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まとめ記事
御朱印放浪記(茨城県)
ぎるでぃさん
2018/05/27
2,356
茨城県での御朱印放浪記を(自分用のメモ状態ですが)
2018年1月12日「鹿島神宮」
4月7日「水戸東照宮」
4月8日「日輪寺」「花園神社」「佐竹寺」「正福寺」「楽法寺」「大御堂」「清滝寺」
4月9日「息栖神社」「大杉神社」「水海道天満宮」「大生郷天満宮」「一言主神社」
2019年1月15日「常磐神社」「酒列磯前神社」「大洗磯前神社」
4月13日「筑波山神社」「素鵞神社」「常陸國總社宮」「愛宕神社」「笠間稲荷神社」「常陸国出雲大社」
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香取神宮の次に鹿島神宮へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)は、茨城県鹿嶋市宮中にある神社。式内社(名神大社)、常陸国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国にある鹿島神社の総本社。千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社[1]。また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。 ・・・ となっていまして・・ 香取神宮からあまり遠くもなく余り移動に時間もかからずにたどり着くことができました さてこちらから境内へ 案内図を眺めちゃったりもしつつ 新年おめでとうございますをくぐり抜けまして こちらの拝殿と 奥宮で参拝をしまして 無事記帳していただきました じつは・・ 次に せっかくですので 息栖神社(いきすじんじゃ)へと立ち寄っても見たのですが 残念ながら時間切れで間に合わなかったりしました次第(無念なり・・・ まぁ・・・また次の機会にでも。。。出典:ぎるでぃさん
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4月7日 西明寺の後(午後3時ちょっと前くらい)に 次の観音巡礼先の日輪寺をナビ子ちゃんで目的地設定をしてみますと ・・・・到着予定時間が5時頃・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・。 『そんなにとおいの???』 う~~~~~~む・・・・・・(何処か他の所を行ってみようかな) で・・東照宮めぐりの御朱印帳を思い出し (二日目あたりに行くつもりだった) 水戸東照宮(みととうしょうぐう)へと行ってみました(ノープランの予定は未定なのよ・・) さて いつものごとくうぃきによりますと ・・・ 元和7年(1621年)、家康の十一男で水戸藩の藩祖である頼房が、父の家康を祀るために景勝地の霊松山に創建した。中央に東照大権現、左に山王権現、右に麻多羅神(唐の青龍寺の鎮守神で、比叡山の鎮守である日吉大神と同神とされる)が祀られ、創建当初は「三所権現」と称していた。元和10年に2代将軍秀忠の霊屋が建てられ、以降、歴代将軍の霊が相殿として祀られた。鎮座地名は、元禄12年(1699年)、2代藩主光圀によって「常磐山」(ときわやま)に改められた。 大照寺が別当寺となり、創建以来仏式で祭祀が行われ ...出典:ぎるでぃさん
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4月8日 水戸東照宮の次に一旦北上しまして某道の駅で車中泊(わりと冷え込んぢゃってちと焦ったりも)をしてから 日輪寺(にちりんじ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ この寺の創建については不詳であるが、役行者が開いた寺と伝えられ、807年(大同2年)空海が中興したとされる。室町時代以降隆興し、江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていたが、明治以降衰退した。 ・・・ となっていますが さて暫く車で北上しました後 一応・・参道の入り口っぽいところには来ましたけれども ・・・・・・・・・・・・・・・・。 林道・・・ですねぇ。。 まぁ・・せっかくですのでこちらから とりあえず・・・舗装はされていますので林道っていうイメージよりは楽ですけれども 坂道は・・・・・うなるエンジン・・はじけないぱわぁ・・で・・・(NAの軽箱ですので) それでも何とか (帰りに県道側を使いましたけれどもそちらの方が道幅も広くて楽そうでしたが) こちらのお堂でお参りをしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月8日 日輪寺の次に 花園神社へと行ってみました こちらは北茨城市のホムペによりますと ・・・ 征夷大将軍・坂上田村麻呂の創建とも、慈覚大師の開基とも伝えられています。