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まとめ記事
御朱印放浪記(群馬県西毛地区)
ぎるでぃさん
2019/02/16
2,448
群馬県西毛地区(高崎市・藤岡市・富岡市・安中市、多野郡の上野村・神流町、甘楽郡の下仁田町・南牧村・甘楽町…辺り)の…
2016年8月6日「熊野神社」「妙義神社」「中之嶽神社」「一之宮貫前神社」「高崎白衣大観音」「群馬縣護國神社」
9月24日「高崎神社」「倉賀野神社」
10月29日「榛名神社」「水澤観世音」
2017年3月31日「群馬縣護國神社」「小祝神社」
4月16日「大福寺」「不動寺」
11月11日「妙義神社(2017年)」
2018年3月31日「達磨寺」「長谷寺」「水澤寺(2018年)」
5月6日「於菊稲荷神社」
8月15日「福蔵寺」
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なぁんとなく碓氷峠の眼鏡橋を見に行きたくなって峠に行ってみて ふと昔テレビで県境の神社のこと思い出して そのままぷらりと・・・ と・・行くつもりがナビで探し出すと中山道の方の碓氷峠なのね^^; でまぁ眼鏡橋の見える旧道から軽井沢を抜けていくことになるのですが 軽井沢で交通規制(歩行者天国)・・・・しかも人が多い(子連れも多い 通れないのでわき道を通っていきましたが 狭い・・怖い・・ で微妙にドキドキしながら山道を登ってやっとたどり着くことができました さてここ神社の駐車場が1~2台分ぐらいしか見つけられなかったので 向かいのお店でお昼代わりに力餅いただいてついでに車を置かせていただきました(ちなみ私の携帯は圏外だったりする・・・古いガラケーだからなぁ・・ さて熊野神社ですが この階段を上って 随神門をくぐって 確かに下の石畳のところに県境が こちらが本宮で・・お賽銭箱が二つありまして 社務所も群馬県側と長野県側の二つあったりします 御朱印も右側が群馬県側の熊野神社の御朱印 左側が長野県側の熊野皇大神社の御朱印と 二つの御朱印が^^;出典:ぎるでぃさん
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碓氷峠行った帰りに前回写真撮り忘れていた妙義神社に再び参拝をしに行きました この坂道を車で登っちゃってもいいんですが坂の上の道がちと狭めなので 今回はすぐ近くの道の駅に とめちゃってみました ま・・こっちの方が多分広いしとめやすいかなと 個人的には妙義山は秋がイイと思うけれども 多分混んでるし・・・ まぁ腕のある地元の方がきっと美しい写真を撮っていると思うので 夏でもいいかなと・・(逃げましたよワタシ さて坂を上りますと階段が 階段の上には総門が 総門を抜けるとまた階段が この階段を上ると右側に波己曽社(はこそしゃ)ってゆうのがありまして こちらでも参拝できますが せっかくここまで来ましたので (ふたたび)この石段をのぼることに あ・・一応右手側に緩い坂道の迂回路もあります^^; 私のいった時にはうぃきとか公式サイトとかにのっていた立派な大木が無くなって このような姿に(もっと早く来ればよかった;; この日はちょっと社務所に人の気配がなかったので聞きそびれてしまいました さて石段を登り 随神門を通り 唐門をくぐればようやく 本殿ですいつも赤城くらいにしか行かない私 ...出典:ぎるでぃさん
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妙義神社を参拝した後 妙義山をぐるりとまわって中之嶽神社へ行ってみました ここの駐車場は広くて景色が良いところです さて神社へは駐車場から道の下をくぐっている地下道を使っていきました まず入って右側には金色の大きいだいこくさまが鎮座しています(写真を撮り忘れるとゆう失態 そして正面すぐに甲子大國神社(きのえねだいこくじんじゃ)がありましてこちらをまず参拝しまして 右手の方に 中之嶽神社(なかのたけじんじゃ)が・・ また階段・・しかも結構急こう配^^; 日頃の運動不足を身に染めながらなんとかのぼり こちらが拝殿で 隣接する轟岩をご神体としていますので 本殿を持たない珍しい様式なのだそうで まぁそれよりも高いところが苦手な私は階段下るのが怖かったりしたりしますが・・・・・・ さて参拝をしてから社務所で御朱印を記帳してもらったんですが (右側が中之嶽神社 左側が甲子大國神社 その時の宮司様とのお話ではここの宮司様と熊野神社(群馬側)の宮司様とは 顔なじみの仲だそうでなかなか面白そうなお話も聞かせてもらっちゃったけれども ま・・いっか出典:ぎるでぃさん
