
夜が終わり、朝が始まる。張り込みで徹夜明けの目に朝日が眩しい。俺は何本目かの缶コーヒーを開けた。
「動かなかったわね」
助手席の女が言った。目の下に隈ができている。せっかくの良い女が台無しだ。バックミラーに、交代の覆面車が映る。グレーのマークII、臨海署の刑事課強行犯係の村雨と桜井の乗った覆面車だ。俺は缶コーヒーを持った腕を上げ、挨拶した。
「さあ、本部に報告だ」
そして車のエンジンをかけた。
臨海署、通称ベイエリア分署の管内で殺人事件が起きた。捜査本部が立ち上がり、近隣から応援も呼ばれる。ウチからは俺、そして女を選んだ。他の連中はそれなりに事件を抱えている。助っ人の立場が多かったベイエリア分署だが、今回は立場が違う。刑事課強行犯係の係長である安積も、顔には出さないがきっとやる気も倍だろう。
事件は、ささいないざこざだった。ある若者数人が、ある若者一人をカツアゲしようとした。対象とされたのは、所謂「オタク」と言われる様な人物だった。名前はタナカ。タナカは抵抗した。しかしカツアゲ連中は路地裏に引き込み、殴る蹴るの暴行を加えた。タナカは護身の為にと、サバイバルナイフを所持していた。そのナイフが、カツアゲの一人を滅多刺しにした。他の仲間は突然のことと恐怖に動けなかったそうだ。現場にはそのナイフが残されており、指紋は前科者とは合わなかったが、入手ルートから、ようやくタナカにたどり着いた。捜査本部はタナカを容疑者と決定した。先ほどまで張っていたのは、タナカの彼女の家である。タナカの居場所は掴めず、交友関係も少ない。しかし、どうやら付き合っている彼女がいるらしい。ネットカフェや素泊まりの宿を利用するにしろいずれ金がなくなる。銀行を利用した形跡もない。携帯電話も切っている様だ。親以外で頼れるのは、友人か親密な相手だ。湾岸、月島、そして17分署が助っ人に来ていたが、湾岸と月島が捜査、ベイエリア、17分署が張り込みだった。本庁は半々でそれらに当たっていたが、やや捜査の方が多い。まだ捜査本部も方針が一つではない。可能性は一つでもある限り無視はできない。
捜査本部に戻ると、予備班(デスク)が暇そうにしていた。捜査が大詰めになると、この立場はやることがない。本来は俺もこの予備班の立場だが、ワガママを言わせて貰った。他の助っ人の警部補がいる。一人くらい現場に出ていてもいいだろう。捜査本部に、安積が戻ってきた。彼は苦労人だ。しかし部下に恵まれ、彼も部下に絶大な信頼を持っている。俺は声をかけた。
「よう」
「おお、ご苦労さん」
素っ気ない挨拶同士だ。

張り込みを始めて、何日目だろうか。俺と女が張っている時に、タナカの彼女が動いた。それも、早朝だった。今までこんな時間に動いたことはない。高揚感を覚えた。タナカの彼女は、タクシーを捕まえた。本部に連絡し、直ぐ様応援が集まる。タクシーはある場所で止まった。人通りがほとんどない。路駐している車も少ない。これはこちらが気付かれてしまう可能性が高い。俺は一度現場を通りすぎ、距離を取った。ルームミラーにタナカの彼女が映る。暫くして、現れたのはタナカだった。帽子を深くかぶり顔を隠していたが、背格好がよく似ていた。直ぐにでも逮捕したい気持ちを抑え、応援を待つ。すると、徐々に警察車両が集まってきた。現場を包囲しようとしているのだ。しかし白パトがまずかった。先ほど言った通り、ここは見晴らしがよく隠れる場所が少ない。向こうも周辺をよく見ることができるということだ。タナカは白パトの姿を見つけ、周囲の気配にも気がついた様だ。まずい。そして、
「タナカ!警察だ!そこを動くな!」
手柄を焦ったのか、本庁の若い警部補や部下が、ろくに近づきもせずに怒鳴った。俺と女は同時に舌打ちをした。俺は車を急発進させた。女は回転灯をルーフに放りなげると、手動でサイレンを鳴らした。ヤケクソだ。タナカは逃げようとしたが、タナカの彼女がしがみついて離さない。チャンスだ。二人の真横に車を停め、女が飛び出す。しかし、同時にタナカはしがみつく彼女を女の方に突き飛ばした。なんて奴だ。タナカは逃げ出した。それを追って、本庁のアホ連中が追う。泣きじゃくるタナカの彼女を座らせ、女が更に続く。俺は車を発進させた。
書類が多い。助っ人と言えども、処理しなければならない書類は多いのだ。あの後、現場は直ぐに収まった。無線から確保の声が聞こえた。場所につくと、安積の部下である須田と黒木がタナカを確保していた。ちょうどタナカが逃げる方向に待機していたのだった。そして、俺の後ろには、やや息を切らした安積が来た。俺は声をかけた。
「よう」
「ああ」
相変わらず、素っ気ない。俺は言った。
「さすが、ベイエリア分署の安積だな」
「私は何もしてない」
安積は息を整え、少し嬉しそうに言った。
「今回もあいつらに助けられた」
すっかり夜になってしまった。

このまま帰りたいが、17分署に戻らなければならない。やることはまだまだ山ほどあるのだ。車に入り、シートに座る。このまま眠ってしまいたいくらいだ。
「あの娘が可哀想」
助手席の女が言った。
「え?」
「突き飛ばされたのがかなりキたみたい」
「そりゃあ痛かったろうしなあ」
「そうじゃなくて」
「わかってるよ」
俺はサングラスを外し、まぶたを揉んだ。
「あの娘は立派だ」
「そうね。…………ところでさあ」
「なんだ」
俺は女からの声を待った。しかし言葉がない。不思議に思い顔を女に向ける。次の瞬間、俺の唇に女の唇が重なった。女の少し濡れた唇の暖かさと、控えめな香水の匂いで満たされる。唇を離した女が言った。
「誕生日おめでと。昨日だけど」
「すっかり忘れてた。もうこの歳で誕生日なんざ、ちっとも嬉しくない」
俺はそう言い、車のエンジンをかけた。
To next time
追記
石田太郎よ、安らかに。
ブログ一覧 |
「17th PCT」 | その他
Posted at
2013/09/24 23:56:13