大杉、高野槇の老木が立ち並び、木々の緑に朱塗りの仁王門、拝殿、本殿が映える様は荘厳です。また、石楠花におおわれる春の美しさも格別です。 ・・・ となってまして 地図上ですと近かったのですが 流石の山ステージで・・・道中は林道っぽい状態でちとドキドキしちゃったり^^; ゃ・・ナビ子ちゃん時々ドキドキする道を選んでくれちゃって・・・ 軽だと多少道が狭くても気楽なんですけれどもね 度胸と運転技術の無いワタシだとレヴォーグ君だと泣いちゃうかも? まぁ・・さておき こちらの参道から とぼとぼと・・ こちらの拝殿と 後ろ上に鎮座しています本殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました <a href="/image.aspx? src=https%3a%2f%2fcdn.snsimg.carview.co.jp%2fminkara%2fuserstorage%2f000%2f043%2 ...出典:ぎるでぃさん
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4月8日 花園神社の次に南下しまして 佐竹寺(さたけじ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 寺記によれば大同2年(807年)徳一の開創とされるが、坂東霊場記では寛和元年(985年)に板東巡礼中の花山院が、随行の元蜜上人に聖徳太子作の十一面観音像を与えて建立させたとされている。建立当時は観音寺と呼ばれ、現在地の北西、稲村神社の北の洞崎の峰にあった[1]。 源義光の孫の源昌義は、寺領を寄進し祈願所とした。昌義はこの寺で節が1つしかない竹を見つけ、これを瑞兆とし、佐竹氏を称したとされる。天文12年(1543年)に兵火により焼失するが、天文15年(1546年)に佐竹氏18代佐竹義昭が佐竹城(太田城)の鬼門除けとして現在地に再建した。最盛期には六支院と三ヶ坊を有したが、関ヶ原の戦いの後、佐竹氏が出羽に移封されたことにより衰退する。それでも、江戸時代は坂東三十三観音霊場の二十二番札所としての賑わいがあったが、明治に入っての廃仏毀釈より荒廃し、昭和24年(1949年)まで無住の寺であった。 ・・・ となっていまして・・ 坂東三十三箇所22番 です ではさっそく ...出典:ぎるでぃさん
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4月8日 佐竹寺の次に 佐白山(さしろさん)正福寺(しょうふくじ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ この寺は、縁起などによると651年(白雉2年)猟師の粒浦氏によって創建されたと伝えられ、当初山号は三白山と号した。1214年(建保2年)笠間氏の焼き討ちにあい焼失したが、その後笠間氏の帰依を得て笠間城内に再建され現在の山号に改められた。その後笠間氏の衰退とともに寺運も衰えた。1590年(天正18年)宥明によって再興され勝福寺と改められたが、江戸時代に入り1686年(貞享3年)に正福寺となった。明治初年の神仏分離に伴う廃仏毀釈により焼失して衰微し、本尊をはじめとする仏像などは散逸してしまったが、1930年(昭和5年)現在地に仮の本堂が建てられた。その後、寺号を観世音寺と称した時期もあったが、2012年(平成24年)に正福寺に改称された。 ・・・ となっていまして・・ 坂東三十三箇所の23番札所 です 山号が変わることもあるのですね(←でもよくわかっていない) さてこちらの参道をとぼとぼと。。 んむ?さっきの札所で見かけたような気がする方々が?(流石 ...出典:ぎるでぃさん
