽市 1 小樽市 2 【小樽市】小樽運河が半分埋め立てられる前、高速道路が来る前の小樽です。国鉄手宮線、小樽築港機関区(現JR北海道小樽運転所)の転車台が描いてありますね。国道5号線は小樽から余市方面は、長 ...出典:キャニオンゴールドさん
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その12~17
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第12回は日高地方、苫小牧から鵡川、門別方面へと向かう第13図。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。 【案外広いゾ日高地方】苫小牧から太平洋沿いに南下する日高地方。前回の予告でワカメちゃんが先走って襟裳岬まで話題にしていましたが、苫小牧-襟裳岬間は約180km!当時の道路事情ならノンストップでも5~6時間はかかる距離。とても1回で紹介できる広さじゃあありません。今は一部高速もあり3.5時間くらいでしょうかね。 【ししゃもの街鵡川(むかわ)】13図 ...出典:キャニオンゴールドさん
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第13回は日高地方、門別から浦河へと向かう第14図。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。 【日高山脈に阻まれた海岸地帯】太平洋に沿って南下する日高国道。14図北西の旧門別町富川地区からは、富良野方面へと内陸に入る道路がありますが、それ以南は北海道の背骨日高山脈に阻まれ、山を越えるルートは存在せず、ひたすらに海岸線を進みます。 今回の14図沿線、門別から新冠(にいかっぷ)、静内、三石(みついし)、浦河と、馬産地が続きます。 有名な日高昆布はこのあ ...出典:キャニオンゴールドさん
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第14回は襟裳岬周辺の第15図。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。 襟裳岬詳細図 東 襟裳岬詳細図 西 【日高昆布と襟裳の森】日高昆布と言えば、今では全国的にも有名な昆布ブランドですが、一時期は、昆布が壊滅的に取れなくなった時期があり、国と漁師、住民の協力で長年かけて復活をさせたドラマがあるのです。 今回はちょっとアカデミックに、このエピソードを紹介しますね。 明治の頃、襟裳周辺の陸地には落葉広葉樹の森が広がっていて、森の栄養分が海へと供給され ...出典:キャニオンゴールドさん
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第15回は16図。十勝平野、広尾町から大樹町、更別村、中札内村まで。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。 【国鉄広尾線】帯広と広尾を結ぶ広尾線は、1987年に廃止となりました。広尾線といえば「愛の国から幸福へ」の愛国駅と幸福駅ですね。両駅は、残念ながらこの地図(16図)よりも北になります。20図を紹介する際に2つの駅は紹介することといたしましょう。 【民間ロケットの街大樹町】酪農と漁業の町大樹町は、今は、あのホリエモンさんが出資している民間(インタース ...出典:キャニオンゴールドさん
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今回は17図。国道12号、札幌から岩見沢方面へ。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。 【炭鉱から石炭を積み出す鉄道】明治~昭和にかけての主力エネルギーであった石炭を輸送するため、空知の炭鉱地帯から多くの鉄道が延び、1966年(昭和41年)のこの地図には、その鉄路がすべて掲載されています。今は消えてしまった数々の路線を17図東から紹介します。ご興味のある方はWikiへのリンクを辿ってみてください。 ・ 国鉄万字線 室蘭本線志文駅(岩見沢市)~万字炭山駅 ...出典:キャニオンゴールドさん
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今回は18図。国道12号、札幌から岩見沢方面へ。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。 【毎度おなじみ、消えていったローカル線】 ・国鉄歌志内線 函館本線砂川駅から石炭産業で栄えた歌志内駅までを結ぶ路線。終着駅のある歌志内市は全国で一番人口の少ない市として有名で、現在4千人いないはずです。歌志内線は、1988年(昭和63年)廃止。 ・国鉄函館本線上砂川支線 函館本線砂川駅から上砂川駅までを結ぶ函館本線の支線。歌志内線のすぐ近くを同じ方向に走る路 ...出典:キャニオンゴールドさん
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詳細図
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今回は、旭川市の詳細図をご紹介します。私、旭川はあまり詳しくないので誤りがあるかもしれません。思い出や現在と違うところ、誤りなどありましたら、コメントよろしくお願いします。 【旭川駅南側にあった旭川機関区】現在の旭川の地図と大きく異なるのは、やはり旭川駅の南側でしょうか。当時は、駅南と忠別川に挟まれた宮前地区の広大な敷地は、旭川機関区として、車庫や転写台、車両工場などがありました。機関区は運転所と名前を変えた後、2003年(平成15年)旭川駅の高架化に伴い北旭川貨物駅へと移転しました。 ...出典:キャニオンゴールドさん
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その19
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今回は19図。富良野から狩勝峠を通って十勝方面へ。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。 【日高山脈をどうやって越える?】道央方面から十勝方面へ車で移動するとき、どうしても越えなければならないのが日高山脈です。 当初は昭和初期に開通した国道38号の狩勝峠が日高山脈越えの唯一のルートでしたので、滝川、富良野と遠回りしていくしか方法がありませんでした。この地図でもまだ未舗装ですね。 その後、昭和40年(1965年)、 ...出典:キャニオンゴールドさん
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その20 詳細図あり
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今回は20図帯広市周辺と、帯広市詳細図です。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。 帯広市詳細図 【消えていった十勝の鉄路】 ・国鉄広尾線 帯広駅から南下し太平洋岸の広尾町(16図)までを結ぶ広尾線。昭和62年(1987年)2月廃線。帯広市内愛国駅ー幸福駅の切符は、「愛の国から幸福へ」として大人気となったことでも有名ですね。 ・国鉄士幌線 帯広駅から広尾線とは逆に北上し、上士幌 ...出典:キャニオンゴールドさん
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その21
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今回は21図十勝北部です。まずはリンク先→凡例と索引をチェックして、地図の場所を確かめましょう。 【国鉄士幌線】 前回に引き続き、帯広駅から上士幌町十勝三股までを結ぶ士幌線。地図では北西にあたります。昭和53年(1978)年に糠平ー十勝三股間をバス代行。昭和62年(1987年)3月完全廃線。糠平湖以北の鉄道遺構が人気です。なかでもタウシュベツ川橋梁は有名で、周辺の景色との調和がすばらしいとされています。タウシュベツ川橋梁 写真はネットから借用 大雪山系の山 ...出典:キャニオンゴールドさん
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