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妙義山を後にして次は富岡へ・・・ こちらには最近少し有名になった富岡製糸場があります まぁ・・今回こちらに立ち寄ったのは貫前神社の方に行きたかったわけで こちらは 群馬には「上毛かるた」ってゆうのがありまして(ローカルネタでスミマセン そこで「ゆ」は、「ゆかりは古し 貫前神社」となっていまして・・創建531年とか・確かに古い・・ 群馬の子供ならかなり有名な神社です ・・・大人になっちゃうと忘れちゃってるかもしれませんですが(私は忘れかけてた・・ さて表参道から鳥居まではまた階段が・・ あるのですが この左側の坂道を車で登って突き当りの道をちょっと左に行ったところにある市営駐車場に止めることもできます さて大鳥居をくぐると道を挟んで 総門がありまして ここをくぐりますと なんとびっくり楼門・社殿を見下ろすことになります さて 石段を下りまして 楼門のところで参拝をして ざっくりと拝殿を眺めることに ・・そして帰りは石段登るのね・・・出典:ぎるでぃさん
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貫前神社を後にして さてどうしようかな あと一か所くらい行ってみようかなと 一息つきながらふけっていて・・ふと・・ 高崎に向かうことにする さて高崎といえば私は観音様を思い出すのですが この観音様 高崎のお山(観音山)の山頂に立っていまして 結構遠くからでもその姿を見ることができます 高さ41.8メートル、重さは5,985トンと圧倒的な存在感を持っています あのガン○ムより大きいことになるのね この観音様 中に入ることができまして 中を上りますと肩のところまで登ってみることができる ・・のですが 私は既にへたれてしまって今回登る気力が無くなっちゃってしまいました(ヘタレでスミマセン さて観音様の向かい側にある 太鼓橋を渡った所にある慈眼院に行って 参拝をして御朱印を記帳してもらいました さて 駐車場はちと見つけられなかったから近くのお土産屋さんに(お土産を買って)置かせてもらいました出典:ぎるでぃさん
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観音様を後にしてそろそろ帰ろうかなぁと 観音山を下りていく途中でふと立ち寄ってみました まぁ・・なんとなくですよ なんとなく さて・・ うぃきによると 群馬縣護國神社(ぐんまけんごこくじんじゃ)は、群馬県高崎市にある神社(護国神社)である。明治維新から第二次世界大戦までの群馬県出身関係の戦死者4万7千274柱を祀る。 となっています (あ・・一応私は右よりでも左よりでもなく事なかれ主義のぼっちを自称してまし・・ ここは芝生とかガラス障子とか私の知ってる神社とはちょっと違った趣なのですね 駐車場は目の前に(あれ?社務所の方に見つめられてる? さて 私は明日から(某ゲームの)夏イベントが始まるから(二週くらい? 暫くはひきこもりかなぁ(ま・・明日も仕事ですが 多分 もしかしたらブログもそっちの(げーむの)ことかくかもですが 書く余裕ないかもですが まぁそのときは・・生暖かくするーしてもらえれば・・・出典:ぎるでぃさん
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高崎の市街地に高崎神社があるのでいってみたのですが また迷子になるワタシ・・・ 私 結局田舎でも街中でも迷子になるのね ちょいとばかし入口が解りにくかったけれども まあなんとか すこおし高所に社殿が 階段を登ってこちらで参拝を 中は赤絨毯が敷いてあって式の準備っぽい雰囲気でした出典:ぎるでぃさん
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高崎神社の後に倉賀野に向かってみました こちらには倉賀野神社がありまして国道17号線(中山道)からJR高崎線倉賀野駅を挟んで南側に ・・この倉賀野駅からかつては岩鼻軽便鉄道(いわはなけいべんてつどう)ってゆう陸軍の(高崎)岩鼻火薬製造所から倉賀野駅まで繋がっていた輸送用の軽便鉄道があって この火薬製造所の跡地が日本原子力研究開発機構と群馬の森(公園)と日本化薬・・らしいです ちなみに群馬の森には駐車場が西と東にありまして西側は混みがちですが東側の駐車場は比較的に認知されてない気がするぐらい空きがち あと東駐車場のあたりには防空壕っぽいものやら昔は怪しい雰囲気の建物があったりしたのですが・・今はどうかなぁ・・ まぁ始まる前から脱線しましたけれども・・倉賀野神社です 境内は落ち着いた雰囲気で親しみやすく感じるのはワタシの気のせいかなぁ・・ (子供のころこういう神社が近くに欲しかった さてこちらで参拝をしまして 社務所で記帳をお願いしました ここの社務所の方も気さくないい方でしたねぇ出典:ぎるでぃさん
