私は目を覚ました。ここはどこだろう。頭がぼやけている。白い天井が見える。寝ている。けど動いている。自分の足じゃない。周りに何人も人がいる。白衣を着てる。皆何か忙しそうにしている。シノダさんと大声で呼ばれ、その声の主を探すと、白衣の間に34君の顔が見えた。顔や服が血だらけだ。私は彼に声をかけようと体を起こそうとしたが、体が動かない。声も出ない。人工呼吸器が取り付けられている。
思い出した。私は撃たれたんだ。思い出した途端、気が遠くなった。
ことの始まりは、ある事件だった。それもとんでもない事件。17分署管内で警察官を狙った銃撃事件だ。最初は職質していた警察官に発砲があった。幸い職質されていた相手や警察官に怪我はなかった。それから一時間も経つ前にもう1つの事件。今度は警察官が二人撃たれた。あるコンビニでこの事件のことで聞き込みと注意を促し、出てきた所を撃たれたのだ。無線が一斉に走り、34君と組んでいた私は最初に現場に駆けつけた。
現場には野次馬が出来ていた。サイレンに気がついた数人が、覆面車を止める前に駆け寄ってくる。
「犯人は!?」
私は言った。野次馬が一斉に喋り出す。話にならない。現場にはもういない様だ。野次馬をかき分ける。制服が二人倒れていた。34君は一人についた。私はもう一人に駆け寄った。女性警察官だった。応戦しようとしたのか、拳銃がホルスターから抜かれ地面に落ちていた。彼女は首を撃たれた様で、かなり出血している。そして、私は彼女を知っている。同じ署の顔見知りというだけではない。同期だ。彼女は掠れた声で何か言っている。今際の言葉だ。私は救急車が来るまで声をかけ続けた。しかし彼女は救急車のサイレンが遠くに聞こえた頃、息を止めた。私の手や服は彼女の血でまみれていた。
署内の数人は勘づいていたが、翌日になりはっきりした。犯行声明がテレビ局に送られたのだった。内容はやたら難しい様だったが、つまりは警察が憎いらしい。警察を憎む奴は多いが、実際に手を出してくるのは中々いない。以前いた新宿署だって治安は悪かったが、警察を狙ってくる奴はいなかった。17分署に捜査本部が設置された。そして、録音された当時の無線のやり取りを聞かされた。警察官が携帯する無線は緊急用のボタンがあり、これを押すと本部とその無線一本となる。押しやすい位置にある為か、時々間違えて押してしまう者もおり、無線の電池を抜かないとそれは切れない。私もやったことがある。無線の声は、本部と彼女の相方の声だけで、彼女の声はなかった。
まるでドラマか映画の様な事態が起きている。私は正直、怖くなった。
係長が言った。
「機捜隊や自ら隊はいつもより数を増やして回っている。犯人を発見しても、決して無理はするな。必ず応援を呼べ。それと、防弾チョッキを着ろ。銃をチェックし、弾丸も予備を山程持っていけ」
各人が散らばる。係長が私を呼んだ。
「シノダ」
「なんでしょう?」
係長は声を落として言った。
「友達は、残念だったな」
覆面車、インスパイアのハンドルは34君が握っていた。34君が言った。
「友達の人、残念でしたね」
私は言った。
「友達じゃないわ。…でも、ありがと」
彼女の相方は助かったが、彼女は助からなかった。殉職した。彼女は結婚して、子供もいた。結婚式には招待されたが、社交辞令みたいなものだ。学校を出て以来、すっかり会ってはいなかった。それぐらいの間柄だった。久々に顔を会わせれば、相手は殉職。なんとも辛い仕事だ。旦那さんが子供を連れ、霊安室に行く姿を見た。
私は、警察官になると言った時、親から猛反対された。母親は普通の主婦だが、父親は、高速道路交通管理隊の隊員だった。テレビにも映ったことがある。そんな父を見て育ったのだから、自然とそんな仕事に興味を持った。また都合良く、思春期にはとある刑事ドラマが大ヒットした。勿論ハマった。体を動かすのが好きだった。身長も高くなった。交通管理隊はどうも女性は取ってくれないらしい。警備会社、消防、自衛隊、海上保安庁等々制服の仕事を色々調べ、決めたのはやっぱり警察だった。母はともかく、父は喜んでくれると思ったが大の大反対。当時は反発したが、今になってみれば分かる気がする。回数を重ねたとはいえ、遺族の姿を見るのはいつも辛い。
犯人は赤いバイクに黄色のヘルメットらしい。そんなのは、この東京には山程いる。数日経ったが、その犯人には行き当たらない。しかしついに出くわした。ある昼前のパトロール、私がインスパイアのハンドルを握っていた。正面にバイクが来た。色は赤く、黄色のヘルメット。私は34君に言った。
「声かけてみようか」
「はい」
34君は赤灯をルーフに載せ、マイクを取った。その時だった。銃弾がフロントガラスに穴つきのクモの巣を作った。ブレーキを踏み、身を屈めた。私は34君に怒鳴った。
「大丈夫!?」
「大丈夫です!!」
34君も怒鳴り返す。身を起こすと、バイクが逃走を始めていた。
「追うよ!!」
私はそう言い、サイレンのスイッチを押す。34君は至急無線を送る。一通りの無線が終わると、分署17から発報があった。係長だ。
「無理するな!だが絶対に逃がすな!」