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4月8日 正福寺の次に 楽法寺(らくほうじ)へと行ってみました ここは雨引観音とも言われているそうでして。。 こちらはうぃきによりますと ・・・ 寺伝によれば、587年(用明天皇2年)、中国(梁)出身の法輪独守居士によって創建されたという。山号寺名は旱魃時の雨乞いに霊験があったとして嵯峨天皇から勅命により賜ったとされる。建長6年(1154年)宗尊親王により再興され、さらに建武年間(1334 - 1338年)、足利尊氏により再興されたという[1]。 ・・・ となっていまして・・ 坂東三十三箇所霊場第24番札所 東国花の寺百ヶ寺茨城6番札所 です ではさっそく こちらの仁王門をくぐり抜けまして ま・・まだギリギリ桜が間に合った気配(^^♪ 🐓と多宝塔 さてこちらの観音堂でお参りをしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月8日 楽法寺の次に 大御堂(おおみどう)へと行ってみることに こちらはうぃきによりますと ・・・ 延暦年間(782年 - 806年)徳一の開山により創建され、その後空海が入山し知足院中禅寺と号したという。筑波山(筑波山神社)と神仏習合により信仰され、江戸時代には多くの寺領を有した。明治初年の神仏分離により破却されたが、1930年(昭和5年)再興された。現在、本堂は建て替え中である。 ・・・ となっていまして・・ 坂東三十三箇所第25番札所 です さて早速移動のためにナビ子ちゃんに入力しますと 予想到着時間は午後4時ちょっとすぎ・・ ・・・び・・びみょう? そんなこんなで現地に近づいてきますと 筑波山へと・・・ ま・・さ・・か・・ 山を上るのかな?(確かロープウェイの方は混んでいる印象が^^;) でもナビの指示だと・・・のぼるっぽい とか思いつつ幸か不幸か夕方になりかけていたため駐車場が空いていたので ぐいぐい上の方に行って駐車しまして うろうろと・・ !?!?あれ?????? な?・・・・更地? 工事中? う~~~~~~む・・・・・・(うろうろ・・ ...出典:ぎるでぃさん
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4月8日 大御堂の次に 清滝寺(きよたきじ)へと行ってみました ここは清滝観音とも言われているそうですが さてうぃきによりますと ・・・ 寺伝によれば、607年(推古天皇15年)に聖徳太子作の聖観音を竜ヶ峰(この寺の背後の山)に安置したのが始まりと伝えられる。大同年間(806年 - 810年)に徳一上人によって山の中腹に移され、後に現在地に観音堂が建てられた。江戸時代には江戸幕府から朱印状を得ていたが、1969年(昭和44年)、不審火により本堂が焼失。天保年間(1830年 - 1844年)に建てられた山門が残されている。 ・・・ となっていまして・・ 坂東三十三箇所 第26番 です さて実はこの次の巡礼場所は銚子方面と結構距離が離れちゃっていますので 欲を言えばこの日のうちにこちらまでまわってみたいところと企てていたところですが。。。 ナビ子ちゃんに入力しましたところ 予想到着時間は4時40分ぐらい? ・・・・。 (果てしなく微妙な気がするけれども一応行ってみようかな)と思いつつ さて とりあえず・・・こちらの山門から境内へ と・・石段を上った所で ふみゅ・・人 ...出典:ぎるでぃさん
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4月9日 円福寺の次に 息栖神社(いきすじんじゃ) へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 社伝では、第15代応神天皇の代に日川の地(にっかわ:現・神栖市日川)に創建されたという[3]。その後大同2年(807年)4月13日、藤原内麻呂によって現在地に移転したと伝える[3]。 当社の名称について『日本三代実録』では「於岐都説神」と記される。また元亨元年(1321年)の古文書で「おきすのやしろ」と記されるように、当社は「おきす」と呼ばれていた[4]。この「おきつせ・おきす = 沖洲」という古称から、香取海に浮かぶ沖洲に祀られた神であると考えられている[5]。祭神が久那戸神(岐神)・天鳥船命であることからも水上交通の神であることが示唆され[5]、鹿島・香取同様に東国開発の一拠点であったという見方もある[5] ・・・ となっていまして・・ 茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、千葉県香取市の香取神宮とともに東国三社の一社です ここは前回にも来たことがあったのですがその時は時すでに遅しだったので 近くまで来ましたので改めまして訪れてみようかなと思った次第でして 取りあえず川の ...出典:ぎるでぃさん