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群馬に戻り紅葉の季節も迫ってきましたので 榛名神社(はるなじんじゃ)へ行ってきました こちらは榛名山の山腹(南側)にありまして 伊香保温泉を通るルートと別のルート上にあります 少し早めに来たのでまだちと暗い・・(カメラの使い方解っていませんですし←言い訳 案内板に寄りますと本殿まで550mほどの参道が沢沿いに続きます さて 随神門をくぐり抜けまして 参道をてくてくと ん~~~この日(10月29日)はまだ紅葉にはちと早かったですね・・ 少し長めの参道に思えるかもしれませんですが 途中に (解りにくいですけれども)アーチ状に岩がなっている鞍掛岩(くらかけいわ) とか 三重塔 とか 面白い形の岩があったりしますので割と飽きにくいと思います さて 瓶子の滝(みすずのたき)が見えてきますと いよいよ石段のお出迎え この石段を上りますと まぁ・・また石段ですが双龍門が見えますがここまで来ればもうすぐです さてこちらが拝殿で参拝をしました 本社の背後にはパゴダマストの様な御姿岩(みすがたいわ)が・・ さて御朱印を記帳してもらったのですが 以 ...出典:ぎるでぃさん
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榛名神社の後に水沢観音にも行ってみました ・・まぁ・・もしかしたらこのお寺さんの前に軒を連ねている水沢うどんの方が興味のあるお方の方が多いかもしれませんですが ・・・そういえば最近お土産品の水沢うどんしか食べていないなぁ・・ さて水沢観音 うどん屋さんのある方からですとこちらの階段を上って こちらの仁王門をくぐっていくことになりますが 上の方にも大き目な駐車場がありますので 階段を上らなくても参拝できます こちらでお参りをしまして 脇にある六角堂の中に入って回転する六地蔵尊を回してみたりしまして 記帳してもらいました ・・・・そしてまた水沢うどんを食べずに次の神社へと行ってしまうワタシ出典:ぎるでぃさん
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前橋東照宮の後 群馬縣護國神社(ぐんまけんごこくじんじゃ)へと行ってきました ・・・靖国神社で購入した御朱印帳には護国神社の御朱印を記帳してみたらどうかなぁ・・ト・・思い付きで こちらは群馬県出身関係殉国の英霊を祀られています さてこちらから・・ 何やら写真撮影をしていましたけれども き・・きにしないで こちらで参拝をして 記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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群馬縣護國神社の次に小祝神社(おぼりじんじゃ)へと行ってみました こちらは 上野国七宮 です こちらから境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして 記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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北関東三十六不動尊霊場もありますので 大福寺 (だいふくじ)へと行ってみました こちらは 榛名山の南側にありまして 北関東三十六不動尊霊場第3番 です こちらの本殿でお参りをしまして 記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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寺名の書き方がよく解んないので実は適当にタイトルが・・長い 大福寺の次には(ふどうじ)へと行ってみました こちらは 関東四国八十八箇所第二番 北関東三十六不動尊霊場第四番 新上州三十三観音第二十一番 です こちらでお参りをしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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久しぶりに御朱印のことを思い出し 群馬県は高崎市にあります 達磨寺へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 達磨寺(だるまじ)は、群馬県高崎市にある黄檗宗の寺院である。山号は少林山。「高崎のだるま市」で有名な寺である。また建築家ブルーノ・タウトが2年ほど過ごし、助監督時代の黒澤明が脚本化した「達磨寺のドイツ人」の舞台でもある。 ・・・ となっていまして・・ 結構有名どころではあるのですが 御朱印を頂くには実は・・・ほんのちょっぴり敷居が・・・ありましたりしまして・・ まぁ・・うん・・ 一応(?)高崎はだるまでも有名な所でして 高崎駅の駅弁も『だるま弁当』という だるまの形状をしている駅弁もあったりもしますが(食べ終わったらお弁当の容器が貯金箱になるという) ・・・・・・群馬の駅弁は強烈なライバルがいまして・・・・峠のあたりに だるま弁当の方はあまり知名度が・・・無い気が^^; ぃゃ・・こっちも結構おいしいのよ? こちらが総門ですが まぁ・・とりあえず 達磨寺の名前が示すようにだるまが沢山あります こちらの本堂でお参りをしまして 季節柄 桜も眺 ...出典:ぎるでぃさん
