まとめ記事(コンテンツ)

2013/02/09

MTとATの違いを考察する。(その1)

はじめに

まだ少し先ではありますが、BLE後継機をじんわりと、標榜し始めつつある今日この頃。実は無謀にもMT機をなんとか手に入れられないものかと、密かに計画しているのです。過去にプログでこのBLEを決めるにあたって、財務大臣兼総理大臣から、「ATである事が必須」との条件が提示され、RX-8が脱落した経緯は極一部の方には周知の事実。

今日もその条件は、なんら緩和されてはいなのです。が、しかるにこのような妄想を書くのは、自分自身が一体何故MTを望んでいるのかを明確化し、おのれが「なるほど、だから私はMTにしたいのだな」と本質を見極めなければ、財務大臣の認可など夢のまた夢であります。仕事でも全く苦手なこの「説得」という行為ですが、時節柄「至誠にして 動かざる者 未だ之れあらざるなり」ということで、(ンな、たいそうなwww)自己分析を防備録として綴ってみようとの試みです。

一応、章立てとして
1、なぜ、マニュアルミッションを捨てられないのか
2、MTとATの技術的分類
3、私はなぜ、ギアを変えるのか
4、ボケ老人のためのMT
のような視点で多面的にしかし、今回は極簡潔に要点を抽出して記したいと思います。



第1章 なぜ、MTを捨てられないのか

1.怠け者のわがまま

技術の進歩は、人間の負担を減らし続けている。そのうち「負担」だったのか?と言うものまで奪い取って久しい。なぜそんなことになったのかと言えば、人間が元来怠け者ゆえに、「楽」をしようと機械にその役割を押し付けて来たからだ。高校の部活でいじった骨董バイクは儀式の塊だった。神々しくも荒々しい鋳鉄シリンダーのエンジンを目覚めさせるには、燃料コックを開き、ティクラーを押して燃料を呼び込み、はかない6Vのバッテリーを通電させ、ピストンの圧縮上死点手前をキックレバーを探りつつ押し下げたのち、チョークレバーを引いて、一気に踏み込む。これで一旦濃い目の混合気が吸気管にへばりつき、ガソリンの気化が呼び水となり、もう一度今度はチョークを戻して再びキックする。この時、今度はスロットルをわずかに開いて、空気を吸わせて混合気を作る。そして最初の爆発を呼び込む。うまくいけばスロットルはいじらず、チョークの引きかげんで、アイドルを維持し、安定してくれば、チョークを戻してスロットルのみで暖気を行う。これらの儀式は、機械のくせ、始動者のスキルなどによりまちまちなのだが、しかしそのような「おまじない」を習得出来ないものは機械の魂を目覚めさせることは出来なかった。故に「機械と対話」出来るものは大いに尊敬を集めたものだった。

今日、このようなオカルト、お祓いの類は消え去り、残った儀式はボタンを押すだけという手軽さだ。加えて走りだす際も、ATレバーを「D」に入れるだけで、後はアクセルを踏んで「行け!」と命ずるだけで自動的に駐車ブレーキが解除され、全く機械側で何が行われているかなど露知らずとも、目的である「私が・行きたい・そこに」移動する事が出来る。

自動車の運転ではもはやハンドルとアクセルとブレーキだけがマシンとのコミュニケーション手段となってしまった。これは怠け者には天国であるのか、地獄で有るのか?。

一方、このような視点とは別に、自動車を所有し、走らせ、便利なツールとしてあるためには「誰でも」簡単に扱える事が、その拡大普及に不可欠であった事は明らかだ。故に「操作にスキルを要求する事」は、設計者の未完成の言い訳に過ぎない。という見方である。

この世の中、後者の理由で機械が進歩していった事は明らかである。同時にこのことは「自動車」に向き合う自身のスタンスが問われている事もまたあきらかだ。すなわち、生活の道具としての車と、趣味として向き合う車の違いである。

しかし、今日はこれ、明日はこれ、と複数台数を洋服のように着替えて乗れる身分でもなく、おのずと1台にあれもこれもと要求する事になる。従って万能マシンとして相反する矛盾を要求されることになる。いわく、何でも詰めて、街中の狭い駐車場や路地も苦にしない車。超低燃費で、高速道路では無敵の加速、、、とか、。まぁ、そこまでムチャ振りはしないけれども、多少なりともそう言った矛盾をはらんで、要求するのが人間である。

つづく
Posted at 2013/02/09 23:44:55

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