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4月9日 龍正院の次に (実は昨晩の銚子方面への夜間移動中に通り過ぎていて気になっていた) 大杉神社(おおすぎじんじゃ) へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 大杉神社(おおすぎじんじゃ)は、茨城県稲敷市阿波(あば)[1]にある神社。豪奢な社殿を擁することから「茨城の日光東照宮」の異名がある[2]。あんばさまの愛称で親しまれている。古名には大杉大明神、大杉大権現、今宮大杉大明神などがある。 旧社格は郷社。現在は神社本庁が定める別表神社。関東や東北地方に分布する約670社[3]を数える大杉神社の総本社である。 「阿波の大杉神社」として茨城百景に選定されている。 ・・・ というらしいですが こちらからは閉まっていまして通れなさそうな雰囲気でしたので 鳥居をくぐりまして こちらから境内へ ずいぶんと豪華な作りですねぇ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月9日 大杉神社の次に 水海道天満宮(みつかいどうてんまんぐう) へと行ってみました こちらは・・・うぃきがみつからない? ので・・ ・・・写真で手抜きを^^; ま・・まぁ・・ 何やら工事中ですがこちらから境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました 追記 一応・・ 水海道という地名の由来は ・某うぃきによりますと 常総市(じょうそうし)の ・・・ 歴史に ・・・ 旧市名の水海道は、平安時代の武将坂上田村麻呂がこの地で馬に水を飲ませた(水飼戸:ミツカヘト)という故事に由来する。 寛永年間には、鬼怒川と利根川が直結したことにより水運が発達し、江戸と下総、下野、会津方面とを結ぶ水運の中継地として栄えた。 1913年(大正2年)11月1日には常総鉄道(現関東鉄道常総線)が開通し、船便に変わり軌道交通による経済発展で栄えた。 ・・・ だそうです出典:ぎるでぃさん
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4月9日 水海道天満宮の次に 大生郷天満宮(おおのごうてんまんぐう) へと行ってみました こちらも・・うぃきがみつからない?ので・・ し・・写真で^^; さてこちらから境内へ とぼとぼと・・ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月9日 大生郷天満宮の次に 一言主神社(ひとことぬしじんじゃ) へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)は、茨城県常総市にある神社。一言明神(ひとことみょうじん)ともいう[8][9]。正月3が日には例年15万人の参拝客が訪れる、茨城県西地域有数の初詣スポットである[7][10]。 旧社格は村社[5]。 ・・・ 祭神は一言主大神(別名・事代主神、俗に恵美須神とも)[3][4]。 福の神としてのほか、商売・災禍・農作・縁結び・平和の神といわれ[4]、たった一言の願い事であっても聞き入れてもらえるという[11]。一生に一度だけご利益を得られるという信仰もあり、非常時に家族が神社を訪れて祈願するという[7]。 ・・・ だそうでして ワタシの様な舌足らずのコミュ障でもきっと上手くお願い事が届くかも? こちらの鳥居から駐車場へ・・・ とぼとぼと・・ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました そしてここまででざっくり(2018年春の)北関東巡りは今回はいったん終了しまして家路に着きました。 ...出典:ぎるでぃさん
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1月15日 ビート君の慣らし運転も兼ねて下道のんびり行動で 茨城県までちょこっと行ってみました まぁ・・ビート君は冬タイヤを準備していませんですので 冬場の行動範囲はほぼ関東平野になっちゃう気配ですが ・・・三千回転制限ですと結局峠も厳しいのですが・・・ (下道ですと地味に時間が) さて そんなこんなで いつものワンパターンですが 常磐神社(ときわじんじゃ)へと行ってみました こちらはかの偕楽園のすぐ隣に鎮座しています こちらはうぃきによりますと ・・・ 常磐神社(ときわじんじゃ)は茨城県水戸市にある神社である。徳川光圀・徳川斉昭を祀る。近代に建てられた新しい神社である。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。 ・・・ となっていまして 水戸黄門さまが御祭神で 御朱印の朱印も此の紋所が・・・(ネタが昭和 さてこちらから境内へ この日はお焚き上げ中なご様子でしたが ふらふらと こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました 今年も御朱印放浪をするのかなワタシ。。。出典:ぎるでぃさん