なんとも無茶なことを言ってくる。しかし、言われなくてもそのつもりだ。
相手はバイクだ。縦横無尽に逃げ回る。こちらは2.5リッターの3ナンバー、蝶の様になんとやらとはいかない。34君は無線通報で手いっぱい。代わりに私がマイクをひっ掴み、更にクラクションも使い、他の車を掻い潜る。実はこんな派手なカーチェイスをやるのは私自身初めてだ。
バイクは途中で運転をしくじり転んだ。しかしまだ元気な様で、よりによってスーパーに逃げ込んだ。白昼のスーパーにだ。人質は山程。スーパーからは悲鳴と銃声があがり、そして入り口からは一斉に客が逃げ出している。無線でそれを告げると待機しろと言われたが、私は聞かなかった。カーチェイスでアドレナリンが出ている。立て籠る可能性もあったが、逃げる可能性もある。サイレンは聞こえるが、応援はまだ着かない。私は34君を置き、ホルスターからシグを抜くとスーパーに入った。
あまり大きくないスーパーだったせいか、客はほとんど逃げた様だ。残っているのは、腰を抜かし動けなくなった主婦や老人、それに店員と散乱した商品。今のところ撃たれた人はいない様子だ。新しい銃声もない。私は店員の一人に裏口を聞き出し、慎重に向かった。遮蔽物は多い。商品棚からそっと辺りを確認する。誰もいない。私は汗をかいていた。シグを握る手も汗だくだ。緊張している。身を乗り出した。

その時、私の携帯が鳴った。34君からだろうか。慌てて切ろうとする。乾いた音と、横から何か強烈な衝撃が来た。撃たれたのだ。倒れた。夢中で撃たれた方向に銃を向けると、それは蹴飛ばされた。蹴りの主はヘルメットはしてないが、犯人だ。服が一緒だ。若い男だが、顔が薬物常用者特有のやつれた不気味な顔をしている。そして、私に銃を向けている。
「お前も警官かっ!!」
男は裏返った声を出した。私は何も言えなかった。声がでなかった。痛みは勿論、恐怖だった。男は叫び声を上げ、引き金を引いた。私の意識はそこで途絶えた。
目が覚めた。また天井が見えた。音が聞こえる。心電図という奴だろう。体を動かそうとする。しかしだるく、動かせそうにない。首を動かしてみる。動く。すると両親が見えた。久々に見た姿だ。両親と目があった。母が私に抱きつく。父は私の頭の上に手を伸ばす。頭を撫でようとしたのではなく、ナースコールだ。
どうやら、生きてるみたい。
だって両親の葬式はまだ出してない。
そして、痛い。
痛い!痛いの!痛いんだってば!お母さん抱きつかないで!傷口が開いちゃうぎぎぎぎぎ!!
病室で女さんが話をしてくれた。犯人はあのスーパーで逮捕された。逮捕したのは我らが係長。私は2日間眠っていたらしい。結構危なかったわけだ。怪我人は幸い他にいなかった。私は犯人に二発撃たれたが、二発目は幸いに防弾チョッキで防げたらしい。逆に一発目は防弾チョッキの隙間から入った様だ。女さんが微笑んで言った。
「34君大変だったのよ?あなたが撃たれたのは自分せいだって言って、警部補やあなたのご両親に土下座して」
「やだもう…」
私は恥ずかしくなった。誰かを庇ったわけでなく、隙を突かれて撃たれたのだ。原因は私にあるのに。………まあ、あの電話はやはり34君だったから責任はないとも言えない、かも。女さんは続けた。
「それに、あの人、警部補。もしあなたが撃たれたことを知ってたら、きっとあの犯人、マグナム44の弾で頭がなくなってたわね」
「…すいませんでした」
私は謝った。女さんは、いいのよと言った。改めて考えたら、初めての派手なカーチェイスに、初めて一人で銃を持った相手に向かって行ったわけだ。無茶苦茶だ。まだまだ私も未熟ということだ。
係長、皆さん。ありがとうございました。
仇は、取ったからね。
ある夜。面会時間もあと少し、病室には父だけがいた。父は特に話すこともなく、テレビや雑誌を見て、時折こちらを見るくらいだった。私は言った。
「…お父さん」
「なんだ?」
父が答えた。間もなく定年、警察でいえば巡査部長相当の役職、メタボと病院から診断され、しかし現場一筋で日焼けした、シワだらけのおっかない顔した私の父だ。私は言った。
「お父さんの気持ち、良く分かった気がする…改めて」
「…そうか」
父はそれだけ言った。私は続けた。
「でも、辞めないよ、仕事」
父は、一呼吸置いて返した。
「当たり前だ。あれだけ言って警察官になったんだ。辞めるなんて許さん」
父が少し笑った気がした。
「ごめんね」
私は謝った。父は何も言わなかった。何か考えてる様だった。そして少しして、父が言った。
「母さんにな、仕事辞めてくれって言われたことがある。お前が産まれると分かった時だ。あんな危ない仕事、なんであなたがやらなきゃいけないのと。毎日の様に。だが、辞めなかった」
私は黙って聞いていた。父は続けた。
「誰かがやらなきゃいけない。誰かがそこを、誰かを守るんだ。それに、誰に言われたわけでもない、自分で決めた道だ。……お前と一緒だな」
父の言葉に、私は頷いた。父は、気恥ずかしくなったのか、咳払いすると、机の上の皿に残っていた、やや乾いたリンゴを口に放り込んだ。
To next time