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3月31日 達磨寺の次に長谷寺(ちょうこくじ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ この寺の創建年代等については不詳であり、勅願により徳道によって創建されたとも、行基が十一面観音を刻んだとも伝えられる。最澄や空海がこの寺を訪れたとも伝えられる。その後、源氏(鎌倉将軍家)をはじめ新田氏・上杉氏などの信仰を得た。戦国時代の1566年(永禄9年)には武田信玄が箕輪城を攻めたときに類焼したが、1580年(天正8年)世無道によって再興された。古くから修験道の寺であったが、明治に入り一時天台宗に属することとなり、戦後現在の宗派となった。 ・・・ となっていまして・・ 坂東三十三観音 第15番 となっています ここから坂東三十三観音巡りも群馬へと入ってちょっぴりお気軽な気分で (でも2か所しかないのよね。。群馬ステージ。) こちらの参道から境内へと 仁王門をくぐり抜けまして こちらの本堂でお参りをしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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3月31日 長谷寺の次に水澤寺(みずさわでら)へと行ってきました こちらは・・まぁワタシは何度か来ていますので慣れ親しんでいるところですけれども とりあえず・・・ いつものごとくうぃきによりますと ・・・ この寺の創建年代については不詳であるが、飛鳥時代上野国の国司高光の開基により創建されたと伝えられる。江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられた。 ・・・ となっていまして 坂東三十三箇所第16番札所 です まぁ・・・とりあえず こちらの参道をとぼとぼと・・境内へ こちらの観音堂でお参りをしまして 無事記帳していただきました ( ゚д゚)ハッ!またうどん食べ損ねてる出典:ぎるでぃさん
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実はまだゴールデンウイークの御朱印ネタがあったりしまして(これで最後ですが 5月4日・6日(と7月7日) 於菊稲荷神社(おきくいなりじんじゃ)へと行ってみました こちらは某ホムペによりますと ・・・ 江戸時代 新町に於菊という心優しく美しい娘がおりました。 於菊はいつも稲荷神社で 近所の子供たちの面倒をみており、皆に慕われておりました。 ある日、重い病にかかり住む所を失いました。 子供達の親が不憫に思い、稲荷神社の側に小屋を建て交代で看病しました。 三年の月日が流れたある夜、稲荷の神様が夢枕に現れ 人々のために尽くすようにと於菊に告げたのです。 お告げと同時に病は全快し、稲荷神社の巫女になりました。 熱心に神明奉仕を続けるうち、神秘的な力を授かった於菊の元には、近隣、遠方から多くの参拝者が相談に訪れました。 困りごとは 稲荷の於菊に聞け、於菊の稲荷に参ろうと、いつしか於菊稲荷神社と呼ばれるようになりました。 今でも於菊は大好きなお稲荷さん(神様)のお手伝いをしているそうです。 ・・・ というらしいですが ・・・小松寺さんとのコラボ御朱印のこともありますし 忘れないうちに ...出典:ぎるでぃさん
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8月15日 チャツボミゴケ公園へと行ってみた帰りに 吾妻に鎮座しています北向観世音へと行ってみました こちらは某ホムペによりますと ・・・ 上野国吾妻郡は山岳重畳古来より修験道が隆盛であった。熊野山福蔵寺は、約950年前平安時代永保元年(1081)秋、修験者熊野坊によって草創された。現世利益、開運厄除ご祈祷の寺である。 降って南北朝時代観応年間(北朝・1350~52)、新田義貞の支族里見義候によって再興。つづいて室町時代初期、上野国平井の関東管領山の内上杉氏の執事白井長尾氏の一族尻高氏が、応永10年(1403)当時に尻高城を築城、当山福蔵寺を祈祷寺とした。 大永元年(1521)、尻高憲秀が再興。永禄年間(1558~1569)、尻高左馬亮景家の二男鉄丸を入れて廣順法印と称し、福蔵寺中興開祖とした。天正9年(1581)武田勝頼のため尻高氏は滅亡、越後へ退去したが、寺は引続きご祈祷霊場として隆盛であった。江戸時代化政の頃(1804~1829)、当山16世法印廣順禅師修験道教学大峰修業徹する大行者なり。 師、ある夜夢見るに、「異香を放ち正観世音菩薩示現し給い、信州別所北向 ...出典:ぎるでぃさん
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