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1月15日 常磐神社の次に海方面へと向かいまして・・・ 酒列磯前神社へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)は、茨城県ひたちなか市にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 ・・・ となっていまして・・ 茨城県の東部、太平洋に面した岬の丘上に鎮座する。那珂川対岸の大洗町にある大洗磯前神社と深い関係にあると言われ、2社で1つの信仰を形成している。 ・・・だそうです とりあえず こちらから 参道を とぼとぼと こちらの拝殿で参拝をしまして 無事(書置きでしたが)御朱印を頂けました出典:ぎるでぃさん
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1月15日 酒列磯前神社の次に 大洗磯前神社へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 茨城県の東部、太平洋に面した岬の丘上に鎮座する。那珂川対岸のひたちなか市にある酒列磯前神社と深い関係にあると言われ、2社で1つの信仰を形成している。 中世には戦乱で荒廃するが、近世になって水戸藩主の徳川光圀・綱條により再興した。本殿・拝殿・随神門が茨城県・大洗町の文化財に指定されているほか、海岸に立つ鳥居で有名である。 ・・・ となっていまして・・ 最近はまた某アニメの方から聖地てきにその名を耳にする機会もあるような・・ないような? まぁ・・・とりあえず 一応・・海側の鳥居から・・・ 境内へ ふみゅ? 那珂ちゃん♪那珂ちゃんぢゃぁないですか(某ゲーム方面。。 は・・おいといて とぼとぼと こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました ついでに・・ 神磯の鳥居も 結構な波が寄せていましたが中々ざばぁんといった風合いにはとれなく(まぁ・・カメラ構えていたのワタシですからね さて今回はここまでで撤収をしました(が・・帰路下道4時間 ...出典:ぎるでぃさん
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4月13日 筑波山神社(つくばさんじんじゃ) へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 概要 関東平野北東部、茨城県南西にそびえる筑波山を神体山として祀る神社であり、主要社殿は次の3箇所に形成されている。 男体山本殿 - 西峰頂上(男体山、標高871メートル)。 女体山本殿 - 東峰頂上(女体山、標高877メートル[注 1])。 拝殿 - 山腹(標高270メートル)。両本殿を遥拝する。 筑波山は西峰・東峰からなる双耳峰であり、筑波山神社本殿はその両山頂に1棟ずつ鎮座している。境内は広大で、筑波山南面の海抜270メートルの線(拝殿)以上を社地とし、その面積はおよそ354ヘクタールにも及ぶ[2]。 南面中腹にある拝殿周辺には、門前町が形成されている。一般に「筑波山神社」という場合は、この拝殿周辺を指すことが多い。拝殿の西には筑波観光鉄道の筑波山ケーブルカーの宮脇駅があるほか、登山口も設けられており、参拝客のみならず登山客によっても賑わいを見せている。 筑波山は『常陸国風土記』に見える頃より神の山として信仰が深く、その神霊を祀る筑波山神社は公家・武家から崇敬が ...出典:ぎるでぃさん
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4月13日 筑波山神社の次に 素鵞神社(そがじんじゃ) へと行ってみました こちらはうぃきが見つけられなかったので 某ホムペの御由緒によりますと ・・・ 当神社の社伝によると、享禄二年(一五二九年)「橋本源左衛門」、「橋本孫左衛門」の兄弟が園部川の河口で遊漁を楽しんでいたところ、流れの中に鯉とイサザに覆い守られている奇異なものを発見されました。兄弟はしばらく注視していると、ほどなく岸辺近くに寄ってきたので掬い上げてみました。するとその奇異なるものはなんと御神像であり、兄弟に「吾は是牛頭天王にして陰神、陽神也。将に当所の鎮守とならん。」と神託を言い渡しました。これにより兄弟は町辻に御神像をお祀りしご奉仕をすることとなりました。 翌年の享禄三年(一五三〇年)、この話を聞き及んだ小川城主「薗部宮内少輔」が願主となって祭典を行うと、御神像は紛れもなく陰陽の二神であると分かった為、陽神の「素戔嗚尊」(スサノヲノミコト)を城外に、陰神の「櫛稲田姫命」(クシイナダヒメノミコト)を城内に、それぞれ社殿を造営し分祭鎮座されるこことなりました。また、別当は「華蔵院」(現在は廃寺)とされ、田 ...出典:ぎるでぃさん
