全日本F2選手権などで活躍し一時代を築いた日本を代表するレーシングドライバー、松本恵二さんが17日に亡くなった。65歳だった。
松本さんは1949年12月26日生まれで、京都府出身。星野一義や長谷見昌弘、中嶋悟とともに全日本F2選手権などで活躍した。79年には全日本F2選手権チャンピオンを獲得、83年には富士GCチャンピオンに輝いている。
86年には、JT(日本たばこ産業)の巨大プロジェクトとして展開されたキャビン・レーシングの初代イメージキャラクターとなり、テレビCMへの出演などによってモータースポーツの枠を越えて知られる人気ドライバーとなった。
また、スーパーGT500クラスで活躍する脇阪寿一が師匠と呼ぶように、92年に現役を退いた後は後進の育成に携わり、国内モータースポーツで存在感を示し続けていた。
心から哀悼の意を表します。
以上、AUTO SPORT WEBより抜粋
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このニュースを知ったのは3日前だけど、けっこうショックが大きかった。
なぜなら、オイラが高校生くらいの頃にやっていたRCカーのカラーリングが、実は松本恵二さんが当時乗っていたF2(マーチ832とか)マシンのものを真似したものだったから。
松本恵二さんと言えば、86年以降のキャビンカラーのマシンのイメージが強いけど、それ以前の白ベースにサイドポンツーン上面に蛍光オレンジを配したこのカラーリングが当時もの凄くカッコいいな~と思い、そのまま採用させていただいたのだ。
特に京商トマホークはまさに白と蛍光オレンジで塗って、ステッカー類も松本車を意識したものを貼っていたくらい。
トマホークのデザインが、昔のフォーミュラカーっぽい感じもあるんで、この松本車のデザインが似合っていたと思う。
話を実車の方に戻すけど、松本恵二さんってレースの体制面ではライバルであった星野さんや長谷見さん、中嶋さんと比べると見劣りする感じはあったんだよね。
キャビンのスポンサーでそれは解消されたようだけど、それ以前は常に1年落ちのマシンだったり、スペックで劣るエンジンだったり。
でも、それを撥ね退けて大活躍を見せてくれてたし、79年に全日本F2チャンピオンを獲得した際も1年落ちのマーチ782で走ってて、シーズン終盤にようやく新車の792に切り替えたと記憶している。
当時のF2のエンジンの主流はBMW製2リットル直4だったけど、80年代に入ってからホンダV6が特定のチームに限定供給された。これにはBMW直4では適わず、いわゆるワークス仕様のBスペックが一部のユーザーに供給され、ホンダに対抗することに。
このBスペックエンジンは星野さんは使えたけど、松本さんはスタンダードな仕様のエンジンしか使えず、ハンデはそれなりにあったと思う。それでもマシンの性能を超えた走りで上位に食い込む活躍をしたのは記憶している。
キャビンのスポンサーを得て体制面は充実し、ホンダに対抗すべく参戦してきたヤマハ製V6を得て、中嶋、星野と同等のマシンで暴れまわった。
話は再びRCカーの方になるが、奇しくも今年トマホークが復活するというし、その際は当時のカラーリングでと思っていた矢先の松本さんの訃報で、ますます松本さんのマシンのカラーリングを再びトマホークに施す思いが強くなった。
このステッカーが入手できたのも、何かの偶然だったのか。
改めて、松本恵二さんのご冥福を祈ります。
Posted at 2015/05/20 22:20:21 | |
モータースポーツ | 日記