まとめ記事(コンテンツ)

2015/05/03

バーチャルでタイムスリップ~♪

昨日はあんなに天気が良かったのに

今日は一日中雨でした…(泣)





まぁ…、今日は

昨日の疲れもあって

一日中家でゆっくりと過ごしましたが…。




………………………………………



と言うことで、

昨日は唐津方面へ

ドライブしに行ってきました。




まずは、ノア子をキレイにして

いざ出発~♪↓






途中、「佐里温泉」で

ポピーがキレイに咲いてたので

立ち寄りました~♪(笑)






それから、

唐津市街を通りすぎ

名護屋城のある唐津市鎮西町へ…。




名護屋城」は、中国・朝鮮侵略をもくろんだ

豊臣秀吉が、朝鮮出兵(文禄・慶長の役

1592~1598)の基地として築いた城です。



またその周りには秀吉の命で

朝鮮出兵のために集まった

全国の大名の陣跡(118ヶ所)があります。





その前に、

名護屋城の前にある道の駅、

桃山天下市』に立ち寄り、

お土産を先に買います(笑)







残念ながらイカの一夜干しは

回って無かった(上の写真↓)ですが…(泣)



回ってる状態は下↑の写真です。




桃山天下市の駐車場には

前田利家の陣跡がありました。






それから『名護屋城博物館』へ…

もちろん入館料は無料です(笑)






現在名護屋城跡を歩くときに、

タブレットを無料貸し出してて

360度名護屋城CG再現されるアプリで

名護屋城をリアルに再現できて

城の建物をイメージしながら

城跡を歩いて楽しめるようになってます。






10年くらい前に名護屋城の山を

登ったことがありますが、

その頃はまだ整備されてなくて

うっそうとした山の中を登って

一番上の本丸跡まで行ったことがあります。




その頃は石垣も発掘復元されてなく

説明看板も何もなかったので

名護屋城の建物のイメージは

全く出来ませんでした(笑)




そういう面ではタブレット使った

バーチャルによる名護屋城の再現は

素晴らしいです~♪(笑)







まずは、城の正面玄関口にあたる

入口の「大手口」から↓

城壁の石垣が崩れてます…(泣)



写真の下にイメージしやすい様に

城の位置と見てる方向を

矢印で表しました~♪(笑)




昔は立派な城だったでしょうが

今では城の建物は無く

「兵(つわもの)どもが夢のあと」ですね。





大手道の登城坂を上った所の

「東出丸」からは

呼子大橋と加部島が見えます。

「東出丸」には、

番所・詰所があったとされます。




一番手前のくぼ地は、

「鯱鉾池」という堀の跡で

堀跡の後ろのなだらかな丘(山)には

徳川家康の陣跡があります。





東出丸から

「三ノ丸」内に入ると…



「三ノ丸」は、本丸を守る重要な区域。

ここから馬場を通って、

二ノ丸に繋がっています。





タブレットを水平に向けると、

何もない森林に当時の建物が

バーチャル再現されます(笑)

向きを変えると、同じように

建物の見え方が変わります(笑)







三ノ丸から本丸入口へ行く途中の坂の

大手門の手前の坂の所です↓



ここの本丸大手門は、

仙台(青葉)城主、伊達政宗が

城の大手門として移築したが

昭和20年の空襲で焼失しました。





やっと一番上の「本丸」へ到着~♪

本丸は、城の中心の曲輪で

広さは、東西145m、南北125mあります。


本丸の中央には石碑が立ってて

左側奥の木が生えてる所が

「天守台」です。







本丸の北側には月斗の句碑、

『太閤が睨(にら)みし海の霞かな』がある。

正岡子規の門の俳人、

青木月斗(げっと)(1879-1949)が

名護屋城を訪れた際に詠んだ句。

この句碑は1940年(昭和15年)

月斗派同人達によって建てられました。

向こうには呼子大橋と加部島が見えます。







本丸の北西の角隅にあった

天守閣跡の「天守台」です↓










天守台方向にタブレットを向けると

タブレットに天守台が再現されます。






もし天守台があれば、

天守台からの眺めは

素晴らしかったでしょうね(笑)





「天守台」と「本丸」の北側には

「遊撃丸」と「ニノ丸」があり

3つの島は右から加唐島、松島、

少し離れて馬渡島です。

海の向こうは朝鮮です。



「二ノ丸」は、本丸の西側にあり、

武器、兵糧などの建物や番所が

あったとされています。


「遊撃丸」は、1593年講和使節として来日した

明国の沈維敬(遊撃将軍)の宿舎となったため

この名称が付けらました。





「馬場」と「弾正丸」です。



「馬場」は、二ノ丸と三ノ丸をつなぐ曲輪で

地元では馬乗り馬場と呼ばれている。


「弾正丸」は、名護屋城の総取締を行なっていた

浅野弾正長政が居住していた所で

この名称が付けられた。




そろそろ時間が迫ってきたので

急いで降りてタブレットを返しに

博物館に戻ります。




大手道の登城坂を

下って行きます↓






それからタブレットを返却した後

名護屋城博物館』で

展示された歴史史料を見ました。





さて、次は…(つづく)


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Posted at 2015/05/03 23:34:27

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