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4月13日 素鵞神社の次に 常陸國總社宮へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 常陸國總社宮、常陸國總社宮(ひたちのくにそうしゃぐう)は、茨城県石岡市総社にある神社。常陸国総社で、旧社格は県社。 社名には新字体の「常陸国総社宮」の表記も用いられるほか[1]、別称として「總社神社、總社神社(そうしゃじんじゃ)」とも称される。石岡の産土神であり、地域住民からは「明神さま」とも呼ばれている[2]。 ・・・ となっていまして こちらの鳥居から境内へ こちらの神門から 拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月13日 常陸國總社宮の次に 愛宕神社へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 愛宕神社(あたごじんじゃ)は、茨城県笠間市泉の愛宕山に鎮座する神社。元は愛宕権現で、俗に「泉の愛宕」と呼ばれた。平田篤胤の「仙境異聞」では「愛宕宮」として描かれた。旧社格は村社[1]。日本三大火防神社(日本火防三山)の一社を称する。 境内社(奥社)の飯綱神社(いづなじんじゃ[2])は、延喜式神名帳に記載されている常陸国茨城郡小三座の一社「夷針神社」の論社である。例祭が奇祭「悪態まつり」として知られている。 ・・・ となっていまして・・ 桜の季節感あふれるこちらから 境内へ と・・ い・・石段;; 既に筑波山で疲れて足がボロボロでしたが 何とか這うように 何とか拝殿までたどり着きまして 参拝をしまして無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月13日 愛宕神社の次に 笠間稲荷神社(かさまいなりじんじゃ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 笠間稲荷神社(かさまいなりじんじゃ)は、茨城県笠間市にある神社(稲荷神社)である。旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社となっている。別称胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)、紋三郎稲荷[1]。 五穀豊穣、商売繁盛の神として古くから厚く信仰され、関東はもとより日本各地から年間300万人を超える参拝客が訪れる[2]。また、正月三が日の初詣には80万人以上の参拝者が訪れ、初詣参拝者数で茨城県1位を誇る[3]。 日本三大稲荷の一つとされている[1]。 「笠間稲荷と佐白山」として茨城百景に選定されている[4]。 東京都中央区日本橋浜町には、当時の笠間城主牧野家の下屋敷があり、その地には藩主が笠間稲荷神社より分霊を受けて建てられた笠間稲荷神社東京別社がある[5]。 ・・・ となっていまして・・ こちらの鳥居から 参道をとぼとと・・ こちらの楼門をくぐりまして 拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月13日 笠間稲荷神社の次に 常陸国出雲大社(ひたちのくにいずもたいしゃ) へと行ってみました こちらはうぃきが見つけられなかったので 某ホムペによりますと ・・・ 御祭神「大国主大神」(おおくにぬしのおおかみ)は、常世之国(とこよのくに)「常陸国・現在の茨城県」の少名彦命(すくなひこのみこと)と共に国づくりに励まれたと伝えられています。 大地主神(おおとこぬしのかみ)として仰がれ、また農業・漁業・医療・縁結びの神として、幸運開運・商売繁盛・災難除け、人間の死後の霊魂を御守護・御導き下さる幽冥主宰(かくりよしゅさい)の大神として、古くから「だいこくさま」として親しまれ、篤い信仰をうけています。 大神のご分霊が鎮座されているこの福原は、島根県・出雲大社から、大国主大神の第2御子神である建御名方神(たけみなかたのかみ)が鎮まる長野県諏訪大社を通り、日が生まれる国・常陸国へと直線上で結ばれているご神縁の地です 。 ・・・ となっていまして・・ 早速こちらから クルマを停めまして まずは・・疲れているので道に迷っている体力無いので案合図確認 しまして こちらの ...出典:ぎるでぃさん
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